はじめての文楽体験記/国立劇場 五月公演「菅原伝授手習鑑」

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 人生ではじめて文楽というものを観た。五月、国立劇場にて「菅原伝授手習鑑」。わたしは伝統芸能にはまったく疎く、これまで文楽狂言はおろか、歌舞伎ですらまともに劇場で観たことはなかった。小学生のころにそのような機会があったような記憶も朧げにあるのだが、いったい何を観たのかすら憶えていない。熟睡してしまっていた可能性は多分にある。だからといって、当時のわたしを責める気はなれない。

 もちろん、古典芸能を嫌っているわけではけしてない。ある時からは興味をもちつづけてきたが、その興味はとりたてて主題化されることなく、行動に移されることもなく、むしろそれは、古典芸能の世界にたいするぼんやりとした親和の感情としてわたしのなかにあったといったほうが正しいだろうか。いつかその世界に足を踏み入れることはあるのだろうが、あるいはそれは隠居後になってしまうかもしれない。そのような距離感である。そんな漠然とした興味が現実のものとなったのは、お世話になっている団塊世代のお爺さまが、キップを誤って買ってしまったので代わりにどうか、と譲ってくれたからであった。このような偶然が身に降りかからなければ、わたしの文楽との邂逅は、ずいぶんあとになってしまっていた虞れがある。世界にたいしてつねにひらかれていることをモットーとしているはずなのに、その世界の広大さ・多様さにたびたび負けてしまいがちだ。戒。

 

 

 さて、「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」。キップを譲ってくれたお爺さまから、あらかじめ背景とあらすじを頭に入れていったほうがよいという忠告をもらったので、文化デジタルライブラリーの紹介ページをざらっと読んだ。

 そもそも、「菅原伝授手習鑑」は、いわゆる「時代物」という分類に属する。「時代物」は、いまでいう時代劇のようなもので、平安時代から戦国時代にかけての出来ごとを、史実にもとづきながら再構成された演目のことを指す。それと区別されるものとして、「世話物」という、江戸当時の社会から着想を得た題材の演目というものがある。

 時代物である「菅原伝授手習鑑」は、菅原道真藤原氏の陰謀により失脚し、左遷させられる一連の事件を描いている。これもお爺さまから教わったのだが、竹田出雲・三好松洛・並木千柳という大阪の3人組の手による江戸期の作品であり、「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」というよく名の聞く演目とともに、文楽/歌舞伎における時代物の「三大狂言」として有名だそうだ。ちなみに、歌舞伎の演目の多くは、文楽が初出であるらしく、つまりは文楽の演目が歌舞伎に直されているということらしい。このへんは、わたし自身、もう少しお勉強をしなければならない。いちおう、ドナルド・キーンの『能・文楽・歌舞伎』を買っているので、時間を見つけて読んでみようと思う。

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 このことも今回はじめて学んだのだが、「菅原伝授手習鑑」とはいえ、その全演目が一挙に上演されるわけではない。 このたび上演されたのは、「茶筅酒の段」「喧嘩の段」「訴訟の段」「桜丸切腹の段」「寺入りの段」「寺子屋の段」である。綜合すると二時間くらいはあっただろうか。襲名披露の口上を挟んだり、休憩のあいだにお弁当をいただいたりしながら、国立劇場で四時間ほどの時間を過ごした。

 もちろんのこと、半蔵門にある国立劇場には、はじめて足を運ぶこととなった。その日、小劇場で文楽があり、大劇場では歌舞伎の上演があった。どちらも満員御礼だったらしく、わたしが到着したころには、かなりのひとでごった返していた。とはいえ、わたしのような若輩者はちらほらと見受けられるばかりで、文楽の上演にいたってはーーたまたまだとは思うが――わたしと同年代の者はひとりも見なかったような気がする。初老を過ぎたようなひとたちが大半を占めていて、若くても三十代といったところだろうか。確かに、わたしの世代の者で、歌舞伎を観たという話はちらほらと聞くことがあるが、周囲でも文楽を観にいったというのはあまり聞いたことがない(わたしの周囲といっても、半径15メートル圏内程度のことなので、あまり信頼しないでほしい)。

 なぜそのような事態になっているのか? 今回の上演で多少なりともその理由がわかった気がする。文楽人形浄瑠璃は、歌舞伎に比べても、どうしても敷居がいくらか高いのである。その印象は拭えなかった。

 

 文楽には、まず舞台上手に太夫がいる。三味線弾きが隣に座っていて、三味線の音にあわせて太夫が吟詠する。ト書きと科白の太夫が語るのである。その演奏と語りにあわせて、人形遣いが人形を動かす。

 わたしにとってそれなりの驚きであったのだが、人形遣いはすべてが黒子として身を隠しているのでなく、右手と表情を司る者は「出遣い」として普通にそこにいる、ということだった。そして基本的には、主役に値する役どころの人形には、「出遣い」と、左手担当の黒子、足担当の黒子の三人がついている。わたしの今回見た演目のうち、「寺子屋の段」はとくに登場人物が多く、8体くらいの人形が舞台にいることがある。舞台はそれなりに広いとはいえど、二十人近くの人形遣いが同時に舞台に上がっているということで、やはりいくらか窮屈そうだった。

 そのような舞台装置のもと、太夫が語る。もちろん、古語によって語られるので、にわかに意味が取れないところが多々ある。驚いたことに、舞台の両端には、語りと同時に字幕が出ているではないか。「床本」(脚本)も売っていたので、そちらで言葉を参照することも可能であろう(そうそう、上演中も客席は明るいので、手元の文字を読むことだってできるのだ)。

 

 わたしは、はじまって数分で、あらすじを前もって頭に入れておくべきだという忠告の意味を了解した。先に書いたように、義太夫の語りは、なかなか耳だけでは意味が十全に理解することができない(古語であるに加えて、吟詠されているのである)。太夫の口もとや三味線、あるいは字幕に気を取られていると、舞台で繰り広げられる人形の所作を見落としてしまう。かといって、人形に集中しすぎていると、意味が取れなくなってしまう。人形は、1メートル前後で、遠くの座席からだと、かなり小さく見えてしまう。それだけに、人形の動きを見ていると、完全に物語に置いていかれてしまうのだ。だからこそ、あらすじが頭に入っていたほうがいい。

 しかし、これはやはり初心者にはなかなかハードルが高いことは確かである。視点をどこに置いていけばいいのかわからない。舞台装置も、新参者のわたしにとっては、ひとつひとつが真新しく思え、いろいろなものに順番に視線を投げかけていたら、目が回りそうになった。視線の自由変更が可能であるというのが舞台芸術の長所ではあるが、その焦点をどこに誘導するかということがとくに意識/指定されていなかったので(玄人にとってはそのことが魅力のひとつになるのだろうけれど)、落ち着くまでにいくらかの時間を要した。そのために、「菅原伝授手習鑑」の各演目に入る前に、「寿柱立万歳」という演目もあったのだが、その物語についてはほとんど何も憶えていない。二体の人形がたのしげに踊っていたのであったっけ。

 

 気合いを入れ直して、休憩時間の折に「菅原伝授手習鑑」のあらすじを読み直した。この度の演目では、主人公である菅丞相(菅原道真)は登場しない。天皇家に仕える三つ子の梅王丸、松王丸、桜丸が主人公であった。日本史の知識に疎いことを反省した。時代物であればなおさら、全体の文脈を把握するためにも、いくらかの日本史の知識が推奨されることであろう。

 ここではくどくどとあらすじを要約することなどしない。ただ、当日のプログラムの最後に上演された「寺子屋の段」については、ようやく落ち着いて物語を追うことができるようになっていて、最後には感動が訪れたのであった。いま思い返してもじいんと来る物語だ。

 

 敵方である藤原時平により、菅丞相の子息である秀才の首が狙われる。秀才は、父が流刑にあっていることもあって、梅王丸の手によってある寺子屋に預けられていた。寺子屋を営んでいる武部源蔵は、秀才の首を斬って、それを敵方に渡すことを迫られる。何とかそれを免れる手立てはないものかと思案した源蔵は、寺子屋に入門してきたばかりの、松王丸である息子の小太郎を身代わりとし、その首を献上した。しかし、その首を検分したのは、小太郎の父であり、時平に仕えるところの、松王丸だったのである。松王丸は、その首が自身の息子であることにはすぐに気づくが、何も言わずに「秀才で間違いない」とし、引き上げる。秀才は命拾いしたのである。

