FESPACO 2019/ワガドゥグ全アフリカ映画祭 コンペ作品予習

  本日2月23日(土)、FESPACO 2019(第26回)が開幕した。FESPACO とは、ブルキナファソの首都ワガドゥグで隔年で開催されている映画祭 Festival Panafricain du Cinéma de Ouagadougou(ワガドゥグ全アフリカ映画祭)の通称であり、ブラック・アフリカにおいてもっとも大きい映画祭である。26回を数える今年は生誕から五十周年の記念すべき年にあたる。

 わたしも2015年につづいて再びブルキナファソの地を踏むことができた。今日からのFESPACOにも参加する。4年振り2回目のFESPACOである。その予習も兼ねて、前回(2017年)のコンペ作品同様コンペティション部門の20作品の情報をまとめておきたい。ほとんど誰の役にも立たない情報をインターネットの海に投げ入れる。前回の記事には思わぬ人物からの反応もあった。そういうこともあるものなのですね。

 

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公式コンペティション部門(20作品)

 

" DESRANCES "Apolline Traoré 監督,ブルキナファソ,2019,'105)

" DUGA, LES CHAROGNARDS "Abdoulaye Dao 監督/Hervé Eric Lengani 監督,ブルキナファソ,2019,'90)

" HAKILITAN(MEMOIRE EN FUITE) " (Issiaka Konate監督,ブルキナファソ,2018,'75)

" RESOLUTION" Boris Oué 監督/Marcel Sagne 監督,コートジボワール,2019,'105) 

" BARKOMO (LA GROTTE) " (Aboubacar Bablé Draba 監督/ Boucary Ombotimbé 監督,マリ,2019,'75) 

" MIRACULOUS WEAPONS (LES ARMES MIRACULEUSES) " (Jean-Pierre Bekolo監督,カメルーン,2018,'99)

" MABATA BATA " (Sol de Carvalho 監督,モザンビーク,2017,'74)

" KETEKE " (Peter Sedufia 監督,ガーナ,2017,'98)

" HAKKUNDE " (Oluseyi Asurf Amuwa 監督,ナイジェリア,2017,'99)

" RAFIKI " (Wanuri Kahiu 監督,ケニア,2013,'83)

" T-JUNCTION " (Amil Shivji 監督,タンザニア,2017)

" THE MERCY OF THE JUNGLE " (Joël Karekezi 監督,ルワンダ,2018,'91)

" AKASHA " (Hajooj Kuka 監督,スーダン,2018,'78)

" FIVE FINGERS FOR MARSEILLES"(Michael Matthews 監督,南アメリカ,2017,'120)

" Sew the Winter to My Skin "(Jahmil X.T. Qubeka 監督,南アメリカ,2018,'118)

 " KARMA " (Khaled Youssef 監督,エジプト,2018,'110)

" INDIGO " (Selma Bargach 監督,モロッコ,2018,'92)

" FATWA " (Mahmoud Ben Mahmoud 監督,チュニジア,2018,'102)

" REGARDE-MOI (LOOK AT ME) " (Néjib Belkadhi 監督,チュニジア,2018,'96)

" ILA AKHIR EZZAMAN (JUSQU'A LA FIN DES TEMPS) " (Yasmine Chouikh 監督,アルジェリア,2017,'93)

 

 フランス語圏西アフリカからは5作品。ホスト国のブルキナファソからは3作品選出されている。ポルトガル語圏のモザンビークから1本。英語圏アフリカからは9作品と例年以上の存在感を放っている(カメルーンをフランス語圏とするか英語圏とするかは微妙だが、作品内の言語は英語のようなのでこちらに振り分けておく)。エジプトを含めたマグレブ諸国からは5作品。以上で20作品となる。

 近年の過去二回の傾向と比べても、いつも以上にバランスよくアフリカ全土から作品が集ってきている印象である。FESPACOには応募作品の絶対数がフランス語に比して少ない英語圏アフリカからも、南アフリカルワンダタンザニア、ガーナなど多様な国々から集まっている。以下、一本一本を詳しく見ていきます。

 

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" DESRANCES "Apolline Traoré 監督,ブルキナファソ,2019,'105)

 ブルキナファソ女性監督の長編4作目。FESPACO 2017にも『Frontières』という前作で選出されている。ブルキナファソで生まれるも、外交官の父に連れられて7歳で故郷を離れ、世界を転々とする。ボストンの Emerson College で芸術を専攻したあと、アメリカでキャリアをスタート。イドリッサ・ウエドラオゴの勧めに従って、2005年にブルキナファソに帰国し、以後も作品を撮り続けているようだ。

 本作の主人公は、両親を軍隊に虐殺された事件を折に生まれ故郷のハイチを離れ、コートジボワールアビジャンで妻とともに暮らす中年男。だが、2011年の政変に巻き込まれ、再び混乱のうちに陥ってしまうという話。

 ブルキナファソのメディアには、710 819 952 FCFA(日本円換算で大体 1.4億円)の制作費がかかったと記載されていた(ちなみに内半分はブルキナファソの映画連盟からの助成金のようである)。しかしこのやたらと細かい数字はいったい何なのだろう。まあ、どうでもいいのだが。

 

vimeo.com

   

" DUGA, LES CHAROGNARDS "Abdoulaye Dao 監督/Hervé Eric Lengani 監督,ブルキナファソ,2019,'90)

 パリのINAで映画を学んだ経験をもつ Abdoulaye Dao 監督が、友人から実際に聞いた話をもとにもう一人の共同監督とともにつくりあげた作品。その友人は本人役で映画に出演してもいるようだ。Dao 監督にとっては長編二本めで、前作 "Une femme pas comme les autres"('08)もFESPACOに選出されている。

 亡くなったばかりの親族の遺体を病院から受け取り、農村へと引き渡そうとするが、さまざまな宗教的制約に直面していく青年の話のようである。宗教的制約といってもひとつの宗教だけでなく、カトリックイスラームをともに扱っているようだ。アニミスムも含めて、さまざまな宗教が混淆するブルキナファソの現状がどれくらいフィルムに反映しているだろうか。

 

www.fasozine.com

  

" HAKILITAN(MEMOIRE EN FUITE) " (Issiaka Konate監督,ブルキナファソ,2018,'75)

 ソルボンヌで映画の修士号を取得し、フランスで映画の現場での経験を積んだあと、1989年に映画監督としてのキャリアをスタートし、いくつかの短編を撮っている。本作は長編フィクションとしては処女作にあたるようだ。

 2009年のワガドゥグの大洪水の被害を受け、シネマテークに保管されていた過去のフィルム・アーカイブの大多数が消失してしまったという事件に直面したひとりの教授の物語ということしかわからない。わたしも2015年にあのシネマテークの惨状を目撃しているので、この事件をどのようにフィクションへと落とし込んだのか興味を惹かれる。

 

www.clapnoir.org

 

" RESOLUTION" Boris Oué 監督/Marcel Sagne 監督,コートジボワール,2019,'105)

  コートジボワールからは唯一コンペ入りしている一本。あまり情報が出てこないのだが、共同監督の二人にとって初の長編フィクションであるようだ。監督よりも女性プロデューサーの Evelyne Ily のほうがキャリアが長く、本国では知られているようだ。

 本作は女性へのDVを扱ったもの。表向きは順風満帆な理想の家族であるように見えても、実際のところは妻は夫の暴力に苦しんでいて、という話。コートジボワールの首都アビジャンを舞台にした現代劇。テーマ自体に真新しさはないが、どれだけ今日のアビジャンの姿がフィルムに焼き付けられているのだろうか。

www.fratmat.info

 

" BARKOMO (LA GROTTE) " (Aboubacar Bablé Draba 監督/ Boucary Ombotimbé 監督,マリ,2019,'75)

 比較的若い二人のマリ人の共同監督作。これまで Aboubacar Bablé Draba 監督は、マリでのPV、テレビ番組製作などのキャリアを積んでおり、 Boucary Ombotimbé 監督は、役者、ダンサーとして多岐にわたる活動を行い、スレイマン・シセに師事していたようだ。いずれの監督にも初長編フィクション作。

 十七世紀末のマリの共同体を舞台に、夫との子どもを身ごもることができず、村中から後ろ指をさされ自殺を試みる女性が主人公。「ドゴン国」という民族の伝統を描く。"Barkomo"という語は、ドゴン語で「洞窟」を意味するそうだ。ドゴンという民族は、十四世紀にイスラム化から逃れるべく、マリの各地にある洞窟に身を潜めていたらしい。マリに"Barkomo" という名の村がいくつもあるのは、その名残だという。作品も全編ドゴン語で話されるという。

www.clapnoir.org

 

bamada.net

 

 

" MIRACULOUS WEAPONS (LES ARMES MIRACULEUSES) " (Jean-Pierre Bekolo監督,カメルーン,2018,'99)

 1960年代の南アフリカを舞台に、死刑宣告された黒人の男に恋をしてしまった三人の女を描く。"Les armes miraculeuses" という標題は、マルティニークの大詩人エメ・セゼールの詩集と同じであるが、監督は着想自体はセゼールに負うわけではないとインタビューで語っているが、ネグリチュードも含めて、大きな影響を受けているようだ。

 Jean-Pierre Bekolo監督は、ほかのコンペ監督と比しても、世界的にやや名の知れた監督で、長編処女作の"Quartier Mozart"('92)はカンヌに招待されているほか、British Film Instituteが主導した映画生誕100周年記念のオムニバス企画――ゴダールベルトルッチ、スコセッシが参加したものだ――には、アフリカ代表として参加している。長編作品としては本作が六作目にあたるのだろうか。

 

" MABATA BATA " (Sol de Carvalho 監督,モザンビーク,2017,'74)

