ニューヨーク旅行記 Ⅱ | 20221228 - 1231

マンハッタン・ブリッジからの夕暮れ

12 月 28 日 水曜日

 朝方にひとりで外に出て、ルーズベルト・アイランドを散策する。八階建ての立体駐車場の最上階まで階段で駆け上がって、息を切らしながら東西の対岸に広がる景色を見た。わたしは本当に細長い島の上にいるのだと実感する。クイーンズの方角には大きな倉庫や工場が立ち並んでいた。わたしはしばらく屋上を歩いて回って、頭上に海鳥の群れが隊列をなして飛んでいくのを眺めていた。

 R を引き連れてブルックリンのプロスペクト・ハイツに赴き、大学時代からの友人 C と再会。彼女はニューヨークに駐在するひとと遠距離恋愛を経て結婚し、C も二年ほど前から移住して、郊外で二人で一緒に暮らしている。去年の夏に、江ノ島でひらかれた夫婦の結婚パーティの一日のことは、わたしにとっても幸福な記憶として大切に仕舞われている。わたしたちは再会を喜んで、日本人が経営するカフェでお茶をしてから、ブルックリンの街を散策する。ブルックリンもハーレム同様、17世紀からオランダ移民の入植がはじまった歴史があるらしい。半階ほど上がる階段の先に設えられた玄関を正面に構え、焦げ茶色を基調としたシックな住宅建築が往来に軒を並べている。いかにもニューヨークという景観は、もとはオランダの街並みに源泉を求められるのだろう。もしわたしは将来ニューヨークに住むことがあったとしたら。こういうアパートの一室に暮らす生活について想像をめぐらしてみる。

木立に引っ掛かっていたプラスチックの椅子

 C の行きつけのビーガンのエチオピア料理屋にいく。サンブサというスパイスの効いた三角パイをいただく。あまりに美味しくておどろく。いま振り返ると、あれはインドのサモサと同じだったのだと合点がいく。サモサの Wikipedia には、中世ペルシア語で「三角形のペイストリー」を意味する「sanbosag」を語源にもつとあって、サンブサも同じ語源をもつことはまちがいない。ペルシア由来の料理が、東はインドに、西はエチオピアにと伝来して、いまだに国民食としてあり続けているという歴史に心が躍る。テーブルではC から日本に住 知り合いのガーナ人の話を聞く。彼は毎日、道ゆく人たちに片っ端から「ヤマダ電機はどこにありますか?」と話しかけ、あっというまに日本語を習得していったという。まったく可笑しい。

 この日は夜までみんなとブルックリンをぶらぶら散策する。ブッシュウィックのほうまで北上して、いくつかの店を梯子した。MOLASSE BOOKS という本屋に立ち寄ってコーヒーを飲み、Pearl's Social & Billy Club というバーでニューヨークの地ビールを飲み、Tortilleria Mexicana Los Hermanos というメキシコ料理屋でトルティーヤを食べ、LEFT HAND PATH というバーでさらに酒を飲んだ。飲み食いしてばかりだ。最後の店で C の配偶者の K さんも合流して、夜も更けたころに K さんの運転で彼らの家へともどった。彼らはブルックリンから東に30分ほど車を走らせた Mineola という地区に暮らしている。ロング・アイランドは長い島なのだと身をもって経験した。ニューヨークの地形はきわめてユニークだ。

 

12 月 29 日 木曜日

  夫妻が暮らす家のリビングのソファで目を醒ます。大きな窓から柔らかな朝日が差し込んでいて、眼下に広がる美しい光景に見とれていた。眺望のいい家。K さんから BROMPTON の折り畳み自転車を借りて、ひとりで出掛ける。このあたりはもとよりポルトガル移民が多い地区らしく、夫婦のお気に入りだという Bakery of All Nations というポルトガルのパン屋に行った。パン屋の壁はリスボンの街並みを想起させるような薄い黄色で塗られ、わたしの前に並んでいたお婆さんは店員とポルトガル語で談笑している。店内を見渡すと、まさにポルトガルの中年男性という感じのたっぷりと顎ひげを蓄えた人たちが、コーヒーを飲みながら熱弁を交わしていた。脚のついたカップでコーヒーを飲んで、Tarta Mista というチーズとハムが綴じられたサンドイッチを食べた。かなりおいしい。