 それまで一貫して性格の悪いものとして描かれていた松王丸。菅丞相と対立するところの時平に仕えていたのだが、じつは他方で、菅丞相にも恩義を感じていた。彼への忠義をひそかに果たそうと、弟分である桜丸の切腹(「桜丸切腹の段」)のことを思い返しながら、じつの息子を寺子屋に送り、身代わりとして斬首させるように仕組んだのである。物語の末尾において、松王丸夫婦は、わが子の亡骸を前に、静かに香を焚くのであった。

 ああ、いったいなんという話なんだ。忠義を尽くすために、実の息子を身代わりに斬首させるなんて、こんなばかげた話があるだろうか? これほどばかげているはずなのに、なぜかやたらと泣けてしまうのだ。言葉少なの、つねに怒り顔をしている松王丸の哀しみの深さはいかほどだろうか、と静かに想像してみてしまうのである。このような特殊な抒情性のある展開は、もしかすると西洋的な物語類型には登場しないかもしれない(これについて断言めいたものを下すには、あまりにわたしの勉強が足りていないのだが)。そのように思わせるような――このような言い方が許されるならば――きわめて日本的な感性を、わたしは「寺子屋の段」に嗅ぎ取ったのである。邪推するならば、それが名作とされている所以なのではないだろうか。

 

 そのような感想をお爺さまに送ってみたところ、「主君の若君の代わりに自分のセガレを殺す」というパターンは、文楽/歌舞伎の物語においては頻出するものだという。たとえば、「義経千本桜」の「熊谷陣屋」の下りもまったく同じだそうだ。親子の関係性の描きかたは、ギリシア悲劇に近しいものがあるのではないか、とも。さらには、当時の「首」がもっていたところの意味の大きさと、その「首」が主軸となるような物語を、文楽という生身の身体から解放された形式で行うということの逆説的な強度についての考察をすらすらと展開していた。先輩に学ぶことは多そうである。

 

 ともあれ。人生はじめての文楽は、敷居の高さにいくらか当てられてしまったものの、やはりその新鮮さもふくめて愉しむことができたと思う。人形の表情にいたるまでの微細な変化、足遣いの黒子が足を動かす機敏さ、小道具の大胆な使用、ひとつひとつの所作のユーモア、三味線の音色、太夫の語りの調子と、なにからなにまで新鮮であった。人形であるからこそ、抑揚の表現は非常に豊かさで驚いた(「喧嘩の段」における梅王丸と松王丸の戦いのダイナミックさといったら!)。

 ここまで触れてくることはなかったが、襲名口上における挨拶も、文楽の世界の荘厳な伝統を逆手に取って、完全に笑いを取りにきていて、どっかんどっかんと笑いが起きていた。いやはや、大いに笑わせていただきました。あれだけでも楽しい。今回襲名した六代目の豊竹呂太夫は、芸歴五〇年にして、ようやくの襲名披露だそうだ。黒子の人形遣いも、足のところだけを十年はやり続けるらしい。いったいどれだけ文楽の世界は厳しいのかと気が遠くなってしまう。しかし、だからこそこの伝統は、江戸時代から連綿と続けられてきたのだろう。

 

 正直なところ、どの太夫の語りがいいとか、この三味線弾きは素晴らしいだとか、あの人形遣いの所作は年季が入っているだとか、そういうことを判断するための審級は、まだまだ持ち合わせていなかった。いまはさっぱりわからない。たとえば、6代目豊竹呂太夫の語りはどうだったか? 残念ながら、(今度は物語を追うのに精一杯で!)あまり憶えてない。そういうツウなたのしみかたをするためには、一度や二度観るだけでは足りないのだろう。わたしの直感が語るのは、そういうものは何度観ればわかるというようなものではなく、びびっと心に訴えかける太夫の語りに邂逅して、それを機に突如としてわかってしまうようなものなのではないか、ということだ。いつしかそんな日が訪れることを願う。

 というわけで、またそう遠くないうちに、文楽の舞台は見てみたいと思う。今度は時代物ではなく世話物で、「曽根崎心中」あたりを観ることができたら最高だ。三等席の学生料金は1,200円。二等席で2,900円。一般料金だとそれなりにするだけに、学生であるということの恩恵を与っておくのはけして悪いことではない。

 

 ところで、人形浄瑠璃の歴史やその形式性について、やはりもう少しお勉強が必要であろうと思っているのだが、なにかよい文献はあるのだろうか。この文章でも言及したドナルド・キーンの著作は当たるとして、ほかに調べてみると、入門書として赤川次郎の『赤川次郎文楽入門―人形は口ほどにものを言い』というものなどが出てきた。あとは『文楽入門』とだけある、古典芸能入門のシリーズもののようなものしか見受けられない。歌舞伎の方はたくさんの書籍が出ているようなのだが、文楽だとやはりあまりないのだろうか。もしどなたかお薦めの文献などをご存知のかたがいましたら、こっそり教えていただけると幸いです。

動的平衡の流れとしての生命への驚嘆 ―― 福岡伸一『生物と無生物のあいだ』

 何年も積読となっていて、本棚の一角に居座りながら、わたしにたいしてちらちらと定期的に自己主張をしていた福岡伸一生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書, 2007)を読んだ。まったくもって素晴しい本だった。

 よい本であるということはかねてより幾度も耳にしていて、だからこそ長きにわたって積読になっていたのだが、今回わたしが意を決して読むこととなったのは、たまたま朝日新聞に掲載されている、福岡伸一の「動的平衡」と題された連載を読んだからだった。「『記憶にない』ことこそ記憶」と題された記憶についての小文。記憶とは、前後の時間的文脈も記憶されてはじめて記憶として成立するのであり、ある出来事の記憶が失われているとするならば、それはその出来事の(1)前後のことは覚えており、(2)その出来事の時点が欠損しているというような形で「記憶がない」とされるのだ、と説明されていた。つまり、「記憶がない」ということが記憶されていてはじめて、「記憶がない」ということを言うことができる。「もちろん、記憶がない振りをするという場合もありうるが」と、責任を訴求された政治家が「記憶がございません」という答弁を繰り返すことへのシニカルな目配せもあった。わたしはその文章に好感をもった。

 ちょうどその記事を読む前夜、心臓移植によって、前の心臓の持ち主の〈記憶〉が新たな主人へと移ったという不思議現象についてのテレビ番組を傍目で見ていた。その現象について訊かれた脳医学の第一人者とされる人物は、「記憶のメカニズムは解明されていない。かならずしも脳が記憶の全てを司っているわけではなく、心臓を含めた他の部位に個人的な記憶が付着しているということもありうる」と答えた。もちろん、ゴールデンタイムのオカルトチックなバラエティ番組だったので、さほど真に受けたわけではないのだが、翌日に福岡伸一の文章を読んでいるとき、昨夜の番組のことが思い起こされたのだった。わたしはそこに、不思議な符号*1を感じてしまったのである。積読を読まないわけにはいかなかった。

 

 『生物と無生物のあいだ』は、分子生物学を専門としている研究者の手によって記された本である。標題が示しているとおり、それは生物についての著作であり、「生命とは何か」という問いへの接近が試みられている。しかし、それはいかにも理系な、生物学の入門書というのとはまた異なる様相を呈している。わたし自身が、目次をひらいてなにより驚くこととなった。「ヨークアベニュー、66丁目、ニューヨーク」「原子が秩序を生み出すとき」「タンパク質のかすかな口づけ」「時間という名の解けない折り紙」というような、文学的な香りのする章題が並んでいるではないか。この本は、じつは生物学の入門書などではないのではないか――。わたしのその疑念は、ある意味では誤っていた。20世紀における生物学の歴史をアカデミックな見地から分かり易く紐解いている書籍であることは疑いようがなく、門外漢であるわたしはこの本でさまざまなことを学んだ。他方、またある意味でそれは正しかった。学術的な入門書というよりは、ひとりの鋭い感性をもった人物の視点によって文学的につづられているエッセイといったほうが良いだろう。この本の出版は、講談社新書でなく、たとえばちくま文庫であったほうが、その外装としてはふさわしかったかもしれないとさえ思う(もちろん、講談社新書を卑下しているわけではない)。

