日誌 | 20230121 - 0127

1 月 21 日 土曜日

 一年にわたって開催された「男はつらいよ」全50作品連続上映は、この日のシリーズ50作目にあたる『おかえり 寅さん』('19)上映でひとつの区切りを迎えた。今日も会場には二百人近くの観客が詰めかけている。作品上映前にはフランスで山田洋次についての書物を刊行したクロード・ルブランが登壇。そのまま日本のテレビ局クルーの取材に立ち会う。クロード・ルブランはカメラに向かって熱弁を振るう。山田洋次は小津・黒澤世代と是枝・濱口世代をつなぐミッシング・リンクであり、フランス文学史でいえば「忘れられた作家」という意味でモリエール、喜劇調で風俗を描くという意味でバルザックと比較できるだろう。わたしはこの大胆な発言をカメラの隣で聞きながら、日本の民放局はこの発言箇所を使うべくもなかろうと思う(案の定、三十分ほど喋り通していたが実際に放映で使われたのは5秒に満たなかった)。そのあと何人かの観客にインタビューを試みた。実際に聞いた人たちはいずれもこの特集で10作品以上の『男はつらいよ』を観たという。みな晴れやかな顔で語っていたのが印象的だった。

 Kindle Paperwhite開封。テーブルにタブレットを置いて夕食を取りながら読書ができる。紙の本は片手で支える必要があるけれど、Kindle ならページを繰るときだけ指一本のタップで事足りる。これは大変に便利である。一方で、小説を読み進めていると「●●人がハイライトしています」という案内とともに文中にあらかじめ点線が引かれている箇所に何度かぶつかった。即座に嫌悪感を抱き、大事な部分ぐらい自分で決めさせてくれ、いったいなんて最悪な機能なんだと憤慨していたのだが、冷静になって思い返すと、およそ10年ほど前だろうか、ちょうど出始めの Kindle の使用感を試したときにこれこそインターネットの未来だと感動を覚えた記憶が甦ってきた。あれはまだわたしたちがインターネットの夢を無邪気に信じることのできた時代。東浩紀が『一般意志2.0』を書けた時代とも言える。この10年で状況は様変わりしてしまった。

 

1 月 22 日 日曜日

 プチ・パレで開催されているアンドレ・ドゥヴァンベの回顧展に行く。ボナールと同じ1867年に生まれ、生涯にわたってパリを拠点に活動し、1944年に没した画家。当時は人気画家・イラストレーターだったが、没後まもなくに回顧展が組まれたきり、半世紀以上にわたって美術史から忘却されていたと説明がなされている。わたしもこの展示ではじめて名前を知ったのだが、ただちに気に入るところになった。あの油絵の厚み、あの刷毛の動き、あの色と形。これこそが絵画を見ることの喜びだ。自動車、飛行機、地下鉄、二十世紀初頭に登場した乗り物がモチーフとしてよく描かれるが、イタリアの未来派のようなイデオロギーはなく、こうした新しい乗り物がパリ市民たちの生活の風景をどのように変容させているのかということに、その市民のひとりとして興味があるようだった。ポートレートパリ・コミューンの場面を切り取った絵画も押しなべて素晴しく、こんな偉大な画家が長く忘却の憂き目に遭っていたことが信じられない。大満足でプチ・パレを後にした。

André Devambez, Le Lever (Valentine, dite Friquette, la fille de Devambez, s’habillant), 1917. ドゥヴァンべの娘を描いたもの。生涯にわたって家族の肖像画も描き続けていた

 レピュブリック広場に移動。広場ではちょうど旧正月を祝うセレモニーが行われていた。パリに住む華僑の人たちが、どこからともなく赤い服装を身につけて集まってきている。わたしは近くの抹茶屋で待ち合せていた N さんに会う。彼女は日本の某有料テレビ局に籍を置きながら、社内制度をつかって留学に来ているという。ソルボンヌの修士課程の授業の様子を聞いているうちに、わたしも再び勉強をしたいという気持が沸々湧いてきた。抹茶を飲んで、餡子を食べたあと、彼女のお気に入りだという11区の刀削麺を供する店にいく。たった8ユーロで、温かい食事にあり付けたことに感動。奥の席にはおじさんが陣取っていた。彼は来るたびにあの席に必ず座っているらしい。

