日記 | 20260315 - 0328

15日
 昼過ぎにのそのそと起き出し角川映画特集へ。Christine Cinéma Clubで深作欣二『里見八犬伝』と大林宣彦『ねらわれた学園』を続けて観る。二作品ともクレモンがイントロダクション。薬師丸ひろ子ファンの同僚がずっと狂喜乱舞していたのがおかしかった。『ねらわれた学園』からエリーズが合流して、終映後にそのまま飲みにいく。来月にはじめてソロEPをリリースするという彼女だが、RIP SLYMEが好きだという信仰告白を受け、ふとRIP SLYMEの面々も中学生の時分は薬師丸ひろ子に熱を上げていたのだろうかと思う。

クレモン・ロジェによる『ねらわれた学園』イントロダクション


16日
 先週の大福が好評で気をよくしたマルゴが、今度は抹茶ティラミスをつくってくれるというのでありがたくいただく。代わりに麻婆豆腐を振る舞った。最近自閉型ADHDという診断が下されたという彼女から、自閉症の症状は男性と女性でいかに異なり、また女性の自閉症の研究や治療が遅れているかという話を聞いた。思うところがありペソアの「異名者(hétéronyme)」の概念について話すと目を輝かせている。彼女が帰ったあと、ペソアの詩集をいくつか引っ張り出し、寝台に寝ころがって読み進める。どうして彼の詩は、ここまでわたしたちを惹きつけるのだろう。
 
17日
 日本からパリ出張中の池田さんとランチ。最近の東京の小劇場界隈の動向をいろいろと聞く。記憶の底に沈澱していた固有名詞群がつぎつぎと水面に浮上してくる。固有名詞ベン図が大きく重なる人との会話がドライブしていく快楽ったらない。それにしてもナカゴー・ほりぶんの鎌田順也の死ほど惜しいものはない。東京にかえっても彼の芝居が見れないなんてあんまりだ。
 アレクサンドルと打ち合わせ。日本映画の配給を中心とした新しい映画会社を旗揚げして、この数年、ひとりであくせくと頑張っている。不器用ながら大きな映画愛を感じる人だ。今後のラインナップを見せてもらって、そんな作品まで買ったのかと驚きの連続。
 六番線に飛び乗ってゴブランのUGCへ。藤元明緒監督『LOST LAND』の先行上映で、監督や日仏のプロデューサー陣も来ていた。隣の客席に座っていた妙齢の女性は過去にミャンマーに住んだことがあり、アウン・サン・スーチーでさえもロヒンギャへの迫害を黙認していたのだと声を顰めて語った。ぼくはロヒンギャのことを何も知らない。そのまま藤元さんたちと打ち上げに行くことになり、日英仏の三言語をせわしなく往還しながらいろんな人としゃべった。今日はよくしゃべった日だ。

『Lost Land』のフランス語題は「Les Fleurs du manguier(マンゴーの花)」で、藤元さんとなぜ? と首を傾げた。『青いパパイヤの香り』に肖った?

18日
 朝、カフェ。店内のスピーカーからエディット・ピアフの「水に流して」が流れ始めると、周囲の客たちが歌詞を口ずさみはじめ、しまいにはちょっとした合唱になった。わたしには何も、何一つだって過去に未練はないのよ。
 夜、読書会。今回の課題本は、前回の鳥山まことに続いて、芥川賞の同時受賞を果たした畠山丑雄の『叫び』。ぼくは『時の家』よりもこちらのほうが好みだったが、四人の参加者の意見は割れた。

 
19日
 La Seine Musicaleのデヴィッド・バーンのコンサートへ。九番線の終着駅から会場に向かう道すがら、同行の三輪さんと高校生のときに『Remain in Light』から受けた衝撃の大きさについて語った。あのアルバムからほぼ半世紀。齢73歳を迎えたデヴィッド・バーンは、肌の色も年齢も多様なメンバーからなる大所帯のマーチング・バンドを引き連れ、いまもステージのうえで歌い踊っていた。『アメリカン・ユートピア』のコンサート・フィルムのときも思ったけれど、デヴィット・バーンは左翼おじさんの第一線を張り続けている。焦らずにじっくりと時間を掛けてひとつのショーを育てていく成熟した鷹揚さ。いまの時代、ますます余裕を喪いつつある左翼の振る舞いとしても学ぶべきものがあると思う。朗らかで力強く、感動的なアクトだった。

 

20日
 パリ駐在を終え本帰国する上司と食事へ。席に着くなり彼は、じつは二十年前の今日がはじめてパリに赴任した日だったんですよと、当時の写真を見せてくれた。彼は三十年間、パソコンで毎日欠かさず仔細な日記を書き続けているという。そのディシプリンにいたく感銘を受ける。
 解散してからまだ飲み足りないなと思いながら帰路につくと、ちょうどモハンから電話。友だちと家で飲んでるからおいでよという絶好の誘いだった。リンジーとはじめまして。パリを拠点にしてニット服のブランドをひとりでやっているというリンジーだが、どういうわけか彼女の服は日本でよく売れているらしい。まだ一度も日本に行ったことがないから、早く行ってみなくちゃ。
 
21日
 すし展にあわせて組んでいた福田育弘先生のすしの歴史についての講演会。学生時代に何度かお世話になり、食事に連れていってもらったこともあったので、こうして自分がパリで迎え入れる立場になるとは不思議な縁だと思う。福田先生は定年を迎え、この三月末で大学からは退官になる。もとは大陸から伝わり、郷土料理のひとつでしかなかったすしは、百万人都市の江戸で単身者の空腹を手軽に満たすべく握り寿司という形態を産み、明治維新の折にインテリたちが日本文化を代表する料理として人工的に拵えていった歴史をもつ、云々。
 ビュット=ショーモンの公園わきのカフェで、クレールと茶をしばいてから、すぐ近くの骨董品屋で行われていたミカのソロライブに足を向ける。演奏のあいまに調子のいい冗談を飛ばしてゆく。彼の人柄のよさが存分に発揮された和やかなライブで、聴衆は子どもたちから大人までみなずっと口もとに微笑を浮かべていた。


22日
 春の陽気に誘い出されて外へ。マルシェをさまよい、リュテス闘技場のベンチに腰を下ろし、これでぼくも日曜日の景色を構成する人びとの仲間入りだと思う。カレーを食べて昼寝をしたらもう夕暮れ。MK2 Odéonでネメシュ・ラーズローの新作『Orphelin』を観にいく。アウシュビッツのゾンダーコマンドを主人公に据えた傑作をもって名を馳せたラーズローは、1910年代のブタペストを舞台にした二作目から一転し、続いてハンガリー革命の翌年の、1957年の不安定な社会情勢にあった首都に生きる少年を主題に選んだ。ハンガリーという歴史に翻弄された国家が宿す仄暗さについて考える。いつか彼には正面からハンガリーの現代社会を撮って欲しい。
 
23日
 アンナと落ち合って、シネマ・デュ・レエル映画祭の会場であるL'Arlequin で、韓国のドキュメンタリーを観にいく。頭部が切り落とされた仏像の謎を追い、日本軍による統治時代の話にも及んで興味ぶかく見ていたのだが、結局のところ謎は解明されないままだった。近くのバーで飲んでいると、隣のテーブルでユダヤ人のグループが合コンらしきものを開催していたので、スウェーデンにも合コンはあるのかとアンナに訊いてみたら、即座にないと答えた。そうか。
 
24日
 Point ÉphémèreでBuck Meekのライブ。年始に出た先行シングル「Gasoline」でたちまち彼の楽曲の虜になり、ひと月ほど前にリリースされた『The Mirror』は、たぶん今年いちばん聴きこんでいるアルバムだと思う。シンプルな言葉で紡がれるラブソングの数々。一切合切が感動的な夜で、「一生忘れられない思い出」になったと思う(小学生の作文定型文)。あの時分の一生忘れられない思い出は結局ほとんど忘れてしまったが、今夜のことはどうだろう。

 
25日
 午前中、水曜マルシェへ。きれいな縞の入ったサバが1キロ16.9ユーロと安くなっていたので、一尾買って味噌煮をつくった。旨い。

 午後、いくつもの通り雨がやって来ては過ぎ去っていく。静かに仕事を進める。ふと、自分は会いたかった人にけっこう会えている人生だと思った。自分は夜は職場の歓送迎会へ。
 
26日
 イラン出身の振付家Armin Hokmi のダンス公演へ。Théâtre des Abessesの最上階の席で開演前のステージを見下ろしながら、イラン全土の停電が史上最長を記録と報道で見たけれど、と同行のガゼルに訊いてみると、停電で通信も絶たれ、もう一週間もテヘランに住む家族と連絡が取れずに安否も確かめられていないという。そんな大変な状況下で暢気にダンスなんて誘っている場合じゃなかったかもしれないと詫びると、ひとりでじっとしているほうが気が狂ってしまいそうだから、むしろ誘ってくれてありがたいよ、と笑った。

Armin Hokmi『Shiraz』。アベス劇場の三階席は勾配が急だし、こわい!