 ニューヨークの街並みとその喧騒についての描写があり、気を抜いているとマルチェロ・マストロヤンニの名が突如として現れ、ボストンの美術館からフェルメールの《合奏》が盗難された事件についての言及があり、「トリバネアゲハ」という蝶の美に魅せられた者たちへの共感がある。読者はそういった描写の美しさに息を呑むことだろう。そして、これは根っからの文系であるわたし自身に戒めとして言い聞かせるのだが ―― 理系の者たちが見ている世界とは、このような文化と隔絶された、内的な論理体系のうちに完結しているような淡白な世界ではけしてない。研究者が人間であり――さらには生命である以上、その研究の内実や、研究を取り巻く環境は、ひとつの〈文学〉になって然るべきなのだ(こんな当たり前なことをのけのけと云う図太い神経がある時点で、文系という人種はほとほと信用ならない)。

 

 生命とは何であるか。生物を無生物から区別するものは何か。先に言及したように、本書はこの問いに貫かれている。あるいは、この問いに取り憑かれた福岡伸一の辿ってきた人生の諸断片が記されている。少年期の昆虫観察、東海岸でのポスドク暮しの貧困、海辺で拾いあげた貝殻にまつわる省察。そうした等身大の研究者の視点から、二十世紀の生物学への接近を試みている。だからこそ、わたしのような門外漢でもするすると読める。たとえば中学生の時分にこの本に出会ってしまっていたら、生物学の道へと進むことを決意していたかもしれない。じっさい、この本の読者のうち、そのような者は少なくないのではないだろうか。

 

 二十世紀の生物学の領野におけるもっとも重要な発見は、遺伝子はDNAであるということを突き止めたことだとされる。その立役者はオズワルド・エイブリーであり、その発見は1930年代にもたらされたとされている。それまで、遺伝情報の伝達をつかさどるのは、たんぱく質のような複雑な機構をもった物質であろうという認識が主流であったが、エイブリーは、核酸という四つの構成単位しか内包できない細胞こそがそれではないかという論文を発表した。その証明には困難が付きまとい、そのさなかでさまざまな研究者からの批判を受けた。だが、かれの確信は揺るがなかった。その理由について、福岡は以下のように推測している。

別の言葉で言えば、研究の質感といってもいい。これは直感とかひらめきといったものとはまったく別の感覚である。往々にして、発見や発明が、ひらめきやセレンディピティによってもたらされるような言い方があるが、私はその言説には必ずしも与できない。むしろ直感は研究の現場では負に作用する。(56)

 みずからの手の試験管の中で揺れている、DNA溶液の手ごたえ。そのリアリティ。それこそが確信の源泉になったのではないか、と。しかし、かれの研究は公には完全に認められることなく、ノーベル賞の栄光に与ることもないままかれは静かにこの世を去った。その時代から少し下り、誰もがエイブリーの認識の正しさが確かめられて以降、さながらゴールドラッシュのように、われ先にと研究者たちが一斉にDNAの構造の解明へと邁進することになった。

 

 「ある発見が大発見なのか中発見なのか小発見なのか、はたまた無意味なものなのかは一体どのようにして決まるのだろうか」と福岡は問う。研究者の世界では、その判断を下すのは、歴史であるなどといった悠長なことは言っていられない。発見は多くの場合学術誌に掲載という形で世に発表される。他の学術誌に遅れをとってはいけない。だが、その発見についての評価を下すことのできる者は誰だろうか。同分野の他の研究者である。したがって、その決定には、ときに我欲と倫理を天秤にかけられることがあり、同時に多分に政治的な駆け引きも含まれることがある、と。

 二十世紀最大の発見とされている、ワトソンとクリックという若き研究者によるDNAの二重らせん構造の発見。1953年の『ネイチャー』に発表された1,000語余りの論文によって、二人はのちに、その共同研究者とともにノーベル賞を手にしたのであった。しかし、その発見は、フランクリン・ロザリンドという寡黙な女性研究者の手がらを剽窃したことに由来するのではないか、という最大の疑惑についても語られていた。その真相はいまだに明らかになっていないらしいのだが、その疑惑には、大きな紙面が割かれており、本書のひとつのハイライトとなっている。このような一連の疑惑の付着した歴史は、教科書には確実に載っていないようなことである。このような現場のリアリティをありありと追体験できるような、非常にスリリングな箇所であった。

 

 ともあれ、かれらの二重らせん構造の論文のなかに、「生命とは自己複製するものである」というような、生命の定義を示唆する一文が出てくる。DNA分子の発見とその構造の解明は、生命のあり方をそのように規定した、と。しかし、福岡はその言明にある程度同意した上で、違和感をも示す。その違和感は、海辺に落ちている貝殻に生命の痕跡を見てとったときの私的な経験によって表明されている。

貝殻は確かに貝のDNAがもたらした結果ではある。しかし、今、私たちが貝殻を見てそこに感得する質感は、「複製」とはまた異なった何物かである。小石も貝殻も、原子が集合して作り出された自然の造形だ。どちらも美しい。けれども小さな貝殻が放っている硬質な光には、小石には存在しない美の形式がある。それは秩序がもたらす美であり、動的なものだけが発することのできる秩序である。(135) 

 シュレディンガーの予言に霊感を受け、ドイツ生まれの生物学者であったシェーンハイマーは、1941年にみずから命を断つ前に、孤独な研究と省察によって、ある命題にたどり着いた。いわく、「生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である」、と。

 福岡は、シェーンハイマーの「動的状態」という規定に付け加えて、次のように生命を定義し直した。「生命とは、動的平衡(dynamic equiliblium)にある流れである」。わたしたちは、固定的な細胞のかたまりとして、不変の肉体を有しているわけではない。その生誕から終焉まで、つねに細胞レベルの新陳代謝を繰り返し、不断に身体を刷新しながら生きている。それはあたかも、つねに構成する一粒一粒の砂が入れ替わっても形を留め続ける砂の城のようなものである。

 わたしたちの身体が新陳代謝を辞め、細胞が成長を止めてしまったとき、シュレディンガーが指摘したように、それはエントロピーの完了を意味しており、すなわち生物的な死は免れない(エントロピー増大が止まったときに死が訪れるというのは、どういう事態を意味しているのか、わたしにはまだ掴みきれていないのだが)。生命は、それを免れるために、終点がけして訪れることのないような自己刷新の連続であるというのである。

 

 しかし、生命がそのような新陳代謝であり、細胞が不断にこわされてつくり直されてという流れのなかにいるとするならば、なぜ生命は急激に崩壊したり変容せず、その終わりまでゆるやかな平衡を維持することができるのか。その鍵を握るのは、たんぱく質の「相補性」とされる。ジグソーパズルのように、お互いの唯一のパートナーを見つけ出し、連帯をしてゆくたんぱく質の働きのことである。

 そして、本書は、自身が80年代にアメリカの研究所で注力していた、「GP2」と呼ばれるある特殊なたんぱく質の研究についての記述で残りの紙面が埋められている。そのGP2こそが生命を規定するような重大な要素であるに違いないという仮説をもとに、さまざまな実験を重ねられていく。ある日、苦心の結果、ようやく意図していた実験を実現することに成功する。どの細胞にもすべからく見受けられるような「GP2」を欠いた――ノックアウトされた――「ノックアウト・マウス」を作り出すことに成功したのである。あとは、このマウスを観察して不具合を起こすようであれば、「GP2」が生命にとって不可欠な細胞であるということを証明できる。

 だが、思うような結果が得られない。「ノックアウト・マウス」は何の異常もなく、きわめて健康体そのものに成長し、そして他の種と同様に死を迎える。その仮説は見事に裏切られてしまったのだ。その遍在と特色からいって、生命にとって「GP2」が重要な働きをしているのは間違いがない。しかし、「GP2」の存在しない生命体は、なんの異常も示さない。これはいったい、どのような事態が生じているのか。

 

