FESPACO 2017/アフリカ映画、コンペティション部門の作品たち

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 FESPACO 2017(第25回)の長編フィクション部門の選出作品が発表された。FESPACO とは、ブルキナファソの首都ワガドゥグで二年に一度開催される映画祭 Festival Panafricain du Cinéma de Ouagadougou(ワガドゥグ全アフリカ映画祭)の通称であり、ブラック・アフリカにおいてもっとも大きい映画祭である。

 

 わたしは、2014年9月から2015年3月にかけてブルキナファソに滞在しており、そのあいだ FESPACO で仕事を手伝っていた。もちろん、前回の2015年の映画祭にも参加していて、なるべく仕事をもらわないようにしながら、朝から晩までひたすらアフリカ映画を観続けていたのである(そもそも、会期前の仕事でも応募作品のチェックをする業務に携わっていたので、総計では200本くらいアフリカ映画を見ただろうか)。残念ながら今年は行けそうにないが、50周年となる2019年の次回映画祭は足を運べたらいいなと密かに考えている。

 日本語で記された FESPACO についての情報はほとんど無いに等しく、とりわけ白石顕二さんというアフリカ文化研究者が2005年に亡くなって以来、ほとんどきちんとアフリカ映画の動向を追っている日本人はいないのではないだろうか。わたしは前回ブルキナファソ滞在に際していろいろと調べたりしたのだが、少なくともわたしのリサーチ能力では見つからなかった。したがって、誰の役に立つかは不明だが、先日発表されたコンペの20作品について、以下に簡単な情報をまとめておく。

 

 

« A mile in my shoes » (Saïd Khallaf 監督, モロッコ, 2015)

 本作は、長編監督処女作でありながら、アカデミー賞の外国語部門のモロッコ代表に選出されている。ストリート・キッドとして生きる少年が、社会にたいして復讐を仕掛けていく物語。2015年のタンジェ国内映画祭にて、グランプリ、主演男優賞、主演女優賞の3冠を受賞しているようだ。ちなみに、同映画祭では、わたしが個人的に注目している Hicham Lasri が監督賞をもらっていた。マグレブ諸国の映画製作のレベルは、芸術的観点からいっても、他のアフリカ地域に比していくらか優れているという印象をもっている。

 

« Aisha » (Chande Omar 監督, タンザニア

 長編監督処女作。婚約を果たした女性が生まれ故郷に戻るのだが、いまだに自分のことを想っている初恋の男がいて•••といういかにもアフリカ的な物語。シアトル国際映画祭などをはじめとするいくつかの海外の映画祭にも出品されている模様。YouTubeのトレーラーを見ていたら、途中でキャメラと思しき巨大な機材が映り込んでいて仰天した。本当にこういうことは辞めたほうがいい…。

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« A la recherche du pouvoir perdu » (Mohammed Ahed Bensouda 監督,  モロッコ

 監督はこれまでいくつかの長編作品を発表しているようで、前作 "Derièrre les portes fermées" はそれなりにモロッコでは評価されている模様。短編・中編も含めれば、長いキャリアになっている。本作は、60を超えた退官軍人の日常をとらえた物語。標題は、プルーストにあやかって「失われた権力を求めて」とある。探索していたら、撮影風景や監督インタビューなどを収めた動画を発見したのだが、すべてアラビア語なのでまったくわからない。

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« Félicité » (アラン・ゴミ監督, セネガル, 2017)

 今映画祭において最注目の作品といっていいだろう。アラン・ゴミ監督の前作 "Aujourd'hui / Tey"('12)は、2013年のFESPACOにて最優秀賞を獲得しており、本作はベルリン映画祭の公式コンペティション部門にも選出されている。事故で大怪我を負った息子を助けるために奔走する母の物語ということだが、特筆すべきは、セネガルではなく、コンゴ民主共和国キンシャサで撮影が行われているということだ(このことは地縁的社会であるアフリカの映画界にとってはひとつの功績といえるのではないか)。アラン・ゴミは、世界的な評価を手にする21世紀のアフリカ映画監督として、アブデラマン・シサコに次ぐ存在になれるか。

 

« Fre » (Kinfe Banbu 監督, エチオピア

 BILATENA(The Golden Child)という長編作品をすでに撮っているようだが、驚くほど監督の情報が出てこない。唯一、本人と思しきFBが出てきて、最近の投稿でガールフレンドへの愛を表明していた。ほんの個人的な直観にすぎないが、エチオピアの映画界には期待している部分があるので、今後の活躍に期待といったところか。

 

« Frontières » (Appolline Traoré 監督, ブルキナファソ

 アメリカで学士を取得し、LAのインディペンデント映画業界で働いた過去をもつ女性監督。すでにフィルモグラフィには長編短編を含めて8作品ほど数えている。本作は、ダカールからラゴスへと向かうバスに乗り込んだ三人の女性に様々な出来事が降りかかるという話。FESPACOについての監督のインタビュー記事を以前読んだことがある。FESPACOよりもだいぶ悲惨な世界の映画祭に足を運んだことがあるのだが…と彼女は記事で語っているが、一体それはどこなのか知りたい。

 

« Innocent malgré tout » ( Kouamé Jean De Dieu Konan / Kouamé Mathurin Samuel Codjovi 監督, コートジボワール, 2016)

 二十代の若き二人の映画監督の手による長編処女作。本作はすでに、昨夏に開催されたカメルーンの "Ecran noir" という映画祭に出品されているようである。本国では、すでに劇場公開されている模様。予告編を見る限り、アフリカにありがちなサスペンス・スリラーものの娯楽映画といった趣か。

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« L’interprète » (Olivier Meliche Koné 監督, コートジボワール

 まったく情報がない。監督の名前で打ってもなにひとつ出てこない。奥の手のFBでプロフィール検索しても当たらずだった。逆に興味が湧く。

 

« L’orage africain – Un continent sous influence » (シルベストル・アムッスゥ監督, ベナン, 2015)

 日本でも映画祭で紹介されたことのある『アフリカ・パラダイス』の監督である。わたしは残念ながら未見なのだが、『アフリカ・パラダイス』は、すっかり退廃したヨーロッパの難民たちが、「アフリカ合衆国」へと安寧を求めて大挙になって押し寄せるという筋書きの映画で、アイデアはおもしろい。本作も発想はなかなか冴えていて、アフリカの地で開発を進める海外企業やNPOにたいして、アフリカの国民が蜂起し、彼らの権利をすべて奪取するという話。予告篇を見ても、わたしの好みではないが、それなりによくできているように見える。 

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« La forêt du Niolo » (Adama Roamba 監督, ブルキナファソ

 かつて監督はガストン・カボーレなどのアシスタントを務めていたようだ。これまでいくつかの短編/中編は撮ってきているようだが、おそらくは本作が長編処女作。「ニオロの森」と題された本作は、鉱山開発にまつわるひとつの農村の物語。社会性のある主題を扱っている印象はある。

 

« Le gang des Antillais » (Jean Claude Barny 監督, グアダルーペ, 2016)