 ミニマルな音楽にあわせて微細な動きとそのヴァリアントを延々と繰り返してゆくストイックな『Shiraz』と題されたダンスは、それこそイランの都市シラーズの乾いた大地で観ていたらぼくもトランス状態に入っていたに違いないと感じた。シラーズはとてもうつくしい街だよと、ワイングラスを片手にしたガゼルは言う。でも、もしかするともう二度とあの土地を踏むことはないかもしれない、わたしはその覚悟でイランを離れたから。彼女は二年前までテヘランの一流企業に務め、マフサ・アミニの死をきっかけに勃発した「女性、生命、自由」運動などの反政府運動にも身を投じていた活動家だった。パナヒの『シンプル・アクシデント』の話を振る。映画のなかではスカーフを巻いていない女性たちも普通に往来を歩いていてビックリしたんだけど、いまのイラン社会ではどんな感じなのかな。

 確かにこの数年でイラン社会の空気は確実に変わった。わたしもあの事件以来、外に出るときもスカーフをつけないことに決めて、頑なに守ってきた。タクシーの運転手から乗車拒否されたり、レストランに入店拒否されたりしたこともあったけど、そのたびにスカーフを付けるか付けないかの選択はわたしの問題であって、こうして他人の自由を侵害するのは許されないことだと絶対に従わなかった。デモには可能なかぎり行くようにしてたから、パリに移住せずテヘランに残っていたとしたら、たぶんいまごろわたしは死んでいたかもしれないね。周囲の知人友人の何人もが去年の暮れから今年にかけて当局に捕まって行方知れずになってしまった。たぶん処刑されたのだと思う。じつはわたしもいちどデモ行進中に軍隊の放った銃弾が当たって、いまも脇腹に傷が残ってるんだよね。以来しばらくはデモに参加することにも怯んでしまった。わたしは自分なりに闘ってきたつもりだけど、そんな不自由な国家のもとで未来を見るのは限界だったんだと思う。だからテヘランの生活の一切をうっちゃって、こうしてパリでまた学生をやってるってわけ。

 イスラーム共和制が斃れたらイランに戻りたいと思う? と訊くと、わたしの目が黒いうちは、政治体制がどうなろうと、イラン社会は変わらない。だからイランに再び住むという選択肢はないと、きっぱりとした口調で答えた。イスラームはすでにペルシャの人びとの精神のいちばん深いところまで根を下ろしてしまっている。もっともリベラルに思える男性たちでさえも、イラン社会で生まれ育った以上は男尊女卑的な価値観を内面化していると、彼女は語る。わたしにとって自由とは何にも代え難い価値で、あの国では女性として生きるかぎり、わたしの求める自由が手に入ることはない。ひょっとしたら100年後は変わっているかもしれないし、未来の女性たちのためにそうなることを本当に願っているけれど、あの土地でわたしの求める自由は手に入らない。ぼくは彼女の口にする「自由」という言葉の重みが、自分のなかにある自由の内実とまったく違うと痛感して、まるで眩暈がするような気持になった。
 
27日
 今日は待ちに待ったプロ野球の開幕日。阪神と巨人のマッチアップ。この日にあわせ休暇も取っていた。恒例のセ・リーグの順位予想だが、阪神、広島、De、中日、巨人、ヤクルトという予想を野球ファンの友人たちに送る。じつは去年の順位予想は的中させていたのだが、今年は評論家の似たり寄ったりな予想に辟易して、あえて広島の若手の伸びしろにベットしてみました。巨人戦はふてぶてしい表情でテンポよく投げ込むルーキーの竹丸に白星を献上してしまい、ブルーな気持に。プロ野球の勝敗で一日の気分や体調が左右される生活がまた戻ってきた。そう思うと本当に具合が悪くなってきた。

 錠剤を飲んでブールデル美術館のマグダレーナ・ アヴァカノヴィッチ展を覗いたあと、職場の石田多朗の雅楽公演へ。たどたどしい英語のMCは愛らしかったが、演奏がはじまると一挙に場の空気が変わる。どこかに常世はあるに違いないと思わされるような神秘的な演奏。最後の曲といって石田多朗がキーボードで弾きはじめた旋律を聴いた小禾は驚きの表情を見せている。終演後に訊くと、かつてチベットの映画撮影のときに何日も続けて車を運転し、体力の限界に達して運転席で朦朧としていたとき、彼が弾いた旋律とまったく同じ旋律が頭のなかに降ってきたことがあったという。

石田ら

 28日
 グラン・パレのマティス展へ。過去三年のあいだにオランジュリー、フォンダシオン・ルイ・ヴィトン、パリ市立近代美術館がそれぞれマティス展を組み、ニースのマティス美術館に二度足を運んでいたので、もうマティスはお腹いっぱいだという気持だったが、それらの展示をはるかに凌ぐ規模で、心ゆくまでマティスの線と色を堪能。隣で組まれていたナン・ゴールディン展が霞むほどの充実だった。今年のベスト展示のひとつだと思う。

Henri Matisse, Nature morte d'intérieur rouge sur table bleue,1947. なんという赤!

 Les 3 Luxembourgで、ヨアキム・トリアーの『センチメンタル・バリュー』。映画がはじまるまでは終映後にクラブ行を画策するくらい元気を持て余していたが、映画のもつバイブスに影響をうけ、代わりに帰路のマクドナルドで5ユーロのセットを買って、ひとりで静かに食事をとって、静かに床に入る。寝台に臥せてトリアーの映画のもつあの風通しのよさの正体について考えていた。方法論としてはまったく異なるが、カメラワークと編集リズムの異化効果を突きつめた映画作家という意味で、カウリスマキよりもずっと小津的な作家ではないか。

 

 

日記 | 20260308 - 0314

8日

 とくに予定のない日曜日。WBCの日本対オーストラリア戦を観ながら、四日後の『麦秋』上映に備えて蓮實重彦と厚田雄春の対談本を読んだり、ほかの小津関連の資料に当たる。なんとなく予感されていたことだが、オーストラリア戦は先の二試合とは打って変わって投手戦になった。吉田の逆転ツーランに佐藤輝明ツーベース。天気がいいし一緒にジョギングでもどうかとマナヴから誘いが届く。たまにはいいか。クロゼットからいちばん走りやすそうな服を引っ張り出し、シテ島のあたりで合流し、そのままセーヌ川沿いを3キロほど走った。意外に余裕綽々で走れた。

 そのままバーのテラスに座って酒を一杯煽っていると、マナヴはスマホを取り出しクリケットの世界大会の決勝戦を見はじめる。インド対ニュージーランド。野球ファンの自分だが、クリケットのルールは何度聞いてもよくわからない。漫然と中継を見たり見なかったりしているうちにインドが優勝した。有頂天のマナヴにぼくはそろそろ帰るというと、優勝したのに付き合ってくれないのかと不貞腐れた顔。仕方がないので、インドのためにしこたま酒を呑んであげた。後日、決勝戦の同時視聴人数は全世界で8億人という報道を見て、あらためてクリケット人口の大きさを思い知る。WBCは決勝でも同時視聴者数はその10分の1にも満たないのではなかろうか。それにしてもぼくたちもその8億人にカウントされていたのだろうか。

パリの自宅もいつのまにか小津本だらけ

9日

 月に数回のバーガーキングが好きだ。オンラインで注文を済ませてからオフィスを出てビルアケム橋をわたり、セーヌ川の向こう側の店舗で紙袋を受け取って、ヘッドフォンで音楽を聴きながら、エッフェル塔を背景にウェディングフォトを撮るアジア人のカップルを尻目に歩く時間が好きだ。いまのファストフードのチェーンでバーガーキングだけが信頼できる。パリにはモスバーガーがないから(早くヨーロッパ進出してほしい。当たると思う)。

 ようやく去年の夏前に組んだ相米慎二監督特集の報告書に着手。「Filmer le tumulte des émotions」という副題に気にいっている。「感情のうねりを映す」という日本語を当てたが、「tumulte」という単語の響きがいい(三島の『潮騒』のフランス語題「Le tumulte des flots」から借用した)。宇太郎さんに頼んだポスターのデザインもいい。偏愛してやまない『東京上空いらっしゃいませ』の中井貴一と牧瀬里穂をキービジュアルに選べただけで胸が一杯になる。

 妹が日本に帰ってしまう前に自家製の大福を振る舞いたいと、マルゴがひととおりの食材をもってわが家に来た。そういえばマルゴと知り合ったのも相米慎二監督特集のときだった。相米慎二作品では『風花』がフェイヴァリットだという。大福うまい。ナイス。

 

10日 

 FICEPの広報者担当会議でカナダ大使館へ。FICEPはパリに拠点を置く外国文化機関の連盟で、いつもいろんな国の人がいて楽しい。しかし同時にこの場はいまや劣勢に追いやられたリベラル左翼の各国代表団の集まりで、ぼくたちはいま小さく閉じられたフィルターバブルのうちで表層を交換しているにすぎないのかもしれないともシニカルに思う。カズオイシグロのいう「横の旅行」の筆頭だ。カナダ大使館内のホールでは地球環境保全を訴える現代美術展が組まれていて、会議の列席者で見学する。ほかの客はいない。こうした展覧会はいま、まさに環境破壊が進みつつある現実に対して効力を持ちうるのか、ただ「やってる風」なだけではないかと野暮な思いが過ぎる。

 夕方、職場までトゥルーズからパリに出張中のアニエスが顔を出してくれる。ひととおり施設を案内して、近くの酒場で久々の一杯。最近彼女は、クララと一緒にピレネー山脈の山小屋を買い取って、毎週末に通っては少しずつ手を入れて生活環境を整えているという。結局のところそういう生き方を自ら実践することだけが大事なのであって、アニエスからはいつもそんな選択肢があるんだと勇気をもらえる。今度その山小屋に泊まりにいくことになった。

 夜、明日に日本に帰国する妹と9区のビストロに出かけて最後の晩餐。季節のきのこをふんだんに使って、くたくたに煮込んだビーフストロガノフがおいしかった。それにしてもぼくたちが共同生活をしていた五週間、お互いにほぼギャグしか言ってない。締めのエスプレッソを飲んでいるタイミングで「チョキに育てられたグー」を教えてもらう。なんでいままで教えてくれなかったんだ。

