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ギュスターヴ・モロー美術館 ――十九世紀という〈崇高〉の経験

美術

 今年の春、とある理由で一ヶ月ほどパリに滞在することになったのだが、そのときに訪れたギュスターヴ・モロー美術館(Musée Gustave Moreau)での体験を記しておきたい。わたしはこのとき、崇高の意味を知ったのだった。

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 ギュスターヴ・モロー美術館は、パリ9区、サントトリニテ教会(Église de la Trinité)からサンラザール通りを東に歩き、小さな路地に入ったすぐの場所にある。これがまったく愛すべき素晴らしい美術館で、もともとは画家の邸宅だったのだが、死後に本人が所蔵していた作品とともに国へと寄贈されたようだ。モローの作品は、これまでいくつかの作品を別の場所で見たことがあったが、これほど豊潤なコレクションを惜しげもなく、所狭しとひとつひとつの部屋に並び立てている展示の様子には大変な感銘を受けた。モローの作品は、ホワイトキューブにうやうやしく飾り立てられるよりも、いくらか猥雑な場所での展示によってこそ真価を発揮するのではないか。そのように思わされたのである。

 

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 写真にあるような、美しい螺旋階段を昇る(訪問者にとって、これが唯一の昇降口なのである――まったくもって素晴らしいとしか言いようがない)。ひとつひとつの段差を昇っていくにつれ、周囲にかけられた絵画たちの見せる表情は変わっていく。ほとんどの美術館においては、このような鑑賞の方法は許されていない。絵画を見る視線の遠近については自由が与えられていたとしても、視線の高低を自由に変更できるというのは、わたしの記憶のうちにはほとんど近しい例が見当たらない。

 

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 そのようにして四階に着いたとき、わたしの眼にはひとつの絵画が飛び込んでくる。わたしはそのキャンバスが現前する世界にたちまち取り込まれ、その場から暫く動けなくなってしまう。玉座に鎮座する異教の女神のまなざしに、豪華絢爛を尽くした世界の魑魅魍魎たちに、わたしは釘付けになってしまったのだ ―― そのような瞬間が到来したとき、わたしたちは、身体が携えているすべての感覚を、怖じけずに絵画のなかの世界に預けてみるべきだ。魂が震えるような感動のなかに、全身全霊を浸してみるべきだ。わたしは動けなかった。激しく脈打つ心臓を止めることができなかった ―― それは、紛れもなく〈崇高〉の経験そのものだったのだ。

 

 先日、森有正のエッセイを読んでいて、次のような文章に行き当たった。あるとき、イタリアの土地で女体の彫像の美に囚われた瞬間を回想した文章である。

"その瞬間に僕は、自分なりに、美というものの一つの定義に到達したことを理解した。それは、僕にとって、人間の根源的な姿の一つであった。それはそれで一つの理解ではあろうが、僕にとって一番大切だったのは、そういう数限りのない作品が、一つ一つの美の定義そのものを構成しているのだ、という驚くべき事態であった。換言すれば、一つ一つの作品が、「美」という人間が古来伝承してきた「ことば」に対する究極の定義を構成しているという事実だった。作品はもうこれ以上説明する余地のないぎりぎりの姿でそこに立っているだけだ。"
(『遥かなるノートルダム』より「霧の朝」)

 わたしはこの文章を読んださい、ただちに先に述べたギュスターヴ・モローの手による《ジュピターとセレーヌ(Jupiter et Sémélé)》と対面したときの経験を思い起こした。森有正の経験の内実はわからない。だが、それはわたしの経験のそれと近しいものであったのではないだろうか。「古代の人はこういう事態に美、イデア、フォルムなどの名を命じたに相違ない」と彼は書き留めている。美の経験とは、ひとつの崇高性の経験にほかならない ―― 美とは欲望の対象であり、同時に近づきがたさなのだ。そうした美の立ち姿が、〈聖なるもの〉に転移してゆくのは当然のことである。わたしはモローの絵画にそう教えられた気がした。

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 わたしが十九世紀の象徴主義美術に惹かれるのも、そうした崇高性が至るところに潜んでいるからであるように思う。一方では、ルドンの〈黒〉のように陰鬱で孤独な世界があり、他方ではモローの聖性の世界を前に戦慄する。その暗さは、ラファエル前派のロマンスと表裏一体のものであるだろう。そして、そうしたもののすべてに、ある種の特殊な〈崇高〉があるような気がしている。その正体はなんだろうか? まだ答えは出ていない。ひとつの直観がわたしに語るのは、十九世紀から二十世紀へと移行するにあたって、その〈崇高〉はいくらか失われてしまったのではないか、という仮説である。

 だが、同様にその仮説を辿っていくためには、まだまだわたしには経験が足りていない。ギュスターヴ・モロー美術館を再訪することはもちろんのこと、十九世紀を探索する旅が要される。その旅は果たして終わりを見ることはあるだろうか。いまのわたしには、皆目わからない。

 

(掲載写真はすべて 2016年4月, パリにて撮影)