 唯一のカリブ海地域からの出品(とはいっても撮影はフランスのようだが)。本作はパトリック・シャモワゾーと親交のある Loïc Léry という作家の自伝風小説をもとにつくられており、作家も監修に携わっている。すでにフランスでも劇場公開がされていて、観客のレビューを読んでいるとそれなりの評価を受けている。1970年代のフランスが舞台。アンティーユ諸島からフランスへと移住してきた青年たちは、生活苦から強盗を働くギャングスタに変貌を遂げる、という物語。トレーラーを見る限り、娯楽映画として非常によくできている。 

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« Le puits » (Lotfi Bouchouchi, アルジェリア

 プロデューサーとしていくつか作品を手がけた Lotfi Bouchouchi の監督処女作。アカデミー賞外国語部門のアルジェリア代表に選出されている。アルジェリア独立戦争に際して、反乱軍が潜伏していると睨んだフランス軍がある街を襲撃するというプロット。本作はすでに、マルメ(スウェーデン)で開催されている第6回アラブ映画祭で最優秀監督賞を受賞、国内でもオランの映画祭(FIONA)で監督賞を授与されている。

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« Les Tourments » (Sidali Fettar 監督, アルジェリア

 "Rai"('88)、"Amour interdit"('93)に続いて、三作目の長編監督作品か。本作はすでにアルジェのシネマテークで上映されているらしい。ひとつの家族が、さまざまな苦難を迎えるさまを描く。主人公の長男は、生活苦からテロ組織とつるむようになってしまうとある。果敢にも現地でテロリズムの題材を取り上げている作品は、もっと海外でも紹介されるべきだろう。

 

« Life point » (Brice Achille 監督, カメルーン

 長編作品は監督二作目。もともとはミュージシャンとして映画製作に携わっていたようで、アーティスト奨学生としてベルリナーレなどに呼ばれていることもあったらしい。本作は、自殺願望に取り憑かれた75歳の大学教授が、中央アフリカからの難民の少女に出会う物語。楽しそうな撮影風景の写真が掲載されている

 

« Lilia, une fille tunisienne » (Mohamed Zran 監督, チュニジア

 監督にとって長編六作目か。"Le casseur de pierres"('89)は、カンヌの「ある視点部門」に出品されている。2016年にロンドンで催された世界映画作家国際映画祭には本作が出品され、主演の Abdelkader Ben Said に俳優賞が授けられている。現代的な感性をもつ若い女性を主人公に据えて、チュニジアの女性への社会的抑圧についてを主題として扱っているようだ。

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« Praising the Lord plus one » (Kwaw Ansah 監督, ガーナ, 2013)

 監督の"Heritage Africa"('89)は、1989年の FESPACO で最優秀賞を獲得している。FEPACIやFESPACOの代表も務めたことのあるアフリカ映画界の重鎮の新作(とはいえ製作年は2013年となっており、劇場公開も数年前にされている)がコンペ部門に選出となった。悪徳預言者が信者たちの信仰心につけこみ騙していくという物語。主題としては面白そうなのだが、この撮り方はどうにかならないものか。 

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« The lucky specials » (Rea Rangaka 監督, 南アフリカ, 2016)

 2010年から本国ではキャリアを着実に積んできている監督の新作。プロットを読むと、結核のリスクを周知するための教育的なフィルムであるという。実写とアニメーションを組み合わせてつくったということだが、その内実やいかに。

 

« Thom » (Tahirou Tasséré Ouédraogo 監督, ブルキナファソ, 2014)

 ウエドラオゴという姓は、ワガドゥグを歩けば4人に1人は出くわすほどのものであるが、本作の監督は、何を隠そうアフリカ映画の巨匠、イドリッサ・ウエドラオゴの弟である。2000年に短編でキャリアをスタートし、これまで二度ほど FESPACO にも招待されている。およそ10年ぶりの本作は、ひとりの女をめぐる父親と息子の愛憎劇だそうだが、この40秒のトレーラーの茶番を見る限りでは、正直なところとても期待できない。なぜマイクが入ったままなんだ。 

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« Wulu » (Daouda Coulibaly 監督, マリ, 2016)

 監督にとっては長編処女作。"Wulu"とは、バンバラ語で「犬」を意味するそうだ。青年は、運転手見習いとして何年も勤めあげるのだが、結局仕事は得られず、いつのまにかドラッグのトラフィックを担うグループに巻き込まれてしまうというポリティカル・スリラー。パリの映画祭や、トロント映画祭にも呼ばれている模様。

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« Zin’naariya ! » (Rahmatou Kéïta 監督, ニジェール

 女性監督。もともとジャーナリストとして活動し、いくつかドキュメンタリーを製作した監督にとって、長編フィクション処女作。冬休みに故郷に戻ってきた女学生の物語。彼女は、フランスの大学で出会った青年と婚約しており、その青年も彼女の故郷へと来訪するが、地元の面々の反対に遭い…という筋書き。トロント映画祭にも出品されている。

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 以上、20作品。製作国から見ると、主催のブルキナファソからは最多3作品の選出となり、次点としてコートジボワールアルジェリア、モロッコが2作品ずつとなっている。ほかには、カメルーンニジェール、マリ、グアドループチュニジアエチオピアセネガル南アフリカタンザニアからの出品がある。

 

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 アルジェリア、モロッコチュニジアというマグレブ地域の諸国は、国内ではさまざまな苦労を抱えてはいるようなのだが、アフリカにおいては映画製作は非常に盛んであり、国際水準で見ても引けを取らない佳作が生み出されているような印象をもっている。実際、わたしは FESPACO の選考業務の際、応募されてくるアフリカ各地の作品を見続けていたのだが、映像のクオリティひとつとっても、マグレブは図抜けていた。2015年のFESPACOで最優秀賞をとったのも、モロッコ人監督の撮った "Fièvre" という作品であった(まったくもって素晴らしい作品だった)。

 ただし、マグレブを〈アフリカ〉と括るのはあまり適切ではないだろう。マグレブは、アフリカというよりも地中海文化であり、アラブ文化圏であり、イスラームの国々である。ブラック・アフリカとマグレブ地域には、確かに共通点はあるものの、相違点のほうが大きい。それでも現地の映画人たちは、おなじ大陸だからと賛意を示す者が多いようなのだが、映画祭の母体がブラック・アフリカにある以上、たとえばこれ以上(今映画祭では、コンペ作品の1/4をマグレブ地域が占めていることになる)存在感が増すと、アフリカ映画祭としてのバランスがおかしくなってしまう。

 

 マグレブ地域よりも存在感を誇っているのは、西アフリカのフランス語圏の諸国である。西アフリカのフランス語圏であるブルキナファソで開催されているということもあって、この地域の作品が多いのは当然ではあるのだが、ラインナップの半分以上を占めているというのは、例年以上の存在感がある。なかでも、セネガルブルキナファソといった映画製作の伝統がある根強くある国々だけではなく、ニジェールやマリ、コートジボワールといった諸国から若い才能が出てきているということの意義は大きい。とはいえ、略歴を見ていると、彼らはそろいもそろって西欧諸国に留学しており、やはりアフリカの土地に留まっているだけでは、世界的に注目されうる映画作家はなかなか出てこないのは事実だ。べつに留学することはネガティヴではなりえないのだが、その過程で土地に根付いているナラティブが失われてしまう可能性がなきにもあらずなのだ。とりわけアフリカという場所は、そのようなことが問題となりやすいという感想をもっている。ここでそのことを考察することはやめておくが、いつかきちんと向き合わなければいけないだろう。

