ルカス・クラーナハ(Lucas Cranach der Ältere, 1472-1531)は、ドイツのクローナはに生を受けたルネサンス期の画家である。ヴィッテンベルクで工房をひらき、ザクセン選帝侯であるフリードリヒ三世の宮廷絵師となった。息子も同名の画家であり、工房の跡継ぎとなったので、しばしばクラーナハ(父)と記される。81歳で没したということだが、当時の平均寿命から鑑みれば、かなりの長生きといえるだろう。工房はかなりの弟子を抱え、たくさんの仕事を受注していたというし、選帝侯に仕えていたというだけに、画家の暮らしぶりはかなり恵まれていたのだと容易に想像ができる。
FESPACO 2017(第25回)の長編フィクション部門の選出作品が発表された。FESPACO とは、ブルキナファソの首都ワガドゥグで二年に一度開催される映画祭 Festival Panafricain du Cinéma de Ouagadougou(ワガドゥグ全アフリカ映画祭)の通称であり、ブラック・アフリカにおいてもっとも大きい映画祭である。
BILATENA(The Golden Child)という長編作品をすでに撮っているようだが、驚くほど監督の情報が出てこない。唯一、本人と思しきFBが出てきて、最近の投稿でガールフレンドへの愛を表明していた。ほんの個人的な直観にすぎないが、エチオピアの映画界には期待している部分があるので、今後の活躍に期待といったところか。
« Lilia, une fille tunisienne » (Mohamed Zran 監督, チュニジア)
監督にとって長編六作目か。"Le casseur de pierres"('89)は、カンヌの「ある視点部門」に出品されている。2016年にロンドンで催された世界映画作家国際映画祭には本作が出品され、主演の Abdelkader Ben Said に俳優賞が授けられている。現代的な感性をもつ若い女性を主人公に据えて、チュニジアの女性への社会的抑圧についてを主題として扱っているようだ。
"I don't want to be like them, they want to be like me." というジェシーのナルシシズムに満ちた科白を憶えているだろうか。物語を最後まで追うと判明するのだが、じつは女たちは、"want to be like Jesse" という欲望の奥底に、"want Jesse" という直接的な欲望を抱えていたのである。レズビアンの指向があるルビーは、ジェシーの身体を欲するが、激しい拒絶に遭ってしまう。このことが契機となって、のちの犯行へと発展する。
ジェシーがプールの奥底に突き落とされたあと、親切にも深紅に染まった湯船で血浴みするルビーや、シャワーを浴びながら血を洗い流すジジとサラが描かれる。そして、時を経て、新たな仕事に向かうジジとサラだが、灼熱の太陽と海を背にポージングをしているさなか、突如としてジジは体調を崩す。室内へと逃げ込み、激しく咳き込んで血まみれになった眼球を吐き出すのだ。それは、紛れもなくジェシーの眼球であろう。彼女は腹部を抑え、"I should get her out of here"と叫んで、みずからナイフを刺し、血を流して死んでしまう。その姿を冷ややかな目で見届けたサラは、まったく落ち着きを払った様子で、その場を後にする。エンドロール。
モランディの作品の実物をまともに見たのははじめてだったが、すっかり恋に落ちてしまい、春にはイタリアを旅行した際、たまらずボローニャの Museo Morandi に足を運ぶまでだった。ただ、まだ東京のモランディ展は会期中であり、ほとんどの作品は貸付されていて本場の美術館はたいへん淋しくなっていた。そんなことは、すこし考えればわかることである。所蔵作品がほとんどなくなっているモランディ美術館に行くぐらいなら、画家が生涯の大半離れることはなかったというフォンダッツァ通りの生家を覗いてみるべきだった。自分の頭の悪さに苛立つ。
モランディ美術館然り、海外の美術館にはいくつか足を運ぶことができた。ボローニャでは、モランディ美術館はMAMbo(Museo d'Arte Moderna di Bologna)と呼ばれる現代アートの美術館と併設されており、そちらのほうもちらりと覗いた。時間がなかったので観るのは叶わなかったのだが、ちょうどパゾリーニの企画展が組まれていて、それもおもしろそうだった。そのほかのイタリアでいえば、フィレンツェのウフィツィ美術館(Galleria degli Uffizi)、ヴェネツィアのアカデミア美術館(Gallerie dell'Accademia)に足を運んだ。ヴェネツィアのアカデミア美術館は、ヴェネツィア訪問3度めにしてようやくの訪問となった。ウフィツィの天井画がいちいち素晴らしく、わたしはしきりにカメラを天に向けて撮っていた。もちろん、ウフィツィやアカデミアなど、一度足を運べばいいものではない。イタリアに行くたびに、訪問を検討することになるはずである。