 

11日

 震災から15年。当時は高校2年生で、英語劇の練習帰りに部活の面々と高田馬場の雀荘で麻雀を打っていたときに被災をした。あれから15年。ニ年前に小森はるか監督特集を組み、パリに来た小森さんともいろいろと話したけれど、12年が経ってから急に心理的な距離ができた気がする。

 日本に帰国する妹をシャルルドゴール空港まで送り届ける。四月からは新しい職場での仕事がはじまるという。ひとりで帰宅をしたら、机の上には「またパリに来ちゃおっかなー!」と書かれた小さな手紙が残されていた。

 「水曜日の名画座」、小津安二郎『麦秋』。『女が階段を上る時』、『女は二度生まれる』に続いて組んでいた、戦後東京を生きる女性の肖像特集の三本め。小津のフィルモグラフィでも5本の指には入る好きな作品で、小津映画でいちばん結婚問題をうまく扱っていると思う。作品紹介を依頼していたディアン・アルノーとはじめまして。先ほどサクレ・クール大学でデヴィッド・リンチについての授業をちょうど終えたばかりだという。久しぶりにスクリーンで観る『麦秋』。後期小津にしては異様に動くカメラワークに瞠目する。濱口竜介が『他なる映画と』に書いていた杉村春子の「あんぱん」も。

 上映を観に来ていたスリヤとその友達の三人で呑みに行く。二人とも若き映画プロデューサーで、今回はじめて小津作品を観たそうだが、日本の家族形態への理解が及ばずあんまりピンと来なかったと言っていた。ぼくが戸籍制度を説明しても退屈そうに聞いている。彼女たちは早々に小津の話はうっちゃって、この数か月の新作映画のマシンガントークを繰り広げはじめた。ぼくは疲労困憊で、あいまいな相槌を打つだけで精いっぱいだった。

「水曜日の名画座」小津安二郎『麦秋』、164人動員。

12日 

 ジェームス・ブレイクの新譜。『James Blake』からも15年経ったのか。当時からほとんど作風は変わっていないにもかかわらず、新境地に達した感じがある。こういう深化を遂げていくアーティストはまれだと思う。今年のベストアルバムのひとつだ。

 夜、シネマテーク・フランセーズで角川映画50周年特集。フランスでもついに角川春樹の仕事が顕彰される時代になった。オープニングは角川映画第一回作品の『犬神家の一族』。それにしても市川崑はなんでも器用にできてしまう監督だったのだなと思う。みなで近くのブラッスリーで打ち上げ。カドカワのZさんは、今回も上司から出張が認められずに有給をつかって私費でパリに来て、300人が見守る壇上で立派にイントロダクションの仕事をしていた。出張費が認められないなんてちゃんちゃらおかしい。

 帰りに拾った流しのタクシーの運転手は、コートジボワール出身の高齢女性で、かれこれ40年もパリでタクシーの運転手を務めているという。わたしがこの仕事をはじめたとき、パリに黒人女性のタクシー運転手は3人しかいなかったのよ。あとの二人はもう引退して、わたしも三人の子供を育て上げ終わって、もう孫だっているくらいだから、そろそろわたしも潮時ね。

 

13日

 朝から某ウェブメディアのオンライン取材に自宅から出席。冒頭に挨拶だけして、あとはカメラもマイクも切って、ラジオ感覚で鼎談を聞きながら、掃除や料理を進める。いちばん有益に時間を使えている気がする。二時間の鼎談を終えて、そのあいだ準備していた鶏肉のトマトソース煮で昼食。

 ベースを担いで、パリ市内のスタジオへ。思いがけずバンドに誘われて、この日、はじめて練習があった。十年以上のまともに弾いていなかったので、大きな音が出せて楽しいという感情よりもぜんぜん弾けない落胆のほうが勝った。マッカートニーの「Hello, Goodbye」のベースラインは愉しい。練習しなければ。

 

14日

 YouTubeの動画撮影を依頼していた雨宮塔子さんたちと職場で待ち合わせ。まずは「すし展」を案内してから和菓子カフェに連れていき、阪井裕一郎先生の結婚制度の講演会を傍聴してもらう。講演会はとても興味ぶかかった。女性の初婚平均年齢は、日本では29.5歳で、フランスは32.8歳。一方、第一子出産時の母親の平均年齢は、日本は30.9歳で、フランスは28.9歳。フランスではなんと初婚よりも第一子出産の平均年齢が4歳も若い。日本では2.4%にとどまる婚外子の割合は、フランスでは62.2%も占めるという。日本人が躍起になって守ろうとしている「イエ」的な結婚制度だが、その観点からするとフランスではとっくに家族的共同体は崩壊していないとおかしいはずだ。何を恐れているのだろうかと純粋に疑問に思う。

 待ち合わせ場所につくと、小禾はデンマークの女性作家の小説を読んでいた。中国語には著作がいくつも翻訳されている作家だというが、日本語では一冊も出ていない。そのまま「Le Reflet Médicis」で鈴木清順の『河内カルメン』で観て、踊りたい気分になったので北駅から「Essaim」に向かった。来るたびに毎週来たいくらいのいいハコだと思う。明け方にタクシーで帰宅。WBCの準決勝がはじまっていて、酔いと眠気と疲れで朦朧としながら、日本とベネズエラ戦を見届ける。ベネズエラはいいチームだなと思う。

日本敗退を受けて悲痛な面持でインタビューに答える渡辺謙 ギャグ?

日記 | 20260301 - 0307

1日 日曜日

 昨日までマラケシュの粉塵と暑気に侵されていただけに、パリの冷たく澄んだ朝の風が心地いい。カナル沿いを走る健康的な体つきの日曜ランナーを躱しながら MK2 Quai de la Seine に到着し、『大統領のケーキ』を観る。イラク映画。モロッコでは至るところでモハメド六世国王の肖像画が恭しく飾られているのを目にしたし、ハメネイ師の死を受けてイラン人が大げさに泣き叫ぶ姿を収めたSNSのビデオには反体制派のイラン人から大量に歓喜のコメントがぶら下がっていた。最高権力者、もとい独裁者にたいする国民感情はさまざまで、ならばイラクにおけるサダム=フセインはどうだったのかと朝からイラク映画に観に来たわけだった。

 湾岸戦争でイラク国民が貧窮するなか、大統領の誕生日を盛大に祝うために田舎の学徒たちが動員されケーキを作らされる話。筋書きだけだといかにもおもしろそうなのだが、ところがどっこい、びっくりするくらいつまらなくて、途中でもう観る必要がないと思って映画館でひと眠りした。さらなる眠気を誘発する不快な眠り。

 妹とマルモッタン=モネ美術館の「眠り」展。眠すぎて眠ってる人の絵を見ている場合ではなかったが、最終日に当たる今日の切符を予約していたの観念して向かった。聖書の図像学から出発し、西洋美術史における眠りの表象を通覧する展覧会。眠りは夢、無意識や死とさまざまな主題と重なり合う。ヴィクトル・ユーゴのデスマスクまで展示されていて、よく考えられた展示だと感心した。もしぼくが美術史専攻の学生だったらこんなテーマで博論を書きたかったと嫉妬していたはずだ。

 常設コーナーでモネの名画の数々をぼんやりと眺めているうちに、Jean-Baptiste Sécheret という存命画家の企画展が組まれている小部屋に迷い込む。まったく知らない画家だったが、ひと目見た瞬間に好きだと確信した。アントニオ・ロペスのように、抑制された色彩で現代の都市が宿す憂いや静謐を描く。曇りや夕暮れ、その斜陽の感覚。久し振りに絵を所有したいという気持になったが、いったいいくらするのだろう。取り急ぎは図録を購入するに留めバスで帰宅。疲労のあまりすぐにくたばった。

Joaquin Sorolla y Bastida, Madre, 1900年頃.

「Les dialogues inattendus. Monet / Sécheret. Paysages d'eau」展より

2日 月曜日

 一昨日来、イランの戦況をめぐる報道に齧り付いている。イラン人と話さなければと、しばらく振りにダリウスの店に足を向ける。とびきりの笑顔で迎え入れてくれた彼に、この頃の沙汰を詫びて近況を報告。少し経ったところで、ところでハメネイ師の死はちゃんと祝ったのかいと、ぼくから口火を切ってみる。彼はガハハと大きく口を開けて笑い、もちろんシャンパンを開けて盛大に祝杯をあげたさ、と答えた。イラン風カレーライスを口に運んでいる最中のぼくのテーブルの向かいに座り込んだダリウスは、堰を切ったように話しはじめた。

 なあ、わかるか。47年だぞ。イラン人は47年も地獄で生きることを余儀なくされてきた。おれたちの青春はイスラム原理主義という最低な宗教を戴く体制に奪われ続けてきたんだ。ヒロシマやナガサキの原爆は確かに数多くの死者を出したかもしれんが、それも一回きりのことだっただろ。喩えるならイランでは毎年原爆が落とされ続けてきたようなもんだ。ぼくは不用意な原爆の譬えに反発を感じながらも、咄嗟に反応することができない。あの温厚で人のいいダリウスがこれだけ強い言葉を選んだ事実に、ぼくのちんけな想像力を越え出た人生の厚みを見てとってしまったのだった。

 夜もテヘラン出身のマフタブと、サン=ドニ門の前で待ち合わせる。クルド人のサンドイッチを頬張ってからバーのテラスに流れ着き、ビールを片手にしたところで、とりあえずハメネイの死に乾杯だよね、とおずおずと口にしてみる。彼女は途端に目を大きく見開いて「HELL  YES!」と叫び、ビールもお預けに一気呵成に話をはじめた。

 わたし、正直にいって、いま祖国で起きている事態にどういう態度を取ればいいのかぜんぜん判らないんだけど、たったひとつ、ハメネイが死んだというその一点だけは、本当に嬉しいんだよね。あまりにも嬉しくて、訃報を聞いてすぐにクラブに繰り出して、その場にいたみんなにキャンディを配っちゃったくらいだよ。

 彼女は文化人類学を専攻し、フランスのレイブカルチャーの研究をする博士課程の学生。パリ周辺のパーティやクラブ情報をいろいろ訊いていたら、唐突に道ゆく年老いた男性に話しかけられた。一瞬物乞いかなと思ったが、彼の手には青いインクで乱雑に文字が書かれたノートの切れ端の束が重ねられていて、「わたしの書いた詩を買ってくれませんか」と言った。うわ、宇多田ヒカルだ。しかもあろうことかぼくのポケットにはロエベの財布が入っている。しかしぼくのロエベには宇多田ヒカルと違って小銭しか入っておらず、その小銭をかき集めて買った詩は達筆すぎてぜんぜん読めない。マフタブと紙切れに滲む青いインクの文字らしきものに顔を近づけて、ぜんぜん読めないねと笑いながら、ぼくは興奮気味に宇多田ヒカルを説明したのだが、彼女はあまりピンと来ていない様子だった。

ダリウスのつくるイラン風カレーライスと、サフランティー。絶品!