Bakery of All Nations にて

 冬晴れの住宅街を自転車で抜けていくのは気持ちがいい。庭に生えたあざやかな芝生の緑の向こうに玄関がある、二階建ての一軒家。まさにアメリカという感じの典型的な住宅だけれど、こんな家で家族で平穏無事な日々を送ることも素晴らしいにちがいないだろうと、この一世紀にわたってアメリカ合衆国が喧伝してきた家族生活の風景に惹かれている自分にも気づく。もうすぐ新年を迎えようとしているが、いまだにほとんどの軒先の庭にはクリスマスの飾り付けが残っていた。萎んでいるサンタやトナカイのバルーンを見て妙に感じ入るものがあった。

 自転車を漕いでいると、裁判所の前で数十人ほどの人だかりができている。何ごとかと隣の老婆に聞くと、当選したばかりのジョージ・サントスという共和党の下院議員の辞任を訴える抗議集会だそうだ。なんでも選挙のときの経歴詐称が続々と明るみに出ているとのことで、ひとつには親族がホロコーストの生存者だと語っていたことが嘘だと発覚し、そもそもユダヤ系ですらなかったと報じられたという。「これは氷山の一角にすぎない」と、老婆は語気を強めていった。この集会はいわゆる Colored(有色人種)の人たちや、女性たちの存在が目立った。おそらくは民主党の支持者たちなのだろう。彼ら彼女らは口を揃えて「We deserve better! We deserve better!」と声高に叫んでいた。

裁判所前の抗議集会

 わたしは自転車を返してから、ひとりで列車に乗り込んで、都心へと出かける。途中の乗り換えで、ジャマイカという駅のあたりをぐるっと歩いて回って、その名にたがわないカリブ海の雰囲気を感じ取ってうれしくなった。マンハッタンに移動して、グッゲンハイム美術館アレックス・カッツ展の当日券列に並ぶ。わたしは鞄に忍ばせていた『夜の果てへの旅』の続きを読んでいると、ちょうど主人公がニューヨークに到着する場面に行き当たった。

霧を通して、突然に見出したものが、あまりにも意外だったので、最初は信じられないほどだった、が、やがて間近に接近して、正面からそれを望んだときには、僕たちは漕役人の身であることも忘れて、げらげら笑いだした。想像してもみたまえ、そいつは、彼らの街は、立っていたのだ、完全にまっすぐに。ニューヨーク、これは、突っ立った街だ。むろん、僕たちはすでに、いくつもの街を見てきていた、しかも美しい街を、港を、それも有名な港を。だが、ヨーロッパでは、そうだろう、そいつは、街は寝そべっている、海辺に、あるいは河岸に、それは風景に沿って身を横たえ、旅人を待っている、ところが、こいつは、このアメリカ女は、身をまかせたりはしない、とんでもない、それは、そこにしゃちこばって立っている、いっしょに寝る余地などありゃしない、おっかないくらいしゃちこばって。だから僕たちは腹をかかえて笑ったのだ。

セリーヌ『夜の果てへの旅』(生田耕作訳, 中公文庫, 上巻299頁)

 続きを読み進めようとたまたま旅行鞄に忍ばせていたにすぎなかったのだが、『夜の果てへの旅』のバルダミュの旅が、パリからニューヨークへとわたった今回の旅行と奇しくも同期したことに、わたしは大きな昂奮を憶えた。いまとなっては生田の訳文には問題があるといわざるをえないが、ニューヨークがまっすぐに立った街だというセリーヌの指摘には大きくうなずいた。わたしにとってのマンハッタンの印象も近い。いま、わたしはマンハッタンの中心にいる。目を上げるとマンハッタンのビル群が視界に飛び込んでくる。このビル群の麓にいると、上へ、上へと引っ張られていくような感覚がある。これは丸の内のオフィス街を歩いていても、味わったことのない類のものだった。

