バスク旅行記 Ⅰ| 20230928 - 0930

9/28 木 Paris - San Sebastián (Donostia)

 機体は太陽を背負って大西洋沿岸を降下していく。わたしは飛行機の窓からバスクの山々が織りなす不思議なリズムをもった景観を見下ろす。この土地を覆う草木の緑はフランスのそれよりもずっと濃く、深い色合いをしているように見えた。

 ビルバオ空港でマドリード組と合流して、わたしたちは5人で長距離バスに乗り込み、スペイン語ではサン・セバスチャンバスク語ではドノスティアと呼ばれる街へと向かった。道なりに立っている標識はすべてスペイン語バスク語の二言語表記。インド=ヨーロッパ語族とは異なるバスク語の独特な綴りは、目にするたびにわたしに小さな驚きをもたらした。わたしたちが宿を取っていた地区は Intxaurrondo といって、山を切り拓いてつくられたサンセバスチャン北東部の新興住宅地である。

 はじめて降り立ったサンセバスチャンの街から受けた第一印象は、数か月前に訪れたアドリア海に臨むイタリアのトリエステに似て、落ち着きを払ったリゾート地というものだった。日本でいえば神戸と熱海の中間ぐらいという気がするが、たとえばニースのような露骨な拝金主義のリゾートとはまるきり様相を違えている。旧市街のさきにはきれいに弧を描いた砂浜があって、地元民も観光客もみな平等に大西洋の恵みにありつくことができる。わたしたちは夜の映画上映までのあいだ、さっそく海岸を散歩してから旧市街のピンチョス屋を何軒か廻って、ここが美食の街といわれる由縁をみずからの舌をもって確かめた。ガチョウのフォアグラ。酢漬けの鰯。ジャガイモのトルティーヤ。白身魚フリット。唐辛子の生ハム巻き。いずれもおつまみ感覚でぺろりと平らげてしまう。ちなみにピンチョスはバスク語では pintxos、スペイン語では pinchos と綴る。爪楊枝のことをバスク語でピンチョと呼ぶことから名付けられたのだという。当たり前のことだが、スペイン語化すると tx というバスクならではの綴りが消失してしまうことに、いくばくかのやり切れなさを感じる。

 わたしたちのサンセバスチャン映画祭は、二本の日本映画からはじまった。ビクトリア・エウヘニア劇場で濱口竜介の新作『悪は存在しない』、Cines Príncipeで勅使河原宏監督特集の『燃え尽きた地図』。ビクトリア・エウヘニア劇場は20世紀初頭に建てられた豪勢な劇場で、わたしたちの座席はもっとも高い五階のバルコニーにあった。数十メートル下方に設えられたスクリーンに投影される映像を「見下ろす」という映画鑑賞経験は、ひょっとすると生まれてはじめてのことだったかもしれない。映画を観終わった頃にはすでに夜が更けていた。それでもわたしたちはピンチョス屋に繰り出して、地元民に混ざって地べたに座って飲み食いをしながら『悪は存在しない』で描かれたラストシーンの解釈をめぐる議論などに花を咲かせた。濱口竜介の新境地。大いに歓迎すべき作品だと思う。

路上飲み

9/29 金 San Sebastián (Donostia)

 映画祭は会期前半のほうが面白いというのは世の常で、プログラムを眺めていても、食指の動く作品のほとんどはすでに上映を終えてしまっている。日本勢でいっても、清原唯、五十嵐耕平ダミアン・マニヴェルの新作、四方田犬彦による勅使河原宏シンポはいずれも入れ違いで足を運ぶことができなかった。とはいえ監督の名前すら知らない作品を発見するのも映画祭の醍醐味である。わたしはこの日、まずはひとりでブラジルの『PEDÁGIO』という作品を見たあと、有名なバスクチーズケーキを供する老舗で食事していた仲間たちと合流した。それにしてもサンセバスチャンに来てからというもの、何を食べても安くて旨い。これだけでも幸せだ。

 南西部の岬にエドゥアルド・チリーダの彫刻作品があるというので、わたしたちはレンタル自転車を借りて海岸線をぐるりと廻った。風が気持ちいい。九月も暮れだというのに、長く続くビーチには海水浴を愉しむ老若男女がいた。この陽気なら無理もない。わたしたちも靴を脱いでズボンを手繰り、遠浅の沿岸を駆け回る。かくしてチリーダの彫刻が見える岬まで辿り着いた。そこは波が押し寄せるたび地面にあいた穴から海水が噴き上がる間欠泉のような場所で、スペインの修学旅行中と思しき小学生の集団がきゃっきゃと戯れていた。海辺の断崖に子どもたちの声が跳ね返って響きわたる。いったいなんて幸福な時間なのだろうと全身で味わった。

 市街へと戻る道すがらで唐突に立ち止まった彼女は、誰かの家の軒先に生えていた木の実を毟って、「猿の顔が出てくるかもしれない」とその実を削りはじめた。わたしたちも彼女に倣ってみる。子どものときにこの実を見つけては、こうして削って遊んでたんだよね。そう呟いたときの横顔。

ミラ・マール(海を見よ)

