ニューヨーク旅行記 Ⅲ | 20230101 - 0104

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2023年1月1日 日曜日

 新年を迎えたばかりのタイムズ・スクエアは狂騒のうちにあった。音楽が鳴り響き、紙吹雪が舞い散り、ごった返す人々が騒ぎ立てる様子をテレビ越しで眺める。わたしはそこから20マイルほど離れた静かな場所で、きっとだれもがそうであるように、いったい今年はどんな年になるんだろうと考えた。

 朝になって KC 夫妻と同じマンションに暮らす日本人夫婦がやってきて、二人が機械をつかってこねたという餅をご馳走になった。黄粉と砂糖醤油と小豆と海苔に加えて、黒豆や蒲鉾の用意もある。おせち料理と呼ぶにはほど遠いが、ニューヨークでもこうして日本の正月の食卓は少なからず再現できてしまうのだ。昼ごろまでだらだらと食べて、お決まりの昼寝。まさに寝正月。

 日が暮れるころになってのそのそと起きだして、ひとりで近所を散歩したあと、夫婦と一緒に近所のピザ屋に出かけた。いつもよりも客入りは多かったようだが、わたしたちの目につくところで新年を感じさせるものは何もない。顔見知り同士でハッピー・ニューイヤーと言葉をかけあっている姿を何度か見かけたのみだ。わたしは海外で新年を過ごすのは二度目だが、なにもかもが宙づりになったような、日本の静かな正月の雰囲気を愛してやまない者としては、アメリカ合衆国の新年の通常営業ぶりに逆に物足りなさを感じてしまう。

 家に戻って、三人でビールを飲みながら箱根駅伝の生放送を見る。時差の関係で、ちょうどニューヨークの18時から往路のレースがはじまっていたのだった。特に四区の熱戦にテレビの前のわたしたちは大いに盛り上がる。駒場、中央、青学の熾烈な首位争い。「史上最強の留学生」という触れ込みの東京国際大のヴィンセントの8人抜き、そして1時間00分の区間新記録。それにしても夜に酒を飲みながら見る箱根駅伝は格別だ。毎年こうしてアメリカで箱根駅伝を見たいと思ったほどである。ちょうど往路のレースが終わったあたりで、11月に足を運んでいた FRUE という音楽フェスティバルの映像無料再配信に移行する。せめて Bruno Pernadas までは粘りたかったのだが、Deerhoof の途中で眠ってしまった。

史上最強の留学生ことヴィンセントの放送事故感のあった日本語インタビュー

1 月 2 日 月曜日

 ニューヨーク郊外の夫妻の家に別れを告げ、マンハッタンの MoMA に向かう。この日の夜は予定があって、箱根駅伝の復路を一緒に見ることができなかったのが残念で仕方がない。タイムズ・スクエアのあたりを通ると、年越しのときの色とりどりの紙吹雪があちこちで風に舞っていた。MoMA ではちょうど前日までウォルフガング・ティルマンスの回顧展が開催されていたのだが、残念ながら一日間に合わなかった。何年か前に大阪の国立国際美術館でこの写真家の作品はまとめて見ていたが、当然 MoMA のものははるかにその規模を凌駕していただろう。比較できたらおもしろかったにちがいない。

 気を取り直して MoMA の常設展を堪能。モネをして「セザンヌはわれわれのうちでもっともすぐれた芸術家だ」と言わせしめたというセザンヌの《赤いチョッキを着た少年》の一点(わたしはチューリヒにある同作がいちばんの傑作だと思っている)。アンリ・ルソー《夢》やピカソ《アヴィニヨンの女たち》などの画家の代表作の前には思わず立ち止まってしまう。MoMA 所蔵の《洗濯女たち》(1888)はゴーギャンの画業のうちでも最高傑作ではないかと感じ入った。わたしはルーブルを引き合いに出して MET をくさしたばかりだったが、MoMA はさすがの充実ぶりだ。とはいえ欧州美術に限るならばやはりオルセーのほうに軍配があがるが、やはりMoMA は南米アメリカ大陸の作品が多数並んでいるのがおもしろい。アメリカ抽象表現主義の作品にはあまり関心を抱いていなかったが、ここにはマーク・ロスコの作品が何点か展示されていて、その色づかいと画面構成の巧みさに深い感動を憶えた。さらにはほとんどわたしも見たことのなかったラテンアメリカの美術に関する部屋もいくつもあって、欧州とも北米ともアジアとも異なる未知なる美術の世界の入口に立ったことに昂奮した。わたしはラテンアメリカ美術についてほとんど何も知らない。

Paul Gauguin, Washerwomen, Arles, 1888

 「Hell's Kitchen(地獄の台所)」という物騒な名前の地区を通り抜ける。ゲイバーをいくつか見かけ、ここはおそらくマンハッタンのゲイエリアなのではないかと思われた。東京では新宿、パリでは1区と、都心にほど近い場所にLGBTQの人たちが出かける場所があることは多い。都市近代史を勉強すれば容易に理由は紐解けるのだろうが、こうしていまも残っているのは、ひとりひとりが都会の喧騒に身を紛らせることができるからだろうか。