 グッゲンハイム美術館はとても美しい建物だった。フランク・ロイド・ライドのつくった建築に足を踏み入れたのははじめてのことだった。とぐろを巻いたスロープの壁ぎわに、ぐるりとアレックス・カッツの作品が展示されている。この作品展示の構造は俯瞰的でありながら同時に連続的でもあって、これはひとつの美術館建築の極北だと感じ入った。その美しい空間で1927年にブルックリンで生まれ、生涯のほとんどをニューヨークで過ごした画家の作品を見ていく。この洗練、この上品さ。わたしは展示作品の端々からシティの空気を感じ取り、これはまさにニューヨークという都市が育てた画家にほかならないと強く感じた。もちろん二十世紀のニューヨークの画壇の中心には一方にポロックがいて、他方にウォーホルがいて、カッツはそのいずれの流れにも与しなかった画家であることはまちがいない。彼は都会を舞台にした具象絵画を描き続けたが、かといってエドワード・ホッパーのような現代人の孤独を描出するわけでもない。カッツの隣にはつねに最愛の妻エイダがいた。数十年にわたるキャリアのうちで、エイダの肖像をたびたび描き残している。たとえば黒いドレスに身を包んだエイダのさまざまなポージングを同じ一枚のキャンバスに描いた《The Black Dress》(1960)からは、夫妻がニューヨークでどんな暮らしをしていたのか透けて見える。文化的洗練に裏付けられた、上流階級に属する画家たちの暮らし。そういう暮らしに憧れを抱きながらも、わたしは同時にこの美術館の前に立ち寄ったジャマイカの地区で暮らしていた貧しい有色人種の人たちのことを思いだしていた。アレックス・カッツの絵を見ていると、まるでニューヨークにはああいった人たちは存在しないのではないかという錯覚に陥りそうになる。

Alex Katz, "Paul Taylor"(一部), 1959, 

 C とジャクソンハイツで合流。7番線の高架に沿って、頭上を走る電車ががなり立てる騒音にたびたび遮られながら、彼女と喋りながらルーズベルト・アベニューを下っていく。ペルー料理屋と南アジア料理屋がいくつも目につく。目に映るものが何もかも迫力があって楽しい。セリーヌではないけれど、わたしもこれまでいろいろな美しい街を訪れてきたが、人種の坩堝という表現がぴたりと来るほどいろいろな人がいて、ニューヨークほどそれぞれの街並みに迫力がある都市はないのではないか、本当の意味で文化的多様性のうちで歩くことはこんなに愉しいことなのだ、と昂奮ぎみに話した。往来の二階にあるダンス教室で黒人の男女がたどたどしく社交ダンスを練習している様子を眺めたり、露店に並ぶポットにつけられたスペイン語の意味を類推して注文したり、街歩きがなによりも楽しい。わたしたちはそのまま地元民たちで賑わっていたバングラデシュ料理屋に入る。みな褐色の肌をしていて、英語ではないさまざまな言語が飛び交っている。ビリヤニとホットチャイを注文。あまりの美味しさに絶句した。こんなに美味しいビリヤニは日本やフランスではありつけないのではないかなあ。チャイはたったの1ドル。

 電車に乗ってフラッシングの駅にいって、Kさんとも合流し、夫妻が愛してやまない火鍋屋に赴く。クイーンズのフラッシングはもうひとつのチャイナタウンとして知られていて、マンハッタンのものよりも規模は大きな感じがした。二人はあるときに火鍋にはまって、虱潰しにフラッシングじゅうの火鍋の店を試していったが、ここがいちばんお気に入りだといっていた。わたしは人生ではじめての火鍋を食べる。羊肉をたらふく食べた。