 ポルトガル語圏アフリカからは唯一の選出。とはいっても映画で話されているのはツォンガ語という言語であるようだが。 Mia Coutoの"THE DAY MABATA BATA EXPLODED"という原作を脚色し、映画にしたものだという。Sol de Carvalho監督にとっては、ドキュメンタリーと短編を除くと、長編三作目にあたる。

 南アフリカの鉱山に出稼ぎに出ている叔父の代わりに、彼の群れの面倒を見ている羊飼いの少年が主人公。"MABATA BATA"というのは、群れで一番大きな雄牛の名前のようである。映画は原作の骨格にさらに魔術的な次元を導きいれたとある。果たして。

 

" KETEKE " (Peter Sedufia 監督,ガーナ,2017,'98)

 "Keteke"とは、ガーナのアカン族のことばで「電車」を意味する。1980年代、子どもの出産を間近に控えた女とその夫は、二人で里帰りをする途中だった。故郷へと帰るには、週に一度しか運行しない電車に乗る必要があったのだが、その電車を逃してしまい…というプロット。トレイラーを観る限り、コメディタッチの作品のようである。

 Peter Sedufia 監督は、本作をもってキャリアをスタートさせたようだが、すでに次作にあたる "Sidechic Gang"('18)は、ガーナ本国での公開も済ませているようだ。"KETEKE"はアフリカに限らず、いろいろな映画祭を旅しているようだが、監督のFBを覗くと、FESPACOに選出されたことの喜びを綴っていた。全員ではないにしても、FESPACOは、ほとんどのアフリカで映画を志す者たちにとっての憧れの場である、と。

 

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" HAKKUNDE " (Oluseyi Asurf Amuwa 監督,ナイジェリア,2017,'99)

 ナイジェリアから唯一選ばれた作品。大学を卒業したばかりの青年がひとり立ちするべく奔走する物語。ひとことでいえば就活の話。2本ほど短編映画を撮っている若い監督の長編処女作。すでに本作でさまざまな映画祭を回っているようだ。IMDbには「コメディ」という括りで情報が記載されていたが、予告篇を見る限りはコメディというよりは、ヒューマン・ドラマというべきか。

 

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" RAFIKI " (Wanuri Kahiu 監督,ケニア,2013,'83)

 ケニアLGBT映画。ケニアに生きる若いレズビアンカップルのラブストーリー。"Rafiki"というのはスワヒリ語で「友だち」という意味だそうだ。監督のインタビューを少しだけ聞いたのだが、近年アフリカ映画において純粋なラブストーリーはあまりにも少なく、だからこそ企画を立ち上げたという。しかしながらケニアでは、憲法によって表現の自由が保障されているにもかかわらず、上映禁止の憂き目にあっているという。彼女の明快で、力強い語り口には惹かれるものがある。

 本作は Kahiu 監督の"From a Whisper"('09)に次ぐ、長編二作目。そのあいだに撮っている"Pumzi"('10)というSF短編はサンダンス映画祭で上映され、ほかにもいくつかの映画祭で賞を受けているようだ。この作品は2018年のカンヌ映画祭の「ある視点」部門でWPを果たし、そのあともさまざまな映画祭を回っている模様。

 

youtu.be

 

" T-JUNCTION " (Amil Shivji 監督,タンザニア,2017)

   "Shoeshine"('13)と"Samaki Mchangani"('14)という二本の短編映画を撮っているタンザニアの監督の長編処女作。短編はFESPACOでも上映されているほか、ロッテルダム映画祭などにも出品されている。本作は2017年のザンジバル映画祭ですでにWPを果たしているようだ。

 主人公はあるとき病院で、大怪我に苦しんでいる女性に出会う。彼女は「T字路」にまつわる話を語り聞かせ、その話を聞くべく何度も主人公は病院に通い詰め…という物語。予告篇にはT字路の俯瞰ショットがいくつか繋がれていたが、あの形態のモチーフが作品にどう生かされているのか興味深い。

 

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" THE MERCY OF THE JUNGLE " (Joël Karekezi 監督,ルワンダ,2018,'91)

 1990年代末に勃発した第二次コンゴ戦争に参戦した二人のルワンダ人兵士が、本隊とはぐれてしまいながらもジャングルで生きのびていくさまを描いた映画。Joël Karekezi 監督は、"Imbabazi"('13)に次いで本作で長編は二本目。トロント国際映画祭2018でWPを果たし、以後はいくつかの映画祭を回っているようだ。主演を務めるのはコンゴ共和国出身のマルク・ジンガ(ジャック・オディアール『ディーパンの闘い』や、ダルデンヌ兄弟の作品にも出演している)。

 

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" AKASHA " (Hajooj Kuka 監督,スーダン,2018,'78)

 英雄と称えられたスーダンの反乱軍兵士。彼は恋人と同じくらいAK47のことを愛している。だがひょんなことから逃亡の身を余儀なくされ…というプロット。紹介文には「市民戦争の時代――しかしスーダンの戦争はいままさに起きている」と書かれていた。

 ドキュメンタリー出身のHajooj Kuka 監督の長編フィクション一本目。本作は2018年のヴェネツィア映画祭でお披露目となり、トロント国際映画祭でも上映されている。

 

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" FIVE FINGERS FOR MARSEILLES"(Michael Matthews 監督,南アメリカ,2017,'120)

 南アメリカで撮られたウエスタン映画。わたしはタイトルと南アフリカという情報を手にして、てっきり南アフリカの難民がフランス・マルセイユをめざす話(そんなことはあるのだろうか?)だと思っていたのだが、南アフリカに〈マルセイユ〉という地名があるようだ。白人警官が幅を利かせるアパルトヘイト体制下の南アフリカマルセイユで、5人の少年少女からなる〈ファイブ・フィンガーズ〉が街を守るべく奔走するが、ある日リーダーのタウは警官を射殺してしまい逃亡を余儀なくされ…というプロット。

 本作はトロント映画祭2017に出品され、すでに南アフリカアメリカでは劇場公開もされ、なんと日本でもクロックワークスが配給権を購入し「未体験ゾーンの映画たち2019」で『ファイブ・フォリアーズ』という標題で上映される(た)ようだ。ミカエル・マチューズ監督の長編処女作ということだが、これだけの予算を集めて南アフリカでウエスタン映画を撮るというのはすごい。

FIVE FINGERS FOR MARSEILLES - OFFICIAL TEASER TRAILER from Michael Matthews on Vimeo.

www.cinemaescapist.com

 

" Sew the Winter to My Skin "(Jahmil X.T. Qubeka 監督,南アメリカ,2018,'118)

 長編4作目の監督による本作もまた、トロント国際映画祭2018に選出されている。こちらは1950年代初頭の南アフリカが舞台。白人の植民者から盗みを働き、成果を貧しきに分け与えるアウトローの物語。監督は2010年にキャリアをスタートし、前作の"OF GOOD REPORT"('13)は、南アフリカでは児童ポルノ的であるとして上映禁止の憂き目に遭っている。

 

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" KARMA " (Khaled Youssef 監督,エジプト,2018,'110)

 「本作は富者と貧者の社会的相違と、キリスト教徒とイスラム教徒の関係について描く」というざっくりとした紹介文があった。エジプト本国では検閲に目をつけられ、 上映禁止寸前になるも、交渉の結果無事に公開が決定したと報じられていた。若きイスラム教徒の男がキリスト教徒の女性に恋をするという物語。

 わたしはまったく知らなかったのだが、Khaled Youssef 監督はエジプトではかなりのキャリアを積んでおり、IMDbによれば本作で長編十二作目だという。

LE KARMA VU PAR KHALID YOUSSEF - YouTube

 

" INDIGO " (Selma Bargach 監督,モロッコ,2018,'92)

 兄からの虐待に苦しむ十三歳の女の子は、ある日自分に予知能力が備わっていると気づくが、その能力は家族には呪いだとして嫌悪されるという物語。

 "Le 5ème Corde"('11)という作品に次ぐ、Selma Bargach監督の長編二作目。彼女は1966年にカサブランカに生まれ、ソルボンヌで映像専攻で博士号を取得している。短編映画やドキュメンタリー作品、脚本も多数手がけてきたようだ。

 

" FATWA " (Mahmoud Ben Mahmoud 監督,チュニジア,2018,'102)

 2011年のチュニジアで勃発したジャスミン革命のあとの数年を舞台にしている。バイク事故で亡くなった息子の遺体を引き取るべく、父がチュニジアへと戻ってくる。彼はそこで、息子がイスラム過激派に帰依していたと知る。どうして息子はそのような途をたどったのか。

 本作を手がけたのは1947年生まれのチュニジアの監督。今回のコンペでは最年長監督だろうか。ブリュッセルで映画を専攻し、すでに60年代後半には"Escurial"('67)という短編でキャリアをスタートしている。本作は六本目の長編作品のようである。

 

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" REGARDE-MOI (LOOK AT ME) " (Néjib Belkadhi 監督,チュニジア,2018,'96)

 舞台はフランス・マルセイユチュニジア移民の主人公はすでにフランスの地を踏んでから四十年余りが経っている。あるとき兄の妻の容態が芳しくないということで、故郷へと戻ることとなる。故郷には、自閉症の九歳の息子がいた。しかし彼自身は、自分の父のことを知らない…。

 こちらも2018年トロント国際映画祭ですでにWPを果たしている。本作はおそらく監督の2本目の長編フィクションか。彼はもともと役者として映画の世界に飛び込んできたようで、1990年代からいくつか作品に出演している。

 

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" ILA AKHIR EZZAMAN (JUSQU'A LA FIN DES TEMPS) " (Yasmine Chouikh 監督,アルジェリア,2017,'93)