3日 火曜日

 同僚と一緒にオフィスを後にして、増井千尋さんと待ち合わせていた日本料理屋「IRASSHAI」へ。先日、すし展のオープニングの位置づけで開催したヤニック・アレノ講演会の成功を労いたいとディナーの招待を受けていたのだった。IRASSHAIは、EATALYのような高級食材店とレストランをセットにしたコンセプトの業態で、増井さんは立ち上げの頃からアドバイザーとして関わっていたという。ブルス・ドゥ・コメルスの脇の好立地で、いつも客で賑わっている店だ。

 ガストロノミーの世界は縁遠いので、増井さんのひとつひとつのエピソードが新鮮でおもしろい。わたしたちはつぎつぎと出てくるコース料理に舌鼓を打ちながら、最後の客となって日付が変わるまでひたすらに放談を続けた。ひょんなことから増井さんが審査員を務めるシュー・ファルシ(ロールキャベツ)の世界大会のこととか。食事はとくに菊芋の天ぷらがおいしかった。フランスではごぼうはなかなか見つからないので、ごぼうの代わりに菊芋で金平をつくるとおいしいよと教えてもらった。


4日 水曜日

 よく晴れたセーヌ川沿いを自転車で遡上し、シネマテーク・フランセーズへ。カティアとアンヌ=ロールと三人で、併設のカフェのソファに座って今後の映画プログラムについて打ち合わせ。職場には殺風景な会議室しかないので、こんな光に満ちた風通しのよい場所で客人を迎え入れられるのが羨ましい。まずはシネマテークの六月に予定されている日活ロマンポルノ特集のプログラムを手始めに、その先のいくつかの連携企画について話した。どういう空間や環境に身を置くか次第で、わたしたちが口にするひとつひとつの言葉の選択は変容するし、その些細な違いが積み重なるとまったく異なる結論に辿り着くこともあると最近よく思う。

 ジャン=フランソワ・ロジェが合流して、四人でAveyron地方料理のレストランへ。蓮實重彦の名を口に出すと、ジャン=フランソワは「ハスミセンセイ」と恭しく手を合わせて蓮實とのいくつかの思いでを語ってくれた。彼が薦めたじゃがいものピュレとミルフィーユを食べてお腹いっぱい。赤ワインのボトルも一本開けて店を後にする。しかし昼間からこんなにワインを呑んで、フランス人の午後は仕事になるのだろうかといつも疑問に思う。

 ぼくはもう酔っ払って仕事にならないので、午後はリシュリューの国会図書館で「ナビ派の版画展」へ。ボナール、ヴイヤール、ドゥニ、ヴァロットンの版画が中心に構成されていたが、ナビ派の要諦は、絵画という様式そのものに対する異議申立てにあったのだと感じた。むかし三菱一号美術館のヴァロットン展で版画に感銘を受けたことがあったが、こうしてナビ派の面々を並べてみてもヴァロットンの作品が圧倒的によい。構図のセンスがずば抜けている。

 妹と合流して、グラン・パレのデッサン展。ナビ派の版画展同様、長期休館中のポンピドゥ・センター所蔵作品を中心に構成した展覧会。あまり期待せずにいったが、質量ともに充実したすばらしい内容。いつの間にか閉館前最後の客になっていて、あらゆる監視員がぼくひとりを監視している。展示スペースを進むたびに監視員が持ち場を離れ、気づけば仕事を終えて早く帰宅したい10人くらいの監視員集団がぼくの背後にぴったりとくっついて口々に雑談をしている。あまりにうるさいので、まだ閉館時間まで30分あるでしょう、鑑賞の妨げだからぴったりとストーキングして、べらべら喋るのは辞めてくれと、すでに20人はいた集団に向かって異議を申し立てた。みな押し黙って被害者みたいな顔をして肩をすくませたりしている。いらいらする。全員の名前を控えて雇用主に告発しようかと思ったが、もちろんそんな野暮なことはしない。ただひとりでいらいらするだけだ。

バルテュスのデッサン群

5日 木曜日

 すし展の関連上映で『築地ワンダーランド』。『二郎は鮨の夢を見る』にも映っていた人たちがここにも登場するのを見て、当たり前だけれど、世界最大の魚市場として知られる築地も個別具体的な人間関係のもとで回されている土地なのだと思った。十年ぐらい前に当時の同居人たちと深夜に思い立ち、築地へと車を飛ばし、日の出前からすでに賑やかな市場の前にある鮨屋に並んだ日のことをなつかしく思い出した。もうあの明け方の築地の光景も失われてしまったわけだ。

 映画を見にきていた小禾と呑みにいく。中国語話者は日本人の名前の読みがわからないので、彼女が増村保造好きだという単純な事実を理解するまでにいくらかの時間を要した。彼女が修士で研究している中国のLGBTQ事情についていろいろと訊く。そして日本で投獄された知人の話を聞く。中国と違って、日本の刑務所は天国みたいなところだった、ご飯もおいしいし、看守も優しかったし、なんならもっと住みたいくらいだったよ。

『築地ワンダーランド』上映

6日 金曜日

 WBC台湾戦は大勝。大谷のグランドスラムはおかしい。頭を空っぽにできる映画が観たいと思って、UGCシャトレでサム・ライミの『Send Help』を観にいった。満席。レイチェル・マクアダムスに、助けなんて来ないから自分で自分の身を守る術を身につけるがよいと言わせるためだけの映画。しかしあまりの虚無ぶりに、みんなこんなクラップを本当に面白いと感じているのかなとトボトボ歩いていると、ルーヴル美術館のデッサン修行帰りのマリーと遭遇。毎週金曜日のルーヴルの夜間解放では、絵描きの友人たちと何人かで集まって、一枚の絵画を前に思い思いにデッサンをするのが恒例だという。サン=ルイ島のベトナム料理を食べながら、彼女のデッサンを見せてもらった。もうすぐ日本に行くらしい。マリーと別れ、上岡の家に立ち寄ってもう一杯。


7日 土曜日

 モロッコ旅行中に仲よくなった家族に遊びにおいでと誘われた妹は、ブリュッセルまで小旅行に出かけていった。久し振りにぐうたらと朝寝坊して、ひとりで家事や炊事をしながらWBCの日韓戦を観戦。いい試合。近所のカフェに降りていくと、こちらはラグビーの試合中継で盛り上がっていて、みなスポーツが好きだなと思う。 

 ルーと合流して「La Cigale」の Geese のコンサートへ。去年『Getting Killed』がリリースされた直後にパリ公演の切符を落掌していたが、早い時点で売り切れ札止めとなり、今日の会場周辺にも、切符を売ってくれと紙を掲げた者たちがゆうに30人は越えていたと思う。すでに充溢していたファンたちの熱気は、ニューヨーク出身の若きメンバーがステージに現れた瞬間に爆発した。彼らは挨拶もせずに楽器を手にして音を鳴らしはじめる。おれたちには音楽があるからほかの余計な言葉は不要だといわんばかりの、メンバー紹介のMCすらないストイックなアクトだった。フロントに立つキャメロン・ウィンターは弱冠24歳。なんというカリスマだろう。かつて世界中の若者たちを熱狂させたロック音楽はいま、ほとんど死に絶えている。ギースの音楽は、ジャンルとしては過去の産物となったロック音楽へのノスタルジアを宿しながらも、同時に新しいものが生まれるときの感覚を伝える、古くて新しい、そういう質感をもった音楽だ。一度でもロックに憧れをもったことのある少年少女なら誰しも彼らのようなロックをしたいと夢見るにちがいない。「Islands of Men」のギターリフレインが、帰路についたぼくの頭のなかでいつまでも鳴り続けていた。

日記 | 20260215 - 0221

15日 日曜日

 地下鉄から地上へ。雨風が吹き荒び、ジャンティイ大通り沿いの露天商たちは急いで店仕舞いをしていた。午前中には雪も舞っていたし、こんな悪天候ではきょうの商売はあがったりだっただろう。雨に濡れながら「メゾン・ドアノー」へ辿り着く。思ったよりも小ぶりの建物だ。パリ南郊のジャンティイで生まれたロベール・ドアノーに捧げられたツーフロアの美術館。ドアノーが1940年代と1990年前後の二つの時代にジャンティイで撮った写真を対比させる構成の企画展の最終日だった。前者の仕事はサンドラールとの『パリ郊外』をつうじて知っていたが、彼は70代に達してから再開発が進み変わり果てた故郷に戻り、その地に暮らす若者や労働者の姿をカメラに収めた。長閑だった時代の原風景が失われてしまったノスタルジーのようなものはそれらの写真からは微塵も感じられない。被写体たちはカメラを構えていたのがフランス写真史に名を刻む巨匠だと知っていたのだろうか。「地元によくいるヘンな爺さん」に向けるような緩んだ表情をしていて、それが抜群によかった。

