はじめての文楽体験記/国立劇場 五月公演「菅原伝授手習鑑」

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 人生ではじめて文楽というものを観た。五月、国立劇場にて「菅原伝授手習鑑」。わたしは伝統芸能にはまったく疎く、これまで文楽狂言はおろか、歌舞伎ですらまともに劇場で観たことはなかった。小学生のころにそのような機会があったような記憶も朧げにあるのだが、いったい何を観たのかすら憶えていない。熟睡してしまっていた可能性は多分にある。だからといって、当時のわたしを責める気はなれない。

 もちろん、古典芸能を嫌っているわけではけしてない。ある時からは興味をもちつづけてきたが、その興味はとりたてて主題化されることなく、行動に移されることもなく、むしろそれは、古典芸能の世界にたいするぼんやりとした親和の感情としてわたしのなかにあったといったほうが正しいだろうか。いつかその世界に足を踏み入れることはあるのだろうが、あるいはそれは隠居後になってしまうかもしれない。そのような距離感である。そんな漠然とした興味が現実のものとなったのは、お世話になっている団塊世代のお爺さまが、キップを誤って買ってしまったので代わりにどうか、と譲ってくれたからであった。このような偶然が身に降りかからなければ、わたしの文楽との邂逅は、ずいぶんあとになってしまっていた虞れがある。世界にたいしてつねにひらかれていることをモットーとしているはずなのに、その世界の広大さ・多様さにたびたび負けてしまいがちだ。戒。

 

 

 さて、「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」。キップを譲ってくれたお爺さまから、あらかじめ背景とあらすじを頭に入れていったほうがよいという忠告をもらったので、文化デジタルライブラリーの紹介ページをざらっと読んだ。

 そもそも、「菅原伝授手習鑑」は、いわゆる「時代物」という分類に属する。「時代物」は、いまでいう時代劇のようなもので、平安時代から戦国時代にかけての出来ごとを、史実にもとづきながら再構成された演目のことを指す。それと区別されるものとして、「世話物」という、江戸当時の社会から着想を得た題材の演目というものがある。

 時代物である「菅原伝授手習鑑」は、菅原道真藤原氏の陰謀により失脚し、左遷させられる一連の事件を描いている。これもお爺さまから教わったのだが、竹田出雲・三好松洛・並木千柳という大阪の3人組の手による江戸期の作品であり、「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」というよく名の聞く演目とともに、文楽/歌舞伎における時代物の「三大狂言」として有名だそうだ。ちなみに、歌舞伎の演目の多くは、文楽が初出であるらしく、つまりは文楽の演目が歌舞伎に直されているということらしい。このへんは、わたし自身、もう少しお勉強をしなければならない。いちおう、ドナルド・キーンの『能・文楽・歌舞伎』を買っているので、時間を見つけて読んでみようと思う。

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 このことも今回はじめて学んだのだが、「菅原伝授手習鑑」とはいえ、その全演目が一挙に上演されるわけではない。 このたび上演されたのは、「茶筅酒の段」「喧嘩の段」「訴訟の段」「桜丸切腹の段」「寺入りの段」「寺子屋の段」である。綜合すると二時間くらいはあっただろうか。襲名披露の口上を挟んだり、休憩のあいだにお弁当をいただいたりしながら、国立劇場で四時間ほどの時間を過ごした。

 もちろんのこと、半蔵門にある国立劇場には、はじめて足を運ぶこととなった。その日、小劇場で文楽があり、大劇場では歌舞伎の上演があった。どちらも満員御礼だったらしく、わたしが到着したころには、かなりのひとでごった返していた。とはいえ、わたしのような若輩者はちらほらと見受けられるばかりで、文楽の上演にいたってはーーたまたまだとは思うが――わたしと同年代の者はひとりも見なかったような気がする。初老を過ぎたようなひとたちが大半を占めていて、若くても三十代といったところだろうか。確かに、わたしの世代の者で、歌舞伎を観たという話はちらほらと聞くことがあるが、周囲でも文楽を観にいったというのはあまり聞いたことがない(わたしの周囲といっても、半径15メートル圏内程度のことなので、あまり信頼しないでほしい)。

 なぜそのような事態になっているのか? 今回の上演で多少なりともその理由がわかった気がする。文楽人形浄瑠璃は、歌舞伎に比べても、どうしても敷居がいくらか高いのである。その印象は拭えなかった。

 