 1982年に生まれた女性監督の長編第1作め。2017年のドバイ国際映画祭でWPを果たしている。両親ともに映画監督のようで、彼女はかつて父 Mohamed Chouikhが監督した"La Citadelle"('89)に出演するなど、早くから女優としてのキャリアも積んでいるようだ。

 墓場の看守を勤める年老いた男と、夫を亡くしたばかりの寡婦の女の、ボーイ・ミーツ・ガール(オールドマン・ミーツ・オールドウーマン)もの。墓場ではじまる死を目前にした者たちの恋というプロットは興味を引く。

 

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 以上、20作品。貧弱なネット回線でひとつひとつ情報を拾っていこうとしたら、思った以上に時間がかかってしまった。すべて観ることができるかは微妙なものの、なるたけ作品を追いかけていくつもりです。 もちろん、コンペ以外のものも観ていきたいのだが、八日間の会期でどれだけ観ることができるか。また走り抜けてから記事をまとめられたらと思っている。

 

Sew the Wint

o My 

雑記( November, 2018 )

・このまま冬をすっ飛ばして、春が来るのではないかという陽光がつづく。いつもはすでに散っていてもおかしくない銀杏の葉にまだ緑色を認めることができる。

・というように思っていたら、一気に冬がやってきた。あわてて冬物のコートを着た。外にいると指がかじかんでくる感覚を久し振りに味わって、ああ冬ってこういうものだったな、と思い出す。

・バイトを辞めたということもあって、よくわからない生活リズムになっている。いったい何度朝日が昇ってくるさまを見届けただろう。夕方、すでに日が暮れたあたりでもぞもぞと寝床から抜け、ぼんやりとした夕方を過ごし、日付が変わったあたりから執筆活動に勤しんで、適宜長すぎる休憩を挟みつつ、いつの間にか朝がやってくる。一日がはじまるのだという世界のざわつきを尻目に、だいたい午前10時ぐらいに眠りにつく。文字どおりの昼夜逆転生活である。夜中の静けさを愛している。

・とはいえ、それをつづけていると、かなり奇妙な感覚に陥ってくる。家にひきこもってばかりいることも手伝って、いつのまにか日付の境界が融解して、ずっと同じ一日のなかに閉じ込められているようである。それはそれで苦しさもある。

国立新美術館ピエール・ボナール展にいった。わたしはナビ派を贔屓にしていることもあって、見逃すわけにはいかない展示だった。とはいえ、あらためてまとまった数の作品に対峙して、ボナールをナビ派という括りで見なしていいのかという疑義がもちあがった。ボナール自身が撮った、ルノワール父子の写真がなぜか記憶に残っている。ぜんぜんこれは良くないじゃないかという絵と、どうしてこれは良いんだろうという絵が入り混じっていて、距離感を計るのに苦慮した展示だった。

・新美であれば、東山魁夷展のほうがよほど素晴らしかった。わたしは彼の作品と対峙したとき、記憶の奥底に沈殿していた音が押し寄せるのを聴いた。そのような音とは、わたしがあたかも絵画のなかで立つときに聴こえるような生々しい音ではない。むしろそれは音の記憶とでもいうべきものであり、輪郭のはっきりしない混濁とした記憶の響きである。とりわけ『秋翳』という赤々と燃えるように聳え立つ山のさまにひどく心を打たれてしまった。唐招提寺では一連の屏風の画業を見ることができるのだろうか。

・『あいのり : Asian Journey』の新シーズンを毎週心待ちにしている。でっぱりんが復帰したという情報を友人に聞いて、すぐさま飛びついたのだった。いまのところ、でっぱりんと勇ちゃん以外はぜんぜん愛することができない。オードリーの若林の穴が埋まらない。

東京国際映画祭。あれだけ期待していたはずのカルロス・レイガダス監督の新作『われらの時代』は、やや退屈で寝落ちしてしまった。子どもたちが濁った湖でじゃれあうさまを淡々と撮っている冒頭のシーンの美しさが、あのまま最後まで持続すればよかったのに。しかし、原題は"Nuestro tiempo"とあるが、これは「わたしたちの時間」とでも訳したほうがよかったのではないか? 『われらの時代』と銘打った理由もわからなくはないのだが、それでもやはり、今作はどうもスケール感に欠けている。

GYAOM-1の予選のネタを見つづけている。一部で話題になっていた Dr. ハインリッヒのネタは、確かに美しいとは思うが、さほど刺さらなかった。おもに決勝に残ったひとたちを中心に見ただけだが、とりわけ気に入ったのは、たくろうの準々決勝、スーパーマラドーナの三回戦、ジャルジャルの準々決勝のネタ。

・連日紙面を賑わせている外国人受け入れの問題に心を痛ませる。

・KID FRESINO『ài qíng』が素晴らしい。わたしはこの拼音でつづられた表題を見た瞬間、傑作であるにちがいないと確信していたのだが、その期待を裏切らないすばらしい作品だった。

・PUBGというスマートフォンのゲームに熱を上げている。ひとつのマップに100人が丸裸の状態で投げ込まれ、刻々と縮減していくマップで最後のひとりになるまで争うというバトルロワイヤルのゲームである(韓国発のゲームだが、じっさい着想は深作欣二の映画だという)。わたしはゲームというものが全体的に苦手で、こういうFPSのゲームもさっぱりだったのだが、やればやるだけ着実に強くなっていっているのがわかる。勝つとうれしいし、負けるとくやしい。その単純な情念の動きに、すがすがしさを感じる。

・こまばアゴラで青年団『ソウル市民』を観劇。何人かの友人が激賞していたのだが、わたしはぜんぜんわからなかった。2010年代以降の平田オリザ、ひいては現代口語演劇が演劇の原体験にあるので、この作品に新しさを感じるということは、わたしにとってはある種の倒錯に当たるのではないかというふうに思ってしまう。時代を遡って驚いたふりをすることに――それは演劇にかぎらずあらゆる分野で散見される態度表明することだが――どれくらい意味があるのだろう。残念ながらわたしは、この徹頭徹尾リアリズムによって裏打ちされている演劇の凄みみたいなものを、身体で受け止めて驚くことができないのだった。わたしの身体の注意は、むしろアゴラ劇場の固いクッションのせいで異常なほどに痛くなっていた尻に向けられていた。

吉祥寺シアターで範宙遊泳『#禁じられたた遊び』も観劇した。意欲作ということはわかるのだが、あまりに過剰で、雑然としている感じが、わたしの消化速度に追いつかなかった。もっとめらめらとしている気分のときに出会いたかった。まったく観客というのはわがままなものですね。

・ハンナ・アレント『人間の条件』を読む。これまで折に触れて何度か読んできて、べつにわたしの研究に直接かかわっているわけではないのだが、あらためて通読した。これは非常にすぐれた書物だ。政治哲学を専攻しているわたしの友人が、五、六年前に、この書物が人生の書物で、毎日枕元に置いて寝ていると明かしてくれたことを思いだす。人工衛星の打ち上げの話からはじまるプロローグが、本当に感動的だ。

東京国際フォーラム小坂忠『ほうろう』再現ライブ。自身の死をしっかりと視界に捉えているひとの、生前葬。わたしたちは弔いにいったのだ。

・映画をほとんど観ていない。早稲田松竹ワン・ビンの『鉄西区』のオールナイトがあって、開演前に松竹の前をうろうろしていたのだが、たぶん眠気に勝てるはずがないと最終的に断念した。ユーロスペースブレッソンの『白夜』の 35 mm 上映を観にいったのだが、あまりの睡魔に耐えきれず眠ってしまった。

プロ野球のシーズンが終わると、逆にプロ野球への熱が高まってくるということは例年どおりだが(ひまな時間ができるたびになんJまとめを覗きにいく)、今年のFA模様は追いかけていて愉しい。いったい丸はどこにいくのかな。巨人にいってしまったらとても厄介だ。

・「ヨーロッパ世界は二十の書物に閉じこめられている」というような文章をどこかで読んだ記憶があるのだが、さっぱり出典がどこだったか思いだせない。ニーチェあたりが言いそうなことだが。二十という数字も不確かだし、そこに該当する書物がなんなのかもわからない(それに聖書はどう数えるのか)。

・ここ最近、本当に日本で暮らすということの悪弊が目に余るようになってきた。向こう数年は東京で暮らすことになるとは思うのだが、東京オリンピックを終え、東京が瓦礫の山と化すところを見届けたあたりで海外移住をすることが、わたしの計画のなかでますます現実味を帯びてきたような気がする。

・たとえば十一月末日、朝の時間に地上波でチャンネルを変えて各局の情報番組を見ていたのだが、主要局はすべて前日の秋篠宮の会見を受けた小室圭さんについての報道ばかりで、本当に気が滅入った。もちろん日本のワイドショーの悪習はいまに始まった話ではないが、もっと報じるべきことがあることは明白だし、どうしてマスメディアが一体となって個人攻撃に走るのか意味がわからない。わたしがテレビを観なければよい、という話ではない。可処分時間をもっぱらこういう番組ばかりを観ることに充てている国民に溢れた社会で暮らすこと、その社会で暮らさなければならないことに、どうしようもなくぞっとすることがある。

・わたしは将来、この秋のことを、どういうふうに思いだすんだろう。記憶のなかで、どんな色合いをしているのだろう。ずっとまどろみのなかに、同じ夢のなかにいる気がする。おそらくわたしには強烈な、すべてを灼きつくさんとするような、異界の太陽が必要なのだろう。

雑記( October, 2018 )

金木犀が香っていたのはほとんど一瞬のことにすぎなかった。

・少し前からツイッターで、いわゆる裏アカウントをつくって、毎日140字の日記をつけはじめた。これまでわたしは数え切れないほど、いろいろなメディアで日記をつけようとしてきたが、ほとんど三日坊主に終わったものばかりであった。B5ノート、B6ノート、A5手帳、Evernote、ブログ、Workflowy…とメディア遍歴は枚挙にいとまがない。折々につけられた日記が、それぞれの場所に断片的に残っていて、逸してしまったものも多くある。

