「単色のリズム 韓国の抽象」―― 空間そのものの穏やかな美しさについて

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 会期終了間際に東京オペラシティ「単色のリズム 韓国の抽象」に滑りこんだ。オペラシティのアートギャラリーはいつも落ちついた雰囲気があって、のびのびとできるので偏愛している(とはいえ、「梅佳代展」とか、「篠山紀信展 写真力」はだいぶ混んでいたな)。企画展も毎回絶妙な加減で懐についてくるものばかりだ。とくに今年の片山正通の展示は行こう行こうと思いつづけて結果的に逃していたので、年の瀬にふたたび後悔が襲ってきている。

 「単色のリズム 韓国の抽象」も、ポスターを見たときにこれはいくしかないな、と直感的に思った。わたしは抽象画はあまり好きではないので、なぜそのように思ったのかはよくわからない。いまひとつ言えるのは、自分の直感は正しかった、ということである。 ああ、ほんとうに素晴らしかった。今年ベストの展示のひとつに挙げたい。

 

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権寧禹/KWON Young-Woo 《無題》

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権寧禹/ KWON Young-Woo 《無題》 1982

  本展は1970年代から90年代にかけて韓国内外で活躍した、韓国の19人のアーティストを紹介している。それぞれの作家の作品が数点ずつ展示されているのだが、「単色のリズム」という標題からもわかるとおり、シンプルな色彩からなる、きわめて静謐な抽象画が並ぶ。そのうちの多くには、たとえば上に挙げた権寧禹の作品がよく示しているように、マチエルそのものへの興味が見てとれる。本展の挨拶文には、動乱の時代のなかにあった作家たちの自国のアイデンティティの希求の衝動が作品に洗練した形で結実しているとあったが、それはかれらが韓紙(日本でいう和紙のようなものらしいのだが、和紙とのちがいはなんなのだろうか)を積極的に用いているという事実からもわかるだろう。

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朴栖甫/PARK Seo-Bo 《描法》

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鄭相和/CHUNG Sang-Hwa 《無題 91-3-9》, 1991. 《無題 90-1-12》, 1990.

  しかし、わたしはそれ以上に個別の作品について踏み込んで論ずるすべを持ちあわせていない。そもそも、かの作品群自体がことばを求めていないように思えるのだ。すべてが言語化されるのを拒絶するような、屹立とした美しさを湛えており、そこには非常におもしろい非言語的なリズムが生まれている。

 そのような印象は、会場設計によっても助長されている。というのも、作家名や作品名を紹介する小さなパネルはあれど、作品を解説するようなキャプションは展示会場からは排されているのである。来場者は、受付で配布されるハンドブック(小さな愛すべき意匠のハンドブック!)に記された解説を思い思いに読みながら、ひとつひとつの作品に対峙する。その空間の心地好さといったら筆舌に尽くしがたく、一方では「怖い絵展」のようなキャプション – 情報過多の在りかたとは対照的であった(もちろんわたしは「怖い絵展」を批判するつもりはさらさらなく、あのような展示は意義深いものであるとは思っている)。

 

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崔恩景/CHOI Eun-Kyoung 《Beyond the Colours #14》, 1992

  わたしの受けた感動は、こういってよければ、作品そのものに起因するというよりは、作品が主体的にリズムを形成しているような空間における居心地の好さであったというほうが近い気もする。わたしはつぎの部屋に移動するたびに、そのような空間の美しさにうっとりした。およそ一切の言葉を排した、ミニマルな空間性。もちろん、空間に付随して、時計の針がゆるやかに刻んでいるような、あの時間性も然りである。もしハイデガーがこの展示を訪れたら、このような時-空(Zeit-Raum)にこそ、存在のひらけの場(Lichtung)が生ずるのだ、とでもいうのではないか(という牽強付会)。

 

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丁昌燮/ CHUNG Chang-Sup 《黙考》

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丁昌燮/ CHUNG Chang-Sup 《楮(Tak) No.87015》, 1987.

 おそらく、猥雑な空間に脈絡もなく作品が置かれた場所で、同一の作品を見たとしても、わたしはさほど感銘を受けなかっただろう。美術作品の鑑賞には、当然のことではあるが、その作品のおかれている環世界の在りかたが重要な位置を占めている(作品とその空間の相関性を論じたすぐれたテクストをご存知の方がいたら、ぜひ教えていただきたい)。 おだやかで静謐な空間を演出することに成功していた本展は、そのような相関性の格好の例証であるといえよう。まったく素晴らしい企画展であったと思う。

 

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 一度文章を書き上げて、公開ボタンを押したら、システムのエラーですべて文章が消えてしまった。そのためふたたび書き直した次第である。展示について思い起こしながらおだやかな気持ちになっていたところにこの仕打ちを受け、湧き上がる忿怒を抑えつけながら書き直す羽目に陥った。寝よう。