 そこでかれは気づくのだ。それまでの自身の「生命とは何か」という問いに対する認識のナイーヴさに。

生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度、折りたたんだら二度と解くことのできないものとして生物はある。(271)

 生命とは、機械のようなものではないのだ。つまり、無時間的/論理的なモデルにしたがって構築されているようなものではない。機械であれば、ひとつのトランジスタ、ひとつの回線が破壊されれば、程度のはあれ、機能不全を起こすだろう。しかし、生命は、ひとたび部品が欠けていることがわかれば、その不可逆的な進化の過程で、その不足を補うようなバックアップシステムが働く。生命は、不断の進化のなかに――時間の流れのなかに――存しているのだ。その意味において、生命は「動的平衡の流れ」に他ならないのである。

時間という乗り物は、すべてのものを静かに等しく運んでいるがゆえに、その上に載っていること、そして、その動きが不可逆であることを気づかせない。

 

 本書は、次のような研究者としての潔い態度表明によって締められている。それはいくらかの諦観であるようにも見受けられるが、生命の神秘への純粋な驚嘆こそが、かれの生を規定する情熱の源泉となるものであると言ったほうが、おそらくは正確なのだろう。

私たちは、自然の流れの前に跪く以外に、そして生命のありようをただ記述すること以外に、なすすべはないのである。それは実のところ、あの少年の日々からすでにずっと自明のことだったのだ。(285)

 

*1:さらにいえば、つい最近まで読んでいた『目の見えない人は世界をどう見るか』という本は、福岡伸一氏の激賞のことばが帯文や標題紙の次の頁に記されていたことももうひとつの符号である

美術鑑賞の新しい愉しみかた――〈ソーシャル・ビュー・ゲーム〉について

 わたしは、このところお茶碗鑑賞に執心していて、その事の次第については改めてまた記したいと考えているのだが、ここでは先日の経験について一筆取ろうと思う。というのは、大阪の藤田美術館に足を運んだときのことである。藤田美術館では「ザ・コレクション」と題された選りすぐりの所蔵作品が出品されている展覧会があって――わたしのお目当はいうまでもなく曜変天目だったのだが――旧知の友人をさそって足を運んだのだった。

 

 お茶碗を見終えたところで、わたしも彼も、とりたてて日本美術に造詣があるわけではないので、ああだこうだと適当なことを言いながらほかの所蔵作品を見て回っていたのだが、おもむろに彼があるゲームの提案をしてきた。それは次のようなものである。

 ある作品の前で、一方が目を閉じ、その作品を見ないようにする。もう一方がその作品を見ながら、それはどういうものかと言葉で相手に説明する。ある程度説明し終えたら、一方は目を開けて、どのような作品か見てみる。そして、他方の言葉によって脳内で構築されていた作品のイメージと、実際に見て捉えられた実物の作品との差異について話し合う、というゲームだ。

 わたしは彼の提案に前のめりになって応じた。いくつかの作品を前に、わたしたちはその試みを実践してみた。目を閉じるひとと、説明をするひとを交互に務めていく。――――いやはや、おもしろい! しかめっ面で黙って作品と対峙するのも結構だが、これもまたとても新鮮な美術鑑賞のあり方だった。オシャーなゲームなので(笑)、みなさんにもぜひとも試してみてほしいと思う。

 

 お互いに共通していたのは、目を閉じる側に回ったときの驚きである。相手の説明を受け、いくつか疑問点を質問しながら、頭のなかでひとつひとつ作品の様子を構築していく。そして、ある程度説明が出尽くしたところでようやく目を開け、はじめて作品を目視する。たちまちに叫び出す。「ぜんぜん違うじゃん!」。

 

 とくに、はじめてこのゲームを試みたときはひどかった。たとえば対象が絵画だったとしたら、はじめに説明者が語り出しがちなのは、その作品に何が描かれているかという主題についてである。しかし、それをいくら語ったところで、聞いているだけの者は、一向に作品についてのイメージを固めていくことができない。必要不可欠な情報とはむしろ、その作品の色味であり、大きさであり、フォーマットであり、素材といったものである。その絵画が1メートル四方なのか、あるいは10センチ四方なのかということで――あるいはその主題以上に――所与される印象はまったく異なるのだ。

 そのような情報は、わたしたちが普段作品に接するときは、とりたてて言語化されることはないし、主題として前景化して考えることは稀ではある。しかし、それは、じつはそもそもの鑑賞態度を規定するような一次情報であるのだ。そのことが改めてよくわかった。さらには、ともすればそれが絵画であるのか、彫刻であるのか、陶芸であるのかというような情報 ―― わたしたちが真っ先に作品を目視したときの了解内容 ―― すら、伝達するのを忘れてしまいがちである。視覚が、一瞬の目視によって、どれだけの多くの情報をキャッチしているのかということをまざまざと思い知ったのであった。

 

 そのような反省から、わたしたちは細かく一次情報を伝えようと試みた。大きさはどうか、色はどうか、素材はどうか。しかし、その伝達はある種の困難を極める。確かにそうした一次情報は、わたしたちの作品の先行了解を形づくるような要素である。だが、そこにはただ無機質な情報ばかりでなく、必ず鑑賞者によって見出された意味が付随している。つまり、印象である。その作品は、わたしたちに対してまずはじめに、どのような印象を与えたか? これをうまく言語化するのはすこぶる難しい。

 ある作品の前で、彼はいった。「おばあちゃんの家にいったときに供される、和菓子がたくさん入っている缶みたいなやつ」。ああ、なるほど。わたしはそれを聞いて合点し、頭のなかに鮮烈なイメージをつくりだした。缶といえばアルミで、アルミといえば銀色だ。そのイメージに従って、わたしは頭の中に銀色の缶の像をつくりだしていたのだが、彼はある段階で「箱の外側は黒っぽい色」と付け加えた。すぐに像を作り変えようとする。だが、うまくいかない。「おばあちゃん家の和菓子の缶」という当初のイメージを振り払うことがなかなかできなかったのだ。

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「おばあちゃん家の和菓子の缶」の正体は、国宝の《仏功徳蒔絵経箱》 

 

 この例が証しているように、いちどつくりあげられてしまった脳内の像に変更を加えるのはむずかしい。とくに根幹にかかわる要素だと尚更である。あるいは、この想像変容の作用については、得意不得意があるのかもしれない。少なくとも、わたしはものすごく苦心した。どれだけわたしの視点は先行する脳内のイメージというものに縛られているかということを思い知ったのであった。

 

 そして、この試みを通して痛切に感じたのは、そのような固定的な視点に抗うためには、所与の経験を入念に観察し、それについてひとつひとつことばを重ねていくという作業は非常に有効であるということだ。わたしたちは、視覚が優秀であるがあまり、ことばにするということを怠りがちである。しかし、目に見えない人に眼前の光景を説明するように、ひとつひとつをことばにしていくことで、わたしたちは往往にして、新たなことに気づくことができる。

 たとえば、ある作品になんなのかよく分からないものが描かれている。あなたはそれがなんなのかと思案することもあるだろう。だが、ある段階で、思案することも諦め、つぎのものに目を移していくかもしれない。まだ思案したのであればいいほうだろう。目を留めてすぐにそれが何かと了解されない場合、とくにその何ものかが思考にのぼることなく、つぎの瞬間にはきれいさっぱりと忘れられていることもあるだろう。視覚は、膨大な量の情報を不断に獲得するがあまり、つねに取捨選択することを求められている。新たな情報に対して、文字通り目移りしてしまうのである。そこを立ち止まって、丁寧に言語化してみる作業は、その視覚の軟派な性格を戒めることができるがゆえに、ひとつの作品に対峙する在り方として、より誠実なものと言えるのではないか。

 さらには、そのように言語化してみることで、対象についてよく記憶に残すこともできる。じっさい、藤田美術館を訪れてからすでに2週間が経過したのだが、この試みの対象となった作品のことは、未だにありありとその姿を思い出すことができる。まったくもって素晴らしい試みだったと思う。ぜひにまたやりたい。何よりも最高にたのしい遊びだったのだ。

 

