日誌 | 20221204 - 1208

12 月 4 日 日曜日 

 日曜日のマルシェを覗く。Dupleix 駅からLa Motte-Piquet 駅まで、6番線の電車が走る高架下にずらりと連なるさまざまな露店。至るところから露天商と客たちの会話が聞こえてくる。まさにこの土地の生活様式が凝縮されている場所で、これだけでもはるばるこの街へと来た甲斐があったと思う。早いところ住居を手に入れて料理をできる体制を整えなければならない。わたしは自分の足取りが軽くなっているのを感じた。

 大手シネコンチェーン UGC の映画館で会員カードをつくる。月々20ユーロを支払うとUGC系列のシネマ・コンプレックスから独立系のミニシアターや名画座のほとんどで、映画鑑賞が無料になるという夢のようなカードだ。エクス=アン=プロヴァンスの映画館にはそうしたシステムが無かったので、当時わたしはパリの友人からその話を聞いてずっと思い焦がれていたのだ。日本にいたころは映画鑑賞だけで毎月3万円くらいは遣っていたと思う。いやはや。

 そのまま UGC でジャハール・パナヒ監督『No Bears』(’22)を観る。パナヒを観たのははじめてだが、冒頭のトリックの入った長回しのワンショットから魅了される。撮ることをめぐる作品で、わたしにはキアロスタミの『風が吹くまま』('99)に対する、パナヒの現在地からの批評的応答のようにも思えた(あるいは『オリーブの林を抜けて』('96))。しかし堂々と被写体になっているパナヒ本人の佇まいが素晴らしい。あのどう見てもやさしそうな人相のおじさんが、イラン国内でいま不遇な目に遭っているというだけで居たたまれない気持ちになる。一刻もはやく釈放され、つぎの作品を再びイランで撮ってほしいというのは、はたまたお気楽な観客の傲慢だろうか。

 再び 6 番線に乗って、シネマテーク・フランセーズへ。ちょうど W 杯のフランス戦が行われていて、あらゆるビストロやバーが賑わっているなかを、足早にシネマテークに駆け込もうとしていると、東京で一緒に仕事をしていた北関東にあるミニシアターの総支配人たちとばったり遭遇して立ち話をする。ヨーロッパシネマ会議に日本代表として参加しているところだという。

 シネマテークマリリン・モンロー特集で、エドマンド・グールディング『結婚協奏曲』(’53)を観る。はじめてモンローが主演を張る前年に公開された作品。短編オムニバスのような形式で、モンローはめくるめく登場する5組のカップルのうちのひとりを演じているにすぎないのだが、あの美貌と存在感には当時だれもが印象づけられたことだろう。『結婚協奏曲』は軽いタッチのラブコメディといった趣きだが、室内における人物の動かし方があまりにも見事で息を呑んだ。それにしてもこの主題はドラマ・シリーズや短編オムニバスとしてリメイクしても面白いのではないか。しかしまだ時差ぼけが治っていないのか、3編目に入ったあたりで意識を失ってしまった。

 

12 月 5 日 月曜日

f:id:immoue:20230108075915j:image 職場に初出勤。高円寺の古着屋で仕立ててもらっていたスーツに身を通す。滞在していたホテルのチェックアウトの折に、受付のスタッフと言葉を交わし、W杯の日本戦は今日だと教えられる。しかし「どのチームを応援していますか」という言い回しはすこぶる便利だ。いきなり他人に向かって国籍や出自を訊ねることはデリカシーに欠けるが、応援しているチームはどこか、あるいはフランスのチームを応援しているかと聞けば、たいていの場合は相手の出自を伺い知ることができる。彼はモロッコを応援しているといった。アフリカ勢初のW杯予選突破を受けて、興奮気味に好きな選手の話を語りはじめた。だれの話をしているのかさっぱりわからない。

 職場の道すがらにあった煙草屋のカウンターで、パン・オ・ショコラを頬張って、エスプレッソを飲む。カウンターには常連客が忙しなく訪れては、二、三の会話をしてからぐいっとエスプレッソを飲んで、足早に店を後にしていく。昨日のマルシェもそうだけれど、わたしはフランスの生活のなかでこの光景を愛することになるだろうという予感がある。

 職場の人たちに挨拶をして、いくつかの説明を受ける。銀行口座の開設の手続きをして、適当なバーにはいってW杯の日本とクロアチアの試合を観る。なんだかんだで熱を入れて観たが、延長も含めて120分間の集中を要求されるのはどうにも辛い。PK戦で日本が負けた瞬間に、周りの客たちが惜しかったねと日本の健闘を労ってくれた。彼らは日本に勝ってほしかったよと口々にいっていた。

 マレ地区の短期アパルトマンに身を落ち着ける。物件の説明をしてくれた立ち合いのスタッフに、中庭を介した向かいの窓に貼り付けられた赤い六芒星について訊ねてみると、マレ地区には旧来よりユダヤ人のコミュニティが根を張っていると教えられた。確かに道すがらでオーソドックスなユダヤ教徒と思しき恰好をした人たちを見かけていた。地図で調べてみると、徒歩圏内に10軒ほどのシナゴーグがあった。ところで、イスラエル人たちはカタールで開催されているW杯についてどう思っているのだろう。

 