半年前にパーキンソン病で亡くなった妻の後を追うようにして死んだドアノー、1994年。没後二年で開設

 さらに郊外へ。C線の車窓に流れてゆく、曇天のもとの仄暗いバンリューの景色。先ほどのドアノーの写真が鮮明に重なり合っていく。妹と待ち合わせていた Saint-Michel-sur-Orge の駅近くのカフェに姿を現すと、妹に絡んでいた男は一目散に退散していった。駅からしばらく歩いて、かなり辺鄙な場所のカルチャー・センターで、Petit Traversというジャグリングカンパニーによる「Nos matins intérieurs」。出演の小辻太一さんとはひと月前に知り合い、ピビンパを口に運びながら会話するうちに、おなじ高校の出身で、しかも高校にあったジャグリング部の創始者だとわかって意気投合し、きょうの公演も気前よく招待もしてくれたのだった。

 太一さんたちは文字どおりの旅芸人で、この演目はヨーロッパのあちこちで100回以上こなしてきたという。ジャグリングに対しては大道芸という貧しいイメージしかもっていなかったぼくだが、じつはコンテンポラリーダンスの一種なのだとまざまざと目の当たりにした。玉や棒などのオブジェを介して身体を動かすので、ふつうのダンス以上に各演者の得意不得意、ひいては身体の固有性が剥き出しになる。八人の国籍や性別もちがうジャグラー/ダンサーの身体の卓越を見比べるのはじつに楽しい。終演後には太一さんの、ウソッキーみたいなすらりとしたアジア人男性の躯体にしか出せない味があるのではないかと話して、一緒に駅までの道を歩いた。いずれジャグリング体験をさせてくれるらしい。

Petit Traversのカーテンコール。立ち上がって拍手を送っていると、太一さんが合図をしてくれた。格好いい

16日 月曜日

 パスカル=アレックス・ヴァンサンとメール。春夏期の「水曜日の名画座」には花の名を冠した作品を4本を選んだと伝えると、返信で「Dites-le avec des fleurs !(花で言え!)」というフランス語表現を教えてもらった。花に想いを込めるかのように気持ちはオブラートに包んで伝えるのがよろしいという意味だという。返礼に日本語には「言わぬが花」という表現があることを教えてあげた。

 毎夜のごとく就寝前にベッドに寝転がって阪神タイガースのYouTube動画を見あさっているぼくを見かね、妹から「阪神ばっかだね」とコメント。二月頭のキャンプインを機に、今年もプロ野球中心に生活が回りはじめた。三月末の開幕前はどのチームのファンもいちばん夢の膨らむ愉しい時期だ。

 

17日 火曜日

 「L'Arlequin」でホナス・トルエバの『La Reconquista』。制作から10年越しにフランス劇場公開されるスペイン映画。現代のマドリッドで繰り広げられる男女の小さな恋の物語に、定冠詞つきで「レコンキスタ」という大仰なタイトルを与えた若き映画作家の、そのユーモアが好きだと思う。再-征服。失われたものを取り戻すこと。映画に描かれていたマドリッドの風景のいくつかは、自分にとっても馴染みあるもので、何もかもがただ恋しかった。

 映画館のロビーは人ごみでごった返している。何ごとかと思えば隣のスクリーンで『マーティ・シュプリーム』の特別先行上映とティモシー・シャラメのそっくりさん大会が組まれていたようだ(あとで動画を観たけど、すごくたのしそう)。呑みに誘っていた竹内くんが Vélib に乗って現れ、一緒に招待客に紛れてワインをかっぱらってから、近くのバーに移動して遅くまで飲んだ。つぎつぎとアンスティチュで上映を組んでいる竹内くんの旺盛な仕事ぶりはすごい。本職は大丈夫かなと余計な心配をしてしまう。

 帰宅してから愛用していたKindleペーパーホワイトを失くしてしまったことに気づく。背に「Free Palestina」と大きく書かれたステッカーを貼っていて、あるときパリの空港の荷物検査人からこれは何だと訊かれ一瞬緊張が走ったものの、「お前はいい奴だ、その調子でがんばれよ」といわれて世界への信を取り戻したことでお馴染みの、思いでぶかい・わたくしの・キンドル・ペーパー・ホワイト。

Jonas Trueba, La reconquista, 2016.

18日 水曜日

 茉莉さんにオデオン座の真向かいにある「La Méditerranée」というシックな地中海海鮮レストランで妹ともどもご馳走になる。なんでもジャン・コクトーがロゴやデッサンをつくり、クリスチャン・ベラールが内装を手掛けたという店で、お値段はそれなりに張るのだが、味はいたってふつうだった(奢られておいてどの口が、という感じだが)。

 職場に向かって自転車を漕いでいると、オデオン座の辺りで「最後の」新聞売りのおじさんを見かけた。いつかテレビで見たのと同じように、何十束にもなる「ル・モンド」を小脇に抱えて、一面のニュースを冗談めかして吹聴しながら、道ゆくパリジャンに新聞を売りつけている。レアポケモンに遭遇した気分でひとつ新聞を買おうと自転車を置き追いかけていったが、新聞売りは杳として行方を晦ましていた。

 夜は『女は二度生まれる』上映。フランキー堺がすし屋の板前役で登場するのではなかったかとサキさんに言われて思いだし、開催中のすしの展覧会にあわせて選んだ作品。それにしてもこの映画は謎が多い。上映後にはトークを務めてくれたクレモン・ロジェといつもの大衆酒場に繰り出し、ビールを飲みながら、あの若尾文子は本当に翡翠の指輪を見たことも聞いたこともなかったのだろうかと話す。この映画ではひとつのシーンが先行する別のシーンを否定する構造になっているとクレモンは言っていた。われわれはいつもつい呑み過ぎて終電を逃してしまいがちなのだが、きょうこそはその過ちは犯すまいとお互いに時計を確認しあい、無事に終電で帰宅することに成功。

『女は二度生まれる』の上映前にクレモンと一緒に作品紹介で登壇。6度めの「水曜日の名画座」の上映は、過去最高の200人を超える動員。うれしい!

19日 木曜日

 小川紳介特集の準備で、八年前のジュ・ド・ポムでの全作品特集のプログラマーで、ロンドンの大学で教鞭を取るリカルド・マトス=カボとオンラインで打ち合わせ。少しだけポルトガル語をひさびさにしゃべれて嬉しかった。もう何か月もポルトガル語の勉強はほっぽり出したままだ。

 すし展の関連講演会に立ち合う。ラファエル・オーモンという分子ガストロノミー研究者による講演会。彼の提唱する「フードペアリング」のコンセプトに基づき、人工知能を駆使したこれまでになかった未来のすしの形がつぎつぎとテンポよく紹介されていく。すし展の関連プログラムを組むにあたり、すしの未来を考えるようなイベントも組みたいと当初から考えていたので、まさにぴったりの講演会が組めてうれしい。Chat GPTの発案で「サイエンスが握る未来のすし」という日本語のイベントタイトルをつけていたのだが、同僚といくら頭をひねってもこれだけ秀逸なタイトルは出てこなかったと思う。人工知能おそるべし。

 帰宅してオンラインで読書会。今月の課題本は芥川賞を取ったばかりの鳥山まこと『時の家』。『百年の孤独』みたいな小説かなという想像とはちがっていまいちノレなかったのが、やりたいことはよくわかる。形式と内容の(不)一致についての議論で盛りあがった。

未来のすし?

20日 金曜日

 今夜から旅行に出かけるというのに何もかも追いついていない。きょうまでに終わらせなければならない仕事も山積していて、怒涛の勢いでメールを書き続ける。朝から機嫌の悪い妹のため息を聞きながら、あわてて荷造りをして、急いで家を飛び出して空港へ向かう。

 二時間ほどのフライトでセビージャに到着。二年振りのスペイン。機内でも、飛行機からターミナルまでの連絡バスでも、市街に向かうバスの車内でも、四方八方から飛び交うスペイン語が喧しくて、なんだか懐かしかった。スペイン人はどうしてこんなに声が大きいのだろう。ラテンの血のせいか、スペイン語という言語の特性か。ポルトガル人はもっと静かにしゃべると思う。金曜日の夜でさわがしい旧市街をしばし歩き、ホテルに到着したころには十二時を回っている。窓のない陰鬱な部屋だった。

 

21日 土曜日

 バルのカウンターで朝食。カフェ・コン・レッチェとパン・コン・トマテを注文。オリーブオイルを塗ったくったパンに薄切りのハムとトマトを挟んだサンドイッチを頬張ると、途端にスペインに着いたのだという実感が湧いてくる。でっぷりと太ったバルの店主は次つぎとやってくる客を軽快に捌いていく。壁に掲げられたキリストの受難と滂沱のマリアの彫刻の写真について訊ねると、すぐ近くの教会で見られるものだと教えてくれた。テレビはエプスタイン文書にスペインの元首相の名前があったと報じ、エプスタイン問題の世界的な拡がりを感じるとともに、どこかこのニュースには人びとの陰謀論的欲望をくすぐるものがあるとも感じる。