 

 フランス語圏に引き換え、英語圏の作品は少し寂しい印象だ。タンザニア南アフリカ、ガーナ、エチオピアから1作品ずつの計 4 作品のみである。南アフリカエチオピアの映画事情はなかなか豊穣なようではあるので、前回同様に作品がある。だが、たとえば映画大国であるナイジェリアからの出品はない。また、ポルトガル語圏からも一作品もなかった。実際のところ、全体で見ても英語圏からの応募数は少ない(ポルトガル語圏は制作されている映画の絶対数がわずかである)ゆえに仕方ないことではある。

 

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 映画祭としては、やはりワールド・プレミアの少なさにはいささか気になってしまう。そもそも各作品の情報が公式に発表されないのでわからないが、おそらくわたしのリサーチの結果だと、選出された20本のうち、WPは5本程度に留まる。もちろん、FESPACOにとって、WPばかりを集めることがかならずしもいいわけではない。だが、いまいち映画祭がどこに目を向けているのかがわからないのだ。アフリカの大衆的な観客たちにプライオリティを置きたいのであれば、海外の映画祭で評されているだけのアート系作品は排して、実際に現地で興行されているような娯楽映画を流すべきだろう。アフリカ映画の国際的なプレゼンスの向上を目指すのであれば、中途半端なクオリティの作品は排して、欧米の映画祭にも呼ばれうる質の担保された作品を集めるべきであろう。上層部たちのあいだではすでに方向性は定まっているのかもしれないが、いまの段階では、その二足の草鞋を履いているような印象が拭えない。それは、現場で働いている人間も、あまり共有できていない、というのがわたしの実感だった。

 とはいえ、映画をめぐる状況は、他の地域とは比べものにならないほど芳しくないアフリカ(少なくとも西アフリカ)にとって、このように、同時代のアフリカの作家たちがつくっている新作を一挙に観れるという機会があるだけでも、大いに意義があることは間違いない。そのなかから、世界を驚かせてくれるような、新たな価値観を高い水準で表現することのできる作家が出てくればいい。それがいつになるかは、まったくわからないのだが。

 

 残念ながら今年はいけそうにないが、次回の2019年開催の FESPACO には足を運ぼうかと考えている。もし、今年行かれるという方がいましたら、ぜひわたしの連絡先 immoue@gmail.com までご一報いただけると幸いです。

 

(掲載写真はすべて Ouagadougou, Burkina Faso, 2015 撮影)

 

欲望の交差点、ひとを喰ったような映画 / ニコラス・W・レフン『ネオン・デーモン』

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 鑑賞する前に、どこかで「ひとを喰ったような映画だ」という評を目にした。カンヌの舞台では、歓声と怒号が同時に飛び交ったという。わたしはそれなりに身構えて鑑賞に臨んだ。そして劇場を出るとき、なるほど、まさに〈ひとを喰ったような映画〉にほかならないな、と苦笑しながら深く頷かされてしまった。

 

 このフィルムを観て、まっさきに思い浮かんだのは、エリザベート・バートリという十六世紀のハンガリーの貴族のことである。かつて「血の伯爵夫人」という異名を轟かせた彼女は、あるとき偶然女中の血が身体に振りかかったのを機に、処女の血が若返りによいと信じ込み、国中から若い処女たちをひそかに集めて殺し、その血を呑み、血で湯浴みまでしていたという。彼女が殺めた処女の数は、数百は下らないとされている。「鉄の処女」という拷問器具とともに、彼女の〈吸血鬼〉としての物語は、これまで数多くの者たちを惹きつけ、さまざまなヴァリアントがつくられてきた。

 本作は、そのひとつのヴァリアントとして捉えても相違ないだろう。舞台は、現代のロサンゼルス。16歳になったばかりの身寄りのいないジェジー(エル・ファニング)は、地元をひとり飛び出て、モデルとして身を立てるためにロサンゼルスにやってきたばかりだ。ジェシーは、虚勢を張ってみせるものの、いまだに処女であり、まだあどけなさの残る美しさを讃えている。

 ファースト・カットは、ネットで知り合ったという若いカメラマン(カール・グルスマン)のために、Jesse が長椅子に横たわり、首から血を流してポージングするというものだった。事務所へと応募すべく受けた面接では、「一日に 30、40 の女の子と面接しているけれど、あなたはちがう」とまで面接官に言わしめ、事務所に所属することとなった。彼女は、ただちに一流のカメラマンの撮影のモデルをする機会に恵まれ、コスチュームデザイナーの目に止まり、ファッションショーにも抜擢される。あらゆるところで、「彼女はビッグになるにちがいない」と囁かれている。

 トントン拍子でスターへの道を駆け上がっていく若い少女を取り巻く周囲の女性たちは、ジェシーにたいしてあからさまな嫉妬を差し向ける。女たちの欲望が渦巻くショービジネスの世界(いうまでもないが、このショービジネスを根底から支えているのは、映画では描かれることのなかった、無自覚的に欲望に行使する男たちなのである ―― 彼らが描かれないということが、この映画が奇怪である最たるゆえんだろう)で、ジェシーはその頂点まで昇りつめんとする。

 

 さて、このような設定の物語に、血の伯爵夫人の寓意が込められる。伯爵夫人にあたるのは、ジェシーを取り巻く三人の女性たちだ。"The Bionic Woman" であるジジとサラという落ち目にありつつあるトップモデル、そしてメイクアップ・アーティストのルビー。三人の伯爵夫人は、ジェシーを穢れなき血を求めて、彼女を欲するのである。

 "I don't want to be like them, they want to be like me." というジェシーのナルシシズムに満ちた科白を憶えているだろうか。物語を最後まで追うと判明するのだが、じつは女たちは、"want to be like Jesse" という欲望の奥底に、"want Jesse" という直接的な欲望を抱えていたのである。レズビアンの指向があるルビーは、ジェシーの身体を欲するが、激しい拒絶に遭ってしまう。このことが契機となって、のちの犯行へと発展する。

 このフィルムにおいて着目すべきは、血の流れる場面である。血を流す人物は、二人しか登場しない(しいていえば三人なのかもしれないが、わたしは犯行後のルビーが裸体で横たわる象徴的なシーンについての判断をつきかねている)。ひとりは、いうまでもなく、ジェシーである。ファースト・カットは頸からまがい物の血を流す衣装を施した彼女を捉えているし、ファッションショーの選考会において落選することとなった女性との一幕 ―― 彼女までもがジェシーの血を欲する ――、モーテルのシーツは血に塗れ、そして最期には水のないプールの底で血を流して息を絶やす。