レピュブリック広場の旧正月祝い

 N さんの導きに従って、Cite Universitaire の日本館を訪れ、深田晃司監督『歓待』(’10)を観る。青年団の役者が勢ぞろいで観ていて楽しい。脚本はとてもよくできている一方で、その脚本に縛られすぎているようというのが第一印象。会話を優先するがあまり、カメラワークの切味が鈍くなってしまっている。上映後に作品を選定したソルボンヌの留学生と話していたのだが、運動神経が鈍いというわたしの表現は彼女はむっとさせてしまったようだった。日本館のシネクラブにはいろいろな人が来ていた。蛙の生態について研究をしている女の子。あえて日本館の大学寮を選んだブラジルの陽気な留学生。幾何学を専攻する男の子はイタリア出身のフリオリ語話者だった。じつはパゾリーニはフリオリ語はあまりしゃべれなかったという話を聞く。だれもがわたしより年下で、なによりも若々しくて、自分は年を取ったなと感じる。

 

1 月 23 日 月曜日

 平日は出勤前に毎朝のように通うカフェで、エスプレッソとパン・オ・ショコラを注文し、カウンターで立ちながら Kindle で本を読む(席に座るよりもカウンターで立ったほうが安いのだ)。会計を終えて外で煙草を吸っていると、わたしのほうへ擦り寄ってくる馴染みの黒犬。この犬を撫でていると、パリに来てから一か月半ほどが経過して――とはいっても二週間はニューヨークにいたのだが――ようやくこの街の生活を愛しはじめているという実感が胸もとにゆっくりと降りてきた。今日もひどく冷え込んでいて、指がかじかじんでいる。

 家に帰ってトマトソースで和えるクスクスを準備しながら、「菊池成孔の粋な夜電波」のアーカイブを久し振りに聴く。シミュラークルに回収されることを免れたクラシック音楽特集。21世紀のクラシック音楽にとって「ポップ」をどう考えるかはもっとも大きな問題なのだという。クスクスはわりとうまくできた。

 UGC Rotonde でマーティン・マクドナー『イニシェリン島の精霊』を観る。1920年代のアイルランド大自然と内戦を背景に描かれる大親友の突然の仲たがい。一見すると妙な力学をもったドラマを追っていくにはしばしの忍耐を要するが、とても豊かな射程をもっている作品だ。『スリー・ビルボード』ほどの感動は憶えなかったが、この監督は追いかけ続けなければいけないと思う。

 

1 月 24 日 火曜日

 このアパートに住み始めてから、ずっと食器用洗剤で衣服を洗っていたことに気がついた。衣服用洗剤にしか見えなかったので油断していた。これまでの衣服の仕上がりに不満をもったことは一度もなかったが、慌ててスーパーに洗剤を買いに行った。少し大きめの容器のものに1000円くらい払う。日本に比べるとこうした何でもない日用品や消耗品が高くて焦る。

衣服用洗剤にしか見えない食器用洗剤

1 月 25 日 水曜日

 職場で制作しはじめた YouTube の新しい動画シリーズのタイトルを同僚たちと議論。正味二時間ほど、フランス人からして響きのよさそうな日本語の単語を挙げていった、これとしっくり来るものがない。たとえばわたしは「Tobira」はどうかと提案すると、政治家のクリスチャーヌ・トビラを連想させるからと即刻却下された。話していて気がついたのだが、日本語は「近くでじっと見る」ことを意味する語群が手薄だ。フォーカス、ズーム、クローズアップ。こうした外来語は即座に思いつくが、日本語では? 漢語ではあっても、大和言葉は? ひょっとすると「近くでじっと見る」こと自体が日本文化とは縁遠い行為だったのではないかという気がした。

 都市音楽家のケンちゃんがブリュッセルから長距離バスに乗ってわたしのもとを訪ねにきた。彼は春からヨーロッパに移住するためにいろいろな準備に明け暮れているのだという。本屋が好きで仕方がないというケンちゃんと一緒に、今週末にオープンするという 7 区の「Pharmacie des âmes(魂の薬局)」という名前の本屋に足を運ぶ。先日知り合ったばかりの青年が店主で、薬局だった物件を居抜きにした本屋。「本を処方する薬局」といって笑っていた。開店間際の店内には薬局の面影が残っていた。わたしがつくったアフリカ映画のカタログも置かせてくれといわれて、スパイク・リーが表紙の雑誌の隣に置いてもらった。

