錦織圭さんの2016年

 テニスのルールすらほとんど知らなかったわたしが、あるときテニスというスポーツの熱狂的なファンへと変化を遂げてから一年半ほどが過ぎた。今年ははじめて一年を通してテニスの動向を追い続けてきた年だったのだが、まったくもって愉しくて仕方がなかった。テニスというのはなんと奥深いスポーツなのだろう! これまでのテニスのない人生とはいったいなんだったのか ―― とすら言ってしまいたくなるほどにハマってしまったのだ。

 テニスに興味を持ちはじめたきっかけはいたって月並みである。なにを隠そう、かの錦織圭さんの存在である。父もテニスファンであったというのは多分に影響しているのだが、完全に巷の錦織圭ブームに煽られ、たまたま試合を目撃したことがはじまりだった。それでも、ミーハーであることは抜け出たくらいには、錦織圭さんの試合を中心に、いろいろな試合を観てきたように思う。

 アルゼンチンとクロアチアの対決となったデビスカップ決勝の4戦目、デル・ポトロとチリッチの素晴らしい試合をもって(5戦目のカルロビッチ大先生の不本意なテニスには幻滅して途中で観戦を放棄してしまった)、今季のテニス観戦はひとまず終了である。12月にはIPTLがあるようだけれど、こちらについてはシーズンに含めないでも構わないだろう。

 

 今年の錦織圭さんの試合は、おそらく9割方は観戦したと思う。試合時間が明け方の4時に組まれようと、夜更かしをしてそのまま観るなり、気合いで4時に起床するなり、リアルタイムで追うように心がけていた。本来は体たらくなわたしが、錦織圭さんのために費やした努力の数は計り知れない。どうしても観れないこともあったが、たとえば用事のあったときは、満員電車に揉まれながら小さな画面上のストリーミングで必死の形相で試合を観ていたこともあった。まさかこれほどまでにどっぷりとハマってしまうとは、二年前には考えてもみなかったことだ。趣味ができるのはいいことではある。

 錦織圭さんの試合はおもしろい。よく言われることだが、さまざまな選手の試合を観てきて改めてそう思うのだ。それは、かれが単純に強いからというだけではない。もちろん勝てる試合ほどおもしろいものはないのだが、よくいわれるように、試合の勝ち負け以前に、かれのテニスは豊かで多様なアイデアが溢れている。そして、そのアイデアを瞬時に実現する確かな技術。

 それがなければ、三年連続でツアーファイナルに出場という快挙を達成することは不可能であっただろう。錦織圭さんがこのところつねに在籍しているので慣れてきてしまっているが、テニスという選手層の厚いスポーツ界で、世界トップ10を長きにわたってキープするというのはほんとうに途轍もないことなのだ ―― そのような選手が、日本人であるということは、もしかするとわたしの目の黒いうちにはもう二度とないかもしれない。それだけに、当初より今年の目標としていた、マスターズ1000での優勝が達成できずに残念であった。

 

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 年間58勝という記録が物語っているように、怪我による棄権も比較的少なく、かつてない安定感で一年間を戦った。よく指摘されていたように、下位の選手に敗北を喫することなく、自分のシードは本当によく守っていたと思う。58勝21敗。

 さきほど数えてみると、今年錦織圭さんがビッグ4を除いた下位の選手に負けたのは、ブリスベンQFでトミック、メキシコOPでサム・クエリー、全仏R16でガスケ、シンシナティR16で再びトミック、パリ室内R16でツォンガ、バーゼルFでチリッチ、そしてツアーファイナルズRRでチリッチという7回だけだった(棄権を除く)。つまり、ほとんど取りこぼしはなかったということである。

 それだけに上位選手との試合でやはり黒星を重ねている。6度の対戦があったジョコビッチには今年一度も勝てなかった。全豪オープンQF、マイアミF、マドリードSFではジョコビッチに完敗。そのあとのローマの決勝では、ほんとうに両者の差が縮まっているのを感じたものの、今年のトロント決勝、ツアーファイナルでは再び完敗といったさまだった。