 じつは、彼のこの提案には元ネタがあった。伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているか』(光文社新書, 2015)という書籍に記されている「ソーシャル・ビュー」と題された視覚障害者主導の美術鑑賞会のことである。わたしがこの記事のなかで言及した「情報」と「印象」という述語も、この本のなかでたびたび言及された対立構造である。

 彼から勧められて、さっそく読んでみたのだが、非常におもしろい本だった。もともとこの本を紹介するつもりで記事を執筆しようと思ったのだが、だらだらと〈ソーシャル・ビュー・ゲーム〉のことを書いていたら紙幅を取り過ぎてしまったので、またの機会にしようと思います。またこのゲームがやりたくてうずうずしてきた。

 

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 あまりにも長い空白ができてしまった。かりにどれだけ懸命になってインターネットの荒涼な大地に足跡を残していこうとも、そこに痕跡として記録されうるのはわたしの人生を形づくっているもののほんの一部でしかない。だが一方で、このような場所は、ときどきの情感のきめ細かなざらつきを――そのようなざらつきは、大概にして時の経過とともに摩耗し、失われてしまう――憶えておくためにも、わたしにとって必要とされているはずだった。私的な記憶の集積が、のちの自分自身に奉仕するというだけではない。たとえ読者がひとりもいなかったとしても、その痕跡があるいは見知らぬだれかに届くかもしれないという可能性がひらかれていること、その事実がわたしにとって重要なのである。たったその事実だけで、わたしはいくらか救われた気持ちになったりするのだ。だからこそ、客観的な基準に照らし合わせればほんの三ヶ月にすぎない小休止でも、それはもっと大きな深淵としてわたしに襲いかかる。なかなかことばが見当らない。打鍵する指が動かない。そうした現実を直視することを惧れて、意味を形づくることなどない断片ばかりを摘んでは、味がなくなった途端に水に流してしまっていた。わたしは、どうやらリハビリテーションを切に必要としている。

本屋でもっとも万引きされている村上春樹の小説

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 インターネットを徘徊していると、このニュースに遭遇した。トロントのある本屋において、最近では、村上春樹の小説がもっとも万引きに遭っているというものである。記事の本文を読んでみると、かつては頻繁に万引きされていたのは、ケルアックやギンズバーグといったビート文学が総じてトップを占めていたが、次第に対象がナボコフ『ロリータ』へと移り変わってきた。その系譜に連なる、新たな潮流として村上春樹の小説がこのところ頻繁に盗難被害にあっており、二十五年も本屋を経営している店主は頭を抱えているとある。

 

 まったくおかしいではないか。わたしは思わず苦笑してしまった。もちろん、たった一冊の盗難被害で、どれだけ甚大なダメージが本屋にもたらせるかということは見知っている。万引き犯には、本ぐらい買いなさいと窘めたいところだが、しかし、村上春樹とは。

 ビート文学や『ロリータ』が万引きされやすいという事実は、ある意味ではとてもわかりやすい。前者は金のないヒッピーたちが犯行に及んだのだろうと想像しやすいし、『ロリータ』は、タイトルからいっても、内容からいっても、大きい顔をしてレジまでもっていく気が引けてしまう、という気持ちもわからなくもない。

 

 では、村上春樹は? がやがやと呑み屋で話すにはもってこいのテーマだ。がやがや。

 

クラーナハ展―500年後の誘惑/蠱惑的な女のまなざしに取り憑かれ

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 国立西洋美術館で開催されていた、会期終了目前のクラーナハ展に駆け込んだ。この企画展に足を運んでいなければ、もしかするとクラーナハについて思考をめぐらせる機会は今後訪れなかったかもしれない。画家に焦点をあてた企画展は、ヨーロッパにおいては幾度か開催されてきたようだが、ヨーロッパ外でこのような大規模な展示が組まれたことははじめてだそうだ。もちろん、日本でもクラーナハの回顧展ははじめての開催となる。

 わたしは、ルーヴル美術館やウィーン美術史美術館といった場所で、クラーナハの作品を何点か目にしているはずなのだが、とりたてて大きな印象をもったことはなかった。ドイツ・ルネサンスのこともほとんど知らなかったし、そのなかでもかろうじて耳目を引くのは、アルブレヒト・デューラーであり、グリューネヴァルトにとどまっていた。クラーナハについてはとくに関心もなく、この企画展も危うく見逃しそうなところだっただけに、意を決して足を運んでよかったと深く思っている。いけるときにいかなくてはならない。あらためて自分自身に言い聞かせる。

 会期終了の前日の土曜日だったからか、会場はかなりの混雑を見せていた。それだけでもわたしの意気は大幅に削がれてしまうのだが、こんなところでへこたれてはいけない。どこかで読んだのだが、ある年の世界中の展覧会のうちで、会期中の一日の平均来場者数のトップ 3 はすべて東京の展覧会だったらしい。非常に示唆に富んだ事実である。ともあれ、東京で美術と付き合う限り、このような混雑はなかば宿命づけられているともいえる。

 

 ルカス・クラーナハ(Lucas Cranach der Ältere, 1472-1531)は、ドイツのクローナはに生を受けたルネサンス期の画家である。ヴィッテンベルクで工房をひらき、ザクセン選帝侯であるフリードリヒ三世の宮廷絵師となった。息子も同名の画家であり、工房の跡継ぎとなったので、しばしばクラーナハ(父)と記される。81歳で没したということだが、当時の平均寿命から鑑みれば、かなりの長生きといえるだろう。工房はかなりの弟子を抱え、たくさんの仕事を受注していたというし、選帝侯に仕えていたというだけに、画家の暮らしぶりはかなり恵まれていたのだと容易に想像ができる。

 ヴィッテンベルクといえば、マルティン・ルター宗教改革の興った街として有名だが、同時代に生きたクラーナハも彼と直接の親交があった。実際にいくつかのルターの肖像画を残していて、急速に広がっていった宗教改革について、民衆が指揮者の〈顔〉を見知ったのも、クラーナハ肖像画に依るところが大きかったとキャプションに説明がされていた。

 《子どもたちを祝福するキリスト》(1540年頃)というように、プロテスタンティズムのアイデアを援用するような主題の絵画も残しているし、なによりルターの翻訳した聖書の印刷なども引き受けていたようだ。だが、わたしが興味ぶかく思ったのは、そのような緊張感の張り詰めていた時代を生きていたクラーナハが、カトリックのシンボルをふんだんに散りばめた絵画も残しているという事実だ。宗教改革が発生したあとも、イタリアやフランスのカトリック教徒から、内密に仕事を受注していたらしい。では、本人が内心ではカトリックの教義に傾倒していたか? それはわからない。仮にカトリックの精神に共鳴していたとしても、彼の置かれていた状況を考えても、対外的にそのことを告白することはできなかっただろう。あるいは、まったくキリスト教の教義などどうでもよかったのかもしれない。工房で大量に受注して、大量に制作するというスタイルをとっていた彼にとっては、時のイデオロギーに拘泥することは、ほとんど意味をなさなかったとしても不思議ではない。わたしにはその評の妥当性を判断する手立てはないのだが、同時代の画家に比して、クラーナハがしばしば新たな主題を選ぶことに長けていたと評されるのは、画家のそのような性格に由来しているのかもしれない。

 

 展示のなかで、当時のヴィッテンベルク大学で教鞭をとっていたという人文主義者のショイルルによる、画家への評が紹介されていた。

誰もがそなたを、その驚くべき素速さのために称賛する。そなたは迅速に制作し、その素速さにかけては〔…〕あらゆる画家を凌駕している。

 ここでは画家の「素速さ」が賞されている。この評に接して、果たしてクラーナハは喜んだのだろうか。確かに古代ローマのアペレルに比されている点では、賛辞としては最大のものなのかもしれないが、わたしだったら、こんな微妙な点を褒めてくれるな、と毒づいていたかもしれない。ほかにとりたてて褒めるところがなかったから、辛うじて「素速さ」を取り上げたとしか思えない。ともあれ、生涯にわたって画家がどれくらいの作品を残したのかはわからないが、工房のシステムをうまく機能させることによって、同じ主題の作品を何枚も量産し、社会に流通させることができたことは、後世から見れば着目すべき点ではあるのだろう。それだけ画家の工房が広く認知されていた、ということの証左でもある。

 社会に流通ということであれば、当時に技術的に大きく発達していた、版画の存在を抜きにしては語ることができないだろう。なんでもクラーナハは、ドイツで多色刷り木版(キアロスクーロ)をはじめて試みた人物であるそうだ(とはいえ、そのことを顕示するために、画家は制作年を偽ったこともあるようなので、実際のところはわからない)。

 

 わたしが展示されていた版画を見て、その主題というよりも、背景に描かれている風景をみて、もとよりもっていたある印象を強めることになった。そして同時に、疑念が生じてきたのである。

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Lucas Cranach, Venus & Cupid, 1506.