・今回ツイッターに鞍替えをして、一日の記録を1ツイート以内、すなわち140字以内に収めることをみずからに条件として課した。いくら日記とはいえど、140字で書くことのできる内容は限られていて、出来事や人物の羅列に過ぎない日もあるのだが、そのためあってか十月は一日も欠かすことなく日記をつけることができた。フォロー、フォロワーはゼロの鍵アカウントで、タイムラインには自分の日記だけが表示されている。恍惚とした気持ちで、わたしの十月をスクロールをしていく。

・トカゲとヤモリの見分けかたは、瞼があるかどうかだそうだ。ヤモリには瞼がないので、目が乾燥しないようにときおり舌で目を舐めるらしい。

・千葉雅也が『別のしかたで:ツイッター哲学』で、ツイッターが書きやすいのは、書きはじめた途端にもう締め切りが訪れるからであるというようなことを書いていたことを思い出す。あれは断片的にしか読んでいないが(それがより正解に近い読み方であるようにも思う)、有限性についての書物であったと思う。

・わたしたちは何らかの制約を受けることではじめて――有限性の中に投げ込まれてはじめて――逆説的にある種の自由を獲得できる。そのことは、厖大な余白を一から埋めていかなければならない修士論文の執筆が課せられたわたしにとっては、痛切な響きをもって了解できる。

修士論文が書けない。ほとんど書くべきことはわかっていて、もっと展開していきたいアイデアも数多く抱えている。それでも、書けない。より正確にいうならば、書くことに気後れを感じて書きはじめることができない。二ヵ月と少しでやってくる締切の直前は、非常に大きな苦しみに襲われているのは火を見るよりも明らかなのにね。

・わたしは "procrastination " というフランス語の(英語でも同型なのだが)単語がやけに気に入っている。あまり見慣れない単語ではあるが、ラテン語をかじっているひとにとっては語意の理解は容易であろう。接頭辞の pro - は「先に、前に」で、cras というのは「明日」。つまり、明日へと先延ばしにすること、眼前に抱えている課題を先延ばしにすること。

修論を先延ばしにして(procrastiner)なにをやっていたのだろうか。池袋の西武デパートの屋上にある鶴仙園というサボテン屋で草木を眺めていたり、その隣にある熱帯魚の店でグッピーの尾ひれに見とれていたことを思い出す。草木に囲まれるような暮らしをしたいと希いつづけている。

・『2001年宇宙の旅』のIMAX版はとてもよかった。わたしがかつてDVDで観たものとはまったくちがった。東京国際映画祭で『お熱いのがお好き』のデジタル4Kリストア版を観た。20世紀で映画というものは終わっていて、21世紀においては20世紀の記憶を繰り返しているに過ぎない、と戸田奈津子がどこかで語っていたことを思いだす。19世紀は小説で、20世紀は映画だったとしたら、21世紀とはなんなのだろう。

・カントの『純粋理性批判』を読む。表紙が美しいことで知られる、岩波文庫に収められている篠田訳だ。わたしはこれまで解説書には数冊あたっていたが、訳文とはいえ、オリジナル・テクストを腰を据えて読むのははじめてである。彼の独特の術語にさえ惑わされなければ、それほど悪文だと思わないどころか、カントの息づかいさえ伝わってくるような文章である(『精神現象学』のほうがよほど難解な書物であろう)。たとえば自然法則を偶然的であるとしているのだが、それはあくまで絶対的自発性であるところの神の必然性に対置されているためであり、そのような議論にしぶとくついていくことができればけして理解不能なテクストではない。とはいえ、五年前のわたしに読ませても、確実にちんぷんかんぷんであったことは確かだ。こむつかしい哲学書を読む力がついたという意味では、成長を実感するべきなのかもしれない。手放しに喜んでいいことなのかどうかはよくわからない。

・口臭や体臭のきつい人間は、けして歯医者になってはならない。現代に生きるわたしは、真理や本体なんてものは背理であると信じているが、このことだけは、おそらくカントも同意してくれるであろう、世界の真理について語っている命題である。

・居酒屋で小さな子どものいるひとと話しこむ。ほかでもない自分の子どもが、たまたま部屋で流していたある曲に特別な反応を示し、うれしそうに踊ったのだという。その楽曲は、かつて彼自身が若いころにレコードを買い求め、何度も何度も繰り返し聴いた大好きなソウルの曲だった。P-VINEのレコードの宣伝文句には、「全国に1000人のソウルファンに贈る」というようなことが書かれていた。たった1000人しか聴いていないようなマイナーな音楽を愛するということ、そして偶然にも自分の子どもがそれを聴いて自然に踊っているということ。彼は、その瞬間にそれまでの人生で味わったことのないほどの至上の幸福を味わったと目を細めて、恥ずかしそうに語った。わたしは、愛というものが世界のうちに立ち現れてくるということは本当にあるのだと思って涙ぐんだ。

・友人と、彼の知り合いの女優たちと五人で車を借りて、はるばる南相馬までいって、柳美里が主宰する青春五月党の復活公演を観た。日帰りだったので、往復で8時間余りも、高速で移動する鉄の塊に閉じ込められていた。だがその甲斐あったというか、『町の形見』は傑作だったし、柳美里の営む書店・フルハウスもすばらしかった。帰路、あたりはすっかり暗くなった公道を走っていて、突如として帰宅困難区域の入り口に警備員がぽつりと立っているすがたが視界に飛び込んできて、うろたえてしまった。わたしのあずかり知らないところで、彼らは放射能に汚染された土地に立ち続けている。

・何かの啓示のように、わたしは、自分がこれまでずっとフィクションをフィクションとして--それがあたかもわたしの実存している現実とは無関係なものとして--受容していたという根本的な態度にはたと気づいた。フィクションを現実に奉仕させるのでなく、現実の関係性の網目を円滑にするためのコンテンツとして利用していたのにすぎなかったのかもしれない。とても恥ずかしいことだ。

・自分にしか聞こえていないと思っていたなか卯の歌。

・たまたま呑みの席で同席していた中学生の女の子の恋事情を、複数の中年男性、中年女性で取り囲んで根ほり葉ほり訊いていく。まったく好事家な大人たちだ。夜にLINEで、お互いの好きなひとのヒントを出し合っていって、もうほとんどお互いが両想いだと勘づいたところで、「2分後に好きなひとを発表しよう」となった。その2分後である23時47分、彼女のスマートフォンは、自分の名前だけが書かれているメッセージを受信する。

・『モアナと伝説の海』をもって、ややあって九月から観続けていたディズニープリンセス映画をすべて観終わった。1937年につくられた『白雪姫』から最新作にいたるまで、その数は13本。初見の作品も多かった。わたしはとくに『シンデレラ』『アラジン』が好きだ。『メリダとおそろしの森』のヒロインが、スコティッシュ・アクセントの英語を鼻につくような声で話していて、なんらかのフェティズムがくすぐられた。

・「結婚式、やってよかったよ」とわたしにすっきりとした顔つきで語ったJが、とても遠く見えた。

・あるひとに居酒屋で「おまえの欲望は、あらかじめ打ち消されてしまっているんだな」と言われる。なんらかのロマンが羽ばたきそうになる前に、ひとつの大きな諦念が襲ってくる。そのことに対しても、すきとおった諦念を抱いているくらいには、わたしの欲望は打ち消された欲望としてあるのかもしれない。「♪ ドアの外で思ったんだ/あと10年経ったら/なんでもできそうな気がするって/でもやっぱりそんなのウソさ/やっぱり何もできないよ/僕はいつまでも何もできないだろう」というフィッシュマンズの歌詞を思いだす。どうしてかれのうたう諦念はあそこまでわたしに痛切に響いてきたのだろう。

・キラリ☆ふじみまで『Beatiful Water』を観にいく。ずっととなりに佐々木敦がいたのだが、キャップを被っていたので、どれくらいハゲが進行していたのかは確認できなかった。

・深夜のレンタルショップに、小さなゲームコーナーがあって、ここ何度か挑戦していたUFOキャッチャーで、ミニオンズの人形がとれた。ひとりで自転車を漕ぎながら「うれしいなあ」とつぶやきながら帰った。さっそく本棚の隙間に配置して、にこにこしながら眺めたり、記念に写真を撮ったりした。

・別れぎわ、駅のホームで知り合いのおじさんに「嫌いだ!」と叫ばれる。酔っ払いの扱いはめんどうくさい。

・営業終了間近の銀行に、汗を流しながら駆け込んで、後期のぶんの学費を払ったら文字どおりすっからかんになった。しばらく極度の貧困生活を送るはめになる。貯金の有無は人間の尊厳にかかわる。水が飲みたいときに購入するのを我慢して、トイレの洗面台の蛇口をひねって、しかたなしに水道水を飲むひもじさ。

・お金がないのに、ここ数ヶ月勤めていたバイトを辞めた。わたしの上司と衝突して、ほとんどクビのような形で退勤となったのだが。最後の出勤を終え、多少は名残惜しくなるのかと思ったら、あまりにうれしくてスキップまでしそうな気分だった。

アントニオ・ロウレイロの音楽がいい。

四方田犬彦『モロッコ流謫』の「砂と書物」という章にいたく感動する。すべての書物の記憶を奪ってしまう砂、あらゆる記憶の退色から負けじと存在しつづける書物。いつかモロッコには足を運ばなければならないなと思う。