 ジェシーがプールの奥底に突き落とされたあと、親切にも深紅に染まった湯船で血浴みするルビーや、シャワーを浴びながら血を洗い流すジジとサラが描かれる。そして、時を経て、新たな仕事に向かうジジとサラだが、灼熱の太陽と海を背にポージングをしているさなか、突如としてジジは体調を崩す。室内へと逃げ込み、激しく咳き込んで血まみれになった眼球を吐き出すのだ。それは、紛れもなくジェシーの眼球であろう。彼女は腹部を抑え、"I should get her out of here"と叫んで、みずからナイフを刺し、血を流して死んでしまう。その姿を冷ややかな目で見届けたサラは、まったく落ち着きを払った様子で、その場を後にする。エンドロール。

 

 まさに〈人を喰った〉展開の物語だが、わたしが寓意として読み取ったのは、血が通う者は、欲望の渦巻くゲームで勝ち残ることができない、ということだ。伯爵夫人は、しばしば吸血鬼と見做され、恐れられてきた。吸血鬼は、他者の血を取り込んでしまうが、みずからの血を見せることはない。そもそも、吸血鬼に血が流れているかすらわからない。吸血鬼の物語は、さまざまな変奏をもっているが、吸血鬼みずからは血を流さないというのは、ひとつの暗黙の決まりごとになっているのではないか、という気すらする。

 ジジは、ジェシーを殺めたことに後ろめたさを感じている。そのとき、彼女は吸血鬼たる冷徹さを失ってしまった。彼女が情に絆されてしまった瞬間、ショービジネスの世界で生き残るための狡猾さを失い、彼女には名実ともに死が訪れるのである。その姿を見届けたサラは、そのあとも、血の通わない冷徹さをもって、競合を蹴散らし、加齢に争って、欲望の交差する中心点に止まり続けようするに違いない。

 

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 と、なんとか感想を書き留めようと思ったのだが、まったく歯切れの悪い文章になってしまい、書きながら頭を抱えそうになった。それは、わたしの力量不足ということも多分にあるのだが、また同時にフィルムそのものの歯切れの悪さゆえではないか、と思う。これほど駄文を書いてきてしまったが、わたしはこの映画について、否定的な感想をもったのだ。

 すべてが中途半端である。ときどき美しい映像はあるのだが、明らかに演出されている場面において、シンメトリーが完徹されていなかったり、画面のつくりこみが甘い。モンタージュにも大きな問題がある。ストーリーテリングに奉仕する映像と耽美的な世界を表現する映像がちぐはぐに組み込まれているせいで、映像としての根本的なリズムが悪い(音楽にはかなり助けられている)。そもそも、物語を語ろうとする意志に引っ張られすぎている気がする。観客を信頼していない証拠でないか。

 作家はさまざまなシンボルを配置したのであろうが、たとえば、頻繁に作中に登場する鏡 ―― ジェシーが鏡に映った自分にキスするシーンで、彼女は "dangerous" になったのである ―― にしても、ナルキッソスの鏡を意図していることは明らかなのだが、取ってつけたように置かれたという印象が拭えない。結局のところ、ロサンジェルスの街並みを撮りたかったのかどうかも判然としないし、幼少期に月を見上げていた挿話も効果を発揮していない。モーテルに出没した山猫が、邸宅では剥製になって置かれていたのも、なんだかあからさまで品がなかった(剥製は、まずは血が抜かれているということだから、このフィルムの寓意にたいして働きかける要素のひとつであるはずなのだが、それにしても)。

 

 なにより、いちばんわたしが懐疑を挟みたいのは、エル・ファニングのキャスティングである。べつに彼女の演技に大きな問題が見受けられたというわけではない。だが、エル・ファニングは、だれもが嫉妬の念を、あまつさえ欲望を直接的に差しむけるような女性足り得ていただろうか? あどけなさの残る〈ロリータ〉としての美を押し出すにしては垢抜けすぎているし、他の美しいモデルたち(そもそも彼女たちの多くは、実際に活躍しているモデルにちがいない)から妬まれるほど飛び抜けているはずの美しさは、そこにはどうしても見受けられないのだ。この物語におけるすべての生起は、ジェシーの美に端を発しているだけに、エル・ファニングではいささか説得力に欠けてしまうというのが正直な感想である。では、だれを持ってくるべきだったのか? わたしは回答をもたない。けれど、往年の映画監督たちのように ―― たとえば、ハワード・ホークスが、無名女優をたった一本のフィルムで〈夢の女 Dream Girl〉に仕立て上げてしまったように ―― どこかから原石を発掘してきてほしかった、という気がする。

 

 まあ、エル・ファニングも可愛いんだけどね。あと、エンドロールの映像も綺麗でした。

 

異物に病みつきになるという経験 ―― ナカゴー『ベネディクトたち』

 異物が口のなかに入りこんでくる。あなたは怪訝な顔をして、おそるおそる舌のうえで異物を転がし、その味を確かめんとする。意外にイケるかもしれない。緊張をとぎほぐしながらゆっくりと味わっていると、次第にまるで麻薬を摂取しているかのような感覚に陥ってくる。もっともっと、とあなたは過剰を欲する。しかも具合の悪いことに、過剰摂取によって麻薬は効かなくなってくるのではなく、むしろその過剰さによって加速度的にキマリはじめ、ずぶずぶと沼から抜けられなくなってしまう。そして、しまいには、さらに具合の悪いことに、あなたはその沼へとだれかを引きずりこみたくて仕方がなってくるのだ。チェーン・スモーキング。

 

 2015年に観た『率いて』につづいて、二度めのナカゴーの演劇。10分ほどの新作『話の聞きたいひと』、6年ぶりに初演メンバーで蘇った『ベネディクトたち』。それについての文章を腰を据えて記そうとしていたのだが、腰砕けでここまでで終わっていた。

 演劇によって語られる物語について多少なりとも考えることはできても、演劇という枠組みについての思考言語をいまだ獲得していない。今年は、もう少し精力的に観劇できればと思う。月に2本くらいは観に行きたいものだ。演劇に精通している友人が欲しい。

『ストレンジャー・シングス 未知の世界』―― 見事な 80 年代へのゲートウェイ・ドラマ

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 わたしはあらかじめ告白しておく。この作品について、いまの段階では願うとおりの文章が書けるとは到底思えない。80年代のアメリカでつくられたさまざまな作品群にオマージュが捧げられているのはわかるのだが、肝腎の引用先のカルチャーに精通しているというのとはほど遠い位置に、わたし自身が存しているからだ。

 ジョン・カーペンターにはまったく思い入れがないし、ロバート・ゼメキスも『バック・トゥー・ザ・フューチャー』と『フォレスト・ガンプ』を中学生のころに観ただけだし、スティーヴン・キングに至っては、一冊も小説を読んだことがないかもしれない(あらためてこの事実に思い当たり吃驚した)。好きな作品はいくつかあるけれど、スピルバーグに育てられたという記憶もそれほどない。しかし、だからこそよかったのではないか、と事実を好意的に解釈してもいる。すなわち、『ストレンジャー・シングス』が、わたしにとっての80年代のアメリカという世界への入り口となったのではないか? と。