 セビージャはスペイン第四の都市だという。一日歩き回って印象づけられたのは、そこらじゅうに植わっているオレンジの木と、その鮮やかなオレンジ色に相応しい街の活気だった。グラナダやコルドバ、マラガなどのアンダルシアのほかの街よりもはるかに観光客が多い印象を受けた。われわれ同様にヨーロッパの冬の厳しさに懲りて南の太陽を浴びに来た人たちかもしれない。

 それからもうひとつ耳目を惹いたのは、あちこちで見かけた大きな塔とその両脇に立つ巨大な女性たちのイコン。二人は三世紀ごろに異教徒として殉教した陶器職人だったフスタとルフィーナというセビージャの守護聖人で、1755年のリスボン大地震の折に二人が天から舞い降り、塔が倒れないように手で支えたという伝説が残っているという。

 昼には食べ切れるかどうか心配することなく気になった名前のタパスを何皿も頼み(Sangre con Cebolla、「血とタマネギ」!)、夕方にはチョコレートにチュロスを浸し、夜には白ワインとあわせて魚貝のパエージャを頼む。フラメンコの公演を見て、もとはモスクとして建設された旧市街の大聖堂や教会にいき、自転車を借りて川沿いを走って、なんとなく気になっていた旧市街から離れたところにあるバジリカを訪れた。もう日暮れだというのに正装をした老若男女でごった返し、授章式のようなものが執り行われている。メダルを首から提げた青年に訊けば、これは教会の信心会への入会式だと教えてもらった。スペイン語ではヘルマンダというらしい。

 スペインの夜は遅い。九時ごろにまだ営業中の靴屋に入って(この街はなぜか異様なほど靴屋が並んでいる)、妹に選んでもらったCettiというスペインのブランドの靴を買って、靴ずれを起こしていたニューバランスを捨てた。足取りが軽い。それだけで気分は軽快。

オレンジ

セビージャ大聖堂にあるコロンブスの墓。「死んでも二度とスペインの地は踏まない」という本人の遺言は守られ、宙に吊り上げられたままの棺。へ理屈だ。

Francisco de Goya, Las Santas Juntas y Rufina, 1817. 聖フスタと聖ルフィーナ、聴覚を失ったゴヤがセビージャに滞在して描き上げた絵.


 

日記 | 20260208 - 0214

8日 日曜日

 快晴。午前にモンジュ広場の日曜マルシェで食材を買い出し、帰りにリュテス闘技場に立ち寄る。闘牛の練習をしている青年二人組がいた。ひとりが角の生えた帽子をかぶって突進し、もうひとりが赤い布をはためかせて華麗に身をかわす。しばらくその様子をぼんやりと眺めてから話しかけてみると、二人は快くいろいろと闘牛の世界について教えてくれた。アルベール・セラの『Tardes de soledad』の話になる。彼らも実際にAndrés Roca Reyの闘牛を観て、あの気品の高さに陶酔したという。そうだね、彼は間違いなく現代最高のマタドールだよ。

 ハヤシライスをつくって、木漏れ日の美しいブローニュの森を抜け、フォンダシオン・ルイ・ヴィトンの「リヒター展」。道中、同行の妹に向かって、リヒターは現代美術家として世界で10本の指に入る重要な作家だと説明していた。しかしいったいなにが、どのようにして重要なのか? その問いをあらためて自らに突きつけながら、先日没したばかりのフランク・ゲーリーが遺した巨大な建築の胎内へと滑り込む。数年前の東近美の個展もよかったが、作家にとって「史上最大規模の個展」は桁外れのスケールだった。

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 ベルリンの壁が東西ドイツを隔てる直前の1961年、リヒターは何葉かの家族写真を懐に忍ばせ、故郷ドレスデンを捨て、芸術家としてのキャリアを賭して西への亡命を果たした。西ドイツで最初期に取り組んだのは、置き去りにしてきた家族の肖像をキャンバスに呼び起こす試みだった。しかし現れた姿は一様に「ぼけ」てしまっている。リヒターの代名詞たる「ぼけ」は、単なる美学的な技法に留まらず、作家の生きる歴史/政治状況の帰結として要請された(ように見える)。ひとりの作家が抱える主題と、その表現の座としてのマチエールや技法の選択のあいだに強い相関が認められること。それが現代美術のひとつの特徴だとすれば、リヒターはまさに典型と呼べるだろう。そして、共産主義体制と訣別し、西側諸国の制度に飛び入って自身の芸術を開花させたリヒターの歩みは、西側諸国にとって大いに歓迎された物語であったにちがいない、とも思う。

 とはいえリヒターの仕事は厖大で、半世紀以上にわたり不断に自身の主題=技法を敷衍し続けてきたキャリアに対して「現実の異化」というキーワードを宛てていたキュレーションも見事だったが、何時間もかけて展示室を巡るなかで感じたのは、彼は「何をすべきか」以上に「何をすべきでないか」については鋭敏な嗅覚を持っていたということだ。二十世紀という時代の申し子たるリヒターにとって、ホロコーストという世紀最大の悪と対峙することは避けては通れない宿命だった。それは若年期から何度も間接的に挑み、あるいはその表現の困難を前に断念を重ねてきた主題でもあった。八十を超えてから発表された《ビルケナウ》シリーズ。時が熟するのを待ち、幾度もの転回を経てようやく辿り着いたその集大成を前に強い感銘を受けていたとき、気づけば20時の閉館時間が迫り、ぼくは最後の客のひとりになっていた。二時間近く前に鑑賞を終えていた妹と再び合流して、家に帰って肉じゃがをつくって食べた。美術館を後にしてからリヒターの話が再び話題に上ることはなかった。

Gerhard Richter, Chicago, 1992. こういう絵も抜群にいいのでずるい

9日 月曜日

 ロッテルダムとベルリンの映画祭行脚のあいまにパリに立ち寄っていた東映のNさんと昼ごはんへ。やくざ映画で一世を風靡した映画会社だけに、いまもどこか社風にやくざな雰囲気が残っていることを示すエピソードの数々を聞いた。東宝も松竹も日活も何度か本社を訪問したことがあるが、いまも各社が往年につくっていた映画の作風の独自のカラーが社員や社屋のうちに息づいていると感じる。なんとも愉快なことだ。

 高畑展の撤収作業に勤しむジブリのTさんたちと、はたして高畑勲は同時代の日本映画をどれくらい観ていたのだろうかと話す。ぼくも特集上映の準備にあたっていろいろと資料にも当たったが、『やぶにらみの暴君』は措くとしても、それ以外の映画作品について正面から肯定的な評価を表明したテキストはほとんど見当たらなかった。東映動画時代の「竹取物語」をめぐる内田吐夢とのつながりも興味ぶかいが、はたして彼はどれくらい三隅研次や加藤泰のやくざ映画を観ていたのか、観ていたとしたらどのような感想を抱いていたのだろうか。ほかにもイランさんや、何人かの専門家に訊いたが誰もわからないという。

 

10日 火曜日

 躁状態が続いている。言葉が奔流する。このところ頻発する頭痛はその反動かもしれない。

 雨に降られながらアラブ世界研究所へと急ぐ。レバノン生まれの劇作家ワジディ・ムアワッドについてのドキュメンタリー先行上映に誘われていた。シネコン顔負けのふかふかな客席でクレアたちに合流。みなムアワッドの教え子でもあり、そのうちのひとりは去年、青年時代のムアワッド本人役を演じたらしい。映画はぼくに想田和弘の『演劇1』『演劇2』を想起させた。大学に入りたての頃、渋谷のイメージフォーラムで観て平田オリザに興味をもち、現代演劇の世界に接近するきっかけになった作品だ。平田オリザやムアワッドのように、現場でひとりだけ別の現実を見透かしているかような劇作家然とした劇作家は、もういまの流行りではないのかもしれない。それでも彼らの、人間的真理に到達しようとする探究には抗いがたい魅惑がある。ドキュメンタリーの冒頭にはムアワッドが自身の書いた科白を、その響きを確かめるかのように何度も何度も早口で呟いていた姿が映されていたが、それとは別の箇所で、その創作の秘密をこう語ってもいた。たとえば、ひとが「お前なんか絶対に赦さないからな」というフレーズを口にするとき、そのほとんどは強い拒絶をともなうトーンに支配されている。しかし彼は、執拗な反復をつうじて、紋切り型とは別様のトーンの可能性を聞き取ろうとする。その試みは、固着化したポジショントークが覆い尽くしつつある現代社会において劇作家が果たすべき重要な仕事だと思う。福尾匠の『置き配的』の議論を思い出す。

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11日 水曜日

 2,700席のキャパを誇る「Le Grand Rex」で、久石譲のコンサートへ。本人が指揮に立つのかと思い込んでいたが、フランスの交響楽団が久石譲の楽曲だけを演奏するコンサートで、すでに相当数の地方都市を巡回し、このパリ公演も三日間すべてソールドアウトだとのことだ。チケットを融通してくれたクレールと、その友だち夫婦の四人で、会場横に伸びる長蛇の列を眺めながらアペロ。「ジョー・イザイシのことはあんまり知らないけど、ジブリ映画は大好きだ」と語る夫は環境系のNGOで働いているという。

 満員の会場に、自分のほかに日本人はほかにひとりもいなかったような気もするが、ふだんは白人偏重のパリの催しに比べればずっと人種は混交している印象で、年端のいかない子供を連れた親たちから、学生くらいの若いカップルや友だち連れなど、ふだんなじみのある公演とは客層がまるで違う。コーラス隊も含め百人くらいの楽団を率いる指揮者はMCがすこぶる上手で、何度も会場を沸かせている(当然のように彼もまた「ジョー・イザイシ」と発音していた)。ジブリの楽曲が流れはじめると客席がすぐさま反応する。本当にジブリは最強すぎるIPで、これからもう何十年、何百年と残っていくに違いないと確信を憶えた。ぼくは「菊次郎の夏」のテーマが流れた瞬間に飛び上がって、後ろの席のクレールを振り返ってピース。