・わたしは何も忘れたくない、という。彼女は何もかもを忘れたい、という。なにかを憶えているというのはどういうことなのだろう。なにも忘れないという決意と、その決意をあざ笑うかのようにこぼれ落ちていく記憶たち。わたしは記憶の喪失に抗うかのように、こうしてだれのためにもならない文字を画面に打ち込んでいる。記憶が堆積していくということ、記憶が消滅してしまうことについてよく考えた一ヶ月だった。

玉田企画『バカンス』/幸福だったときの記憶の一片に生かされて

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 玉田企画の演劇は、一貫して関係性についてを思索しているように思われる。ある閉じられた二者関係に第三者が介在することによって、関係性のベクトルがいかに変容していくのか。ベクトルの矢印がふえたりへったりすることで、その場の空間の秩序はいかなる変貌を遂げるのか。とりわけ『バカンス』は、そのような関係性の緊張と弛緩の塩梅が非常に巧妙につくられている。その様子を目撃するスリルはまったく素晴らしく――玉田企画の演劇は障子の穴から「のぞき見」することなのである――、過去に観た『少年期の脳みそ』や『あの日々の話』に比しても、本作は群を抜いているのではないかと思った。

 

 夜のバーベキューには、すべての登場人物が集うこととなる。乾杯の合図で開けられたビール缶はいつまでもテーブルの上から動かない。買い出したはずの生肉はいつまでも冷蔵庫の中に置かれたままである。そのあいだ、ひとつのパラソルのもと、幾層にも重ねられた関係性の糸がほどかれたり、またさらにほつれたりする。そのことを目撃する、目撃してしまう悦楽と背徳感。

 この戯曲に豊かさをもたらしているのは、近くの船着き場の漁師の存在である。漁師は時間の象徴でもある。漁獲量がつねに変動するのと同様に、人間関係もまた変容を免れない。それでも、かつての記憶は、かつてあった出来事は、確かなものとして、いまを生きているひとびとを支えている。第二幕のラストシーン。彼らの関係性は、とっくの昔にこわれてしまっていて、もはや修復できないのかもしれない。それでもかれらは、現在に至るまでの少なくないときをともに過ごしてきたのであって、その事実はだれにも否定できないのである。あの夏の日、あの三人は漁師の船に乗り込んで、沖で釣った小さな魚をそのまま食して、腹を壊してしまった。あの日の記憶は、たしかに彼らが幸福であったひとときの記憶として、美しさを保ったまま、彼らのなかで一生生き続けるのであろう。たったそのことだけでも、ひとは生きていけるのかもしれない。そのような幸福な記憶は、きっとだれにだってあるはずなのだ。

 

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 ところで、この場面はとてもおかしかった。内と外で関係性はまるっきり変容してしまう。かれら二人のときの関係性なんて、本当は見てしまってはいけないんだけどな。客席にいるわれわれは、みんなして覗き穴から見ています。

 

(2018年8月 うだるような暑さの日、五反田アトリエヘリコプターにて)

雑記( August, 2018 )

・ほとんど息をつく間も無いままに、颯爽と走り去っていった八月だった。もともと今年の夏はゆっくり夏目漱石でも読もうと文庫本を買い揃えていたのに、腰を据えて文庫本をひらくような時間はほとんどなかったような気がする。本棚に立ち並ぶ赤茶色の背表紙を眺めてにこにこするばかりだった。わたしが本が好きな理由の何割かは、鑑賞のためであるといっても過言ではないかもしれない。そこにあらゆる邂逅の、あらゆる情動の可能性の中心があるのだ。

・研究書をひらくなんて以ての外だった。夏休みに勉強できた試しがない。さしあたり学生最後の夏だったので、一度くらいは引きこもって勉強しかしない夏休みというのも送ってみたかったんだけれど、わたしの性格的に不向きなんだろう――研究者にはなれないと痛感した夏でもあった。脇目も振らずにただひとつの研究に邁進するという性格はなにに由来するのだろうか。そしてそれは果たして見かけほどに美徳なのだろうか、とも考える。

夏目漱石三四郎』の冒頭。上京する電車のなかでたまたま出会い、ひょんなことから一晩行動を共にすることとなる女が、別れ際に三四郎へと囁くように告げる科白。「あなたはよっぽど度胸がないかたですね」。あらゆる学問を、あらゆる論理を超越して、現実そのものが脳髄を殴打してくる。この科白が、上京して学問を究めようとする三四郎にまとわり続けていたわけだが、わたしまでもがだいぶ刺されてしまった。

 ・そもそも連日の猛暑からして、落ち着いて研究をしようなんて気持ちが起こるべくもない。という情けない理屈をつけてみる。

・とはいえ、本当に暑い夏だった。観測史上最高の暑さを記録した平成最後の夏。メディアは異例だと喧伝するけれど、ひょっとするとこれから訪れる夏はいずれもこれくらい暑いのかもしれない。そのことを考えるだけで、海外に移住するという選択肢がより説得力をもってくる。うだるような暑さにぜいぜいとする羽目になるくらいなら、多少不便な思いをしてでも、穏やかな気候の異国の地に住んでいたほうがよほどいいんじゃないだろうか、と。

・日本の猛暑についてのフランスメディアの報道に、中東やアフリカのひとびとから山のようにコメントがついていた。いわく、うちの国では日本とは違って40度程度じゃひとが死ぬことはない、と。挙句には #BLACKPOWER などといったハッシュタグをつけて自慢げに自国の気温自慢が飛び交っていた。あまりに腹が立ったので、きみたちは日本の湿気交じりの暑さの辛さがわからないだろうと怒りのコメントを投稿したら、どこの国籍かもわからないひとたちから数十のフェイスブックの友達申請が来た。もちろんすべて断った。

・玉田企画『バカンス』を観にいった。わたしは『少年期の脳みそ』よりも、『あの日々の話』よりも、ずっとこの作品が好きだ。関係性のベクトルの変容について。

・かつて住んでいた高田馬場のシェアハウスの退去にあたっての大掃除。長い時間をともに過ごしたひとたちのあいだには、端から見ると一見奇妙なコミュニケーションが成り立っている。近くのラーメン屋の店主が、われわれの会話を聞いて苦笑していたのがへんに記憶に残っている。

早稲田松竹でトラン・アン・ユン監督『青いパパイヤの香り』('93)を観たのは八月のことだったか。あまりに美しい。いくつかの息を呑むようなカット。じめじめとした亜熱帯の熱気がスクリーンから横溢していた。

・二年ぶりに岡山に帰省した。大きな仏壇のある部屋で死者たちに見守られながら畳の上で午睡をする。そのあいだテレビは高校球児たちの雄姿を讃えている。それはほとんどわたしにとって夏休みの原風景である。原風景を反復できる至福と同時に、二十五歳のわたしはここにいていいんだろうかという焦りのようなものもある。

・けっきょく高校野球はあまり観なかった。いや、ちょくちょく観てはいたけれど、もはやなんの試合に昂奮したのかもあまり思い出せない。決勝戦も観ていない。わたしは金足農の吉田輝星という投手にもさほど感銘を受けなかった。かのハンカチ王子と同じにおいがする。伸び代があまり感じられない。大阪桐蔭の藤原くんは素晴らしい野手なのでぜひ阪神タイガースに来てほしい。根尾くんの鋭い眼光も気に入った。やはり高卒野手のロマンというのはある。

・叔父と、従姉妹の夫と、従姉妹の息子と男四人で海釣りにいった。鯵のサビキ釣りなので大したスリルはなかったけれど、次々と竿にかかるので愉しい。目標としていた100匹には届かなかったが、夜遅くまで粘って得た釣果は、翌日に三杯酢で揚げて美味しく頂いた。釣りはたのしい。

・大阪にも数日滞在した。大阪に住んでいる友人に通天閣の麓にある「イマジネーション ピカスペース」という呑み屋に連れていってもらう。深夜の屋上で訥々と語られる惑星の軌道の話。ナチスが発見した地底へとつながっている穴の話。

・通訳の仕事で静岡県に五日間ほど滞在した。南仏訛りのユーモアに富んだ気のいいおじさんにべったりとつくのでだいぶ気楽に過ごした。しかし通訳をやっていると、ただただ発せられたことばがわたしの身体を通過していくばかりで、わたしはほとんど無に等しくなってしまう(逆にわたしの存在が薄まれば薄まるほど通訳の仕事の質は高いということでもある)。かつてある人から「きみはことばだけのひとになってはいけない」と言われたことがある。たぶん彼女はこういうことが言いたかったのかもしれない。

・仕事で足を運んだ富士山世界遺産センターが思っていた以上に素晴らしかった。またプライヴェートでも再訪しなければいけない。それにしても、山脈が続くというわけでもないあれだけひらけた場所に、あの形姿の山が鎮座しているというのは奇跡としか言いようがない。

・静岡駅近辺の繁華街を夜にひとり彷徨う記憶。

・フランスの友人が監督をした自主制作映画の現場に入った。10日間の撮影のあいだ、フランス人に囲まれて、フランス語ばかり話していると、わたしの音の分節の仕方が変わってしまっていたのがおもしろかった。電車に乗っていると周囲から聞こえる音声がすべてフランス語かと誤認してしまうほどである。とりわけ中国語はフランス語にしか聞こえなかった。いまはまったくそうでもないので不思議なものだ。これまではずっと、母語として身に染み付いた音節からはけして自由になれないのだろうと考えていた。ひょっとしたらそんなことはないのかもしれない。

・異国のことばを話すのはいつだって愉しい。どこに着地するのかもわからないままにことばを紡いで、ふと口をついて出た表現に、ああこんなふうにも喋れるんだ、と自分で驚くことがままある。日本語を話すときにそういう新鮮な驚喜を憶えることはほとんどない。すでに母語の語りは凝り固まっていて、その語りを解きほぐすためには、確信犯的に自分自身から抜け出て語ろうとせねばならない――哀しいことだが、その試みには愉快さというよりどこか居心地の悪さがある。