 現在の世界(〈表側〉)と The Upside Down(〈裏側〉)が通ずるためのゲート(Gate)を設けるには、非常に莫大なエネルギーをもちいて穴を開けることが必要とされるという説明が作中にあった。そのことをあえて転用するならば、次のように言えるかもしれない。『ストレンジャー・シングス』というドラマは、90年代に生まれたわたしに、80年代へのゲートを開けてくれるような、はち切れんばかりのエネルギーに満ちた秀作だったのである、と。それが単なる懐古趣味に陥っているとは思わない。なぜなら、引用先の80年代にさほど造詣のないわたし自身が、十分に物語を愉しむことができたのだから。わたしや若き観客たちの多くにとっては、『ストレンジャー・シングス』こそが、華やかな 80 年代へのゲートウェイ・ドラマ足りうるのである。

 

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 しかし、年末というのはおそろしい。夜に Netflix をひらいて、エピソード1を観はじめてから、そのまま中断することなくエピソード8まで観続けてしまった。総計して7時間余りものあいだスクリーンに齧り付いていたということである。シーズン1を一気に完走して、窓から差している眩いばかりの朝日を尻目に眠りに就いた。一気見させてしまうほどのエネルギーは、作品そのもののおもしろさによって供給された(もっとも、『ハウス・オブ・カード』や『ウォーキング・デッド』のときは、シーズン数も多い分、さらにひどい有様を呈していたのだが)。 

 ここでしばしくだらない話をする。わたしは2016年8月にこのドラマがリリースされたとき、『ストレンジャー・シングス』という邦題を見て、"Stranger Sings"とはいったいなんと素晴らしい表題なのか、この題を冠した物語がSFものであるならば、一刻も早く観なければならないな、と考えていた。だが、あるときに"Stranger Sings"ではなく、正しくは"Stranger Things"というように綴ると知った。そのときの落胆は思い知れない。心中にひそかに練り上がっていた甘美な予感が、見事に崩れ落ちて行ってしまったのだ。たったそれだけの理由で、リリース以来長いあいだ気になってはいたものの、観るのが今ごろになってしまったのである。

 とはいえ、やはり "Stranger Things" という題は、あまりいただけない。もちろん、意味としては納得できるのだが、あまりにもウィットが注入されていなさすぎやしないか。ここまで書いて気になったので、検索窓に説明を求めた。reddit で似たような質問がなされているを発見するも、投稿者たちのコメントを読む限りでは、そこにはとりたてて深い意味――たとえば何某の作品からの引用など――はないようである。作中にあれほどまでさまざまな作品にオマージュを捧げているのだから、もう少し表題にも捻りを加えてほしかった。もっとも、わたしや掲示板の彼らが気づいていないだけで、じつはれっきとした理由があるという可能性も否めないが。どなたかレファレンスに気づいた方や、独自の解釈をお持ちの方がいれば教えてほしい。

 

 

 閑話休題

 

 80年代に造詣のないわたしだが、それでも『E.T.』('83)や『未知との遭遇』('77)、あるいは『スタンド・バイ・ミー』('87)といった作品にオマージュが捧げられていることはすぐにわかった。だが、80年代に留まらず、近年の作品からの引用もしばしば見受けられる。たとえば、エルが感覚遮断フィルターによって没入する世界の様相は、『アンダー・ザ・スキン』('13)において女(スカーレット・ヨハンソン)が誘惑した獲物を誘い込む場所にそっくりであるし、第8章において、ウィルの救出に〈裏側〉へと向かった大人たちが、〈表側〉の青年たちと意思疎通してしまうというシーンに、『インターステラー』('14)で宇宙の涯から通信し合う親子を想起するのは自然であるだろう。

 わたしが冒頭において懐古主義に陥っていないと述べたのは、ひとつはそうした引用を無邪気なまでに明け透けに成し遂げてしまっているということだ。過去につくられた多数の作品群へのリファレンスの方法には、けしてスノッブな衒いは見受けられない。また同様に、次のようにも言える。たとえば、熱狂的なシネフィルであるタランティーノの作品は、古今東西のさまざまなフィルムから引かれてつくられている。なかには、それまでまったく光が当たっていなかったようなフィルムからの引用もある。そのような試みは、忘却のうちにある過去の作品に新たな息を吹き込むという点において評価されるべきではあるが、『ストレンジャー・シングス』は、そのような過去作との付き合い方とも異にしているように見受けられる。オマージュが捧げられているのは、映画史に残るようなSF作品の傑作や、80年代から90年代のアメリカにおいて、繰り返しテレビ放映がされているような人気作ばかりなのだ。すなわち、それはある限られたシネフィルの高見台の手淫というより、大衆的な過去の体験を再び顕現させる試みであるといえるかもしれない。

 

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 このドラマをつくりあげたダファー兄弟は、弱冠三十二歳の双子であるという。彼らはかつて、80年代の映画たちに情熱を見出し、その情熱をよすがにして育ってきた少年たちだったのだろう。きっとテレビに齧り付き、VHSを擦り切れるほど再生してきたちがいない。そのような少年の無条件な愛と情熱が、こうしてひとつの作品のなかに結実しているという事実に、わたしは感銘を受けずにはいられない。わたし自身が、彼らと同じ道を辿って来なかったとしても。

 この物語の中心にいる四人のオタク少年たちは、『スタンド・バイ・ミー』の少年たちでありながら、また同時に、きっと彼ら自身の姿、ひいては、なりたかった姿そのものなのではないか。少年少女たちは、ときとして学校の退屈な授業よりも大切な退っ引きならぬ事態に直面することがあるのだ。このドラマは、そうした子どもたちに、学校を抜け出してしまうことの尊さを説いているようにも見える。大人は判ってくれないかもしれない。だが、その経験はなににも代えがたいものとして後の人生に活きてくるはずだ。だからこそ、みずからの好奇心に忠実であれ、と。

 『ストレンジャー・シングス』の少年たちは、仲間のひとりの失踪をきっかけに、世界の秘密を探り当ててしまった。〈裏側〉の秘密へとたどり着いたのはけして偶然ではない。ナード予備軍の彼らは、学校というひとつの社会では一向に顧みられない存在であったとしても、彼ららしく輝くことのできる別のフィールドを有している。大人たちがあちこちを奔走して事件の解明に尽力しているのに、たった10歳の少年たちが答えにもっとも近づいているという痛快さは、ドラマの醍醐味のひとつである。このドラマの世界的なヒットを鑑みるに、〝ナードが世界を救う〟という、すでに古くなってしまった〈セカイ系〉の物語類型にも、まだまだ訴求力はあったのである。

 

 SFという観点からいえば、このドラマを特徴づけているのは、〈表側〉と〈裏側〉の往来の激しさだろう。〈裏側〉に逢着してしまった者たちでも、思いのほか簡単に〈表側〉の世界に戻ってきてしまう。わたしの経験則からすれば、異世界との垣根を超えるという事態は、物語のなかで大きなエネルギーが注力される場面であり、しばしばクライマックスに描かれる場合が多い。伝統的なセオリーに従えば、主人公以外の者たちが〈裏側〉へと足を踏み入れたら、二度と戻ってこれないのが通常ではないだろうか。だが、『ストレンジャー・シングス』では ―― 少なくともいまのところは ―― 彼らは現実へと簡単に帰還できてしまう。この往来の自由度の高さは、さきに述べた過去作品の引用についての無邪気な態度と関わってくるのではないか……と論じようと思ったが、あまりに暴論である気がするので、ここで口を噤んでおく。

