欲望の交差点、ひとを喰ったような映画 / ニコラス・W・レフン『ネオン・デーモン』

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 鑑賞する前に、どこかで「ひとを喰ったような映画だ」という評を目にした。カンヌの舞台では、歓声と怒号が同時に飛び交ったという。わたしはそれなりに身構えて鑑賞に臨んだ。そして劇場を出るとき、なるほど、まさに〈ひとを喰ったような映画〉にほかならないな、と苦笑しながら深く頷かされてしまった。

 

 このフィルムを観て、まっさきに思い浮かんだのは、エリザベート・バートリという十六世紀のハンガリーの貴族のことである。かつて「血の伯爵夫人」という異名を轟かせた彼女は、あるとき偶然女中の血が身体に振りかかったのを機に、処女の血が若返りによいと信じ込み、国中から若い処女たちをひそかに集めて殺し、その血を呑み、血で湯浴みまでしていたという。彼女が殺めた処女の数は、数百は下らないとされている。「鉄の処女」という拷問器具とともに、彼女の〈吸血鬼〉としての物語は、これまで数多くの者たちを惹きつけ、さまざまなヴァリアントがつくられてきた。

 本作は、そのひとつのヴァリアントとして捉えても相違ないだろう。舞台は、現代のロサンゼルス。16歳になったばかりの身寄りのいないジェジー(エル・ファニング)は、地元をひとり飛び出て、モデルとして身を立てるためにロサンゼルスにやってきたばかりだ。ジェシーは、虚勢を張ってみせるものの、いまだに処女であり、まだあどけなさの残る美しさを讃えている。

 ファースト・カットは、ネットで知り合ったという若いカメラマン(カール・グルスマン)のために、Jesse が長椅子に横たわり、首から血を流してポージングするというものだった。事務所へと応募すべく受けた面接では、「一日に 30、40 の女の子と面接しているけれど、あなたはちがう」とまで面接官に言わしめ、事務所に所属することとなった。彼女は、ただちに一流のカメラマンの撮影のモデルをする機会に恵まれ、コスチュームデザイナーの目に止まり、ファッションショーにも抜擢される。あらゆるところで、「彼女はビッグになるにちがいない」と囁かれている。

 トントン拍子でスターへの道を駆け上がっていく若い少女を取り巻く周囲の女性たちは、ジェシーにたいしてあからさまな嫉妬を差し向ける。女たちの欲望が渦巻くショービジネスの世界(いうまでもないが、このショービジネスを根底から支えているのは、映画では描かれることのなかった、無自覚的に欲望に行使する男たちなのである ―― 彼らが描かれないということが、この映画が奇怪である最たるゆえんだろう)で、ジェシーはその頂点まで昇りつめんとする。

 

 さて、このような設定の物語に、血の伯爵夫人の寓意が込められる。伯爵夫人にあたるのは、ジェシーを取り巻く三人の女性たちだ。"The Bionic Woman" であるジジとサラという落ち目にありつつあるトップモデル、そしてメイクアップ・アーティストのルビー。三人の伯爵夫人は、ジェシーを穢れなき血を求めて、彼女を欲するのである。

 "I don't want to be like them, they want to be like me." というジェシーのナルシシズムに満ちた科白を憶えているだろうか。物語を最後まで追うと判明するのだが、じつは女たちは、"want to be like Jesse" という欲望の奥底に、"want Jesse" という直接的な欲望を抱えていたのである。レズビアンの指向があるルビーは、ジェシーの身体を欲するが、激しい拒絶に遭ってしまう。このことが契機となって、のちの犯行へと発展する。

 このフィルムにおいて着目すべきは、血の流れる場面である。血を流す人物は、二人しか登場しない(しいていえば三人なのかもしれないが、わたしは犯行後のルビーが裸体で横たわる象徴的なシーンについての判断をつきかねている)。ひとりは、いうまでもなく、ジェシーである。ファースト・カットは頸からまがい物の血を流す衣装を施した彼女を捉えているし、ファッションショーの選考会において落選することとなった女性との一幕 ―― 彼女までもがジェシーの血を欲する ――、モーテルのシーツは血に塗れ、そして最期には水のないプールの底で血を流して息を絶やす。

 ジェシーがプールの奥底に突き落とされたあと、親切にも深紅に染まった湯船で血浴みするルビーや、シャワーを浴びながら血を洗い流すジジとサラが描かれる。そして、時を経て、新たな仕事に向かうジジとサラだが、灼熱の太陽と海を背にポージングをしているさなか、突如としてジジは体調を崩す。室内へと逃げ込み、激しく咳き込んで血まみれになった眼球を吐き出すのだ。それは、紛れもなくジェシーの眼球であろう。彼女は腹部を抑え、"I should get her out of here"と叫んで、みずからナイフを刺し、血を流して死んでしまう。その姿を冷ややかな目で見届けたサラは、まったく落ち着きを払った様子で、その場を後にする。エンドロール。

 

 まさに〈人を喰った〉展開の物語だが、わたしが寓意として読み取ったのは、血が通う者は、欲望の渦巻くゲームで勝ち残ることができない、ということだ。伯爵夫人は、しばしば吸血鬼と見做され、恐れられてきた。吸血鬼は、他者の血を取り込んでしまうが、みずからの血を見せることはない。そもそも、吸血鬼に血が流れているかすらわからない。吸血鬼の物語は、さまざまな変奏をもっているが、吸血鬼みずからは血を流さないというのは、ひとつの暗黙の決まりごとになっているのではないか、という気すらする。

 ジジは、ジェシーを殺めたことに後ろめたさを感じている。そのとき、彼女は吸血鬼たる冷徹さを失ってしまった。彼女が情に絆されてしまった瞬間、ショービジネスの世界で生き残るための狡猾さを失い、彼女には名実ともに死が訪れるのである。その姿を見届けたサラは、そのあとも、血の通わない冷徹さをもって、競合を蹴散らし、加齢に争って、欲望の交差する中心点に止まり続けようするに違いない。

 

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 と、なんとか感想を書き留めようと思ったのだが、まったく歯切れの悪い文章になってしまい、書きながら頭を抱えそうになった。それは、わたしの力量不足ということも多分にあるのだが、また同時にフィルムそのものの歯切れの悪さゆえではないか、と思う。これほど駄文を書いてきてしまったが、わたしはこの映画について、否定的な感想をもったのだ。

