日記(December 20, 2019)

12月20日(金)

 カードキーを忘れてしまったと職場に戻ったら、同僚からきみの首に巻かれているのはなんだいと問われ、思わず「うわあ」と口に出してしまった。遠くで部長が笑みを浮かべている。

 中国の現代アートシーンについてのシンポジウムに向かう。中国の各地から東京へと招聘されている若い五名の中国人キュレーターたち。恵比寿映像祭の多田かおりさんがモデレーターを務めていたのだが、彼女の声を一度も耳にしないまま、次の予定のために会場をあとにした。わたしは中国の現代アート市場がいかなるものなのか、バブルに沸く都市部の市民とアートの関係性はどうなっているのかということが聞きたくて参加したのだが、プレゼンテーションでは期待に反して固有名詞がずらずらと並べ立てられているのみで、退屈な大学の講義を聞いているようだった。ひょっとするともう少し残っていれば興味深い話を聞けたのかもしれないが。

 ポレポレ東中野のバースペースで開催された「間隙 KANGEKI」という上映企画に足を運ぶ。今年のPFFでグランプリを受賞した『おばけ』('19)の中尾広道監督の『船』('15)と『風船』('17)の二作品の上映である。わたしはPFFで『おばけ』を見ていたく感動したので、是が非でも中尾監督の過去作は観なければならないと駆けつけた。

 中尾作品は、ほとんど私小説、あるいは彼の妄想日記だといっていい。『船』は、近所の川が氾濫した日に、大阪の路上に打ち上げられた船たちを、澄み渡った水のある川の上流まで放しに向かうという話であり、『風船』は、ベランダで育てているホオズキを風船と幻視し、その風船に乗り込んだメダカが、遠くの世界を遊覧していく話である。この過去二作をはじめとする自身の映画作りを追ったセルフ・ドキュメンタリーが『おばけ』なわけだが、いずれの作品も手作りの水彩画や工作が、じっさいに中尾監督が暮らしている大阪のアパート、町並みの現実世界と溶け合うようにひとつの箱庭を形成している。

 トークショーでも語られていたのだが、わたしはいずれの二作品もがどこかへと行って、やがて帰ってくる話であるということに惹かれた。そういえば『おばけ』も、宇宙に行っては帰ってくるという筋書きであった。さて、中尾作品では、どうして帰ってくるのだろうか。そのままどこか遠くへと行ったきり帰ってこないことだってあるのではないか。わたしはそう監督に尋ねると、行くとどうしても帰り道も撮りたくなるのだときわめてシンプルに答えた。なるほど。わたしはあのように尋ねておきながらも、彼の作品では「帰ってくる」ということがよいのだと感じていた。帰るまでが遠足ですとはよく言ったもので、わたしたちは大抵の場合、旅に出たら帰ってこなければならない。旅に終わりはかならずあって、退屈な日常にいつかは戻らなければならない。それが生活なのである。遠くへと旅立ってみたいという願望。その一方で自分の小さな世界を見つめ、丹念に生活をしているということ。作中に登場する中尾監督が暮らしているさまには驚嘆と敬意を禁じえないほどに美しい。そして、遠くの世界への願望と小さな世界への愛慕という二つの志向性は相反するようでいて同居しうるのだ。中尾作品の新しさは、そのジレンマを見事なまでに捉えていることなのだと思う。ただ、わたしは彼に行ったまま帰ってこない映画もいちど撮ってほしいと思う。それも舞台は外国で。東欧のさみしげな街並みなんかはすごく彼の霊感を呼び覚ますのではという気がするのだが、どうなのだろう。

 そのまま流れるようにPFFの忘年会にいった。何人かの顔見知りとことばを交わす。わたしはこのような場は苦手だな、とふたたび痛感する。とある監督とだいぶ長いこと話し込んでいたのだが、酔いと眠気でいまいち何を語っていたのか思いだせない。確かプロットのおもしろさは映画にとっていかに重要であるかという話だったような気がする。あとはインドの工場で起きた爆発事故の話をした。終電はとうのむかしに無くなっていたので、会がお開きになる前に、監督とタクシーを同乗して帰路につく。彼女は雑司が谷で降り、わたしは代田橋まで向かった。タクシーから降り、よろよろと自宅に辿り着き、そのまま泥のように眠りこけた。

 

12月21日(土)

 わたしはまだ家具も出揃っていない殺風景な自室を見やって絶望的な気持ちになった。引っ越してからかれこれ半年が経とうというのに、仕事の忙しさにかまけてほとんど手を入れていれられていない。『やがて哀しき外国語』に収録されているエッセイのなかで、村上春樹は男の子の定義として「言い訳をしない」と挙げているのを思い出す。わたしは言い訳をしてばかりだ。昨日の中尾広道作品のなかに覗かせている彼自身の暮らしの肌理細かさが思い起こされ、途端に暗鬱とした気分になるのだった。わたしはもっときちんと暮らしに向き合わなければならない。スーパーでかぼちゃの1/4切れを買って、スープをつくった。まずまずの出来。