 たとえばこの版画にあるように、背景に書き込まれている遠景には、小高い丘があって、そこに城塞のような建築物が立っている。このような丘と城は、ほとんど同じような構図をもちいて、室外を舞台につくられた作品の大半に描かれている。

 わたしはこの構図に既視感を覚えているのだが、いったいどのような伝統に基いているのかわからない。たとえば、イタリアのルネサンス絵画にも似たような風景は登場していたように思うが、中世の絵画の印象が強いような気もする。この風景に、なんらかの伝統を求めることは可能なのか? そもそも、このような風景がドイツをはじめとするヨーロッパにはいたるところにあったのだろうか? 瑣末なことにすぎないかもしれないが、小高い丘と小さな城の風景が、ひとつの足がかりになるような気がしてならない。その直感があるのは、もしかするとフランス南部に点在している中世の小さな町に魅せられたときの記憶が脳裏に残っているからかもしれない。

 

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 遠景でいえば、展示されていたデューラーの《アダムとイヴ(堕罪)》(1504)についても、気になって仕方がなかった。右上の断崖絶壁に一匹でぽつりといる羊! この羊を発見して驚いて、笑いをこらえながら目を細めていくらか考えていたのだが、さっぱりわからない。いったいあやつは、そんなところでなにをしているのだ? 『創世記』のアダムとイヴの堕罪についての箇所には、いまにも崖から落ちそうになっている羊のことなど言及されていなかったはずだ。これはただの画家の遊び心だろうか。それとも、何がしかの寓意があるのだろうか。この版画には、ほかにもさまざまな動物が登場しているが、いくらなんでも羊の扱いが可哀想すぎる。

 イタリアのルネサンスに心酔し、自身の作品にもその影響が多分に出ていたデューラーの絵と比べれば、クラーナハの特徴は明らかである。「アダムとイヴ」を主題にした作品は、クラーナハもいくつも残しているが、アダムとイヴの身体描写に歴然とした違いがある。筋骨隆々のアダムとイヴからもわかるように、古代ギリシア的な肉体美が追求されているデューラーの作品とちがい、クラーナハの描く裸体は、大抵は線が細く、明らかに身体のバランスがおかしい。19世紀にアングルの裸婦画のように、それは作為的なもののように見受けられる。

 本展覧会には〈五〇〇年後の誘惑〉という副題がつけられていたように、その裸体は、いまだに見る者を誘惑する。デューラーの追求した裸体の理想ではなく、クラーナハの描く裸体の曲線の妖美に、わたしたちは大きく心を動かされる。黒く塗りつぶされた背景に、裸婦がいくつかの装飾品を身につけ、透明な布をもって立っている《ヴィーナス》や《ルクレティア》のエロティシズムは、確かにいまでも有効であることは間違いない。ピカソデュシャンといった20世紀の画家たちが、彼の魅力に取り憑かれたのも納得だ。デュシャン《選ばれた細部》(1967)というクラーナハの作品を模したデッサンは、たった一本の黒い線だけですでに美しさを湛えていて、クラーナハの曲線の妖艶さをよく捉えていると感心しきりだった。

 妖艶さということでいえば、その表情もまた然りである。たとえば彼女たちの目は非常に細く、こちらも解剖学的に正確に顔を描写しているとは言い難い。だが、パンフレットの記述を引用するならば、彼女たちは、きまって「艶っぽくも醒めた、蠱惑的でありながら軽妙な」顔つきをしているのである。そのような女たちにかかれば、男たちは一瞬で謀略に落ちてしまうだろう。《不釣り合いなカップル》や《ヘラクレスとオンファレ》で描かれている〈女のたくらみ〉という寓意が、かくも説得力をもってわたしたちに迫ってくるのは、その蠱惑的な視線に説明が求められるのである。

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 《ヘラクレスとオンファレ》(1537)を見てほしい。ギリシャ神話のヘラクレスが、リュディアを支配していた女王であるオンファレに拾われ、奴隷として奉仕する、その頃の様子を描いた作品だが、中心にいるヘラクレスは、周囲の女たちにあやされ、完全に腑抜け状態になっている。その女たちを見ていると、どこか見下しているような醒めた目つきでヘラクレスに視線を送っているのがわかる。だが、そのまま鑑賞者が視線を右に移していくと、こちらのほうを見ている女がいることに気づく。彼女は、他の女たちと同じ目つきをしている。わたしはその視線にぶつかり、思わずどぎまぎとする。すでにその瞬間、クラーナハの策略の手中にわたしは落ちていたのだ。そのまなざしには、もう抗えない。

 

 この展覧会でいちばん衝撃を受けたのは、レイラ・パズーキ《ルカス・クラーナハ(父)《正義の寓意》1537年による絵画コンペティション》(2011)の展示だった。なにも知らずにわたしは平静な心を保ったまま部屋を移動していたのだが、この作品群が展示されている部屋に入った瞬間、背筋が凍りつくような思いがした。隣にはクラーナハ《正義の寓意》の原作が展示されているのだが、レイラ・パズーキの試みは、そのクラーナハの作品を、中国人の複製画家たち百人に一斉に模写させるというものだった。彼らが六時間で仕上げたというその百枚が、壁一面に敷き詰められているのだ。

 ひとりひとりの表情は違うし、スタイルもばらばらだ。けれども、誰しもが《正義の寓意》の女の視線には、なんらかの得体の知れない魔力を感じ取ったかのように思われる。それくらいに、どの作品もまなざしの強さがすごい。それが 100 枚もあるのである。到底平常心では見ていられないほどだった。わたしの近くでは、どの絵が巧いかなどと言い合っているカップルが数組いたのだが、それだけ呑気にいられることがにわかに信じ難かった。わたしは、そのようなシミュラークルの増殖に、恐怖すら感じていたのだった。ひとつの同じアイコンが大量に現出したとき、わたしたちは相応の恐怖を抱くものだが、この恐怖は比べものにならないものだった。感覚でいえば、京都の三十三間堂の千体の千手観音像に類似するものもあるが、クラーナハのほうは、なによりもまず恐怖が襲ってきたのだった。

 レイラ・パズーキは、このような試みをするにあたって、長きにわたった西洋美術史のなかで、なぜクラーナハの絵画を取り上げたのだろうか? クラーナハが多数の弟子とともに工房を営んでいて、資本主義の浸透を支えたとされるプロテスタンティズムの誕生に密接に関わっていたという事実は、ひとつの説明たりうるだろう。だが、それ以前に、彼女もクラーナハの描く女のまなざしに取り憑かれたにちがいない。その女のまなざしには、五百年のときを超えて、東京の展覧会を訪れた数多くの者が魅了されたことは、想像に難くない。わたしも幸いにしてそのひとりになることができたのであった。

 

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(2017年1月, 東京にて撮影) 

FESPACO 2017/アフリカ映画、コンペティション部門の作品たち

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 FESPACO 2017(第25回)の長編フィクション部門の選出作品が発表された。FESPACO とは、ブルキナファソの首都ワガドゥグで二年に一度開催される映画祭 Festival Panafricain du Cinéma de Ouagadougou(ワガドゥグ全アフリカ映画祭)の通称であり、ブラック・アフリカにおいてもっとも大きい映画祭である。

 

 わたしは、2014年9月から2015年3月にかけてブルキナファソに滞在しており、そのあいだ FESPACO で仕事を手伝っていた。もちろん、前回の2015年の映画祭にも参加していて、なるべく仕事をもらわないようにしながら、朝から晩までひたすらアフリカ映画を観続けていたのである(そもそも、会期前の仕事でも応募作品のチェックをする業務に携わっていたので、総計では200本くらいアフリカ映画を見ただろうか)。残念ながら今年は行けそうにないが、50周年となる2019年の次回映画祭は足を運べたらいいなと密かに考えている。