 すべてが中途半端である。ときどき美しい映像はあるのだが、明らかに演出されている場面において、シンメトリーが完徹されていなかったり、画面のつくりこみが甘い。モンタージュにも大きな問題がある。ストーリーテリングに奉仕する映像と耽美的な世界を表現する映像がちぐはぐに組み込まれているせいで、映像としての根本的なリズムが悪い(音楽にはかなり助けられている)。そもそも、物語を語ろうとする意志に引っ張られすぎている気がする。観客を信頼していない証拠でないか。

 作家はさまざまなシンボルを配置したのであろうが、たとえば、頻繁に作中に登場する鏡 ―― ジェシーが鏡に映った自分にキスするシーンで、彼女は "dangerous" になったのである ―― にしても、ナルキッソスの鏡を意図していることは明らかなのだが、取ってつけたように置かれたという印象が拭えない。結局のところ、ロサンジェルスの街並みを撮りたかったのかどうかも判然としないし、幼少期に月を見上げていた挿話も効果を発揮していない。モーテルに出没した山猫が、邸宅では剥製になって置かれていたのも、なんだかあからさまで品がなかった(剥製は、まずは血が抜かれているということだから、このフィルムの寓意にたいして働きかける要素のひとつであるはずなのだが、それにしても)。

 

 なにより、いちばんわたしが懐疑を挟みたいのは、エル・ファニングのキャスティングである。べつに彼女の演技に大きな問題が見受けられたというわけではない。だが、エル・ファニングは、だれもが嫉妬の念を、あまつさえ欲望を直接的に差しむけるような女性足り得ていただろうか? あどけなさの残る〈ロリータ〉としての美を押し出すにしては垢抜けすぎているし、他の美しいモデルたち(そもそも彼女たちの多くは、実際に活躍しているモデルにちがいない)から妬まれるほど飛び抜けているはずの美しさは、そこにはどうしても見受けられないのだ。この物語におけるすべての生起は、ジェシーの美に端を発しているだけに、エル・ファニングではいささか説得力に欠けてしまうというのが正直な感想である。では、だれを持ってくるべきだったのか? わたしは回答をもたない。けれど、往年の映画監督たちのように ―― たとえば、ハワード・ホークスが、無名女優をたった一本のフィルムで〈夢の女 Dream Girl〉に仕立て上げてしまったように ―― どこかから原石を発掘してきてほしかった、という気がする。

 

 まあ、エル・ファニングも可愛いんだけどね。あと、エンドロールの映像も綺麗でした。

 

異物に病みつきになるという経験 ―― ナカゴー『ベネディクトたち』

 異物が口のなかに入りこんでくる。あなたは怪訝な顔をして、おそるおそる舌のうえで異物を転がし、その味を確かめんとする。意外にイケるかもしれない。緊張をとぎほぐしながらゆっくりと味わっていると、次第にまるで麻薬を摂取しているかのような感覚に陥ってくる。もっともっと、とあなたは過剰を欲する。しかも具合の悪いことに、過剰摂取によって麻薬は効かなくなってくるのではなく、むしろその過剰さによって加速度的にキマリはじめ、ずぶずぶと沼から抜けられなくなってしまう。そして、しまいには、さらに具合の悪いことに、あなたはその沼へとだれかを引きずりこみたくて仕方がなってくるのだ。チェーン・スモーキング。

 

 2015年に観た『率いて』につづいて、二度めのナカゴーの演劇。10分ほどの新作『話の聞きたいひと』、6年ぶりに初演メンバーで蘇った『ベネディクトたち』。それについての文章を腰を据えて記そうとしていたのだが、腰砕けでここまでで終わっていた。

 演劇によって語られる物語について多少なりとも考えることはできても、演劇という枠組みについての思考言語をいまだ獲得していない。今年は、もう少し精力的に観劇できればと思う。月に2本くらいは観に行きたいものだ。演劇に精通している友人が欲しい。

『ストレンジャー・シングス 未知の世界』―― 見事な 80 年代へのゲートウェイ・ドラマ

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 わたしはあらかじめ告白しておく。この作品について、いまの段階では願うとおりの文章が書けるとは到底思えない。80年代のアメリカでつくられたさまざまな作品群にオマージュが捧げられているのはわかるのだが、肝腎の引用先のカルチャーに精通しているというのとはほど遠い位置に、わたし自身が存しているからだ。

 ジョン・カーペンターにはまったく思い入れがないし、ロバート・ゼメキスも『バック・トゥー・ザ・フューチャー』と『フォレスト・ガンプ』を中学生のころに観ただけだし、スティーヴン・キングに至っては、一冊も小説を読んだことがないかもしれない(あらためてこの事実に思い当たり吃驚した)。好きな作品はいくつかあるけれど、スピルバーグに育てられたという記憶もそれほどない。しかし、だからこそよかったのではないか、と事実を好意的に解釈してもいる。すなわち、『ストレンジャー・シングス』が、わたしにとっての80年代のアメリカという世界への入り口となったのではないか? と。

 現在の世界(〈表側〉)と The Upside Down(〈裏側〉)が通ずるためのゲート(Gate)を設けるには、非常に莫大なエネルギーをもちいて穴を開けることが必要とされるという説明が作中にあった。そのことをあえて転用するならば、次のように言えるかもしれない。『ストレンジャー・シングス』というドラマは、90年代に生まれたわたしに、80年代へのゲートを開けてくれるような、はち切れんばかりのエネルギーに満ちた秀作だったのである、と。それが単なる懐古趣味に陥っているとは思わない。なぜなら、引用先の80年代にさほど造詣のないわたし自身が、十分に物語を愉しむことができたのだから。わたしや若き観客たちの多くにとっては、『ストレンジャー・シングス』こそが、華やかな 80 年代へのゲートウェイ・ドラマ足りうるのである。

 

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 しかし、年末というのはおそろしい。夜に Netflix をひらいて、エピソード1を観はじめてから、そのまま中断することなくエピソード8まで観続けてしまった。総計して7時間余りものあいだスクリーンに齧り付いていたということである。シーズン1を一気に完走して、窓から差している眩いばかりの朝日を尻目に眠りに就いた。一気見させてしまうほどのエネルギーは、作品そのもののおもしろさによって供給された(もっとも、『ハウス・オブ・カード』や『ウォーキング・デッド』のときは、シーズン数も多い分、さらにひどい有様を呈していたのだが)。 

 ここでしばしくだらない話をする。わたしは2016年8月にこのドラマがリリースされたとき、『ストレンジャー・シングス』という邦題を見て、"Stranger Sings"とはいったいなんと素晴らしい表題なのか、この題を冠した物語がSFものであるならば、一刻も早く観なければならないな、と考えていた。だが、あるときに"Stranger Sings"ではなく、正しくは"Stranger Things"というように綴ると知った。そのときの落胆は思い知れない。心中にひそかに練り上がっていた甘美な予感が、見事に崩れ落ちて行ってしまったのだ。たったそれだけの理由で、リリース以来長いあいだ気になってはいたものの、観るのが今ごろになってしまったのである。