 R と待ち合わせて、友人から薦められたチェルシーの Printed Matters, Inc. という本屋に向かう。なんでも世界中から集められたZINEの総本山のような店だというのだが、着いたころには年始営業のためにすでに閉まっていた。このあとの観劇まで余裕があったので、小腹を空かせたわたしたちは Googleマップで気になった近場の Porteño というアルゼンチン料理屋に向かう。ポルテーニョとは、アルゼンチンではブエノスアイレスを示す単語のようである。わたしは Ravioles de Calabaza というレモンで味付けされた山羊チーズの南瓜餃子を食べた。このシックな雰囲気のレストランはデートで来たらいいのではないかと R に薦めてみると、まんざらでもない様子。

 オフ・ブロードウェイで、建物一棟まるまる使って上演される『SLEEP NO MORE』というショーを観にいく。すでに3回も足を運んでいるという C から薦められ、200ドルの大金を叩いてチケットを購入していたのだった。これは演劇と呼ぶには躊躇いのある変わったショーで、観客たちは建物の入口で渡される白い仮面を被って、この年季のはいった六階建てのホテル一棟を自由に歩き回り、至るところで同時多発的に進行している役者たちの芝居を追いかけていくことになる(『アイズ・ワイド・シャット』の仮面舞踏会を思いだして、それだけでどきどきしてしまう)。この日は年始なこともあっていつも以上に客が入っていたようで、仮面を被っていない俳優たちがひとたび現れると、十人、二十人規模の群衆がどたどたと小走りでひっついて回っていた。物語はシェイクスピアマクベス』をもとにしているというが、科白が一切ない上に、わたしたちは断片的に場面場面を見るほかないので、一度だけでは全体像をつかむことはできない。わたしは必死になって物語を追うのが下品に思えて、ひとりでのんびりとホテルを歩き回りながらこの世界観を楽しんだ。たまたま居合わせて『マクベス』と認識できたのは、暗殺のあとに血だらけになったマクベス伯爵がマクベス夫人のもとへと戻ってきた場面だけだった。いい場面だ。

 終演間際になって、地下の西部劇に出てきそうな内装のダンスホールに人だかりができていた。きれいに着飾った俳優たちがダンスを繰り広げている。わたしは隅のほうに立ってその様子に見とれていると、緑色のドレスに身を包んだ女優がわたしのもとへと走ってきて、目の前で手を差し出すではないか。わたしはおずおずとその手を取り、周りを取り囲んでいた数十人の観客の視線を感じながら、彼女と一緒にたどたどしいダンスを踊る。ふつうは役者から観客は見えない設定で進行していくのだが、このようにしてたまに役者から観客のほうへと働きかけてくることがあるようだ。わたしは永遠かのように思えた数分間、彼女と見つめあいながらステップを合わせる。彼女はわたしの耳元で「Good night」と囁いて、もとの俳優たちのもとへと飛び跳ねるように戻っていった。終演後、わたしは R と合流して、それぞれが目撃したものを報告しあった。わたしはあの緑色のドレスの女優と踊ったのだというと、R は大層うらやんでいた。

マンハッタンに聳え立つビル群

1 月 3 日 火曜日

 ジャクソンハイツで集合。雨が強く降っていた。スーパーで買ったばかりの安物の折り畳み傘の開閉ボタンを押すと、取っ手だけが外れ、すさまじい勢いで道の向こうまで飛んで行く。隣で一部始終を目撃していた見知らぬラティーノと顔を見合わせてげらげら笑う。わたしたちは四人でペルー料理屋に入った。応対してくれた愛嬌たっぷりのペルー人の青年は、Water という英単語すらうまく伝わらず、Agua と言うとにっこりとうなずいた。ニューヨークで働く彼はほとんど英語を解さず、わたしたちは四苦八苦しながらスペイン語で注文をした。焼きそばのようなものを食べる。

 バングラデシュ料理屋でホットチャイを飲んでから、ニューヨーク植物園をめざしてブロンクスに向かう。ニューヨーク経験のある周囲の友人や知人にブロンクスのおすすめをいくつか聞いていたが、みな口を揃えてブロンクスはあまり行ったことがないのでわからないといった。ギャングの抗争が頻発していた70年代や80年代に比べると治安はずっと落ち着いたというが、はたして現在はどのぐらい危険な地域なのだろう。前情報が頭に入っていたせいか、Fordham 駅から植物園までの道のりでも、ほかの地域を歩くときにはなかった緊張を感じる。駅前では妙齢の女性がひとりマイクを使ってスペイン語で何かを叫んでいた。