12 月 6 日 火曜日

 地下鉄の 1 番線に乗って出勤する。東京の通勤電車かと見紛うような混雑。けれどもホームの乗客たちは無理して乗り込んでこようとしなかった。

 職場の同僚と連れ立って、昼休みに近所のパニーニ屋に向かう。あまりに寒い。注文を待っていると、入口の近くに陣取り、入店する客みなに「扉を閉めなさい」と怒鳴っている老婆に声を掛けられる。日本から着いたばかりだと伝えると、鋭い眼光で "Le rêve, c'est pas permi en Frane"と言われて面食らってしまった。この国には夢なんてない。夢を見ることは許されない。彼女はかつて英語教師を務めていたという。パリに来たばかりの異邦人にそんな厳しい言葉を吐くなんて、彼女はいったいどんな半生を辿ってきたのだろうか。

 フランスの日本映画祭の筆頭である「KINOTAYO」のオープニング・レセプションに参加して、映画関係の人たちと寿司を頬張りながら喋る。帰路ではモロッコ人があちこちで騒ぎ立てていた。W杯ベスト8に進出を決めたそうだ。地下鉄の車内で堂々と大麻を巻いている集団に声を掛けられ、試合の顛末を教えてもらった。その勝利を祝うと、彼らは大声でアラビア語の歌をうたいはじめた。周囲の客たちは迷惑そうに彼らを見ていた。

 

12 月 7 日 火曜日

 こちらの冬の朝はひどく暗い。八時ごろはまだ完全にまっくらで、Saint Paul の地下鉄の出口からは通勤途中の人たちが続々と現れ、暗やみのなかセーヌ川のほうへと続く細道へと雪崩れ込んでいく。駅前のカフェでコーヒーを飲みながら Pitchfork が発表していた2022年のベストアルバムを読み、わたしはこの媒体と趣味が合うとあらためて思った。一位がビヨンセで、二位が Susan Archives。三十一位に宇多田ヒカル。カタツムリと目を閉じた女性が一体となったブロンズの像が据えられたジャケットに惹かれて、五十位にランクインしていたMarina Herlop『Pripyat』を聴く。1992年生まれでバルセロナに拠点を置く彼女は、もともとコンセルヴァトワールでクラシックピアノを学び、本作ではじめて電子音楽への接近を試みたとある。これが素晴らしい作品で、わたしも今年のベストアルバムを考えるならば、ぜひ一票を投じたいところだった。今年に入ってから急激にエレクトロやアンビエントの新譜を聴くことが増えた。少し前まで好んで聴いていたヒップホップはこれぞというものにあまり出会えなくなり、オルタナ系の若いアーティストは代わり映えせず、いくらか飽き飽きしてきていたのだった。

 仕事を抜け出して、KINOTAYOで中野量太『浅田家!』('20)を観る。どうやら来月からフランスでも商業公開がなされるらしい。この監督はセンチメンタリストすぎるきらいがあり、わたしはある種の苦手意識をもっているのだが、後半の東日本大震災の下りには少しだけほろりと来た。『浅田家』の写真集のことは一切うっちゃって、震災で写真洗浄ボランティアに従事する写真家という主人公の物語を丁寧につくるべきだったのではないか。しかしフランスの観客に囲まれて震災の物語を見ることで、彼らとちがってわたしはあの災厄の当事者であるという錯覚を起こしそうになっている自分に気づく。ある種の優越感すら抱いていたような気さえする。日本でのわたしは震災の非当事者であり、非当事者であることの当事者性(『二重のまち/交代地のうたを編む』)とどう向き合うかと考え続けてきた10年余りだったので、日本で見ていたとしたら到底そんな感想は抱いていなかったと思う。ナショナル・アイデンティティの萌芽の過程を身をもって経験することになった。

 そのまま数年振りにレ・アールの UGC に足を運ぶ。わたしはこの映画館がパリで一番好きかもしれない。37ものスクリーンを備える、パリでもっとも大きな映画館で、地下深くに潜った場所にある映画館内は迷宮のようである。すぐ隣にある公共プールからあの塩素の匂いが漂ってきて、当時の記憶が一気に蘇ってきた。チケットカウンターで一瞬逡巡したのち、ルカ・グァダニーノBONES AND ALL』を選ぶ。200席くらいが満席。しかも『浅田家!』の客層とは打って変わって、いわゆる中高年らしき人はひとりも見当たらず、洒落た格好の若者しかいない。だれもがだれかと連れ立って来ている。なるほど、現代のパリっ子にとってのいかした映画とは『君の名前でぼくを呼んで』であり、彼らのヒーローはティモシー・シャラメなのだと得心がいった。『BONES AND ALL』はなかなかおもしろそうだったのだが、疲れが祟って眠り込んでしまった。あの客席で寝落ちしていたのはわたしひとりだったのではないか。さらにいえば、ひとりで見に来ている客はわたしだけだったのではないか。上映後はみな興奮ぎみに連れ合いと映画について語りあっていた。わたしはしずしずと映画館の迷宮を脱けだして、そこから歩いて帰った。

 

12 月 8 日 水曜日

 セーヌ川沿いのワインバーで、映画関係の面々と会う。しこたまワインを飲んで酔っ払ったわたしは、東京にいる恋人と電話をしながらいい気分でアパルトマンにもどった。目に映るすべてのものが美しかった。