 

12 月 30 日 金曜日

 早起きして、ブラインドを開けると今日も飛び切りの朝日が飛び込んできた。青空がどこまでも続いている。今日も自転車を借りてひとりで出かける。本当に閑静という言葉が似つかわしい住宅街だ。一見するとすべてが安寧の感じがある。だけどきっとどの家もどこかに拳銃を仕舞っているのだと思うと、すべてが張りぼての幸福のようにも見えてくるのだった。『エレファント』で、同級生たちに銃口を向けた青年たちの無表情を思いだす。

 わたしは煉瓦でつくられた大きな廃墟に逢着して、壊れた窓からなかを覗こうとしていると、外で工事をしていた男性にすごい剣幕で怒られて、しぶしぶと敷地から出る。あれは病院なのか、学校なのか、教会なのか。なんだったのかよくわからない。自転車を折りたたんで列車に乗って、シティのほうへ。アトランティック・アベニューを自転車で走っていると、列車の車両庫とのあいだに設えられたフェンスに人だかりができている。フェンスの向こうでは、夥しい数のパトカーと救急車が停まっていた。わたしは何があったのかと隣にいた男性に聞くと、彼は「フライング・カーだ! クレイジーだ!」と叫んだ。どうやら道路を走っていた車がフェンスを突き破って、はるか数十メートル下の車庫に墜落したようだ。よく見ると大破した車が地面に横向きに倒れていた。あの車の様子を見る限り、間違いなく車に乗り合わせた奴らは死んじまっただろうねと興奮気味に言った。あと一日と少しで新年を迎えようとする年の瀬に、こんな悲惨な事故が起こってしまったわけだ。

Atlantic Avenue からのフライング・カー

 ブルックリンのカフェのテラスでぼうっとしていると、両隣の会話が断片的に耳に入ってくる。左隣の夫婦は声をひそめて親族の遺産相続のどろどろした話をしていて、右隣の若い女の子二人は、犬の散歩中のおばあさんに向かって年越しの瞬間にどのパーティに参加するべきか相談していた。ニューヨークは退屈することがない。人から薦められたセネガル料理屋で舌鼓を打ったあと、再び自転車に乗り込んで、マンハッタンのほうを目指す。マンハッタン橋をわたって、チャイナタウンをふらふらと回ったあと、ブルックリン橋からロング・アイランドに戻った。ニューヨークのサイクリングはこのうえなく爽快で、こんなに愉しいことはあるんだと感動しきり。帰りの駅のホームで自転車を畳んでいたところ、洒落こんだニューヨーカー三人組にクールな自転車だねと声をかけられた。わたしは人から借りたものであるとはいわず、努めてクールにセンキューと返した。いい気持ちだ。

チャイナタウンの迫力

 K さんと一緒に Stew Leonard's というニューヨーク州の郊外にしかない大型スーパーマーケットで買い物。日本では見たことのないほどひどく巨大な店舗、まるでテーマパークのような場所で、わたしは少年のように昂奮しっぱなしだった。天井を見上げればなぜかディズニーのキャラクターたちが空中ブランコをしているし、ところどころに設えられた人間と同じくらいの大きさロボット人形はボタンを押すと歌って踊りはじめる。これがアメリカ合衆国なのだ。黄色いアヒルの Stewieというマスコットキャラクターの人形を購入し、家まで連れて帰った。

 

12 月 31 日 土曜日

 大晦日。友人夫婦とRと一緒に、K さんの車に乗って4人で遠方に出掛けることになった。出発前に Bakery of All Nations に寄ってエッグタルトを買って、マンハッタンのほうを廻ってハドソン河に沿って北上する。後部座席に座っていたわたしは、雑談に興じながら車窓から流れていく景色を眺めていた。車内ではロイ・エアーズの「Everybody Loves the Sunshine」という楽曲が掛かっている。しかし天候はあいにくの曇天模様だった。