・ひょっとすると、いまわたしが外国語を学んでいるのは、自分自身から自由になりたいというただそれだけの理由なのかもしれないね。異国のことばを話す恋人のため、「彼/彼女のことば」として言語を学ぼうとするひとたちの姿の美しさに打たれ、わたしもいつかはだれかへのあて書きのようにして外国語を学びたいとどこかでずっと思っている。

・映画を撮っているときの切なる問題は、あまりに現場が忙しいので、映画を観る時間がないということである。八月はほとんど映画を観なかったような気がする。

・撮影の大半は江ノ島だった。江ノ島の近くのドミトリーで役者たちとともに十数人で寝泊まりして、シャワーにはいつも大行列ができている。朝日に照らされ、浜風に吹かれながら、自転車で江ノ島の橋をわたっていくのはあまりに爽快だった。おかげさまでだいぶ日に焼けたけれど、あの日々は夏休みのイデアに限りなく近かったような気もしている。

・夜の海。わたしの髪の毛に砂を練りこんできた奴らへの恨みは持ちつづけよう。

・フランス人たちはドン・キホーテの歌とストロング・ゼロの歌ばかり歌っていた。耳にこびりつくという表現がぴったりだ。夜は発泡酒とストロング・ゼロばかりを呑んだくれていた。

 

ヨーロッパ旅行記 Ⅲ(March, 2018)

3月12日(月) ブリュッセル、ゲント

 同じドミトリーに眠るひとたちとことばを交わすどころか、顔を合わせることのないままホテルをチェックアウトして、旧市街へと徒歩で向かう。わたしははじめて歩くブリュッセルにたいして、非常に奇妙な感覚を抱いていた。とにかくひとが少ないのだ。カフェのテラスはがらがらだし、路上で見かけるひとたちも少ない。一国の首都にしてはとても活気があるとは言えない。パリやアムステルダムに挟まれているので、人口の谷になっているのかもしれない。ハイ・シーズンを迎えるころには、もうすこし賑やかになるのだろうか。

 さらにいえば、旧市街はましにしても、全体的に景観に品が欠けている、という印象をもった。たとえば安っぽい字体で書かれた看板などがいたるところに掲げられていて、そういう雑多さが景観のリズムを崩している(過度な雑然さが、独特のリズムを形成している日本の都市の景観とは、ここでも対照的だ)。否応なしに歴史の鈍重さを感じてしまうパリと比べれば、この軽妙さにはどこか違和感を憶えてしまう。それに加えてわたしが気になったのは、ブリュッセルの若者たちはいったいどこで遊んでいるのか、まったく見えてこないということだった。生活が見えないということはこれほど逗留者を退屈させるのか。わたしの友人たちが口を揃えてブリュッセルはおもしろくないと言っていた理由がわかった気がする。ブリュッセルでいちばん大きなサン=ミシェル大聖堂にも駆けつけたのだが、これまで訪れたカテドラルのなかでは、ひょっとするといちばん下品なカテドラルかもしれない。14世紀に建立されたようなのだが、そのゴチック建築を何世紀にもわたって増築し、継ぎ接ぎだらけの悪趣味な建築になっている。19世紀にゴチックを模してつくられたステンドグラスの品のなさには、心底うんざりした。

 Jから薦められた「Tonton Garby」という旧市街のサンドイッチ屋にいく。「トントン(おじさん)」という親しみやすい名称にふさわしく、すこぶる陽気な中年男性がひとりで店を切り盛りしている。フランス語、英語、オランダ語でつぎつぎと客を捌き、笑わせている様子はエンターテイメントだった。"When you smile, I smile""Si vous êtes content, je suis content"と念仏のように唱えつづけていて、そこには非常に明快な哲学が存しているようだった。山羊のチーズの入ったサンドイッチが一押しの商品のようで、わたしもそのサンドイッチをオーダーした。ひと口目はたしかにうまい。かつてフランスの山奥の山羊チーズ農家で二週間ほど働いたことがある。そのときにも思ったが、山羊チーズというのはクセが強いので、食べつづけるとどうしても飽きてしまうのだ。結局、ひとつのサンドイッチを食べきるのにだいぶ努力を要した。それでも笑顔をつくって店をあとにした。

 月曜日だったので、ベルギー王立美術館が閉まっている。わたしは代わりに、隣接するマルグリット美術館にいった。わたしは、東京で開催されたルネ・マルグリット展やシュルレアリスム展には足を運んでいるし、ほかにも各地で作品を見ているのだが、シュルレアリスムというのはどうも趣味に合わない。言いたいことはさまざまにあるけれど、ひとことでいえば、言語によって規定された理論がマテリアルなものに先行しすぎてしまっているために――シュルレアリストたちの狙いに反して――多義的な作品解釈を阻んでしまっている、というところだろうか。とはいえ、ブリュッセルの一等地の建物が、ルネ・マルグリットという二十世紀の画家に捧げられているということの重みは大きい。雲が切れ切れに浮かぶ澄んだ青空を切り取った《呪い》(1936)という小品の不気味さには、胸がすくむ思いがした。マルグリットでいちばん好きな作品だと思う。

 ブリュッセルを発ち、ゲントへと向かう。Tの恋人であるIがゲントに留学していて、Tも駆けつけるというので、わたしも合流することになったのだ。ゲントの駅舎から出ると、強く雨が降っている。わたしはずぶ濡れになりながら、小走りで彼女のアパートへと向かった。無事に目的地に到着したあと、TとIとともにバーへと繰り出した。ゲントはオランダ語圏に属するので、町を歩いていてもフランス語が聞こえてくることはほとんどない。バーの広い店内には、学生とおぼしき若い世代でごった返している。日本にはこのようなHUBのような広さのあるバーがほとんどない。東京ではバーといえば、雑居ビルの一室にある狭い空間ばかりだ。そこにも公共性のちがいが現れているように感ずる。途中からIの友人たちも合流し、ベルギービールをしこたま飲んだ。わたしはお酒には強いほうだと自認しているのだが、何瓶か空けただけで(とはいえ、この夜は10瓶ぐらい飲んだかもしれない)、完全に酔いが回っていた。雨上がりのゲントの夜、TとIと冗談をいって大笑いしながらアパートへと戻っていった記憶が朧げに残っている。なんの話をしていたかはまったく憶えていない。

 

3月13日(火) ブリュッセルアムステルダム

 ゲントから電車に乗り、ふたたびブリュッセルへと向かう。 車窓からの景色に見入ってしまう。長閑な田園風景が広がっていて、そのあいだに小さな町が点在している。動いているものは、ときおり走っている車を除けば、ほとんどない。ブリュッセルに着いて、すぐにベルギー王立美術館へといく。ベルギー王立美術館は、ピーテル・ブリューゲル(父)の作品をいくつかもっていて、有名な《叛逆天使の墜落》もここにある。ベルリンの絵画館ではかれの《ネーデルラントの諺》というすばらしくバラエティに富んだ作品を見たばかりだったが、ブリューゲル(父)については、あらためて丁寧に作品を追っていかなければならない。それは混沌とした16世紀オランダへと向かうような、非常にバラエティに富んだ旅となることだろう。同じ展示室にブリューゲル(息子)の作品も並べられていて、とくに《ベツレヘムの人口調査》にいたっては、父の作品と息子が模したものが置かれている。二作品を比べると、息子の作品も味があるといえば味があるのだが、残酷なほどに才能の差が歴然と出ていた。父を超えることができない息子。息子の前に立ちはだかり続ける父。

 

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Melchior de la Mars, Maria Magdalen in ecstasy, 1622-25

  わたしが気に入った作品。メルキオール・ドゥ・ラ・マルスと読めばいいのだろうか。Wikipediaによると、17世紀オランダで活動していたカラヴァジェスキのひとりらしいのだが、画家の生涯はほとんどわかっておらず、作品も二点しか特定されていないらしい。こういう作品に出会うと、カラヴァッジョという存在の偉大さをあらためて思い知らされる。上記の作品は、カラヴァッジョの影響が透けてみえるものの、そこだけにはとどまらないロマンチズムを湛えている。ラファエロ前派の作品と見間違えるほどの筆致だ。気づいたら閉館まで30分を切っていることに気づく。隣接されている世紀末美術館(Musée Fin de siècle)のことをすっかり忘れていて、そのまま慌てて向かう。結局、すぐに時間切れになってしまったのだが、展示室をいくらか歩いただけでいっても、そのコレクションの質の高さに眩暈がするようだった。わたしは、やはり十九世紀を愛しているのだ、と強く思った瞬間であった。ルーベンスのような画家の作品群と対峙していた時間が惜しい(わたしはルーベンスのよさがさっぱりわからない)。世紀末美術館をゆっくり観ることができなかったのだが、ブリュッセルにはそのためだけでも再訪の価値があるように思った。

 Thalysに乗って、ブリュッセルからふたたびアムステルダムへ。イーストウッド監督の『15時17分、パリ行き』を観たばかりだったので、Thalysに乗るのはいくらかへんな気持ちだった。とはいえ、まったくテロ行為などの気配はなく、平穏無事にアムステルダムに到着する。アムステルダムにあるTのアパートにたどり着く。Tはまだゲントに残っていたのだが、TのフラットメイトであるBが、ちょうど料理をしているところだった。いくつかことばを交わし、Bの用意していた野菜を油で焼いて、ハーブで味つけをした料理を食べた。Bはアムステルダムで物理学を専攻している学生で、ときどき役者業もやっているという。わたしはベルリンでケンドリック・ラマーのライブを観てきたんだという話をすると、かれは同じツアーのアムステルダムでの公演を観にいったばかりだという。わたしたちはケンドリックについて、ひいてはヒップホップについてのあれこれを話し込む。Netflixで、かれが勧めた『Anomalisa』というクレイアニメの映画を観る。そのあと、わたしの勧めたNetflixオリジナルドラマ『マスター・オブ・ゼロ』のシーズン1を何話か観た。わたしはもう何度もこのドラマを観ているが、何度観ても最高のドラマだ。Bもたいへん気に入っているようだった。