 8つのエピソードが終わっても、〈裏側〉の世界にまつわるあれこれには、あまりにも多くの謎が残されている。世界各地での人気ぶりを見ていると、長いシーズンになることは間違いなさそうだが、いまの時点ではシーズン2以降はいかようにも展開できるだろう。なにしろリファレンスは数多にあるのだ。どこに振り切っていったとしてもおもしろくなるのではないだろうか。キャラクターはすでに立っているのだから。

 

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 最後にキャストのことについて述べておきたい。まず特筆すべきは、ウィノナ・ライダーの見事な復活だろう。長らく映画界から離れることを余儀なくされた彼女にとって、80年代への愛を放出させているこの作品をもって復活することは、おそらくは偶然ではあるまい。彼女が母親を演ずる年齢に達したというのは感慨深いことかもしれないが、往年の美しさは、それほど失っていないように見える。彼女の声だけは、わたしはどうにも受け付けられないのだが、演技にかんしては、息子を失って精神に異常を来す母親をまったく素晴らしく演じていたように思う。

  デヴィッド・ハーバーは、『ブラック・スキャンダル』にも出演しており、和やかな食卓の雰囲気でジョニー・デップの殺気を察して怖気づく警官を見事に演じていて、覚えておかなければならないと思った役者だった。思いのほか早く再会することができた。シーズン2でも、中心人物として関わってくれることは間違いないので期待している。

 そして、子役たち。マイク役の Finn Wolfhard、ダスティン役の Gaten Matarazzo、ルーカス役の Caleb McLaughlin という三人の少年たちは、それぞれが個性にあふれていて、今後が楽しみな俳優である。第8章の最後で、冒頭と同じシーンをウィルを交えて四人で演ずる場面があるのだが、残酷なくらいにウィル以外の子役たちが巧くなっていて驚いた。やはり子どもの成長は、おそろしいほど早いのである。

 だが、なんといっても、エル(イレブン)を熱演したミリー・ボビー・ブラウンに最大級の賛辞が送られるべきであろう。若き日のナタリー・ポートマンを想起させる美貌の持ち主だが、ポートマンよりも才能に富んでいるように見受けられる。YouTubeでゲストとしてテレビ番組に出演している動画をいくつか見たのだが、まったく物怖じせずに向かっていく気丈な性格をしているようだ。『ストレンジャー・シングス』では、ネイティヴと遜色のないほど奇麗なアメリカン・イングリッシュを披露していたが、イギリス人ということもあって、実に美しいブリティッシュ・アクセントできびきびと話す。わたしは、ハリー・ポッター・シリーズの最大の功績のひとつはエマ・ワトソンを発掘したことだと思っているのだが(女優としての評価というより、彼女のフェミニズム活動家としての貢献は計り知れない)、彼女には第二のエマ・ワトソンとして名声を轟かせてほしい。彼女が出演している映画、無条件で観に行ってしまうだろうなあ。今後も目が離せない女優のひとりである。

 

 というわけで、たいへん散逸してしまった『ストレンジャー・シングス』の感想もここらへんで畳むことにする。シーズン2のリリースはいつアナウンスされるのだろう。おそらく、シーズン1同様、同時に全話公開となるだろう。翌日になにも予定のない日にリリースされればいいな、と密かに願っておく。

 

2016年、美術鑑賞の記録

 テレビで日曜美術館の「ゆく美くる美」の特集を録画しておいたものを観た。せっかくなのでわたしも、2016年に足を運んだ展覧会のことを振り返っておこうと思う。美術に触れるという意味では、さほど充実していたとは言えなかった一年だったが、新たな一年への決意をするためにもきちんと書き記して消化しておく。

 

 その前にしばし立ち止まって、このあいだ美術史を専攻していたという知人と話をしていたときに、印象に残ったことを記しておきたい。彼女は、美術史の研究者から「一年につき東京で開催されている50ほどの企画展に足を運ぶことを10年続ければ、美術史にとって重要な作家や作品の大半を見たことになる」といわれ、社会人となってからもかならず50の展覧会に行くことをノルマとして自身に課しているという。もうすぐ十年が経とうとしているが、その教えは正しかった。確かに自分のなかに美術史の総体への見取り図ができあがりつつあることを身をもって実感しているからだ。彼女はわたしにそのように語った。

 他の芸術と比しても、たとえば映画という分野であったら、そういうことはまず起こらないのではないかと思う。一年のうちに新たに公開される映画作品の数は、すべてをコンプリートするのが物理的な不可能なほどであるし(それでも全盛期に比べればひどく減少しているのだ)、映画史はわずか120年あまりの齢といえども、あまりにも作品の数が多すぎるうえ、一作品につき一時間を超える絶対的な時間を要するので、教養としては嘘をつきにくい。作品や作家についての評価が定まっていない場合も多く、いわゆる普遍的な見取り図ができるとは思いにくいのだ。わたしとしても、そのような試みを完遂することに、ほとんど諦念を抱いている(なかにはそれを達成しようと目論む若き猛者もいることにはいるのだろう)。

 少なくとも確かなのは、映画史についていえば、さきに述べた美術史と同じようなノルマは存在しないであろうということだ。もちろんわたしは、美術史が映画史に比べて狭小な世界のうちにあるだとか、そういうことを言いたいわけではない。むしろ逆で、映画史と美術史を対置させるとき、その長さについてはさながら三歳の幼児と八十歳の老人を並べるようなものであろうし、現代美術については、映画と同様、いままさに評価の定まらない新たな作家たちが世界各地でひっきりなしに登場していることだろう。それでも、わたしの個人的な印象からいえば、かほどまでに多様に肥大し、その多くがエンターテイメントとして世俗化してしまった映画芸術を〈歴史〉として拾い集めるという行為は、美術のそれと比して非常に収まりが悪いのではないか、と感じている。

  ともあれ、わたしにとってはそのような態度が当たり前だったので、さきの50の企画展の話を聞いたときには大きな驚きがあった。美術史についてはまったく知識をもたず、ただ漠然たる興味だけがあった数年前まで美術という世界の広大さに尻込みしていたわたしにとって、それは意外に思えたのだ。そして、そのような芸当が東京でできてしまうということにも驚かされた。つまり、東京の美術シーンの一翼は、優秀な学芸員たちの尽力によって支えられているということだろう。

 

 さて、2016年の話に戻る。一年に50の企画展という話を聞いて、わたしもそのノルマをクリアしようと決意をしたものの、その数は遥か及ばずたったの11にとどまった(釈明するならば、その話を聞いたのは、2016年も終わりに差し掛かっていた頃だったのである)。以下に足を運んだ美術展をリストアップする。

 なかでも印象的だったのは、ジョルジョ・モランディ展とトーマス・ルフ展の二つである。どちらもたまらず図録を購入した。モランディ展は、東京ステーションギャラリーの歴代来場者数の一位を記録したらしい。とはいえ、わたしは会期の比較的すぐ、平日の午前中に足を運んだので、ノイズとならないくらいのほどよい来場者数で大変気持ちがよかった。