 

12日 木曜日

 昨夜眠りにつく前に飲んだ頭痛薬が効きすぎたのか、目を醒すととうに出勤時間を過ぎていた。驚いて布団から飛び上がる。しかし動転したのは一瞬だけで、こうなったら仕方ないと即座に開き直って悠々と出勤。寝坊に気づいた瞬間の脳内というのはじつに艶かしく、いろんなことが起こっているものだ。

 NHKパリ支局で働くKさんとランチへ。Beaugrenelleの韓国人街のうちでもいちばんお気に入りの家庭的な韓国料理屋に行く。ワイン1杯がついてくるおかずたっぷりのランチセットは界隈では驚異の13ユーロ。ハキハキとしたオンマが手ぎわよく店内を捌いていくさまが小気味よい。

 

13日 金曜日

 来週末に出発を予定しているスペイン・モロッコ行きの航空券をようやく予約。パリからセビージャに飛び、南端のタリファに移動。船でジブラルタル海峡をわたってモロッコ入り。タンジェ、フェズに1泊ずつして、フェズ発の二泊三日の砂漠ツアーに参加。メルズーガとワルザザートに泊まり、最後はマラケシュからパリへ戻る旅程にした。最安の航空券をもとめて何度も調べ直すうちに辿り着いたルートで、かなりの駆け足だが、いい感じの流れで組めたのではないかと思う。モロッコ行きの話を総子さんとすると、四方田犬彦の『モロッコ流謫』を貸してくれることになった。10年くらい前に読んだきりで、読み返そうにもパリでは手に入りそうもないと諦めていたところにまさかの吉報。持つべきものは読書家の友人である(年齢差は50!)。

 春夏期のプログラムの準備に追われ、ひとり残業。相撲映画特集、小川紳介監督小特集、月例クラシック上映、ウルトラマン、インディペンデントアニメ上映、アヌシー映画祭特集と、次期はいつも以上に欲張ってプログラムを組みすぎてしまった。カンヌ、アヌシー、ボローニャの映画祭にも行くつもりなのだが、はたして身体はもつのだろうか。

 帰宅を果たしたのは22時過ぎ。帰りを夕飯を食べずに健気に待っていた妹がクリームパスタを茹でてくれた。ありがたい。

 

14日 土曜日

 凍てつく強風にも負ケズパンテオンにある中華麺屋に向かって、妹と担々麺を平らげる。その後、職場の上映で『三等重役』と『続三等重役』を二本続けて観た。のちの「社長シリーズ」の源泉とされる、日本のサラリーマン企業の組織体質を笑い飛ばしていく軽快なコメディ。サンフランシスコ条約の発効直後の1952年に公開されたこの二作の、わたしたちの国は平和な時代に突入したのだと高らかにうたいあげるような、楽観的なトーンにつよく印象づけられた。ただ同時に、大入りの客席で中高年のフランス人たちが生み出す爆笑の渦にうまく乗り切れずに若干引いてしまったのも事実である。

 うっすらと尾を引いていた体調不良も、夕飯を食べたら元気が出てきた。「Le Grand Action」で、ケリー・ライカートの新作『ザ・マスターマインド』を鑑賞。それもライカートに因んで名づけられた「Salle Reichardt」というスクリーンで。新作を心待ちにしている数少ない映画監督のひとりで、今回の作品もとてもよかった。劇場を出て喫んだ煙草が飛び抜けてうまい。

immoue.hatenablog.com

 

 

日記 | 20260201 - 0207

1日 日曜日

 なんとなく足を向けたプチ・パレの二十世紀のフランス絵画が所狭しと並ぶ部屋で、ばったりクレマンスと遭遇。日曜日の浮き足だった雑踏の中心で、ぼくたちの時間だけが静止したかのような刹那が確かにあった。トレンディ・ドラマのような再会に驚きながらも近づいて挨拶をすると、彼女は「わたしいまデート中なの」と耳打ちしてきた。おどけた顔で笑う彼女の視線の先には、モネの絵画に釘づけになっている青年がいる。あらあら、それはお邪魔だったわね、がんばって頂戴。気を取り直して絵画鑑賞。何度足を運んだって新たな発見はあって、今回はPaul Guigouという19世紀の画家が描いたプロヴァンスの絵に心を奪われた。小さなキャンバスに縁取られた古都へと真っ直ぐ伸びる畦道。その景色のなかにぼく自身も立っているような感覚が訪れて、長いこと音を聴いていた。

Paul Guigou, Paysage de Provence. Vue de Saint-Saturnin-les-Apt, 1867.[一部]

 向かいのグラン・パレで企画展を二つ梯子してもまだ元気があったので、映画でも観ようとカルチエ・ラタンへ。サン・アンドレ・デ・ザール通りを急いでいると、向こうから小野正嗣さんが歩いてくる。面識は無かったが、ついつい話しかけてしまい、小一時間ほど立ち話で盛りあがる。パリには一年間サバティカルで滞在中だという。人生ではじめて「芥川賞作家が何を仰いますか」というツッコミを入れた。鑑賞作品を選び直し、二本を続けて鑑賞。亡き妻への情が断ち切れないイタリアの大統領を主人公に据えたパオロ・ソレンティーノの映画と、ケベックの若い監督が撮った独身の中年男が電話オペレーターの女に恋をする映画を続けて観た。どちらもいまいち。フェア・イナッフ。

 

2日 月曜日

 いつものカフェのカウンターでラ・トゥールの図録を広げていると、よく居合わせる常連の男性から声をかけられた。これまでずっと気になってたんだけど、きみはいったい何の仕事をしてるのか。彼も独特の雰囲気を纏った人物で、ぼくも同じく気になっていたんだよねと訊ね返してみると、二十年ほど前に立ち上げた小さな音楽のレーベルをいまも細々と続けているのだという。過去二年にわたって少なくとも週に一、二回は同じカウンターで居合わせていたのに、今日に至るまできちんと会話をしたことがなかった。心身の調子がよいとなぜか人を引き寄せてしまうという法則をこのところよく実感する。

 明日から再開する高畑勲監督特集上映の試写や準備を終え、パリ訪問中のエマと13区の中華料理屋で集合。彼女の日本語とぼくのフランス語能力は同じぐらいのレベルで、一方の言語能力が他方のそれを上回っていたら会話の言語も自然と定まるのだけれど、ぼくたちの場合はどっちつかずで、日本語とフランス語を不断に往復するせいか会話のリズムも乗らず、どこか上の空だったような気がする。しまいにはどういうわけか彼女のノートに般若心経を書きつけていた。

ラ・トゥールの《聖ペテロの涙》ポストカード。この絵については先日ブログに書いた

3日 火曜日

 陰鬱な雨が車窓を打つバスのなかで、長谷川和彦の訃報を知る。生涯でたった二本の長編映画を撮った伝説的な監督としてそのまま年老いて死んでしまった。数十年にわたってその意欲を語っていた新作はついぞ撮られることはなかった。その映画は未然の傑作として夢見られたままのほうがよかったのか、あるいは仮に晩節を汚すことになったとしても撮られたほうがよかったのか。本人にとってはどちらが幸福だったのだろうか。

 あるいみで長谷川和彦とは対照的に、半世紀に及ぶ充実したキャリアを送って没した高畑勲監督特集の初日(2期)。黎明期の『ルパン三世 PART1』17話、『アルプスの少女ハイジ』1話、『母を訪ねて三千里』1話を続けて上映。小学生の時分は近所のビデオ屋で「ルパン三世」のVHSを片っ端から借りて貪るように見ていたので、いまもチャーリー・コーセイが歌うエンディングテーマを聴くと込み上げてくるものがある。ワルサーP38、この手のなかに抱かれたものはすべて消えゆく定めなのさ。

 夜の『太陽の王子 ホルスの大冒険』を上映を観にきたトキオさんとそのまま飲みにいった。ハリウッド/ディズニー的な善悪二元論の影響から脱しきれていない高畑はじめての長編作品を観て、高畑にもそんな時代があったと知って逆に安心したと言っていた。ぼくも『ホルス』は何度観ても傑作だとは思えないけど、ヒルダのキャラクターだけは妙に惹かれるものがある。

フランスでも広く知られる『アルプスの少女ハイジ』だが、じつはオフィシャルには仏語吹替版しか存在せず、字幕付きで上映をしたのはおそらくはじめて。今回、『柳川堀割物語』『母をたずねて三千里』『赤毛のアン』もあらたにフランス語字幕をつくった

4日 水曜日

 きょうは昼、夕、夜の三回上映。何といっても『パンダコパンダ』。高畑特集の話を三宅さんにしたとき、「ああ、『パンダコパンダ』ね」と言われたことがあったけれど、今回はじめて大きなスクリーンで観てアニメーションにいたく感動を受けた。稀代のアニメーター、宮﨑駿にしか描けない生命の躍動。連日賑わう別フロアの高畑勲展でも宮﨑駿の原画が展示されているが、彼が鉛筆ですっと引いたにすぎない線の一本一本がどうしてかくも感動を呼び起こすのだろうか。センシュアルという語が脳裏に浮かぶ。