 わたしたちは Cold Spring という小さな町に車を停めた。ハドソン河の畔にあって、人口2,000人の田舎町。Cold Spring という名前は、おそらくどこかで冷たい湧き水があったということだろうが、わたしは「冷たい春」という解釈を推したい。冷たい春という名前にぴったりな、ひっそりとした町唯一のメイン・ストリートにはアンティーク・ショップが何軒か並んでいた。わたしたちは Once Upon A Time という店に入る。ありとあらゆる雑貨や家具が乱雑に並べられていて、骨董品好きにとっては天国のような場所だった。夢中になって店内を物色する。どれでも1点5ドルの品が無造作に置かれたキャビンがあって、わたしは金属でできた鯨のクリップと、1951年の同窓会につくられたティーカップと、あざやかなキリスト絵画のポストカードが入った額縁を手に入れた。店主の老人は、かれこれ四十年ほどひとりでこの店を切り盛りしているといった。骨董の品の数々は、人づてに情報を聞き、誰かが亡くなったあとの家や町を去っていく人たちの家を直接訪ねて交渉をして仕入れてきているのだという。

Cold Spring の骨董品屋での戦利品

 Cold Spring の喫茶店で軽食を食べ、わたしたちは再びルートに出る。しばらく車を走らせたところで、わたしは軽食のときに外していた矯正器具をさきの喫茶店に置き忘れたことに気づいた。ペーパータオルに包んで机の上に置いていたのだが、Rは ごみだと思って店員が捨てていたところを目撃したという。店に入って事情を説明し、厨房でひとりごみ箱を漁る。生卵の殻だらけになっているごみ箱から何とか矯正器具を救出することができた。しかし大晦日にこんな辺鄙な場所でごみ箱を漁ることになるとは、人生なにがあるかわからない。

 この日のわたしたちの目的地は Dia Beacon という美術館だった。一時は工業で栄えたが、1960年代を機に衰退の一途を辿ったニューヨーク州のビーコン。この町にあったナビスコの工場跡地を Dia Art Foundation が買い取り、2003年に現代美術館として開館したらしい。広々とした工場の敷地をふんだんに使って、1960年代から70年代のコレクションを中心に展示されている。チケット売り場にいくと、コンピュータが故障中で精算ができないのでタダで入っていいよとそのままバッジを渡された。こんな寛大な対応は日本では到底考えられない。

 大晦日ということも、都心部から離れていることもあってか、客入りはまばら。この美術館が隅から隅まで本当に気持ちのいい空間で、心ゆくまでの作品を堪能することができた。わたしがとくに気に入ったのはリチャード・セラ《Eclipse》シリーズの板金彫刻、六本木ヒルズの蜘蛛で知られるルイーズ・ブルジョワに捧げられたフロアの作品群、ランド・アートのマイケル・ハイザーが地面に掘った丸三角四角の穴や壁をくりぬいて埋め込んだ巨大な岩。はじめて知ったソル・ルウィットというアーティストの名を胸に刻み、思いがけず河原温の《100年カレンダー》に再会した。このカレンダーを埼玉県立美術館で目にしてから、ずっとおなじものが欲しいと思っているのだが、自分で見様見真似でつくるしかないのかもしれない。

Michael Heizer, "North, East, South, West", 1967/2002

 美術館を出ると、まるで湯治をしたあとのように身体が軽い。これほど快の感覚に包まれて美術館をあとにしたのは、ひょっとすると人生ではじめての経験かもしれない。わたしたちは帰り道にハンバーガーを食べ、さらにクラフトビールの鋳造所に寄って乾杯して、正月に備えて日本の食材店で餅や蒲鉾を仕入れて家にもどった。夫妻が準備してくれた年越しそばに舌鼓を打ち、テレビで放映されていたタイムズ・スクエアの生中継を見ながら、残りわずかとなった2022年最後の時間を静かに過ごした。

2022年大晦日の自画像

ニューヨーク旅行記 | 20221228 - 20230104(全 3 回)

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