 とくに、仮に10位以内の選手から勝ち星をあげたところで、そのあと連続で上位選手と当たったときに勝てたことがないというのは大きな問題だ。テニスという体力的にハードなスポーツで、たとえば二日連続で死闘を繰り広げるのは並大抵のことではないのは承知しつつも、かれがもう一段階上にあがるためには不可欠であろう。

 グランドスラムも、もう少しいけたのではないか、という思いがある。SFまで進出した全米もそうだが、いちばん行けるのではないかと思ったのは、むしろ全仏である。今年のクレー・シーズンにおいては本当に調子を良さそうにしていて、バルセロナマドリード、ローマと熱戦が続いたのでもしかしたらという期待が膨らんでいたのだった。結果的に地元のガスケに敗けてしまい、QFで敗退。去年もおなじく地元のツォンガに長い中断のあった試合で負けてしまったので、二年連続で似たような負け方をしてしまったことになる。フランスという国を知っている分複雑な気分になるのだが、フランスのオーディエンスのマナーは本当に最低だ。イタリアも本当に酷いなと思ったが、フランスの試合もいやな気持ちになることばかりであった(もっとも日本のスポーツの応援も大概だとは思うので、声を大にして主張はしにくいが)。むしろアルゼンチンくらいの応援になったら、逆にあたたかい気持ちで観れるのだが。

 

 

 今年いちばん印象に残っているマッチは何だろうか。やはりいちばんはじめに思い出すのは、デビスカップ、全米OP、ツアーファイナルでのアンディ・マレーとの対決である。どの試合も死闘としか呼べないくらいの凄まじい試合だった。結果的にデ杯とファイナルでは負けてしまったが、全米での勝利の味はなんとも忘れがたい。とくに、全米に突入していたころは、ジョコビッチの調子が崩れてきていた時期であり、マレーはまだ世界一位の座は獲得していなかったものの、実質的にはナンバーワンと呼ばれていたときである。あのマレーにあれだけの試合をするとは。オリンピックの準決勝など、完敗したこともあったが、マレーにとっては脅威を植え付けることに成功したにちがいない。

 それから、さきほども触れたが、ローマでのジョコビッチとの対戦。第一セットを圧倒的な強さで押し切ったものの、第二セットで巻き返しに遭う。ファイナルセット、ジョコビッチはさきにブレークをし、マッチポイントを握る。もうダメか……と息を呑んだとき、すばらしいウィナーを決めて危機を脱出。タイブレークに突入し、どちらに勝利が転がりこむのかわからなかった試合は、錦織圭さんのDFによって崩れ、すんでのところで敗北を喫してしまったというあの試合。手に汗を握るとはこのことか、と克明に観戦の様子を覚えている。そして、当時のジョコビッチの勝利への執念には打ちのめされてしまったものだった。トッププレイヤーとはこういうことなのか、と。

 ほかにもいくつかある。マイアミQFのモンフィス戦もそうだし、バルセロナFのナダル戦の惜敗、全仏R32のベルダスコとの死闘、オリンピックの3位決定戦でのナダルから勝利をもぎとった銅メダル、ツアーファイナルでワウリンカに見せた圧倒的な強さ。思いのほかいろいろな試合を思い出せる。

 

 ポイントでいえば、つぎの二つはとくに印象深い。ひとつ目のマドリードの動画は、なんどもなんども見て泣きそうになったことがある。実況がたまらず声をあげる "Extraordinary tennis from the two best players!" というのが好きすぎる。

 

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 ふたつ目の "Oh smash! Can you believe that? What was he thinking!?" というのもよかった。いやはや、このタイブレークは忘れられない。これを見て思うのは、重要な局面であっけなく負けるということが本当に減ったような気がするということだ。去年はもっと簡単に敗けていた。確かにいい成績を収めた大会もあったことは間違いなかったが、上位選手にとってみれば、それほど厭な印象はなかったにちがいない。ただ、今年は簡単に屈することは減っていた。あのタイブレークも、よくもぎ取ったものだ。