 『じゃりン子チエ』の上映は前回同様に客席の笑い声の絶えない愉快な上映だった。高畑のフィルモグラフィのうちでもとても好きな作品だ。声優陣に名を連ねるのは西川のりお、上方よしお、鳳啓助、六代目の文枝、笑福亭仁鶴、島田紳助、松本竜介、オール阪神・巨人、ザ・ぼんち、横山やすし、西川きよし。彼らの生粋の大阪弁は聴いていて心地よい。これほど大阪下町の活気をよく伝えてくれる作品はほかにあるだろうか。

高畑特集上映のあいまに小鼓演奏会の様子をのぞく

5日 木曜日

 『柳川堀割物語』と『おもひでぽろぽろ』。高畑勲のフィルモグラフィーを理解するのに『柳川堀割物語』は欠かせない作品で、どうして三年後の『おもひでぽろぽろ』で都会から田舎に向かうタエ子を撮るのか、どのような問題意識をもって七年後に『平成狸合戦ぽんぽこ』に取り組んだのか。柳川の掘割埋め立てに反対し、計画中止に漕ぎつけた公務員の実話に感銘を受けた高畑と宮﨑が、三時間という長尺であまりにも丹念にその一部始終を辿っていく。ある作家がひとつの問題に関心を持つとき、いかなる仕方で作品という形に昇華させていくのか。その経路や結果は千差万別だが、ここにはひとつの範例と呼ぶべき何かがある気がする。

 『おもひでぽろぽろ』を観に来ていたクレールに、終映後開口一番に「晴れと曇りと雨、どの日がいちばん好きか」と問いを投げてみる。ウーン、わたしはやっぱり晴れかな。それはそうだよね。ぼくもフツーに晴れが好きです。

 

6日 金曜日

 ひどい頭痛に堪えて布団を抜けだしシャルル・ド・ゴール空港へ。道中で「じつは全然大したことがないのに病人ぶっているだけだ」と思い込もうとしたけどぜんぜんだめで、割れるように頭が痛い。日本からはるばる到着した妹をひらってアパート向かいのレストランへ。シェフのオリジナルレシピだというブーダン・ノワールみたいな豚の肉の切れ端からつくったパテがおいしかった。

 『火垂るの墓』と『平成狸合戦ぽんぽこ』を上映。この日はほかの作品にも増して知り合いが何人も観に来てくれていた。『火垂るの墓』の防空壕で節子が絶命するところでいつも戦慄を憶える。地面に敷かれた白いシーツの上に、やせ細った節子が清太から手渡されたひと切れの西瓜を腹に乗せ、目を閉じて横たわっている。カメラは次第に上方にパンし、何もない空間を映したあと再び節子に戻る。先のショットと何も変わっていない。節子は相変わらず眠っているようにも見える。しかし彼女はその瞬間に死んでしまったことが了解されてしまう。命のともし火が消えてしまう決定的な瞬間を、あの上下運動のカメラワークだけで証してしまっている、本当におそろしいショットだ。

 

7日 土曜日

 高畑勲監督特集の最終日。展覧会の最終日でもある。連日連夜すさまじい人手で、きょうも開館前にエントランス前には長蛇の列ができていた。『赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道』、『ホーホケキョ となりの山田くん』、『かぐや姫の物語』。どれも甲乙つけ難いくらい好きな作品だ。撤収作業に来ていたジブリの田中さんも、『赤毛のアン』の冒頭だけ覗くつもりが、もう何度も観ているはずなのについついおもしろくて最後まで居座ってしまったと言っていた。アンの純真は異様に心を打つ。

 それでもいちばん好きな高畑作品は『かぐや姫の物語』かもしれないと三百人の観客と一緒に映画を観ながら思いなおした。東大仏文を出たばかりの高畑がアニメーションを志して東映動画に就職し、はじめて会社に提出した企画書は「竹取物語」のアニメーション化だった。当時企画はすぐに頓挫してしまったのだが、高畑は以後も長く充実した作家人生を歩み、自身が立ち上げたスタジオジブリで、若き日に夢見た企画を五十年越しに実現させることとなる。完璧主義者で知られる作家は、初号試写を観て「もう何も言うことはありません」と自身の監督作品ではじめて満足の意を評したという。高畑勲はその数年後に没し、竹取物語の映画は遺作となった。かぐや姫の神懸かりと呼応するかのように、捨丸との再会から月への帰還に至るまでの終盤の画面の充実はすさまじい。

 累計で展覧会は5万人、映画上映は4千人の動員を記録した。とはいえ連日連夜の上映でくたくたで雑事を片づけて帰路に着くと、先ほど上映を観ていたはずのマルゴたちがモトピケの地下鉄構内で立ち話をしているところにばったりと遭遇。『かぐや姫の物語』の感想戦が止まらなかったのだという。マルゴがちょうど書きあげたばかりの次回作の脚本とまったく同じことを語っていたようで、あまりにも同じで驚いたし、剽窃を疑われても困るからむしろ執筆途中に観なくてよかったと言っていた。トレトレトレトレトレトレトレトレトレビアン、これは自分の人生でも十本の指に入るくらいの作品かもしれないとも。上映者冥利に尽きる。

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ケリー・ライカート『マスターマインド』(2025)

 映画館の外に出ると、いくつかのグループが映画の感想を口々に言いあっていた。ライカートの新作の隣のスクリーンで上映されていたジョン・ウーのむかしのアクション活劇を見ていたらしき若者たちは、大きな身振り手振りを交えて興奮気味にシーンのひとつひとつを再現している。その横で輪になっていた『マスターマインド』勢の会話に耳を傾けると、だいぶ寝ちゃったんだよねという女の子に向かって、要するに人生をフイにした男の話だから観なくても平気だよなどと男の子が冗談めかして語っていた。ぼくはグループに挟まれてひとり煙草を吸いながら、なにもかもが急に愛おしく思えた。ライカートの映画はひとを映画へ、あるいは世界へと向かわせる。わたしたちは世界の手ざわりを確かめるためにライカートの映画を観る。そしていまの世界にまだ具体的な質量を伴った何かがあたらしく生まれたことに喜びを憶える。そういえば『ファースト・カウ』を観たのもこの映画館だった。あの日はとても小柄で図書館の司書のような出立ちのライカート本人もトークに来ていた。上映終わりにソルボンヌの映画専攻の修士学生たちと仲良くなったのも、ここで煙草を吸っていたときじゃなかったかなあ。
 しかしライカートの映画の何がわたしたちに世界の手ざわりを感じさせるのだろうか。『マスターマインド』で思いだすのは、ジョシュ・オコナーが盗み出した四枚の絵画を豚小屋の高架に運び入れて、自前でつくったやけに重そうな木箱をはしごで持ちあげるくだりだ。ああそうやって持ちあげるのかあと思わず感じ入ってしまった、きわめて具体的なショットだった。というか、この作品の前半部分は、ほとんどそういうディテールしかおもしろがれなかった。カチッと錠を下げると開く仕組みの美術館のショーケースとか、手でハンドルをぐるぐる回さないと開かないアメ車のリアガラスとか。
 クライムものの脱構築なら『ナイト・スリーパーズ』のほうがよほどおもしろいし、前半部分まで今回のライカートは「そこそこ」かなと思っていたけれど、逃避行がはじまり、この映画は「その後」を描こうとしているんだとわかってからはグッと来た。なにより軍の求人ポスターが貼られたターミナルから深夜バスに乗り込んでたどり着いた美大時代の友人夫婦の田舎の家での朝のシーンが本当にすばらしくて、そこでちょっと泣いた。むしろあのシーンだけがよかったかもしれない。ジョシュ・オコナーのしでかした無茶な絵画強盗の記事を読みあげて逃亡中の旧友を茶化すジョン・マガロー。その二人の様子に冷淡な眼差しを向けながら、腹を空かせた旧友にひとり分の卵やベーコンを焼く妻。もしも自分の人生に今後こういうことがあったらどうだろうと想像をしてみた。若いころの古い友人が罪を犯して救いの手を求めてくる。自分はジョン・マガローのようにお前はほんとばかな奴だなあと笑えるだろうか。あるいはその妻のように突き放してしまうだろうか。ぜんぜんわからないけど、あの犬みたいなジョシュ・オコナーを見ているとどうにか救ってあげたい気もする。世界に友情ほどよいものはないから。
 妻のMaudeを演じた役者の佇まいがすばらしくて、エンドロールで何よりもまっさきに役者の名前を探した。Gaby Hoffman、あれっと思ったら、『カモンカモン』でホアキン・フェニックスの姉か妹を演じていた女優だった。あの映画でも彼女の感じにすごく惹かれた記憶がある。それにしてもライカートの映画はキャスティングを外したためしがない。ジョシュ・オコナーも本当に見事だったし、ほんの冒頭にその妻役にハイムの末妹が配されているのを見て、ハイ最高です、とおもわず立ち上がりそうになっていた。
 思い返してみるといろいろといいところがあったなとも思う。時代背景をめぐる描写の距離感もよかった。ベトナム戦争は世界ではじめて全面的にメディアタイズドされた戦争だと物の本によく書かれているけれど、当時のアメリカではああやって日夜テレビからヘリコプターやマシンガンの音が轟いていたのだろうか。劇中にヒッチハイクで拾ったヒッピーのカップルは、戦況を報じていたラジオをすかさず音楽のチャンネルに変えた。ビーチ・ボーイズみたいな軽快なポップスが流れはじめていた。これは現代のソーシャルメディアとほとんど同じだ。ライカートの映画のもつ手ざわりはこういうところにあるのだと思う。

 

パリ5区の映画館「Le Grand Action」の、ケリー・ライカートの名前が付けられた二番スクリーンで鑑賞。これ以上にライカートの新作を見るのにふさわしい場所はほかにないのではないか! 公開二週目の土曜日のレイトショーは満席だった。