 日本語で記された FESPACO についての情報はほとんど無いに等しく、とりわけ白石顕二さんというアフリカ文化研究者が2005年に亡くなって以来、ほとんどきちんとアフリカ映画の動向を追っている日本人はいないのではないだろうか。わたしは前回ブルキナファソ滞在に際していろいろと調べたりしたのだが、少なくともわたしのリサーチ能力では見つからなかった。したがって、誰の役に立つかは不明だが、先日発表されたコンペの20作品について、以下に簡単な情報をまとめておく。

 

 

« A mile in my shoes » (Saïd Khallaf 監督, モロッコ, 2015)

 本作は、長編監督処女作でありながら、アカデミー賞の外国語部門のモロッコ代表に選出されている。ストリート・キッドとして生きる少年が、社会にたいして復讐を仕掛けていく物語。2015年のタンジェ国内映画祭にて、グランプリ、主演男優賞、主演女優賞の3冠を受賞しているようだ。ちなみに、同映画祭では、わたしが個人的に注目している Hicham Lasri が監督賞をもらっていた。マグレブ諸国の映画製作のレベルは、芸術的観点からいっても、他のアフリカ地域に比していくらか優れているという印象をもっている。

 

« Aisha » (Chande Omar 監督, タンザニア

 長編監督処女作。婚約を果たした女性が生まれ故郷に戻るのだが、いまだに自分のことを想っている初恋の男がいて•••といういかにもアフリカ的な物語。シアトル国際映画祭などをはじめとするいくつかの海外の映画祭にも出品されている模様。YouTubeのトレーラーを見ていたら、途中でキャメラと思しき巨大な機材が映り込んでいて仰天した。本当にこういうことは辞めたほうがいい…。

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« A la recherche du pouvoir perdu » (Mohammed Ahed Bensouda 監督,  モロッコ)

 監督はこれまでいくつかの長編作品を発表しているようで、前作 "Derièrre les portes fermées" はそれなりにモロッコでは評価されている模様。短編・中編も含めれば、長いキャリアになっている。本作は、60を超えた退官軍人の日常をとらえた物語。標題は、プルーストにあやかって「失われた権力を求めて」とある。探索していたら、撮影風景や監督インタビューなどを収めた動画を発見したのだが、すべてアラビア語なのでまったくわからない。

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« Félicité » (アラン・ゴミ監督, セネガル, 2017)

 今映画祭において最注目の作品といっていいだろう。アラン・ゴミ監督の前作 "Aujourd'hui / Tey"('12)は、2013年のFESPACOにて最優秀賞を獲得しており、本作はベルリン映画祭の公式コンペティション部門にも選出されている。事故で大怪我を負った息子を助けるために奔走する母の物語ということだが、特筆すべきは、セネガルではなく、コンゴ民主共和国キンシャサで撮影が行われているということだ(このことは地縁的社会であるアフリカの映画界にとってはひとつの功績といえるのではないか)。アラン・ゴミは、世界的な評価を手にする21世紀のアフリカ映画監督として、アブデラマン・シサコに次ぐ存在になれるか。

 

« Fre » (Kinfe Banbu 監督, エチオピア

 BILATENA(The Golden Child)という長編作品をすでに撮っているようだが、驚くほど監督の情報が出てこない。唯一、本人と思しきFBが出てきて、最近の投稿でガールフレンドへの愛を表明していた。ほんの個人的な直観にすぎないが、エチオピアの映画界には期待している部分があるので、今後の活躍に期待といったところか。

 

« Frontières » (Appolline Traoré 監督, ブルキナファソ

 アメリカで学士を取得し、LAのインディペンデント映画業界で働いた過去をもつ女性監督。すでにフィルモグラフィには長編短編を含めて8作品ほど数えている。本作は、ダカールからラゴスへと向かうバスに乗り込んだ三人の女性に様々な出来事が降りかかるという話。FESPACOについての監督のインタビュー記事を以前読んだことがある。FESPACOよりもだいぶ悲惨な世界の映画祭に足を運んだことがあるのだが…と彼女は記事で語っているが、一体それはどこなのか知りたい。

 

« Innocent malgré tout » ( Kouamé Jean De Dieu Konan / Kouamé Mathurin Samuel Codjovi 監督, コートジボワール, 2016)

 二十代の若き二人の映画監督の手による長編処女作。本作はすでに、昨夏に開催されたカメルーンの "Ecran noir" という映画祭に出品されているようである。本国では、すでに劇場公開されている模様。予告編を見る限り、アフリカにありがちなサスペンス・スリラーものの娯楽映画といった趣か。

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« L’interprète » (Olivier Meliche Koné 監督, コートジボワール

 まったく情報がない。監督の名前で打ってもなにひとつ出てこない。奥の手のFBでプロフィール検索しても当たらずだった。逆に興味が湧く。

 

« L’orage africain – Un continent sous influence » (シルベストル・アムッスゥ監督, ベナン, 2015)

 日本でも映画祭で紹介されたことのある『アフリカ・パラダイス』の監督である。わたしは残念ながら未見なのだが、『アフリカ・パラダイス』は、すっかり退廃したヨーロッパの難民たちが、「アフリカ合衆国」へと安寧を求めて大挙になって押し寄せるという筋書きの映画で、アイデアはおもしろい。本作も発想はなかなか冴えていて、アフリカの地で開発を進める海外企業やNPOにたいして、アフリカの国民が蜂起し、彼らの権利をすべて奪取するという話。予告篇を見ても、わたしの好みではないが、それなりによくできているように見える。 

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« La forêt du Niolo » (Adama Roamba 監督, ブルキナファソ

 かつて監督はガストン・カボーレなどのアシスタントを務めていたようだ。これまでいくつかの短編/中編は撮ってきているようだが、おそらくは本作が長編処女作。「ニオロの森」と題された本作は、鉱山開発にまつわるひとつの農村の物語。社会性のある主題を扱っている印象はある。

 

« Le gang des Antillais » (Jean Claude Barny 監督, グアダルーペ, 2016)

 唯一のカリブ海地域からの出品(とはいっても撮影はフランスのようだが)。本作はパトリック・シャモワゾーと親交のある Loïc Léry という作家の自伝風小説をもとにつくられており、作家も監修に携わっている。すでにフランスでも劇場公開がされていて、観客のレビューを読んでいるとそれなりの評価を受けている。1970年代のフランスが舞台。アンティーユ諸島からフランスへと移住してきた青年たちは、生活苦から強盗を働くギャングスタに変貌を遂げる、という物語。トレーラーを見る限り、娯楽映画として非常によくできている。 

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« Le puits » (Lotfi Bouchouchi, アルジェリア

 プロデューサーとしていくつか作品を手がけた Lotfi Bouchouchi の監督処女作。アカデミー賞外国語部門のアルジェリア代表に選出されている。アルジェリア独立戦争に際して、反乱軍が潜伏していると睨んだフランス軍がある街を襲撃するというプロット。本作はすでに、マルメ(スウェーデン)で開催されている第6回アラブ映画祭で最優秀監督賞を受賞、国内でもオランの映画祭(FIONA)で監督賞を授与されている。

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« Les Tourments » (Sidali Fettar 監督, アルジェリア

 "Rai"('88)、"Amour interdit"('93)に続いて、三作目の長編監督作品か。本作はすでにアルジェのシネマテークで上映されているらしい。ひとつの家族が、さまざまな苦難を迎えるさまを描く。主人公の長男は、生活苦からテロ組織とつるむようになってしまうとある。果敢にも現地でテロリズムの題材を取り上げている作品は、もっと海外でも紹介されるべきだろう。

 

« Life point » (Brice Achille 監督, カメルーン

 長編作品は監督二作目。もともとはミュージシャンとして映画製作に携わっていたようで、アーティスト奨学生としてベルリナーレなどに呼ばれていることもあったらしい。本作は、自殺願望に取り憑かれた75歳の大学教授が、中央アフリカからの難民の少女に出会う物語。楽しそうな撮影風景の写真が掲載されている