 とはいえ、やはり "Stranger Things" という題は、あまりいただけない。もちろん、意味としては納得できるのだが、あまりにもウィットが注入されていなさすぎやしないか。ここまで書いて気になったので、検索窓に説明を求めた。reddit で似たような質問がなされているを発見するも、投稿者たちのコメントを読む限りでは、そこにはとりたてて深い意味――たとえば何某の作品からの引用など――はないようである。作中にあれほどまでさまざまな作品にオマージュを捧げているのだから、もう少し表題にも捻りを加えてほしかった。もっとも、わたしや掲示板の彼らが気づいていないだけで、じつはれっきとした理由があるという可能性も否めないが。どなたかレファレンスに気づいた方や、独自の解釈をお持ちの方がいれば教えてほしい。

 

 

 閑話休題

 

 80年代に造詣のないわたしだが、それでも『E.T.』('83)や『未知との遭遇』('77)、あるいは『スタンド・バイ・ミー』('87)といった作品にオマージュが捧げられていることはすぐにわかった。だが、80年代に留まらず、近年の作品からの引用もしばしば見受けられる。たとえば、エルが感覚遮断フィルターによって没入する世界の様相は、『アンダー・ザ・スキン』('13)において女(スカーレット・ヨハンソン)が誘惑した獲物を誘い込む場所にそっくりであるし、第8章において、ウィルの救出に〈裏側〉へと向かった大人たちが、〈表側〉の青年たちと意思疎通してしまうというシーンに、『インターステラー』('14)で宇宙の涯から通信し合う親子を想起するのは自然であるだろう。

 わたしが冒頭において懐古主義に陥っていないと述べたのは、ひとつはそうした引用を無邪気なまでに明け透けに成し遂げてしまっているということだ。過去につくられた多数の作品群へのリファレンスの方法には、けしてスノッブな衒いは見受けられない。また同様に、次のようにも言える。たとえば、熱狂的なシネフィルであるタランティーノの作品は、古今東西のさまざまなフィルムから引かれてつくられている。なかには、それまでまったく光が当たっていなかったようなフィルムからの引用もある。そのような試みは、忘却のうちにある過去の作品に新たな息を吹き込むという点において評価されるべきではあるが、『ストレンジャー・シングス』は、そのような過去作との付き合い方とも異にしているように見受けられる。オマージュが捧げられているのは、映画史に残るようなSF作品の傑作や、80年代から90年代のアメリカにおいて、繰り返しテレビ放映がされているような人気作ばかりなのだ。すなわち、それはある限られたシネフィルの高見台の手淫というより、大衆的な過去の体験を再び顕現させる試みであるといえるかもしれない。

 

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 このドラマをつくりあげたダファー兄弟は、弱冠三十二歳の双子であるという。彼らはかつて、80年代の映画たちに情熱を見出し、その情熱をよすがにして育ってきた少年たちだったのだろう。きっとテレビに齧り付き、VHSを擦り切れるほど再生してきたちがいない。そのような少年の無条件な愛と情熱が、こうしてひとつの作品のなかに結実しているという事実に、わたしは感銘を受けずにはいられない。わたし自身が、彼らと同じ道を辿って来なかったとしても。

 この物語の中心にいる四人のオタク少年たちは、『スタンド・バイ・ミー』の少年たちでありながら、また同時に、きっと彼ら自身の姿、ひいては、なりたかった姿そのものなのではないか。少年少女たちは、ときとして学校の退屈な授業よりも大切な退っ引きならぬ事態に直面することがあるのだ。このドラマは、そうした子どもたちに、学校を抜け出してしまうことの尊さを説いているようにも見える。大人は判ってくれないかもしれない。だが、その経験はなににも代えがたいものとして後の人生に活きてくるはずだ。だからこそ、みずからの好奇心に忠実であれ、と。

 『ストレンジャー・シングス』の少年たちは、仲間のひとりの失踪をきっかけに、世界の秘密を探り当ててしまった。〈裏側〉の秘密へとたどり着いたのはけして偶然ではない。ナード予備軍の彼らは、学校というひとつの社会では一向に顧みられない存在であったとしても、彼ららしく輝くことのできる別のフィールドを有している。大人たちがあちこちを奔走して事件の解明に尽力しているのに、たった10歳の少年たちが答えにもっとも近づいているという痛快さは、ドラマの醍醐味のひとつである。このドラマの世界的なヒットを鑑みるに、〝ナードが世界を救う〟という、すでに古くなってしまった〈セカイ系〉の物語類型にも、まだまだ訴求力はあったのである。

 

 SFという観点からいえば、このドラマを特徴づけているのは、〈表側〉と〈裏側〉の往来の激しさだろう。〈裏側〉に逢着してしまった者たちでも、思いのほか簡単に〈表側〉の世界に戻ってきてしまう。わたしの経験則からすれば、異世界との垣根を超えるという事態は、物語のなかで大きなエネルギーが注力される場面であり、しばしばクライマックスに描かれる場合が多い。伝統的なセオリーに従えば、主人公以外の者たちが〈裏側〉へと足を踏み入れたら、二度と戻ってこれないのが通常ではないだろうか。だが、『ストレンジャー・シングス』では ―― 少なくともいまのところは ―― 彼らは現実へと簡単に帰還できてしまう。この往来の自由度の高さは、さきに述べた過去作品の引用についての無邪気な態度と関わってくるのではないか……と論じようと思ったが、あまりに暴論である気がするので、ここで口を噤んでおく。

 8つのエピソードが終わっても、〈裏側〉の世界にまつわるあれこれには、あまりにも多くの謎が残されている。世界各地での人気ぶりを見ていると、長いシーズンになることは間違いなさそうだが、いまの時点ではシーズン2以降はいかようにも展開できるだろう。なにしろリファレンスは数多にあるのだ。どこに振り切っていったとしてもおもしろくなるのではないだろうか。キャラクターはすでに立っているのだから。

 

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 最後にキャストのことについて述べておきたい。まず特筆すべきは、ウィノナ・ライダーの見事な復活だろう。長らく映画界から離れることを余儀なくされた彼女にとって、80年代への愛を放出させているこの作品をもって復活することは、おそらくは偶然ではあるまい。彼女が母親を演ずる年齢に達したというのは感慨深いことかもしれないが、往年の美しさは、それほど失っていないように見える。彼女の声だけは、わたしはどうにも受け付けられないのだが、演技にかんしては、息子を失って精神に異常を来す母親をまったく素晴らしく演じていたように思う。