 モランディの作品の実物をまともに見たのははじめてだったが、すっかり恋に落ちてしまい、春にはイタリアを旅行した際、たまらずボローニャの Museo Morandi に足を運ぶまでだった。ただ、まだ東京のモランディ展は会期中であり、ほとんどの作品は貸付されていて本場の美術館はたいへん淋しくなっていた。そんなことは、すこし考えればわかることである。所蔵作品がほとんどなくなっているモランディ美術館に行くぐらいなら、画家が生涯の大半離れることはなかったというフォンダッツァ通りの生家を覗いてみるべきだった。自分の頭の悪さに苛立つ。

 

 モランディ美術館然り、海外の美術館にはいくつか足を運ぶことができた。ボローニャでは、モランディ美術館はMAMbo(Museo d'Arte Moderna di Bologna)と呼ばれる現代アートの美術館と併設されており、そちらのほうもちらりと覗いた。時間がなかったので観るのは叶わなかったのだが、ちょうどパゾリーニの企画展が組まれていて、それもおもしろそうだった。そのほかのイタリアでいえば、フィレンツェウフィツィ美術館(Galleria degli Uffizi)、ヴェネツィアのアカデミア美術館(Gallerie dell'Accademia)に足を運んだ。ヴェネツィアのアカデミア美術館は、ヴェネツィア訪問3度めにしてようやくの訪問となった。ウフィツィの天井画がいちいち素晴らしく、わたしはしきりにカメラを天に向けて撮っていた。もちろん、ウフィツィやアカデミアなど、一度足を運べばいいものではない。イタリアに行くたびに、訪問を検討することになるはずである。

 パリにいたときは、もはや恒例行事となっているが、ルーヴル、オルセー、オランジュリー、ポンピドゥ・センターにも一ヶ月の滞在中にいくどか駆けつけた。何度いっても飽きることはない。オルセーでは、アンリ・ルソーの企画展がすばらしいキュレーションと演出で組まれており、フランスの美術界の強さをまざまざと見せつけられたような感想をもった。

 ほかにも、ギュスターヴ・モロー美術館(Musée Gustave Moreau)、マルモッタン・モネ美術館(Musée Marmottan Monet)、ケ・ブランリー(Quai Branly)などをはじめとして、ほかにもいくつか足を運んだ気がするものの、すぐに思い出せない。イタリアもフランスも、美術があちこちに存在しているので、身支度をして心構えをもって美術館にいくという感覚にはなかなかならない。生活と美術を線引きするのが難しいのだ。そのことこそが、たとえば遠藤周作『留学』で描かれたような、ヨーロッパの歴史ある街の息苦しさにも繋がってくるのだが。

 

 今年はヨーロッパに足を運ぶことがあるだろうか? 余裕があれば、ふらりと遊びにいくかもしれない。ともあれ、わざわざヨーロッパまで絵画に会いにいかなかったとしても、10年待てば、大抵の有名な作品は東京までやってきてくれるかもしれない。その一年めということで、今年は50くらいの企画展を回ることができればいいなと思う。いちばんの敵は怠惰である。

 2016年は怠惰に負けて、気づけば「鈴木基一展」も「黒田清輝展」も「メアリー・カサット展」もいけなかった。東京都美術館若冲展については、さすがに炎天下のなか2時間も3時間も並ぶ気にはならなかった。そのような苦行を強いられることも意に介さず若冲に執心している者たちが、あれだけいるという事実には大変驚かされた。

 今年は、国内で美術館をめがけていくつか旅行をするのもいいかもしれない。それこそ若冲であれば、国内ではいろいろなところで見れるのだろう。このようにぐるぐると考えている時間はなによりも楽しい。

 

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ミケランジェロ広場よりヴェネツィアの街並み, 2016年4月撮影)

『天空からの招待状(看見台湾)』で寝落ちをするよい暮らし(という妄想)

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 わたしはこの数週間、台湾に執心している。インターネットの大海で「台湾」の文字が浮遊していないかとつねに目を光らせているし、友人たちと食事をするとなったら積極的に台湾料理店を選ぶようにしているし、侯孝賢や楊德昌といった台湾の監督たちのフィルムモグラフィーをひとつひとつ攻略しようと画策している(『牯嶺街少年殺人事件』の25年振りの復活上映も心待ちにしている)。熱が昂じて、ついには台湾へのはじめての渡航を今月に企てていたのだが、残念ながら見送ることになってしまいそうだ。とはいえ、できれば年内にかの土地を踏んでおきたいとも考えている。

 わたしのお気に入りの書き手である四方田犬彦が台湾について書いていたよなあと、すぐに『台湾の歓び』(岩波書店, 2015)をもとめて読破した。媽祖についての考察、さまざまな作家たちの足跡をめぐる旅、大学生たちによる立法院占拠のルポルタージュなど、いわゆる紀行文とはまったく毛色の違った氏の文章を、いつものように大変おもしろく読んだ。

 

 さて、この台湾をめぐるエッセイのなかで、とあるフィルムが紹介されていた。『天空からの招待状(看見台湾)』というドキュメンタリーである。四方田が台湾に滞在していた2014年ごろに本国で封切られたフィルムだが、映画にとりたてて興味をもっているわけではないような数多くの台湾人たちから勧められたとある。「この映画を観るまで、自分の住んでいる国がこんなに美しい国であると知らなかった。台湾を小さな国だと馬鹿にしている外国人には、ぜひこの雄大な景色を知ってもらいたいと思う」、と。

 早速DVDを探して観ることができた。『看見台湾』は、ある特殊なドキュメンタリーである。キャメラの被写体は、台湾各地の景勝地の雄大な自然であり、めざましい成長を遂げている最中の都市であり、そうした各地に暮らす人々である。その点に特筆すべき点はない。注目すべきは、そうした一切が、すべて空撮で撮られているということだ。キャメラが地上に降りることはなく、淡々としたナレーションのもとに、鳥瞰映像が展開されていく。

 監督は、航空写真を長きにわたって撮りつづけてきたチー・ポーリンという人物だ。この企画を立ち上げてから予算繰りに苦労していたところ、侯孝賢の目に止まり、彼の全面的なサポートによって完成したそうだ(侯孝賢はエクゼクティブ・プロデューサーとしてクレジットされている)。脚本とナレーションには呉念眞(ウー・ニェンチェン)、協力者には雲門舞集というコンテンポラリー・ダンス・カンパニーを主宰する林懐民(リン・フアイミン)。わたしは、この二人のことはよく知らなかったが――もっとも林懐民については、『台湾の喜び』のなかで考察が展開されている――、四方田の言に従えば、いまの台湾で考えられうるもっとも知名度の高いメンバーであるという。

 数多くの台湾人に高く評価されている点を踏まえ、四方田はこのフィルムのなかに、台湾におけるイデオロギーの集約を認めており、バルトを引きながら考察を展開しているのだが、わたしはそのことについてはよくわからない。というのも理由は簡単である。いままで合計で三度も挑戦したのだが、最後まで見終わることなく、眠りに落ちてしまったからだ。