 

 わたしはジョコビッチやマレーと錦織を分けるのは、いちばんは勝利への執念だと考えている。生涯グランドスラムを達成するまでのジョコビッチ、世界一位の座に就いてからのマレーについていえば、ほんとうになぜそこまでできるのか、というくらいに勝利というものにたいしてがむしゃらに突進しつづけていた。かれらが試合の途中で諦めのそぶりを見せたことは、少なくともわたしの記憶には一度もない。ここぞというときのサービスエース。ここぞというときのウィナー。ここぞというときのディフェンス力。テニスという競技において、勝利と敗北がほんとうに紙一重な分(わたしはその点がテニスの奥深いところだと思っている)、やはりそのような局面に耐え抜く能力が、王座に君臨するために求められているのだろう。

 技術的なことについていえば、錦織圭さんはやはりサーブがまだまだ足りない。体格的にももしかするとすでに限界点にあるのかもしれないが、マイケル・チャンの指導のもとに着実によくなっているとは思うので、さらなる高みを目指して欲しい、というのはすべての錦織圭ファンの願いだろう。サーブでフリーポイントが取れるかどうかというのはほんとうに大きい。

 ビッグ・サーバーであるだけでは上位に名を連ねることはできない昨今のテニスだが、ビッグ・サーブをときどき打つことができない選手にとっても、相当に厳しい現実である。マレーは210キロ級のサーブが打てていなければ、一位になることはおそらく不可能だったであろう。錦織圭さんにも同じ球速を求めるわけではないのだが、やはりコースの打ち分けやセカンドのスピン量などで匹敵するサーブを身につけてほしいものだ。今年は、サーブアンドボレーも使い始めたりしていて、サーブからの戦術に引き出しが増えたと思うので、その分サーブを着実に決めることというのはますます肝要になってくる。

 インターネットに流布している噂のうちに、錦織圭さんはアガシをコーチとして招聘するのではないか、というものがある。マイケル・チャンの仕事に不満があるわけではないが(しいていうなら、もう少しさまざまな大会で帯同してくれればいいのに、とは思うが)、コーチを変える/増やすというのは、彼にとって悪くない変化なのではないかと思う。このまま頭打ちになってしまうのがいちばん恐ろしい。とくに来年は27歳で、スポーツ選手としては一般的にピークのきやすい歳なので頑張って欲しいのだ。裏を返せば、27歳でつかめなければ、あとは下り坂を下っていくだけとも言えてしまうのだから。ともかく、怪我にだけは気をつけて、このオフ・シーズンのあいだに課題をひとつひとつクリアして、万全な状態で来季を迎えて欲しい。全豪で第4シードまでに入れなかったのは残念だが、来季こそはマスターズ優勝、そして悲願のグランドスラム優勝も果たして欲しい。この希望がけして夢物語ではないことに、なによりもおもしろさを感じている。錦織圭さんとテニスという競技にはありがとうという気持ちだ。

 

 べらべらと語りすぎてしまった。実をいえば、この調子でいくらでも語り続けることができそうなのだが ―― ラオニッチの好調、チリッチの終盤の強さ、デルポトロの復活、ティームやキリオスの台頭、あるいはウィンブルドンセンターコートフェデラーと戦った世界ランク772位のウィリスの話など、一年間追い続けてきたぶん、いろいろなネタが記憶のうちに転がっている。錦織圭さんの試合以外もわりあい見ていたので、ミーハーとはいえ、ある程度いまのテニス界について立体的に観れるようになってきた。

 とはいっても、男子テニスのことについてだけだけれども。女子のほうは、大阪に大きな期待を寄せつつ、時間があえば眺める程度に終わっているので、いまのところあまり興味を抱いているわけではない。テニス好きが昂じて、来季は女子の試合もきっちり追っているかもしれないな。なんなら今年、わたしはテニススクールに通い始めるほどにテニスという競技にぞっこんだったのだから。はあ、テニスが観たい、テニスがしたい。自分でもこの欲望の強さに驚きを隠せない。