  デヴィッド・ハーバーは、『ブラック・スキャンダル』にも出演しており、和やかな食卓の雰囲気でジョニー・デップの殺気を察して怖気づく警官を見事に演じていて、覚えておかなければならないと思った役者だった。思いのほか早く再会することができた。シーズン2でも、中心人物として関わってくれることは間違いないので期待している。

 そして、子役たち。マイク役の Finn Wolfhard、ダスティン役の Gaten Matarazzo、ルーカス役の Caleb McLaughlin という三人の少年たちは、それぞれが個性にあふれていて、今後が楽しみな俳優である。第8章の最後で、冒頭と同じシーンをウィルを交えて四人で演ずる場面があるのだが、残酷なくらいにウィル以外の子役たちが巧くなっていて驚いた。やはり子どもの成長は、おそろしいほど早いのである。

 だが、なんといっても、エル(イレブン)を熱演したミリー・ボビー・ブラウンに最大級の賛辞が送られるべきであろう。若き日のナタリー・ポートマンを想起させる美貌の持ち主だが、ポートマンよりも才能に富んでいるように見受けられる。YouTubeでゲストとしてテレビ番組に出演している動画をいくつか見たのだが、まったく物怖じせずに向かっていく気丈な性格をしているようだ。『ストレンジャー・シングス』では、ネイティヴと遜色のないほど奇麗なアメリカン・イングリッシュを披露していたが、イギリス人ということもあって、実に美しいブリティッシュ・アクセントできびきびと話す。わたしは、ハリー・ポッター・シリーズの最大の功績のひとつはエマ・ワトソンを発掘したことだと思っているのだが(女優としての評価というより、彼女のフェミニズム活動家としての貢献は計り知れない)、彼女には第二のエマ・ワトソンとして名声を轟かせてほしい。彼女が出演している映画、無条件で観に行ってしまうだろうなあ。今後も目が離せない女優のひとりである。

 

 というわけで、たいへん散逸してしまった『ストレンジャー・シングス』の感想もここらへんで畳むことにする。シーズン2のリリースはいつアナウンスされるのだろう。おそらく、シーズン1同様、同時に全話公開となるだろう。翌日になにも予定のない日にリリースされればいいな、と密かに願っておく。

 

2016年、美術鑑賞の記録

 テレビで日曜美術館の「ゆく美くる美」の特集を録画しておいたものを観た。せっかくなのでわたしも、2016年に足を運んだ展覧会のことを振り返っておこうと思う。美術に触れるという意味では、さほど充実していたとは言えなかった一年だったが、新たな一年への決意をするためにもきちんと書き記して消化しておく。

 

 その前にしばし立ち止まって、このあいだ美術史を専攻していたという知人と話をしていたときに、印象に残ったことを記しておきたい。彼女は、美術史の研究者から「一年につき東京で開催されている50ほどの企画展に足を運ぶことを10年続ければ、美術史にとって重要な作家や作品の大半を見たことになる」といわれ、社会人となってからもかならず50の展覧会に行くことをノルマとして自身に課しているという。もうすぐ十年が経とうとしているが、その教えは正しかった。確かに自分のなかに美術史の総体への見取り図ができあがりつつあることを身をもって実感しているからだ。彼女はわたしにそのように語った。

 他の芸術と比しても、たとえば映画という分野であったら、そういうことはまず起こらないのではないかと思う。一年のうちに新たに公開される映画作品の数は、すべてをコンプリートするのが物理的な不可能なほどであるし(それでも全盛期に比べればひどく減少しているのだ)、映画史はわずか120年あまりの齢といえども、あまりにも作品の数が多すぎるうえ、一作品につき一時間を超える絶対的な時間を要するので、教養としては嘘をつきにくい。作品や作家についての評価が定まっていない場合も多く、いわゆる普遍的な見取り図ができるとは思いにくいのだ。わたしとしても、そのような試みを完遂することに、ほとんど諦念を抱いている(なかにはそれを達成しようと目論む若き猛者もいることにはいるのだろう)。

 少なくとも確かなのは、映画史についていえば、さきに述べた美術史と同じようなノルマは存在しないであろうということだ。もちろんわたしは、美術史が映画史に比べて狭小な世界のうちにあるだとか、そういうことを言いたいわけではない。むしろ逆で、映画史と美術史を対置させるとき、その長さについてはさながら三歳の幼児と八十歳の老人を並べるようなものであろうし、現代美術については、映画と同様、いままさに評価の定まらない新たな作家たちが世界各地でひっきりなしに登場していることだろう。それでも、わたしの個人的な印象からいえば、かほどまでに多様に肥大し、その多くがエンターテイメントとして世俗化してしまった映画芸術を〈歴史〉として拾い集めるという行為は、美術のそれと比して非常に収まりが悪いのではないか、と感じている。

  ともあれ、わたしにとってはそのような態度が当たり前だったので、さきの50の企画展の話を聞いたときには大きな驚きがあった。美術史についてはまったく知識をもたず、ただ漠然たる興味だけがあった数年前まで美術という世界の広大さに尻込みしていたわたしにとって、それは意外に思えたのだ。そして、そのような芸当が東京でできてしまうということにも驚かされた。つまり、東京の美術シーンの一翼は、優秀な学芸員たちの尽力によって支えられているということだろう。

 

 さて、2016年の話に戻る。一年に50の企画展という話を聞いて、わたしもそのノルマをクリアしようと決意をしたものの、その数は遥か及ばずたったの11にとどまった(釈明するならば、その話を聞いたのは、2016年も終わりに差し掛かっていた頃だったのである)。以下に足を運んだ美術展をリストアップする。

 なかでも印象的だったのは、ジョルジョ・モランディ展とトーマス・ルフ展の二つである。どちらもたまらず図録を購入した。モランディ展は、東京ステーションギャラリーの歴代来場者数の一位を記録したらしい。とはいえ、わたしは会期の比較的すぐ、平日の午前中に足を運んだので、ノイズとならないくらいのほどよい来場者数で大変気持ちがよかった。

 モランディの作品の実物をまともに見たのははじめてだったが、すっかり恋に落ちてしまい、春にはイタリアを旅行した際、たまらずボローニャの Museo Morandi に足を運ぶまでだった。ただ、まだ東京のモランディ展は会期中であり、ほとんどの作品は貸付されていて本場の美術館はたいへん淋しくなっていた。そんなことは、すこし考えればわかることである。所蔵作品がほとんどなくなっているモランディ美術館に行くぐらいなら、画家が生涯の大半離れることはなかったというフォンダッツァ通りの生家を覗いてみるべきだった。自分の頭の悪さに苛立つ。