 

3月14日(水) アムステルダムデン・ハーグ

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 朝目醒めてすぐ、わたしのベッドのもとで丸まっていた猫のモンティと遊びつくす。彼女はアパートに出現した鼠をすべて食べつくしてしまったらしい。たしかに悪そうな顔をしている。しかし、猫という存在は、どうしてこれほどおもしろいのか。わたしは幼少期に近所の猫に顔を引っ掻かれた経験がトラウマ化していて、長らく犬の派閥に属していたのだが、そろそろ猫に再転向してしまいそうだ。近所のカフェでエスプレッソを飲む。隣に座っていたアムステルダム在住の夫妻とたまたま話した。男性は航空会社に勤務していて、休みのたびに家族で世界中を旅行しているという。日本にも数度訪れたことがあるといい、日本の印象をいろいろと語ってくれた。わたしもアムステルダムは気に入っているというと、かれは豪快に笑っていた。アムステルダムのおいしい日本料理屋を無理矢理に薦めてくる。メモまでさせられたのだが、おそらく一生いくことはないだろう。

 トラムに乗って、アムステルダム国立美術館(Riksmuseum)にいく。17.5€という法外な入場料には若干の憤りを憶えつつも、いくつかの展示室を回って、すぐさまその価格設定にも納得がいった。それぐらいにまったくもって素晴らしい美術館だった。作品の配し方に気づかいが感じられ、動線や照明の設計も素晴らしく、ひとつひとつの作品にもれなくオランダ語と英語でキャプションがついている(すべての作品に英語併記のキャプションがついているというのは、世界的に見ても稀なことではないか)。とりわけ初期フランドル派の興味ぶかい作例が山のようにある。初期ネーデルランド、ハールレムで活動していたトット・シント・ヤンスに帰属するとされる《エッサイの木》(15世紀ごろ)を見てほしい。西欧人の余白恐怖症とルネサンス的な合理性の相克がひりひりと感じられる。

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 よく記憶に残っているのは、突如として展示室に現れたカラフルな帽子たちだ。キャプションを読むと、近年17世紀オランダで捕鯨に携わっていた男たちの墓を調査したところ、多くの遺体が帽子をかぶったまま葬られているということが発見されたそうだ。厳しい寒さ対策でだれもが着込んでいたために、表情や服装ではほとんど見分けがつかず、代わりにおのおのが被っている帽子の色彩やモチーフで人物を同定していたという。当時は「赤帽のヤンさん」みたいな通り名で溢れかえっていたのだろう。じっくりと中近代のセクションを時間をかけて回っていたら、いつのまにか閉館時間が近づいていて、十九世紀のコレクションを十分に見ることができなかった。ベルギー王立美術館とまったく同じことをやってしまっている。足早に展示室を回っていたわたしの足をふと止めたのは、アルマ=タデマの《The Death of the Pharaohs Firstborn Son》(1872)だった。わたしはこの画家がラファエル前派の画家のなかでいちばん好きだ。かれの作品のコレクションは、どこにいけば見れるのだろう。日本では知名度があまりないせいか、おそらくかれの回顧展が組まれることはないかもしれない。わたしの知人は海外まで企画展を見にいっていた。

 17時にアムステルダムの街に放り出され、カナルの沿道をいくらか散歩する。日は傾きはじめているが、依然として街に活気がある。アムステルダムは、本当にすばらしい。平坦な街のいたるところに血脈のように水路が張り巡らされ、その水はあちこちで樹々を芽生えさせている。芝の生えた広い公園があちこちにあって、子どもたちの声がこだまする。煉瓦造りの街並みのふもとを自転車で駆け抜けていく。わたしが訪れたのは三月のなかばで、まだ肌寒い季節ではあったが、天候にはめぐまれ、つねに燦々とした陽光が差していた。空の青と、樹々の緑と、陽光を受けた煉瓦の赤という色彩に満たされっぱなしだったのだが、天気が悪いと、ひょっとすると陰鬱な気分に陥っていたかもしれない。とはいえ、暮らしやすいのは間違いないだろう。ベビーカーを押している親の姿を頻繁に見た。子育てには絶好の地だと思う。

 アムステルダムへの再訪を心に誓いながら、ふたたび電車に乗って、デン・ハーグへと向かう。デン・ハーグにはTの実家がある。前日の朝までゲントで一緒にいたわけだが、TとIはすでに車でデン・ハーグに到着し、ひと休みしているところだという。車を数時間走らせれば、国境を悠々と越えることができるヨーロッパの感覚は、やはりまだ体得できていないな、と思う。デン・ハーグのTの実家で、Tの母の手料理をいただく。彼女は去年息子とともに日本の北陸地方を旅行したらしい。「ガソリンスタンドで車をバックさせているときに店員が一様に唱える呪文はなんなのか」と真剣なまなざしで問われた。わたしは苦笑しながら "All right" のことですよと答えると、彼女は豪快に笑う。そのあとギリシア人の父とも話していたのだが、かれらはいずれも英語が達者で驚いた。オランダ人は、ドイツ人に比べても圧倒的に英語がうまい。日本ではおよそ考えられないことだ。Tとともに夜のデン・ハーグに繰り出す。街の案内をしてもらいながら、The Fiddlerというアイリッシュ・パブにたどり着く。ひょっとすると同級生がいるかもしれないと店内を進んでいると、案の定Tの同級生の三人がいた。高校時代の俺たちはばかやってたな、あれがもう10年も前の話か。いまの高校はまるっきり変わってしまったらしいぜ、と談笑している。いくらかのノスタルジアにつまされながら過去を回想する様子は、万国共通である。とはいえ、かれらはわたしに気を遣って、みなオランダ語から英語に切り替えて話していたのだが。わたしだったらすぐに諦めていただろう。驚異的なことだ。

 
3月15日(木) デン・ハーグ

 Tの実家の屋根裏部屋で目醒める。おいしいエスプレッソをいただき、トラムに乗って中心街へ。9時をすでに回っていたが、まだ街が眠りから完全に目覚めていないような雰囲気だった。時間の進みかたがまだのっぺりとしている。目醒めてからなにも口にしていなかったので、とりあえず何か食べよう、うまいものを食べよう、とわたしは提案する。Tはいう。オランダには〈うまいもの〉は3つしかない。チーズ、クロケット(Kroket)、ハーリング(Haring)だけだ、と。開店したばかりのクロケットを売っている店で、クロケットを買う。伝聞に違わず、たしかにおいしい。日本のコロッケの元祖とされていて、具は牛肉をつぶしたものだ。国民的なファストフードになっていて、Wikipediaを読むと、2008年には3億5000万個のクロケットが消費されたという。人口の70%が年に平均29個いただくらしい。いまいち多いのか、そうでもないのか掴めない。

 マウリッツハイス美術館へと向かう。マウリッツハイス美術館の一角の窓から見える円筒形の建物は、ハーグの市長のオフィスだという。微妙にオフィスのなかは見えない角度になっているが、行政と市民の距離が近しいことが感じられていい。美術館にはルイスダールの作品がいくつもあり、高揚した気持ちで作品と対峙する。ユベール・ダミッシュ『雲の理論 - 絵画史への試論』という本を以前紹介してもらったことがある。わたしは読んでいないので正確な情報かはわからないのだが、西洋絵画史において、ルイスダールがはじめてキャンバスのなかに遠近法的に正しく「雲」を位置づけることができたとされているらしい。たしかに雲というのは不思議な存在だ。空に浮かんでいるのを見ても、あれが遠景の町や山脈よりも近くにあるのか、遠くにあるのかすらわからないことがある。遠近法的な視覚の秩序を無視するような存在であるということだろう。

 《真珠の耳飾りの少女》のある展示室にいると、どこからともなく黒いスーツに身を包んだ、日本人の妙齢のサラリーマンの団体が展示室にわらわらと現れた。かれらはフェルメールレンブラントといった画家の著名な作品を見て回るツアーの最中のようだった。ひとりの40代くらいの男性がガイドの通訳を担当していて、残りは還暦前後のおじさんたちだった。わたしは少し離れたところでかれらの様子を眺めていたのだが、かれらの口から出てくるのは「ほお」「すごい」といったことのみで、ひとしきりそう言い合い、スマホに収めては、足早に去っていくのであった。そのあと団体が美術館から帰るところにもちょうど遭遇したのだが、黒塗りのメルセデスベンツを3台もチャーターしていて、かれらだけバブルの時代を生きているかのようだった。これだけステレオタイプの日本のサラリーマンって生き残っていたんだな。バブル期には、ああいう光景が西欧の美術館では日常茶飯事だったのかもしれないと考えると寒気がする。日本人に反感をもつのは当たり前だろう。かれらの他にも、日本人の来訪者が心なしかたくさんいた。わざわざデン・ハーグにまで足を伸ばす旅行客はあまりいないのかもしれない。そう考えると、やはり日本人のフェルメール愛は異常である。とはいえ、わたしもフェルメールは好きだ。とりわけ《デルフト眺望》は改めて傑作だと思った。