 ニューヨーク植物園の温室では、毎年冬の季節に30年以上もつづく恒例企画だという「HOLIDAY TRAIN SHOW」が開催されていた。熱帯の植物がうっそうと生い茂る温室に小さな線路が敷かれ、たくさんのミニチュア列車が走っている。その線路沿いには、植物でつくられたというニューヨークのランドマークのレプリカがいくつも並べられている。こんな調子で大きな温室に何部屋も展示が続いていて、わたしたちはこの夢みたいな空間で、まるで子どものようにはしゃいだ。きっとこの展示がきっかけで、人生が変わってしまった子どももいるのではないだろうかと思わせるほどの空間。このトレイン・ショーを除くと、植物園はやはり閑散期で、目ぼしいものが出ていなかった。標本館にいくと閉館時間になっていて、警備員から This is all you can see と言われたものが入口のガラスのショーケースだけ。その切なさがおかしくて、R と顔を見合わせて笑った。

グッゲンハイム美術館のレプリカ

 わたしたちはブルックリンのウィリアムズ・バーグのあたりに行く。仕事終わりの K さんが合流して、Santa Fe BK という洒落た店に入る。サンタ・フェと聞くとたちまち宮沢りえに頭を支配されてしまう。わたしたちは感じのよい快活な店員に相談しながら、クラシカルなハンバーガーを頼む。そのあとわたしはひとりで St. Mazie Bar & Supper Club という店に移動して、毎晩22時から組まれているというジャズバンドの生演奏を聴いていた。おめかしした若い女性たちがずらっと最前列に囲んでいて、きっとこのプレイヤーたちはもてて仕方がないのだろうと思っていたら、演奏が終わった瞬間に女性たちは立ち去って、サックス奏者はさみしそうにひとりで食事をしていた。

 そうこうすると、雪崩のように酔っ払った友だちが合流してくる。わたしのニューヨーク最後の夜は、彼らと日付が変わるまで酒を飲んだ。KC 夫妻とはつぎはパリで再会しようと約束して別れを告げた。R と地下鉄に乗ってルーズベルトアイランドに戻ろうとするのだが、工事か何かで地下鉄が止まっていて、わたしたちは二時間近くかけて家へと戻った。待てど暮らせど来ない電車、わたしの疲労はピークに達して、かなり不機嫌になる。R には申し訳ないことをしてしまった。マンハッタンとロングアイランドルーズベルトアイランドの往来者にわざと不便を強いているのではないかと勘繰ってしまうほどニューヨークの交通網はややこしい。しかしこのややこしさ、別の言い方をすれば、この分断こそがニューヨークの地区ごとのきわめてバリエーション豊かな特色を保っているのではないかという気もした。どこを訪れてもパリでしかないパリとちがって、ある意味ではニューヨークは東京に近しい。

ニューヨークのほとんどのエレベーターで見つけたボタン。消防士の帽子のイラストらしい

1 月 4 日 水曜日

 荷造り。R はわざわざルーズベルト島からクイーンズに架かる橋のところまで見送りに来てくれた。その途中で、木板の荷下ろしをしているラティーノたちにカメラを向けてビデオを撮っていると、撮られていることに気づいた者がひとりまたひとりとポーズを取ってくれる。ニューヨークを離れようとしていたわたしにとって、このうえない餞別を贈ってもらったように感じた。こうしたラティーノたちの陽気さが、この都市の活気をつくっているのではないだろうか。わたしは彼らに大きく手を振って別れた。

 橋をわたってクイーンズのあたりを歩く。到着のころの寒波が信じられないくらいの陽気。川をひとつ挟んでクイーンズに踏み入れただけで一気に建物の背が低くなり、「Dutch Kills (オランダの殺戮)」というこれまた物騒な名前の地区を抜けた。ストリートでオランダ系の痕跡を見つけることはできなかったが、この地区でも英語よりもスペイン語のほうがよく話されているように思われた。ジャクソンハイツまで出て、もう二度も訪れていたバングラデシュ料理屋に訪問し、チキンサモサとチャイを頼む。小銭を使い切ろうとごそごそと財布を漁っていたら、隣の女性が1ドルのコインを恵んでくれた。こんなことは日本はおろかフランスでも一度も経験したことがない。これがアメリカ国民の懐の広さなのだろうか。

バングラデシュ料理店にて

 バスに乗ってラガーディア空港に着く。ニューヨーク滞在中の写真や動画を整理していると、半分以上は美術作品を撮ったものだが、13日間の滞在で1,000個以上のデータが iPhone のカメラロールにあった。パリの3週間をはるかに凌ぐ物量。わたしは飛行機に乗り込んで、大西洋の上空で『夜の果てへの旅』の続きを読み進める。バルダミュはニューヨークに着いて、フォードの工場でこき使われたあと、アメリカの娼婦たちと戯れ、そして再びパリへと帰郷して、新たな生活をはじめていた。わたしもバルダミュと同じように――同じように?――パリに戻ることになる。夜の果てへの旅?

 

ニューヨーク旅行記 | 20221228 - 20230104(全 3 回)

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