 

 モランディ美術館然り、海外の美術館にはいくつか足を運ぶことができた。ボローニャでは、モランディ美術館はMAMbo(Museo d'Arte Moderna di Bologna)と呼ばれる現代アートの美術館と併設されており、そちらのほうもちらりと覗いた。時間がなかったので観るのは叶わなかったのだが、ちょうどパゾリーニの企画展が組まれていて、それもおもしろそうだった。そのほかのイタリアでいえば、フィレンツェウフィツィ美術館(Galleria degli Uffizi)、ヴェネツィアのアカデミア美術館(Gallerie dell'Accademia)に足を運んだ。ヴェネツィアのアカデミア美術館は、ヴェネツィア訪問3度めにしてようやくの訪問となった。ウフィツィの天井画がいちいち素晴らしく、わたしはしきりにカメラを天に向けて撮っていた。もちろん、ウフィツィやアカデミアなど、一度足を運べばいいものではない。イタリアに行くたびに、訪問を検討することになるはずである。

 パリにいたときは、もはや恒例行事となっているが、ルーヴル、オルセー、オランジュリー、ポンピドゥ・センターにも一ヶ月の滞在中にいくどか駆けつけた。何度いっても飽きることはない。オルセーでは、アンリ・ルソーの企画展がすばらしいキュレーションと演出で組まれており、フランスの美術界の強さをまざまざと見せつけられたような感想をもった。

 ほかにも、ギュスターヴ・モロー美術館(Musée Gustave Moreau)、マルモッタン・モネ美術館(Musée Marmottan Monet)、ケ・ブランリー(Quai Branly)などをはじめとして、ほかにもいくつか足を運んだ気がするものの、すぐに思い出せない。イタリアもフランスも、美術があちこちに存在しているので、身支度をして心構えをもって美術館にいくという感覚にはなかなかならない。生活と美術を線引きするのが難しいのだ。そのことこそが、たとえば遠藤周作『留学』で描かれたような、ヨーロッパの歴史ある街の息苦しさにも繋がってくるのだが。

 

 今年はヨーロッパに足を運ぶことがあるだろうか? 余裕があれば、ふらりと遊びにいくかもしれない。ともあれ、わざわざヨーロッパまで絵画に会いにいかなかったとしても、10年待てば、大抵の有名な作品は東京までやってきてくれるかもしれない。その一年めということで、今年は50くらいの企画展を回ることができればいいなと思う。いちばんの敵は怠惰である。

 2016年は怠惰に負けて、気づけば「鈴木基一展」も「黒田清輝展」も「メアリー・カサット展」もいけなかった。東京都美術館若冲展については、さすがに炎天下のなか2時間も3時間も並ぶ気にはならなかった。そのような苦行を強いられることも意に介さず若冲に執心している者たちが、あれだけいるという事実には大変驚かされた。

 今年は、国内で美術館をめがけていくつか旅行をするのもいいかもしれない。それこそ若冲であれば、国内ではいろいろなところで見れるのだろう。このようにぐるぐると考えている時間はなによりも楽しい。

 

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ミケランジェロ広場よりヴェネツィアの街並み, 2016年4月撮影)

『天空からの招待状(看見台湾)』で寝落ちをするよい暮らし(という妄想)

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 わたしはこの数週間、台湾に執心している。インターネットの大海で「台湾」の文字が浮遊していないかとつねに目を光らせているし、友人たちと食事をするとなったら積極的に台湾料理店を選ぶようにしているし、侯孝賢や楊德昌といった台湾の監督たちのフィルムモグラフィーをひとつひとつ攻略しようと画策している(『牯嶺街少年殺人事件』の25年振りの復活上映も心待ちにしている)。熱が昂じて、ついには台湾へのはじめての渡航を今月に企てていたのだが、残念ながら見送ることになってしまいそうだ。とはいえ、できれば年内にかの土地を踏んでおきたいとも考えている。

 わたしのお気に入りの書き手である四方田犬彦が台湾について書いていたよなあと、すぐに『台湾の歓び』(岩波書店, 2015)をもとめて読破した。媽祖についての考察、さまざまな作家たちの足跡をめぐる旅、大学生たちによる立法院占拠のルポルタージュなど、いわゆる紀行文とはまったく毛色の違った氏の文章を、いつものように大変おもしろく読んだ。

 

 さて、この台湾をめぐるエッセイのなかで、とあるフィルムが紹介されていた。『天空からの招待状(看見台湾)』というドキュメンタリーである。四方田が台湾に滞在していた2014年ごろに本国で封切られたフィルムだが、映画にとりたてて興味をもっているわけではないような数多くの台湾人たちから勧められたとある。「この映画を観るまで、自分の住んでいる国がこんなに美しい国であると知らなかった。台湾を小さな国だと馬鹿にしている外国人には、ぜひこの雄大な景色を知ってもらいたいと思う」、と。

 早速DVDを探して観ることができた。『看見台湾』は、ある特殊なドキュメンタリーである。キャメラの被写体は、台湾各地の景勝地の雄大な自然であり、めざましい成長を遂げている最中の都市であり、そうした各地に暮らす人々である。その点に特筆すべき点はない。注目すべきは、そうした一切が、すべて空撮で撮られているということだ。キャメラが地上に降りることはなく、淡々としたナレーションのもとに、鳥瞰映像が展開されていく。

 監督は、航空写真を長きにわたって撮りつづけてきたチー・ポーリンという人物だ。この企画を立ち上げてから予算繰りに苦労していたところ、侯孝賢の目に止まり、彼の全面的なサポートによって完成したそうだ(侯孝賢はエクゼクティブ・プロデューサーとしてクレジットされている)。脚本とナレーションには呉念眞(ウー・ニェンチェン)、協力者には雲門舞集というコンテンポラリー・ダンス・カンパニーを主宰する林懐民(リン・フアイミン)。わたしは、この二人のことはよく知らなかったが――もっとも林懐民については、『台湾の喜び』のなかで考察が展開されている――、四方田の言に従えば、いまの台湾で考えられうるもっとも知名度の高いメンバーであるという。

 数多くの台湾人に高く評価されている点を踏まえ、四方田はこのフィルムのなかに、台湾におけるイデオロギーの集約を認めており、バルトを引きながら考察を展開しているのだが、わたしはそのことについてはよくわからない。というのも理由は簡単である。いままで合計で三度も挑戦したのだが、最後まで見終わることなく、眠りに落ちてしまったからだ。

 