 ミラマール宮殿の芝生に寝っ転がってひと休みしたあと、中心街を行進する同一賃金同一労働のデモの隊列を横目に、村瀬大智監督『霧の淵』の上映へ向かう。わたしには教科書どおりの「なら映画祭」案件というか、いかにも外国人が喜ぶくらいに適度にエキゾチックで美化された観光映画のように見えた。再び自転車を借りて、Antiguo と呼ばれる街の西側にある地区の映画館に流れついた。イスラエルジョージア、フランスの三本の短中編から構成されるプログラム。なかでもわたしはジョージアの Rati Oneli という監督の手による 『We are the Hollow Men』という短い作品の筆致に強く惹かれた。『陽のあたる町』という長編ドキュは日本でも紹介されたようだが、これから撮るかもしれない初長編のフィクションには大いに期待がかかる。

 映画を観終わってレンタル自転車を捜し求める。静まり返った深夜の道ばたに打ち捨てられたトイレの白い便器に立て続けに遭遇して、わたしたちのバスク旅行の主題は〈泉〉だねと誰かが言った。確かにいましがた観終わったばかりの『Camping du lac』も『悪は存在しない』も『霧の淵』も、水源への遡行というモチーフが重要な鍵を握る作品だった。

 宿に戻って、つい数時間前にビクトリア・エウヘニア劇場で行われていたビクトル・エリセの映画祭名誉賞授与式の模様をYouTubeで観る。わたしはエリセのために今回のサンセバスチャン行を画策したといっても過言ではなかったのだが(数週間前にパリのシネマテークで組まれた監督特集ではエリセ来訪は直前でキャンセルとなっていた)、肝腎の授賞式のチケットは即座に完売し手に入れることができず、あえなく涙を呑んでいたのだった。サンセバスチャンの街にはちょうど明日から一般公開される『瞳をとじて』のポスターが掲出されていて、自転車を漕いでいても、バスに乗っていても、至るところであの女性が瞳を瞑るビジュアルを目にした。エリセが三十年振りに送り出すことになる長編は、いったいどんな作品に仕上がっているのだろう。

 

9/30 土 San Sebastián (Donostia)

 サンセバスチャン映画祭、最終日。しかし地元民はそれどころではないようだった。自転車で長い坂道を下って旧市街に着くと、すでに午前中から赤の縦縞と青の縦縞をユニフォームを着たサッカーファンたちでごった返している。聞けば今夜はライバル関係にあるビルバオとサンセバスチャンのサッカークラブの伝統の一戦が予定されているのだという。半年振りのバスク・ダービー。まだ21時の試合開始まで半日近く残されているにもかかわらず、昼間から応援歌をうたいながら酒盛りをする男たちを見て、まったく酔狂な人たちがいるものだと妙に感じ入った。

 旧市街の小高い丘のふもとにあるサン・テルモ美術館に足を運ぶ。十九世紀の石づくりの修道院に現代的なコンクリート建築が接合された美術館。ホアキン・ソローリャの没後100年を記念した小ぶりな展示を覗いたあと、バスク地方の郷土資料が集められた展示室を廻っていった。なかでも白眉は二十世紀のバスク美術を通覧するセクションだった。わたしのまったく知らない地元の画家たちの作品が年代ごとに並んでいる。カタルーニャ美術の一端に触れたときも同様だったが、いわゆる「主流」からの偏差を感じられるのがすこぶる面白い。パリの画壇からの偏差、あるいは光をもとめて南仏にわたった印象派の画家たちとの偏差。スペイン・バスクの画家たちのパレットに乗っていた絵具はとてもあざやかだったはずだ。この赤の彩りがいかに目に心地よいことか。

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 美術館を出ると、ちょうど日が暮れる頃合いになっていた。そのわきから続く坂道を登って、海沿いに小高い丘を登ってゆく。その坂道の途中には英国人墓地があって、19世紀初頭の第一次カルリスタ戦争で命を落とした英国人兵士たちが埋葬されているらしい。墓地が海の方角を向いているのだが、その向こうには祖国があるはずだった。要塞になっている高台からはちょうど市街が一望できる。ちょうど日没の頃合いで、水平線の空は美しい虹色のグラデーションになっていた。

 タチアナ・フエソ監督『El Eco』というメキシコ映画を観てから、そのままゴールデン・シェルの栄光に輝いたハイオネ・カンボルダ監督『ライ麦のツノ O Corno』というスペイン映画の上映にいって、わたしはサンセバスチャン映画祭を終えた。図らずも女性監督の撮ったスペイン語の映画を続けて観ることになった。『O Corno』は正直にいってどうしてこれが最優秀賞なのかと首を傾げてしまったのだが、『El Eco』は非常にすばらしかった。ありとあらゆる生命がひとしく存在しうることへの讃歌。まだ世界のどこかにはそんな場所が存在するのかもしれないという希望。

 ビクトリア・エウヘニア劇場を出て、わたしたちはサンセバスチャン滞在の最後の夜に繰りだす。ビールバーで閉店の時間までテラス席に居すわってから、レンタル自転車を捜して、しばらく見知らぬ地区の暗がりの坂道を登っていく。真夜中に犬を連れて歓談しながら散歩している二組の老夫婦とすれ違って、あの人たちにとってはこの光景が日常なのかと思う。この夜が終わってしまうのがあまりに惜しくて、最寄りのステーションに自転車を返却してからも、Intxaurrondo の広場に生える小さな林檎の実をつけた木の下で、わたしたちはいつまでも語らい続けた。その林檎を齧ってみるととても酸っぱくて、きっとこの酸っぱさはいつまでも憶えているのではないかという気がした。