 文楽には、まず舞台上手に太夫がいる。三味線弾きが隣に座っていて、三味線の音にあわせて太夫が吟詠する。ト書きと科白の太夫が語るのである。その演奏と語りにあわせて、人形遣いが人形を動かす。

 わたしにとってそれなりの驚きであったのだが、人形遣いはすべてが黒子として身を隠しているのでなく、右手と表情を司る者は「出遣い」として普通にそこにいる、ということだった。そして基本的には、主役に値する役どころの人形には、「出遣い」と、左手担当の黒子、足担当の黒子の三人がついている。わたしの今回見た演目のうち、「寺子屋の段」はとくに登場人物が多く、8体くらいの人形が舞台にいることがある。舞台はそれなりに広いとはいえど、二十人近くの人形遣いが同時に舞台に上がっているということで、やはりいくらか窮屈そうだった。

 そのような舞台装置のもと、太夫が語る。もちろん、古語によって語られるので、にわかに意味が取れないところが多々ある。驚いたことに、舞台の両端には、語りと同時に字幕が出ているではないか。「床本」(脚本)も売っていたので、そちらで言葉を参照することも可能であろう(そうそう、上演中も客席は明るいので、手元の文字を読むことだってできるのだ)。

 

 わたしは、はじまって数分で、あらすじを前もって頭に入れておくべきだという忠告の意味を了解した。先に書いたように、義太夫の語りは、なかなか耳だけでは意味が十全に理解することができない(古語であるに加えて、吟詠されているのである)。太夫の口もとや三味線、あるいは字幕に気を取られていると、舞台で繰り広げられる人形の所作を見落としてしまう。かといって、人形に集中しすぎていると、意味が取れなくなってしまう。人形は、1メートル前後で、遠くの座席からだと、かなり小さく見えてしまう。それだけに、人形の動きを見ていると、完全に物語に置いていかれてしまうのだ。だからこそ、あらすじが頭に入っていたほうがいい。

 しかし、これはやはり初心者にはなかなかハードルが高いことは確かである。視点をどこに置いていけばいいのかわからない。舞台装置も、新参者のわたしにとっては、ひとつひとつが真新しく思え、いろいろなものに順番に視線を投げかけていたら、目が回りそうになった。視線の自由変更が可能であるというのが舞台芸術の長所ではあるが、その焦点をどこに誘導するかということがとくに意識/指定されていなかったので(玄人にとってはそのことが魅力のひとつになるのだろうけれど)、落ち着くまでにいくらかの時間を要した。そのために、「菅原伝授手習鑑」の各演目に入る前に、「寿柱立万歳」という演目もあったのだが、その物語についてはほとんど何も憶えていない。二体の人形がたのしげに踊っていたのであったっけ。

 

 気合いを入れ直して、休憩時間の折に「菅原伝授手習鑑」のあらすじを読み直した。この度の演目では、主人公である菅丞相(菅原道真)は登場しない。天皇家に仕える三つ子の梅王丸、松王丸、桜丸が主人公であった。日本史の知識に疎いことを反省した。時代物であればなおさら、全体の文脈を把握するためにも、いくらかの日本史の知識が推奨されることであろう。

 ここではくどくどとあらすじを要約することなどしない。ただ、当日のプログラムの最後に上演された「寺子屋の段」については、ようやく落ち着いて物語を追うことができるようになっていて、最後には感動が訪れたのであった。いま思い返してもじいんと来る物語だ。

 

 敵方である藤原時平により、菅丞相の子息である秀才の首が狙われる。秀才は、父が流刑にあっていることもあって、梅王丸の手によってある寺子屋に預けられていた。寺子屋を営んでいる武部源蔵は、秀才の首を斬って、それを敵方に渡すことを迫られる。何とかそれを免れる手立てはないものかと思案した源蔵は、寺子屋に入門してきたばかりの、松王丸である息子の小太郎を身代わりとし、その首を献上した。しかし、その首を検分したのは、小太郎の父であり、時平に仕えるところの、松王丸だったのである。松王丸は、その首が自身の息子であることにはすぐに気づくが、何も言わずに「秀才で間違いない」とし、引き上げる。秀才は命拾いしたのである。

 それまで一貫して性格の悪いものとして描かれていた松王丸。菅丞相と対立するところの時平に仕えていたのだが、じつは他方で、菅丞相にも恩義を感じていた。彼への忠義をひそかに果たそうと、弟分である桜丸の切腹(「桜丸切腹の段」)のことを思い返しながら、じつの息子を寺子屋に送り、身代わりとして斬首させるように仕組んだのである。物語の末尾において、松王丸夫婦は、わが子の亡骸を前に、静かに香を焚くのであった。