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  いったいどうして寝落ちしたために鑑賞に能わなかった映画のことをお前は書いているのかと訝しむ向きもあるかもしれない。それについてはごめんなさいとしか言いようがないのだが(笑)、それでもなお、わたしはこのフィルムはまったく素晴らしかったと言いたい。飛び抜けてすぐれた催眠映像に仕上がっているからだ。

 

 絶景を紹介するようなテレビ番組はこの世に数多とあるが、このドキュメンタリーは、そうした量産されている番組とはその規模において明らかにちがう。すべてが鳥瞰図であるゆえか、枠内にはノイズとなるようなものが一切登場せず、純粋に映像に没入できるのである。そこには非常に高い撮影技術が認められる。

 また、中国語のナレーションが入っているというのもいい。まったくわたしが解さない異国の言語が、美しい映像のうえに乗っていくということの快楽。DVDには西島秀俊による日本語のナレーション版もあったので、そちらでも挑戦したのだが、わたしの感じていた心地良さの多くが失われてしまっていたため、すぐさま中国語版に切り替えた。そして、案の定、寝落ちした。

 

 異国の情景、異国の言語。わたしは、なんならこのようなドキュメンタリーを世界各国につくってほしいと願う。床に着く前にどの国のドキュメンタリーを観るか決め、部屋を暗くし布団をかぶり、就寝の準備をすべて整えたうえで、再生する。瞼が重くなっても、しばらくは異国の言語が耳に届くだろう。そうして、いつのまにか眠りに落ちているのだ。夜中に目が醒めたら、トップメニューに戻って、メインテーマが奏でられたまま、画面は煌々と照っている。寝ぼけ眼のまま電源を落とし、再び眠りに就く。

 翌朝、結局最後まで観られなかったな、と軽いため息をついて、DVDを棚に戻す。日中の大半にはきれいさっぱり忘れているかもしれないが、ふとした折に、夢現で昨夜に見た美しい自然の情景が視界を散らつくのだ。

 

 ああ、なんという至福。わたしにとってのよい暮らしの理想形のひとつである。というわけで、以上です。

ギュスターヴ・モロー美術館 ――十九世紀という〈崇高〉の経験

 今年の春、とある理由で一ヶ月ほどパリに滞在することになったのだが、そのときに訪れたギュスターヴ・モロー美術館(Musée Gustave Moreau)での体験を記しておきたい。わたしはこのとき、崇高の意味を知ったのだった。

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 ギュスターヴ・モロー美術館は、パリ9区、サントトリニテ教会(Église de la Trinité)からサンラザール通りを東に歩き、小さな路地に入ったすぐの場所にある。これがまったく愛すべき素晴らしい美術館で、もともとは画家の邸宅だったのだが、死後に本人が所蔵していた作品とともに国へと寄贈されたようだ。モローの作品は、これまでいくつかの作品を別の場所で見たことがあったが、これほど豊潤なコレクションを惜しげもなく、所狭しとひとつひとつの部屋に並び立てている展示の様子には大変な感銘を受けた。モローの作品は、ホワイトキューブにうやうやしく飾り立てられるよりも、いくらか猥雑な場所での展示によってこそ真価を発揮するのではないか。そのように思わされたのである。

 

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 写真にあるような、美しい螺旋階段を昇る(訪問者にとって、これが唯一の昇降口なのである――まったくもって素晴らしいとしか言いようがない)。ひとつひとつの段差を昇っていくにつれ、周囲にかけられた絵画たちの見せる表情は変わっていく。ほとんどの美術館においては、このような鑑賞の方法は許されていない。絵画を見る視線の遠近については自由が与えられていたとしても、視線の高低を自由に変更できるというのは、わたしの記憶のうちにはほとんど近しい例が見当たらない。

 

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 そのようにして四階に着いたとき、わたしの眼にはひとつの絵画が飛び込んでくる。わたしはそのキャンバスが現前する世界にたちまち取り込まれ、その場から暫く動けなくなってしまう。玉座に鎮座する異教の女神のまなざしに、豪華絢爛を尽くした世界の魑魅魍魎たちに、わたしは釘付けになってしまったのだ ―― そのような瞬間が到来したとき、わたしたちは、身体が携えているすべての感覚を、怖じけずに絵画のなかの世界に預けてみるべきだ。魂が震えるような感動のなかに、全身全霊を浸してみるべきだ。わたしは動けなかった。激しく脈打つ心臓を止めることができなかった ―― それは、紛れもなく〈崇高〉の経験そのものだったのだ。

 

 先日、森有正のエッセイを読んでいて、次のような文章に行き当たった。あるとき、イタリアの土地で女体の彫像の美に囚われた瞬間を回想した文章である。

"その瞬間に僕は、自分なりに、美というものの一つの定義に到達したことを理解した。それは、僕にとって、人間の根源的な姿の一つであった。それはそれで一つの理解ではあろうが、僕にとって一番大切だったのは、そういう数限りのない作品が、一つ一つの美の定義そのものを構成しているのだ、という驚くべき事態であった。換言すれば、一つ一つの作品が、「美」という人間が古来伝承してきた「ことば」に対する究極の定義を構成しているという事実だった。作品はもうこれ以上説明する余地のないぎりぎりの姿でそこに立っているだけだ。"
(『遥かなるノートルダム』より「霧の朝」)

 わたしはこの文章を読んださい、ただちに先に述べたギュスターヴ・モローの手による《ジュピターとセレーヌ(Jupiter et Sémélé)》と対面したときの経験を思い起こした。森有正の経験の内実はわからない。だが、それはわたしの経験のそれと近しいものであったのではないだろうか。「古代の人はこういう事態に美、イデア、フォルムなどの名を命じたに相違ない」と彼は書き留めている。美の経験とは、ひとつの崇高性の経験にほかならない ―― 美とは欲望の対象であり、同時に近づきがたさなのだ。そうした美の立ち姿が、〈聖なるもの〉に転移してゆくのは当然のことである。わたしはモローの絵画にそう教えられた気がした。

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 わたしが十九世紀の象徴主義美術に惹かれるのも、そうした崇高性が至るところに潜んでいるからであるように思う。一方では、ルドンの〈黒〉のように陰鬱で孤独な世界があり、他方ではモローの聖性の世界を前に戦慄する。その暗さは、ラファエル前派のロマンスと表裏一体のものであるだろう。そして、そうしたもののすべてに、ある種の特殊な〈崇高〉があるような気がしている。その正体はなんだろうか? まだ答えは出ていない。ひとつの直観がわたしに語るのは、十九世紀から二十世紀へと移行するにあたって、その〈崇高〉はいくらか失われてしまったのではないか、という仮説である。

