"灰が盛り上ってその中から半体の赤ん坊が生れるとたちまち、その赤ん坊は低い声で話しはじめたのだが、わたしたちは素知らぬ顔をして、出発した。すると赤ん坊は妻に、「待ってくれろ。わしもいっしょに連れていってくれろ」と、話しかけてきたが、それには構わず、わたしたちはドンドン歩いていった。それを見て彼が、あいつら、めくらにしてやれ、と命じると、わたしたちは、たちまちめくらになってしまった。が、それでも彼を連れに戻らずドンドン歩きつづけた。それを見た彼は、またもや今度は、あいつらの息の根をとめてやれと命じると、全くのところわたしたちは、息ができなくなってしまったのだった。呼吸ができなくてはどうしようもないし、わたしたちは引き返して、彼を連れていくことにした"(p.42-43)
妻の左手の小指がふくれあがって産まれてきた赤んぼうは、ありとあらゆるものを食い尽くす、さながら怪物のような赤んぼうであった。主人公と妻は赤んぼうごと家を燃やし、その場を去ろうとするのだが、積み重なった灰のなかからふたたび赤んぼうが産まれてきた。わたしたちは素知らぬ顔をして出発しようとしたが、赤んぼうが息の根を止めてしまったので、息ができなくてはどうしようもないと、わたしたちは引き返して赤んぼうを連れていく。
どこから突っ込めばいいのかわからない。あまりにもずれが多発しているので、じつはそれはずれとは呼ばないのかもしれない、と自分の確信すらも怪しくなってくる。そのみずからの支えが崩されてしまうという感覚が、チェツオーラの小説の読書体験の妙味であろう。
どこかのタイミングで突然明かされるのだが、主人公は八百万の神々の父であるそうだ(ドッ)。さらにバツが悪いことには、かれは自分が神であることを頻繁に忘れてしまう。
"しかしそれまでに懐中には、一文もなくなっていた。そこでわたしは、どうしたら、食べものなどを買う金が手に入るか、思案をめぐらした。しばらくしてわたしは、自分が、 この世のことはなんでもできる神々の〈父〉であるということを、思い出した。"(p.48)
自分が神であるので、どんなに窮地に陥っても、難なく脱することができてしまう。このナラティヴを根底から崩壊させてしまうことのできる設定が、しれっと差し込まれている。 とはいえ、かれはそのことを忘れていることがままあるので、いろいろな困難に巻き込まれるのだ。奇妙な話だ。
たとえば、森林に潜む有害な白い生物を追い払うために、まじないをつかってみずからを火の姿に変えたのだが、すると続々と生物たちが火の回りに「さむい、さむい」といいながら集まってきて暖をとっている。わたしたちに対して、彼らは危害を与えることはないものの、まったく動こうとしないので、困り果ててしまう。いつまで火の姿に扮しているのか困り果てる主人公の珍道中。森には危険がいっぱいである*2。
"しかし、その「手が生え、口を利く木」の内部に入るさいに、戸口の男に「七十ポンド十八シリング六ペニーで、「わたしたちの死を売り」渡し、同様に、一ヶ月三ポンド十シリングの金利で「わたしたちの恐怖を貸与」してしまっていたので、わたしたちはもう、死について心を煩わすこともなく、恐怖心を抱くこともなかったのだった"(p.85)
主人公が神であるということに加えて、途中で「死」を売り払ってしまったので、どんなことがあっても死ぬことはなくなってしまった。さらにチェツオーラは設定を崩しにかかっている。もはやなんでもござれ。それでもひとつのまとまりとしてギリギリのところで物語が成立している、それこそが作者の力量であり、この小説が世界的に評価されているゆえんだろう。真似をしようとしても、これは容易にかけるものではないのだ。
その強度を担保するような小説世界における不可侵の設定として、森には他の縄張りを侵犯することはできないという絶対の掟が敷かれている。それゆえに、どんな怪物に追いかけられようとも――「死」は売り渡しているので死ぬことはないのだが、面倒には巻き込まれる――縄張りを抜けてしまえば、主人公たちは助かるのである。つまり、主人公とその妻は、この物語において唯一、縄張りの境界をつぎつぎと横断していくことが許されている存在である。それが〈神〉であることの証左であろう。
非制約的な〈神〉は、結局のところ、やし酒造りを死者の国から連れ戻すことはできなかった。 しかし、かれら自身は、生者と死者の境界を軽々とわたってしまっている。そのことには、わたしは大きな寓意が込められているという直感があるのだが、野暮なことを口走ってしまう前に、筆を措こう。この問題についてはもう少し考えてみようと思う。
ところで、わたしは原文にあたっていないからなんともいえないのだが、土屋訳は素晴らしかったと思う。解説で多和田葉子も言及していたが、ですます調とだである調が混淆している感覚には、わたしは新しい言語の可能性を感じとった。あの絶妙な文体こそが、この物語世界を根底にある支えとして機能していることは間違いない。