 

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  いったいどうして寝落ちしたために鑑賞に能わなかった映画のことをお前は書いているのかと訝しむ向きもあるかもしれない。それについてはごめんなさいとしか言いようがないのだが(笑)、それでもなお、わたしはこのフィルムはまったく素晴らしかったと言いたい。飛び抜けてすぐれた催眠映像に仕上がっているからだ。

 

 絶景を紹介するようなテレビ番組はこの世に数多とあるが、このドキュメンタリーは、そうした量産されている番組とはその規模において明らかにちがう。すべてが鳥瞰図であるゆえか、枠内にはノイズとなるようなものが一切登場せず、純粋に映像に没入できるのである。そこには非常に高い撮影技術が認められる。

 また、中国語のナレーションが入っているというのもいい。まったくわたしが解さない異国の言語が、美しい映像のうえに乗っていくということの快楽。DVDには西島秀俊による日本語のナレーション版もあったので、そちらでも挑戦したのだが、わたしの感じていた心地良さの多くが失われてしまっていたため、すぐさま中国語版に切り替えた。そして、案の定、寝落ちした。

 

 異国の情景、異国の言語。わたしは、なんならこのようなドキュメンタリーを世界各国につくってほしいと願う。床に着く前にどの国のドキュメンタリーを観るか決め、部屋を暗くし布団をかぶり、就寝の準備をすべて整えたうえで、再生する。瞼が重くなっても、しばらくは異国の言語が耳に届くだろう。そうして、いつのまにか眠りに落ちているのだ。夜中に目が醒めたら、トップメニューに戻って、メインテーマが奏でられたまま、画面は煌々と照っている。寝ぼけ眼のまま電源を落とし、再び眠りに就く。

 翌朝、結局最後まで観られなかったな、と軽いため息をついて、DVDを棚に戻す。日中の大半にはきれいさっぱり忘れているかもしれないが、ふとした折に、夢現で昨夜に見た美しい自然の情景が視界を散らつくのだ。

 

 ああ、なんという至福。わたしにとってのよい暮らしの理想形のひとつである。というわけで、以上です。

ギュスターヴ・モロー美術館 ――十九世紀という〈崇高〉の経験

 今年の春、とある理由で一ヶ月ほどパリに滞在することになったのだが、そのときに訪れたギュスターヴ・モロー美術館(Musée Gustave Moreau)での体験を記しておきたい。わたしはこのとき、崇高の意味を知ったのだった。

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 ギュスターヴ・モロー美術館は、パリ9区、サントトリニテ教会(Église de la Trinité)からサンラザール通りを東に歩き、小さな路地に入ったすぐの場所にある。これがまったく愛すべき素晴らしい美術館で、もともとは画家の邸宅だったのだが、死後に本人が所蔵していた作品とともに国へと寄贈されたようだ。モローの作品は、これまでいくつかの作品を別の場所で見たことがあったが、これほど豊潤なコレクションを惜しげもなく、所狭しとひとつひとつの部屋に並び立てている展示の様子には大変な感銘を受けた。モローの作品は、ホワイトキューブにうやうやしく飾り立てられるよりも、いくらか猥雑な場所での展示によってこそ真価を発揮するのではないか。そのように思わされたのである。

 

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 写真にあるような、美しい螺旋階段を昇る(訪問者にとって、これが唯一の昇降口なのである――まったくもって素晴らしいとしか言いようがない)。ひとつひとつの段差を昇っていくにつれ、周囲にかけられた絵画たちの見せる表情は変わっていく。ほとんどの美術館においては、このような鑑賞の方法は許されていない。絵画を見る視線の遠近については自由が与えられていたとしても、視線の高低を自由に変更できるというのは、わたしの記憶のうちにはほとんど近しい例が見当たらない。

 

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 そのようにして四階に着いたとき、わたしの眼にはひとつの絵画が飛び込んでくる。わたしはそのキャンバスが現前する世界にたちまち取り込まれ、その場から暫く動けなくなってしまう。玉座に鎮座する異教の女神のまなざしに、豪華絢爛を尽くした世界の魑魅魍魎たちに、わたしは釘付けになってしまったのだ ―― そのような瞬間が到来したとき、わたしたちは、身体が携えているすべての感覚を、怖じけずに絵画のなかの世界に預けてみるべきだ。魂が震えるような感動のなかに、全身全霊を浸してみるべきだ。わたしは動けなかった。激しく脈打つ心臓を止めることができなかった ―― それは、紛れもなく〈崇高〉の経験そのものだったのだ。

 

 先日、森有正のエッセイを読んでいて、次のような文章に行き当たった。あるとき、イタリアの土地で女体の彫像の美に囚われた瞬間を回想した文章である。

"その瞬間に僕は、自分なりに、美というものの一つの定義に到達したことを理解した。それは、僕にとって、人間の根源的な姿の一つであった。それはそれで一つの理解ではあろうが、僕にとって一番大切だったのは、そういう数限りのない作品が、一つ一つの美の定義そのものを構成しているのだ、という驚くべき事態であった。換言すれば、一つ一つの作品が、「美」という人間が古来伝承してきた「ことば」に対する究極の定義を構成しているという事実だった。作品はもうこれ以上説明する余地のないぎりぎりの姿でそこに立っているだけだ。"
(『遥かなるノートルダム』より「霧の朝」)

 わたしはこの文章を読んださい、ただちに先に述べたギュスターヴ・モローの手による《ジュピターとセレーヌ(Jupiter et Sémélé)》と対面したときの経験を思い起こした。森有正の経験の内実はわからない。だが、それはわたしの経験のそれと近しいものであったのではないだろうか。「古代の人はこういう事態に美、イデア、フォルムなどの名を命じたに相違ない」と彼は書き留めている。美の経験とは、ひとつの崇高性の経験にほかならない ―― 美とは欲望の対象であり、同時に近づきがたさなのだ。そうした美の立ち姿が、〈聖なるもの〉に転移してゆくのは当然のことである。わたしはモローの絵画にそう教えられた気がした。

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 わたしが十九世紀の象徴主義美術に惹かれるのも、そうした崇高性が至るところに潜んでいるからであるように思う。一方では、ルドンの〈黒〉のように陰鬱で孤独な世界があり、他方ではモローの聖性の世界を前に戦慄する。その暗さは、ラファエル前派のロマンスと表裏一体のものであるだろう。そして、そうしたもののすべてに、ある種の特殊な〈崇高〉があるような気がしている。その正体はなんだろうか? まだ答えは出ていない。ひとつの直観がわたしに語るのは、十九世紀から二十世紀へと移行するにあたって、その〈崇高〉はいくらか失われてしまったのではないか、という仮説である。

 だが、同様にその仮説を辿っていくためには、まだまだわたしには経験が足りていない。ギュスターヴ・モロー美術館を再訪することはもちろんのこと、十九世紀を探索する旅が要される。その旅は果たして終わりを見ることはあるだろうか。いまのわたしには、皆目わからない。

 

(掲載写真はすべて 2016年4月, パリにて撮影)