 だが、同様にその仮説を辿っていくためには、まだまだわたしには経験が足りていない。ギュスターヴ・モロー美術館を再訪することはもちろんのこと、十九世紀を探索する旅が要される。その旅は果たして終わりを見ることはあるだろうか。いまのわたしには、皆目わからない。

 

(掲載写真はすべて 2016年4月, パリにて撮影)

阪神タイガースの2016年、来季への無邪気な期待とともに

 2016年のシーズンが終わってから数ヶ月が経ち、年の瀬を迎えるにあたって、すでにプロ野球観戦の禁断症状が出かかっている。症状のひとつは、とくにおもしろい記事は見当たらないはずなのに、やたらとインターネットでスポーツニュースを覗きにいっているということだ。わたしの購読している新聞のスポーツ欄には、プロ野球はといえば契約更改のことが細かく書かれている程度なので、代わりにオンラインのニュースをひたすらに読み漁っている。オフ・シーズンはいろいろと妄想が膨らみ、ただただ希望に満ちている。「こうなって、こうなって…」と優勝へのシナリオを描くような希望的観測ばかりが心を横切っていく。とはいえ、いくら妄想を重ねたところで仕方がないので、本来ならばオフのあいだはきれいさっぱりと野球のことは忘れて、ほかの物事に熱中するべきなのかもしれない。わたしの可処分時間は限られていて、そのことにつねに焦りを感じているぐらいなのだから。まあ、それができれば苦労しないのだが。
 

 せっかくなので、阪神タイガースの2016年を振り返っておく。わたしは小学生のころから阪神ファンを自認しており、星野監督と岡田監督時代の阪神タイガースをよく観ていたのだが(2003年と2005年の優勝!)、それから2014年に至るまでプロ野球への関心をすっかり失ってしまっていた。海外に滞在しているとき、わたしのなかのノスタルジアが悪さをしたのか、野球熱がぶり返し、2015年のシーズンから阪神ファンに復帰することとなる。2015年同様、2016年もよく試合を観た。スタジアムで観戦したのは今年は神宮球場の一試合に限るが(生ビール半額ナイトの恩恵には十分に預かった)、テレビの前で懲りもせず呻いたり叫んだりする日々が続いた。趣味をスポーツを観戦とすることは、精神の健全に直結するので、非常によいものだ(と辛うじて自己肯定を試みている)。
 

 新たに金本監督の指揮のもとスタートした阪神タイガース。はじめは「超変革」というスローガンのネームセンスの無さに失望しきりだったが、いつのまにかわたしもそれを語彙として獲得してしまい、阪神の話題が上るときに「超変革」を多用してしまうほどだった。結果から見れば、セ・リーグの4位、Bクラスとなってしまったのだが、わたしは「超変革」はひとつの成功を収めたといっていいのではないかと考えている。

 それは鳥谷のスタメン落ちであり、北條の台頭であり、原口の支配下登録からの飛躍であろう。すなわち、積極的な野手の若手起用である。ドラ1の高山についてはいうまでもなく(すでにこのブログに高山俊についての文章(「高山俊は明らかに頭がいい」)は書いている)、中谷や板山といった、将来が楽しみな選手の姿も一軍の試合で頻繁に見れたことは大きい。ヤフコメの虎党たちを見ていても、外国人選手やFAでその場しのぎの戦力を補強に走るより、すぐに優勝はできずにBクラスに甘んじたとしても、ゆくゆくは長期にわたって優勝争いができるような戦力をじっくりと育成してほしいと願う者が多いようである。同じ戦力であれば若手を起用すると金本自身が明言しているが、チームにとって20歳と35歳のポテンシャルのどちらを大切にするべきかという問いの答えは明白であり、金本の方針は正しい。

 

 ただし、今年のカープの圧倒的な強さを鑑みてもわかるように、若手だけの力では優勝までは辿り着かないことも然りである。よくいうように、若手とベテランの力が相乗効果で組み合わなければいけないのであり、要するにその両者のバランスをどう配分するかということを問われているのである。バランスで考えれば、和田監督の時代は、江越や梅野といった幾人かの若手選手は積極的に起用されていたものの、やはりベテランに偏重ぎみだったといえよう。彼の時代、北條や陽川や中谷はずっと二軍で活躍しているという話を聞いていたのに、一軍にはほとんど上がってこなかったし、上がってきたところで出場機会が与えられるのはごく稀だった。

 どのような配分が正解なのか? これは非常にむずかしい。数字には測りきれないチームの雰囲気や各選手の人柄というものがあり、どのような組み合わせがハマるかということは素人目には何とも言いがたい。それを見極めることこそが、選手たちを間近で見守り、彼らと指導者という立場でコミュニケーションできる監督に定められたもっとも重要な責務であるだろう。今季は4位という結果に終わったが、この観点における金本監督の働きは、概ね満足している。あえてメッセンジャーを2016年の開幕投手に任命するところなど、うまく場の雰囲気をつくっていくことには長けているように見える。

 

 ベテランのいぶし銀より、若手の躍進に心が踊らされる。たとえば、原口という選手の物語には、夢と浪漫がつまっている。育成選手から支配下登録、1軍の出場に託つけた際には、自身の背番号の記されたユニホームの調達が間に合わず、「YAMADA」と書かれたコーチのユニホームを代用したまま出場し、二打席目にしてヒットを放ってしまう。そこからの躍進劇。長いあいだ怪我に泣かされて燻ってきた苦労人が、瀬戸際から一気に月間MVPを獲得するまでの破竹の活躍譚は、多くの者の心を掴んで離さない。もちろん、わたしもその一人である。

 原口は不思議な選手だ。あの打撃フォームで一振りすれば、なぜか打球はスタンドに届いてしまう。シーズン終盤にかけては調子が落ちてきていたが、ここぞという場面で必ず打つ時期もあった。何も根拠がないのに、打つに違いないという予感を見事なまでに回収することのできる選手である。

 わたしとしては、本人も明言しているように、来季は捕手一本でやっていってほしい。もとよりあまり梅野には期待がもてず、坂本も好きな選手ではあるが、まだ時期尚早という気がする。なにより、原口にはバッターとして輝く捕手となってほしいし、そのポテンシャルは十二分に秘めているように思う。今年一軍の試合出場を重ねたことで、本人の守備の課題はより明白になっただろうし、充実したオフを過ごしているのではないだろうか。WBC の選手を見てもわかるとおり、日本球界はいま深刻な捕手不足に陥っている。原口が日本を代表するような捕手になるためには、来季は正念場となるだろう。

 