店主は「ONE PIECE in one piece」といっていた。「魂の薬局」にて

 ブリュッセルから来た人をパリのどこに連れていったらいいのかわからない。ケンちゃんはブリュッセルはパリのミニチュア版だと表現していた。逡巡した挙句、わたしたちは地下鉄に乗り込んで Belleville のあたりに向かった。通りがかった「Le Monte en l'Air」という小さな書店に入ってみると、ちょうどイベントが開催されていた。書店員に聞くと、「Les artistes pouvent-iels tout dire ?(芸術家はなにもかも言ってしまえるのか?)」という女性の芸術家たちが各々の状況を語るアンソロジーの出版記念イベントだと教えられた。登壇していた黒人の女性がセクシュアル・マイノリティを主題にした作品がひとつあればいいというわけではない、その作品だけでマイノリティ性は語りつくせないし、何も代表していないのだからと言った。そして黒人女性の性生活はもっとも表象されていない領域だとも語っていた。

 この夜は最終的に先週と同じ Lieu-dit に流れついて(ここのフライドポテトはかなりの旨さ)、ケンちゃんが仕事を進めているあいだ、わたしはほかの客たちと喋っていた。きみは 7 区なんて死んだエリアに何の用があって住んでるわけ? 早くこっちに引っ越してきたほうがいいよ、と妙齢の女性が愉しげに喋っていた。

 

1 月 26 日 木曜日

 わが家に泊まったケンちゃんと解散。これからフォンダシオン・ルイ・ヴィトンクロード・モネジョアン・ミッチェルの展示を見にいくといっていた。彼とは昨夜から喋りぱなしだっただが、置かれている状況や考えていることに共通点が多くて、わたしにとってもとても楽しい一日だった。パリかブリュッセルか、はたまたどこかでまた会おうと再会を誓って解散。店で彼が頼んでいた「Garçon !」という炭酸飲料が異様に美味しかった。

 夜は Zoom で日本文学読書会。東京にいたころも毎月開催していたが、こちらでも欧州の各地に散らばっている同僚たちを誘って読書会を続けられることになった。それぞれの都市の暮らしの様子が伺えて楽しい。初回の課題本には長谷敏司プロトコル・オブ・ヒューマニティ』を選んだが、わたしも含め参加者からは軒並み低評価だった。AIを埋め込んだ義足のコンテンポラリーダンサーを主人公に据えて〈人間性〉とは何かを問うという設定には惹かるのだが、あまりに素朴すぎる文体がまったく受け入れられない。まるで論文のように、あらかじめ用意された結論に論理的に到達しようと試みている。文学の真髄というものがあったとして、それはえてして本筋とは無関係の枝葉や寄り道に宿るのではないか。しかしエクリチュールとしてダンスの肉体性を表現することに成功した小説はいったいどれぐらいあるのだろう。スポーツ小説ならあっても、ダンスに限って言えば、にわかに好例が思い浮かばなかった。

 インスタントの味噌汁を飲もうと備え付けの家電を探る。やかんだと勘違いして火に掛けたものはじつは電子ポットだった。ゴムの部分が盛大に燃えている。わたしは大慌てで火を消した。焼けたゴムのすえた臭いが部屋に充満する。住みはじめてから一か月もせず、あやうく火事を起こすところだった。

 

1 月 27 日 金曜日

 男性向け風俗店で働いている夢から目醒める。自分の身体を売ることの不安に苛まれたやけに生々しい夢。

 パリを拠点に活動するピアニストの中野公揮のコンサートに立ち合う。クラシックと電子音楽の融合を試みている若いミュージシャンで、今回のコンサートでは客演として二コラ・ユシャールというダンサーを迎え入れていた。音楽もさることながら、二コラ・ユシャールの踊りがまったくもって素晴しくて、とてもいい夜になった。終演後に会場に漂っていた空気から、多くのお客さんがわたしと同じような感慨を受け取っている様子がひしひしと感じられた。わたしはいそいそと帰って、翌日からのロッテルダム行の準備をはじめる。映画祭のプログラムを印刷して、マーカーを引きながらスケジュールを立てていった。この作業はたまらなく楽しい。