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 マウリッツハイス美術館を出て、あたりを散策した。オランダ三大美味のもうひとつであるハーリングのサンドイッチを購って、ベンチに座って食べた。ハーリングとは、ニシンの生魚の塩漬けのことだ。多量のたまねぎとともにサンドイッチに挟んでいただく。おいしい。いくらオランダの食に期待できないとは言っても、クロケットハーリングがあれば、やっていける気がする。安価なソウルフードだ。ベンチに腰掛け、Tとともにぼんやりとこれから先に待ち受ける人生のことなどを話す。かれは今年の夏から渡英し、オクスフォードの大学院で哲学の勉強をつづけるそうだ。わたしは、どうだろう。いくつかの可能性と不可能性についての話をした。ようやく会話のエンジンがかかってきたというころ、わたしの電車の時間が近づいていることを知る。わたしはTとともに駅まで歩き、感謝を告げて改札をくぐった。東京に帰らなければならない。

 スキポール空港へと向かう車内で、久し振りに『アンナ・カレーニナ』をひらいた。けっきょく1巻すら読み終わらなかった。残りの3巻は、依然としてヨーロッパ周遊中のわたしの小さなスーツケースに詰められている。スキポール空港のカウンターで、スーツケースを日本の住所に送ってもらう手はずを整えた。対応してくれたのはまたも褐色の女性だった。あまりに長い煌びやかなネイルを携えたほっそりとした指で、キーボードを叩いている。そのさまにわたしは釘付けだった。搭乗口に向かっているさなか、突然母子と思しき二人に「どうやってガーナに行けばいいんでしょうか」と訊かれる。わたしは驚いて「ガーナって、国のガーナですか」と咄嗟に問いなおすと、彼らは頷いた。ええっと…。わたしは彼らに搭乗券を見せてもらい、無事にガーナ行きの飛行機が発つ搭乗口まで送り届けた。ブルキナファソに住んでいたことがあって、と話すとうれしそうにしていた。
 

3月16日(金) 北京、東京

 機内で『LEGO ムービー』と『ズートピア』を観た。どちらも秀作だ。ひとりで涙しているのがなんとなく気恥ずかしくて、隣のひとに悟られないように静かに泣いた。明方、トランジットの北京に到着する。乗り換え時間が90分しかなく、しかも往路と同様、ターミナルを変更しなければならない。わたしは往路と同じように出入国のゲートを通らずに移動させてもらえないかと頼むが、英語がうまく伝わっていないのか、あなたはいったいなにを言っているんだという顔つきで、一度出国手続きを取ってからターミナルを移動してください、と突き返される。わたしは空港を駆け抜け、ときに断って割り込みをしながら、ターミナル間移動の無料シャトルバスに乗る。朝のラッシュ時間なのか、バスは遅々として進まない。ようやくもうひとつのターミナルに着き、慌てて窓口に駆け込むも、チェックイン時間は終わりました、と告げられる。東京に帰りたいなら、新しいチケットを買ってください。でも、きょうの便はすべて満席です。いくらごねても無駄だった。

 さて、わたしはきょう東京に帰るのを諦め、北京に滞在しなければならないのか。ターミナルから出て、朝日を浴びる。気温は氷点下に達しているのだが、まったく苦にならない澄んだ空気で、悪くないかもしれない、と煙草に火をつける。北京に滞在するとしたら、なにをしようかと頭の隅で考えながら残りのお金を計算すると同時に、東京で帰国してまもなく予定されているいくつかの用事の重大性を思った。とりあえず、アムステルダムから東京への便を運行していたKLMに相談にいく。そもそも、その便が20分ほど遅延しており、そのせいで乗り継ぎに失敗したのだった。カウンターで対応を待っていると、日本の赤いパスポートをもった男性が駆け込んでくる。ひょっとして、と尋ねるとかれも同様のケースで、東京への便の乗り継ぎに間に合わなかったようだった。"Are you together?"と問われたので、"No we are not, but we have the same issue" と答え、しばし待っていると、搭乗券のようなものを渡される。きょうの羽田行きの便を予約したので、こちらでお帰り下さい、と。さすがKLMだ。わたしはそのことに喜びつつ、反面北京に残れないことに淋しさも感じていた。もし北京に残っていたとしたら、どんな風景がわたしを待ち受けていたんだろう。

 帰れるようになってよかったですね、などと日本人の男性と当たり障りもないことを話す。かれはMさんと言って、ヨーロッパを1週間ほど周遊していたようだ。少し話していてわかったのだが、Mさんはかなりのシネフィルで、東京とヨーロッパの映画事情についてあれこれと話す。わたしが幾度か足を運んでいるゴールデン街の呑み屋の常連ということも判明し、どこかの映画館や呑み屋で確実にすれ違っているだろう、と。旅行の最後の最後に、こういう出会いもあるのだな、とわたしは不思議な感慨に包まれていた。なにがわたしをヨーロッパに、ひいては旅行に連れていったのか、結局明快な答えは出ないままに帰路についてしまったわけだが、こういう思いがけない邂逅を求めていたのだ、と言えるかもしれない。

 東京に着いた。電車に乗り込んで、そのまま東京の懐かしき顔たちが集う居酒屋に駆けつけた。

 

ヨーロッパ旅行記(March, 2018) ― 全三回

「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」/セザンヌ《赤いチョッキの少年》

 国立新美術館「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」に足を運んだ。世界大戦に乗じて武器商人として財を成したスイスの実業家のコレクションで、2008年の盗難事件をきっかけに閉館となり、2020年までに所蔵作品はすべて改装中のチューリヒ美術館に寄贈される予定だという。最後の移転前の企画展示として世界を巡回中ということだそうだ。しかし、武器を売った金で、美術作品を蒐集するというのは、なかなかに奇妙な話だ。

 展示作品は64点と、新美にしては比較的小ぶりな企画展だ。ドガは《ピアノの前のカミュ夫人》以外はあまりぱっとせず、クールべ、ピサロシスレーの作品もいくつか展示されていたが、さほどいい作品ではなかったと思う。ボナールも微妙だったものの、その隣に展示されていたヴュイヤールはよかった。ヴュイヤールの特徴的な黒。マネ、モネ、ゴッホゴーギャンピカソ、ブラックとあって、そう考えると小ぶりのわりには粒揃いの展示だったかもしれない。たしかにあまり退屈はしなかった。

 まず驚いたのは、17世紀のアントワープ出身の画家フランス・ハルスが、印象派の先駆けの肖像画家として位置づけられていたことだ。あの粗野な油彩の筆づかいは、クールべやルノワールドガ肖像画と呼応する(意外にもアングルの私的な肖像画も)。19世紀から20世紀まで、フランス絵画を中心にすぐれた作品をもっている。

 

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  目玉となっているルノワールのイレーヌ嬢もとくと見納めた。「西洋絵画史上最高の美女」といういささか大きく出ているキャッチコピーにも、さほど異論がない。たしかに、あの佇まいはひとを惹きつけるものがある。周囲の景色や服装と比して、顔の描きかたが息を呑むほど精緻である。鑑賞者の視線は、透き通るような彼女の肌の上を滑っていき、そして彼女の眼に集まるように設計されている。失われることが定められたー――すでに失われてしまった――少女の美であり、そこにはいくらかの憂いの感情がある。また、わたしはコローの《読書する少女》を見て、コローへの愛を再確認した。今回はこの一点だけだったが、かれは肖像画においても、風景画においても、まったく素晴らしい水準の絵を制作している。コローの企画展など、やってくれないだろうか。この絵についても、鮮やかな赤(上着と首飾り)が画面をよく引き締めている。

 

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  とくに、セザンヌの作品については非常に充実していて、はじめに驚いたのは、《聖アントニウスの誘惑》だ。わたしはこの主題が好きで、いろいろな画家の同主題の作品に触れてきたが、セザンヌも描いているとはまったく知らなかった。そして、いままで見てきたことがないような描きかただった。「聖アントニウスの誘惑」は、西洋絵画としては有名な宗教主題で、財産のすべてを投げ打ってエジプト砂漠で隠者として修行している道中、さまざまな誘惑に苛まれるというものだ。この絵では、聖アントニウスは左上に追いやられていて、豊満な肉体で誘惑を仕掛ける女たちが画面の大半を占めている。グロテスクで奇怪な雰囲気を湛えつつ、しばしば雑多になりがちな画面を深い黒で引き締め、ミステリアスな様相を呈している。

 

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  しかし、《聖アントニウスの誘惑》よりも驚いたのは、《赤いチョッキの少年》である。わたしはこの機会にはじめて《赤いチョッキの少年》(1888-90)の実物に見えることができた。これまでいろいろなセザンヌの作品を見てきたつもりだったが、これは本当にすごい作品だ。いまさらだが、セザンヌの画業のなかでいちばん好きだと思う。傑作中の傑作だ。

 やはり目を引くのは、不自然なまでに長い右腕である。この右腕は明らかに作為的な長さをもっていて、その違和感が全体の画面のリズムを形成している。キャプションにも説明があったが、あの右腕は、画面を横切る斜めの線と交わっているのと同時に、壁の水平線とも関係している。鑑賞者は、右腕以外の部分に注視しても、存在感のある右腕が視界に闖入してくる。すなわち、鑑賞者は部分を見ているにもかかわらず、否応なしに意識は画面全体へと差し向けられてしまう。かくして視覚の運動が生ずるのだ。

 そして、形だけでなく、中心に位置するチョッキの赤とパンタロンの青の鮮やかな色彩が全体の統一感を演出している。かたちと色彩という、絵画における二つのもっとも重要な要素が、ひとつの作品のなかに最高の形で結実しているのである。あれほど高いレベルで部分と全体がたがいに奉仕しあっている画面ははじめて見たといっていいかもしれない。やはりセザンヌは19世紀においてもっとも重要な画家であるのではないか。わたしがあらためてそのことを断言する前に、いささか留保が要されるだろう。他所で薦められているのを見た吉田秀和著『セザンヌは何を描いたか』(白水社アートコレクション)の古本を購った。この本でも、《赤いチョッキの少年》の検討がなされているようである。