 他の若手野手でいえば、北條と中谷のセンスにも大きな期待を寄せている。北條に至っては、今季は一軍の経験を積んだことで、着実に成長をしているように見える。ポスト・鳥谷として、今後の不動の遊撃手としての活躍に期待。中谷も、スケールの大きいバッターであるということは、今季の姿で十分に伝わった。外野手として守備に磨きをかけ(一塁手としての起用もありうる)、ゆくゆくは4番あるいは5番を打てるような、福留のような攻守揃った選手になってほしい。

 福留には本当に助けられた。来季はキャプテンを務めるオジさんには、まだまだ働いてもらわねばならない。ゴメスの不調や鳥谷の失墜に大きく振り回された一年だっただけに、ドメさんの意地には脱帽ものである。とはいえ、やはりひとりでは打線は躍動しない。打線が〈線〉として機能したのは、もしかすると今季数試合に限られるのではないか。打者一巡もさほどなかったし、残塁の数の多さといったら目も当てられない。とにかく得点力に欠けるチームである。 糸井の入団によって(ようこそ!)、打線の厚みが出るのではないか。

 

 一方、投手はどうだろうか。先発の柱が、阪神ほど盤石なチームはいないという開幕前の識者の評はなんだったのか。そういえば、タイガースを今季のリーグ優勝の筆頭候補に挙げていた者も幾人かいた。先発のメッセンジャー、藤浪、能見、岩田という4本柱の安定感はリーグ随一のもので、ここに岩崎や岩貞が入ってくれば…という話だったと記憶している。蓋を開けてみると、藤浪は不調、能見もいまいちうだつが上がらない、岩田は散々な一年で二軍暮らし。岩崎はあと一歩なにかが足りない。結局のところ、4本柱のうちで、活躍を収めたのはメッセンジャーだけだった。メッセンジャーという選手はかわいい。198cmの巨体だが、かわいさでいうとタイガース随一である(当社調べ)。

 一番のニュースは、岩貞の覚醒である。まったくもって素晴らしい投手だ。これほどのポテンシャルを秘めていたのかと驚きの連続だった。夏場に少し調子を落としたが、9月は5連勝で文句なしのMVP獲得。最後に2桁勝利に乗せてくれたことがうれしい。左腕の名先発は近年少なくなっているので、すでに球界にとっても貴重な存在になりつつある。来季、先発の柱として10勝は計算されるようになると思うので、重圧に負けずに、沢村賞獲得まで狙ってほしい。

 沢村賞に関連していえば、藤浪である。2015年の沢村賞に絡む水準での活躍もどこへやら、今季は非常に苦しんでいた。マウンド上で首をひねる様子をいったい何度見たか。藤浪は頭のいい選手である。それは間違いのないことだ。だが、今季はその頭のよさに足元を救われた気がしている。本人も、今季はいろいろなことをやりすぎてしまって、シンプルな野球ができなかった、と語っていた。確かにシンプルでいいのだ。ゆくゆくは頭脳派投手になっても、いまは若さと才能で打者へと向かっていくだけの能力は十分にあるのだから。しばしば大谷と比較されるが、わたし個人としては、それは仕方のないことであると思うし、比較対象であることを糧にしなければいけないとすら思う。かつて甲子園を舞台に戦った両エースが、日本球界を代表するエースに成長するというシナリオにもっと胸をときめかせてほしい。

 

 リリース陣。藤川球児に往年の勢いはもうない。藤川全盛期、それもJFKの時代からずっと見ているので、そのことには一抹の寂しさを感じる。不安藤はあまり顔を見せず、福原は引退してしまった。あのころの選手は、気づけばほとんど残っていないのだ。

 明るいニュースといえば、マテオとドリスだろう。マテオの三イニング跨ぎ登板という事件も起きたが、シーズンを通じて、怪我で抹消されたことを除けば、安定した成績を残した二人である。数字でいえば、期待以上の成績を残したといえるのではないか。ドリスの去就がまだ決まっていないようだが、ぜひとも残ってほしい。わたしは、ドリスが大好きなのだ。というのも、彼の性格のよさを買ってである。来日してまだ日が浅いころ、ドリスがはじめてヒーローインタビューに立ったのだが、なんと日本語で三言くらい言い放って、観客たちがいまいち状況を飲み込めずにざわついたことがあった。ああ、わたしがあの場にいたら大声を張って応えていたのにな。日本語を学ぼうとしている姿勢、日本文化に溶け込もうとしている姿勢が見れるのは、こちらとしても気持ちい。来季には、新たにやってきたメンデスと並んで、JFKならぬDMMの黒人トリオとして黄金時代を築いてほしいと密かに願っている(外国人選手の登録人数がネックになるのだが、2018年度のシーズンではメッセが日本人扱いになるのでいけるかもしれない)。

 先発としてはスタミナ不足が祟っていまいちポテンシャルを発揮しきれていなかった岩崎が、シーズン終盤にリリーフに配置されて、キレのいいストレートを投じたことがあった。わたしはこの配置転換はいけるのではないかと思っている。キレのいいストレートといえば、石崎にも期待している。怪我さえなければ、今年もっといい成績を残していたのは間違いないだろう。青柳もはじめは懐疑的だったが、だんだんコントロールをつけられるようになっていたので、来季は先発ローテを守ってくれることを信じたい。

 

 

 というわけで、以下、来季の開幕スタメンを予想してみる。

(中)糸井
(遊)北條
(左)高山
(右)福留
(捕)原口
(一)キャンベル
(二)鳥谷
(三)大山
(投)メッセンジャー

 大山は、高山のあとに続いて新人王獲得できるくらいの活躍に期待している。オープン戦次第ではあるが、あえて開幕スタメンに名を連ねた。佐々木を逃してのドラフト一位指名なのだから頑張ってもらわないと。鳥谷が下位打線にいるということで、相手に怖さを与えられるくらいの活躍が見たい。

 先発ローテでいえば、メッセンジャー、藤浪、岩貞、青柳は当確として、ここに能見と秋山あたりが絡んでくるだろうか。ノウミサンにもまだ働いてもらわないとならない。もう少し先発の計算できる枚数がいればな。今年のドラフトはどうなるだろうか。

 

 •••••• しかしこれ、優勝しかないのでは?

 

 

 ああ、5,000字も書いてしまった。そもそもこんな話は、呑み屋で済ませておけばよくて、わざわざエントリにするほどでもないのだ。こんなことにわたしの可処分時間が奪われてどうする。したがって、阪神タイガース、あるいはプロ野球を愛好し、わたしとの野球の話にお酒を片手に付き合ってくれる友人を探しています。来季は一緒に野球観戦に行きましょう。神宮のナイターは最高です。

 

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