 

« Lilia, une fille tunisienne » (Mohamed Zran 監督, チュニジア

 監督にとって長編六作目か。"Le casseur de pierres"('89)は、カンヌの「ある視点部門」に出品されている。2016年にロンドンで催された世界映画作家国際映画祭には本作が出品され、主演の Abdelkader Ben Said に俳優賞が授けられている。現代的な感性をもつ若い女性を主人公に据えて、チュニジアの女性への社会的抑圧についてを主題として扱っているようだ。

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« Praising the Lord plus one » (Kwaw Ansah 監督, ガーナ, 2013)

 監督の"Heritage Africa"('89)は、1989年の FESPACO で最優秀賞を獲得している。FEPACIやFESPACOの代表も務めたことのあるアフリカ映画界の重鎮の新作(とはいえ製作年は2013年となっており、劇場公開も数年前にされている)がコンペ部門に選出となった。悪徳預言者が信者たちの信仰心につけこみ騙していくという物語。主題としては面白そうなのだが、この撮り方はどうにかならないものか。 

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« The lucky specials » (Rea Rangaka 監督, 南アフリカ, 2016)

 2010年から本国ではキャリアを着実に積んできている監督の新作。プロットを読むと、結核のリスクを周知するための教育的なフィルムであるという。実写とアニメーションを組み合わせてつくったということだが、その内実やいかに。

 

« Thom » (Tahirou Tasséré Ouédraogo 監督, ブルキナファソ, 2014)

 ウエドラオゴという姓は、ワガドゥグを歩けば4人に1人は出くわすほどのものであるが、本作の監督は、何を隠そうアフリカ映画の巨匠、イドリッサ・ウエドラオゴの弟である。2000年に短編でキャリアをスタートし、これまで二度ほど FESPACO にも招待されている。およそ10年ぶりの本作は、ひとりの女をめぐる父親と息子の愛憎劇だそうだが、この40秒のトレーラーの茶番を見る限りでは、正直なところとても期待できない。なぜマイクが入ったままなんだ。 

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« Wulu » (Daouda Coulibaly 監督, マリ, 2016)

 監督にとっては長編処女作。"Wulu"とは、バンバラ語で「犬」を意味するそうだ。青年は、運転手見習いとして何年も勤めあげるのだが、結局仕事は得られず、いつのまにかドラッグのトラフィックを担うグループに巻き込まれてしまうというポリティカル・スリラー。パリの映画祭や、トロント映画祭にも呼ばれている模様。

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« Zin’naariya ! » (Rahmatou Kéïta 監督, ニジェール

 女性監督。もともとジャーナリストとして活動し、いくつかドキュメンタリーを製作した監督にとって、長編フィクション処女作。冬休みに故郷に戻ってきた女学生の物語。彼女は、フランスの大学で出会った青年と婚約しており、その青年も彼女の故郷へと来訪するが、地元の面々の反対に遭い…という筋書き。トロント映画祭にも出品されている。

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 以上、20作品。製作国から見ると、主催のブルキナファソからは最多3作品の選出となり、次点としてコートジボワールアルジェリア、モロッコが2作品ずつとなっている。ほかには、カメルーンニジェール、マリ、グアドループチュニジアエチオピアセネガル南アフリカタンザニアからの出品がある。

 

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 アルジェリア、モロッコ、チュニジアというマグレブ地域の諸国は、国内ではさまざまな苦労を抱えてはいるようなのだが、アフリカにおいては映画製作は非常に盛んであり、国際水準で見ても引けを取らない佳作が生み出されているような印象をもっている。実際、わたしは FESPACO の選考業務の際、応募されてくるアフリカ各地の作品を見続けていたのだが、映像のクオリティひとつとっても、マグレブは図抜けていた。2015年のFESPACOで最優秀賞をとったのも、モロッコ人監督の撮った "Fièvre" という作品であった(まったくもって素晴らしい作品だった)。

 ただし、マグレブを〈アフリカ〉と括るのはあまり適切ではないだろう。マグレブは、アフリカというよりも地中海文化であり、アラブ文化圏であり、イスラームの国々である。ブラック・アフリカとマグレブ地域には、確かに共通点はあるものの、相違点のほうが大きい。それでも現地の映画人たちは、おなじ大陸だからと賛意を示す者が多いようなのだが、映画祭の母体がブラック・アフリカにある以上、たとえばこれ以上(今映画祭では、コンペ作品の1/4をマグレブ地域が占めていることになる)存在感が増すと、アフリカ映画祭としてのバランスがおかしくなってしまう。

 

 マグレブ地域よりも存在感を誇っているのは、西アフリカのフランス語圏の諸国である。西アフリカのフランス語圏であるブルキナファソで開催されているということもあって、この地域の作品が多いのは当然ではあるのだが、ラインナップの半分以上を占めているというのは、例年以上の存在感がある。なかでも、セネガルブルキナファソといった映画製作の伝統がある根強くある国々だけではなく、ニジェールやマリ、コートジボワールといった諸国から若い才能が出てきているということの意義は大きい。とはいえ、略歴を見ていると、彼らはそろいもそろって西欧諸国に留学しており、やはりアフリカの土地に留まっているだけでは、世界的に注目されうる映画作家はなかなか出てこないのは事実だ。べつに留学することはネガティヴではなりえないのだが、その過程で土地に根付いているナラティブが失われてしまう可能性がなきにもあらずなのだ。とりわけアフリカという場所は、そのようなことが問題となりやすいという感想をもっている。ここでそのことを考察することはやめておくが、いつかきちんと向き合わなければいけないだろう。

 

 フランス語圏に引き換え、英語圏の作品は少し寂しい印象だ。タンザニア南アフリカ、ガーナ、エチオピアから1作品ずつの計 4 作品のみである。南アフリカエチオピアの映画事情はなかなか豊穣なようではあるので、前回同様に作品がある。だが、たとえば映画大国であるナイジェリアからの出品はない。また、ポルトガル語圏からも一作品もなかった。実際のところ、全体で見ても英語圏からの応募数は少ない(ポルトガル語圏は制作されている映画の絶対数がわずかである)ゆえに仕方ないことではある。

 

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 映画祭としては、やはりワールド・プレミアの少なさにはいささか気になってしまう。そもそも各作品の情報が公式に発表されないのでわからないが、おそらくわたしのリサーチの結果だと、選出された20本のうち、WPは5本程度に留まる。もちろん、FESPACOにとって、WPばかりを集めることがかならずしもいいわけではない。だが、いまいち映画祭がどこに目を向けているのかがわからないのだ。アフリカの大衆的な観客たちにプライオリティを置きたいのであれば、海外の映画祭で評されているだけのアート系作品は排して、実際に現地で興行されているような娯楽映画を流すべきだろう。アフリカ映画の国際的なプレゼンスの向上を目指すのであれば、中途半端なクオリティの作品は排して、欧米の映画祭にも呼ばれうる質の担保された作品を集めるべきであろう。上層部たちのあいだではすでに方向性は定まっているのかもしれないが、いまの段階では、その二足の草鞋を履いているような印象が拭えない。それは、現場で働いている人間も、あまり共有できていない、というのがわたしの実感だった。

 とはいえ、映画をめぐる状況は、他の地域とは比べものにならないほど芳しくないアフリカ(少なくとも西アフリカ)にとって、このように、同時代のアフリカの作家たちがつくっている新作を一挙に観れるという機会があるだけでも、大いに意義があることは間違いない。そのなかから、世界を驚かせてくれるような、新たな価値観を高い水準で表現することのできる作家が出てくればいい。それがいつになるかは、まったくわからないのだが。

 

 残念ながら今年はいけそうにないが、次回の2019年開催の FESPACO には足を運ぼうかと考えている。もし、今年行かれるという方がいましたら、ぜひわたしの連絡先 immoue@gmail.com までご一報いただけると幸いです。また、2019年の映画祭参加に向けて、なにがしかの東京における企画と絡めたいなとも漠然と考えています。この文章にびびっときた方もまた同様にご連絡ください。アフリカ映画を日本で観ることすらできないという現況は、あまりにも貧しい。

 

(掲載写真はすべて Ouagadougou, Burkina Faso, 2015 撮影)