 ああ、いったいなんという話なんだ。忠義を尽くすために、実の息子を身代わりに斬首させるなんて、こんなばかげた話があるだろうか? これほどばかげているはずなのに、なぜかやたらと泣けてしまうのだ。言葉少なの、つねに怒り顔をしている松王丸の哀しみの深さはいかほどだろうか、と静かに想像してみてしまうのである。このような特殊な抒情性のある展開は、もしかすると西洋的な物語類型には登場しないかもしれない(これについて断言めいたものを下すには、あまりにわたしの勉強が足りていないのだが)。そのように思わせるような――このような言い方が許されるならば――きわめて日本的な感性を、わたしは「寺子屋の段」に嗅ぎ取ったのである。邪推するならば、それが名作とされている所以なのではないだろうか。

 

 そのような感想をお爺さまに送ってみたところ、「主君の若君の代わりに自分のセガレを殺す」というパターンは、文楽/歌舞伎の物語においては頻出するものだという。たとえば、「義経千本桜」の「熊谷陣屋」の下りもまったく同じだそうだ。親子の関係性の描きかたは、ギリシア悲劇に近しいものがあるのではないか、とも。さらには、当時の「首」がもっていたところの意味の大きさと、その「首」が主軸となるような物語を、文楽という生身の身体から解放された形式で行うということの逆説的な強度についての考察をすらすらと展開していた。先輩に学ぶことは多そうである。

 

 ともあれ。人生はじめての文楽は、敷居の高さにいくらか当てられてしまったものの、やはりその新鮮さもふくめて愉しむことができたと思う。人形の表情にいたるまでの微細な変化、足遣いの黒子が足を動かす機敏さ、小道具の大胆な使用、ひとつひとつの所作のユーモア、三味線の音色、太夫の語りの調子と、なにからなにまで新鮮であった。人形であるからこそ、抑揚の表現は非常に豊かさで驚いた(「喧嘩の段」における梅王丸と松王丸の戦いのダイナミックさといったら!)。

 ここまで触れてくることはなかったが、襲名口上における挨拶も、文楽の世界の荘厳な伝統を逆手に取って、完全に笑いを取りにきていて、どっかんどっかんと笑いが起きていた。いやはや、大いに笑わせていただきました。あれだけでも楽しい。今回襲名した六代目の豊竹呂太夫は、芸歴五〇年にして、ようやくの襲名披露だそうだ。黒子の人形遣いも、足のところだけを十年はやり続けるらしい。いったいどれだけ文楽の世界は厳しいのかと気が遠くなってしまう。しかし、だからこそこの伝統は、江戸時代から連綿と続けられてきたのだろう。

 

 正直なところ、どの太夫の語りがいいとか、この三味線弾きは素晴らしいだとか、あの人形遣いの所作は年季が入っているだとか、そういうことを判断するための審級は、まだまだ持ち合わせていなかった。いまはさっぱりわからない。たとえば、6代目豊竹呂太夫の語りはどうだったか? 残念ながら、(今度は物語を追うのに精一杯で!)あまり憶えてない。そういうツウなたのしみかたをするためには、一度や二度観るだけでは足りないのだろう。わたしの直感が語るのは、そういうものは何度観ればわかるというようなものではなく、びびっと心に訴えかける太夫の語りに邂逅して、それを機に突如としてわかってしまうようなものなのではないか、ということだ。いつしかそんな日が訪れることを願う。

 というわけで、またそう遠くないうちに、文楽の舞台は見てみたいと思う。今度は時代物ではなく世話物で、「曽根崎心中」あたりを観ることができたら最高だ。三等席の学生料金は1,200円。二等席で2,900円。一般料金だとそれなりにするだけに、学生であるということの恩恵を与っておくのはけして悪いことではない。

 

 ところで、人形浄瑠璃の歴史やその形式性について、やはりもう少しお勉強が必要であろうと思っているのだが、なにかよい文献はあるのだろうか。この文章でも言及したドナルド・キーンの著作は当たるとして、ほかに調べてみると、入門書として赤川次郎の『赤川次郎文楽入門―人形は口ほどにものを言い』というものなどが出てきた。あとは『文楽入門』とだけある、古典芸能入門のシリーズもののようなものしか見受けられない。歌舞伎の方はたくさんの書籍が出ているようなのだが、文楽だとやはりあまりないのだろうか。もしどなたかお薦めの文献などをご存知のかたがいましたら、こっそり教えていただけると幸いです。