日記(December 29, 2019)

12月29日(日)

 わたしはVHSを詰め込んだ紙袋をふたつ携えて、新宿から自宅までの最終電車に乗っていた。運良く座席に座れたので、リチャード・パワーズ『オーバーストーリー』を読み進める。となりには15インチのMacBook Pro美少女ゲームに興じる中年男性が座っていた。最寄駅に到着し、いざ降りようと紙袋を持って席を立つと、片方の紙袋の把手が破け、車内に中身をぶちまけてしまった。しかもよりによって日活ロマンポルノのVHSが大量に入っていたほうの袋だった。わたしはこの駅で降りるのを諦め、ゆっくりとした所作でVHSを拾い集めた。あそこで慌てふためくことをせず、気品を保っていられた自分を褒めたい。

 上りの電車はすでになくなっている。二つの重い袋を担いで、自宅までのひと駅分を歩くのはなかなか大変だ。タクシーに乗り込むことも考えたが、少し夜風に当たりたい気分だったので歩くことにした。三〇分ほどのろのろと歩いてからようやく家に着いて、つくり置きしていた炒飯を温めて、オーストラリアの茶屋で買っていた菊花茶を淹れた。菊は英語で "chrysanthemum" というのだと学ぶ。語源を調べてみるとギリシア語由来で、「金の花」という合成語だったらしい。だからどうだというわけではないのだが。

 

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 YouTubeスティーブ・ライヒの「Music for 18 Musicians」を演奏する動画を見た。一時間にわたって画面に釘づけになった。ときどき浮かび上がってくる旋律の美しさにはっとする。音が消え入ったあと、やや遅れてやってくる万雷の拍手におもわず鳥肌が立った。本当にすばらしいパフォーマンスだった。スティーブ・ライヒの音楽は、現代に崇高を回復させようと試みているような気がする。そのことについてあれこれ考えていたら――あまり崇高の概念とは関係がないのかもしれないが――どういうわけかスピノザ『エチカ』を腰を据えて読もうという気持ちになった。あの真っ赤な中公クラシックスは、実家に置いてきてしまっているな。