常設展示のたぐいでは、2022年の大みそかに訪れたニューヨーク郊外の Dia Beacon は隅から隅まで心地がよくて、贅沢な時間を過ごしました。宗教芸術の傑作とされる《イーゼンハイムの祭壇画》を所蔵するコルマールのウンターリンデン美術館もすばらしかった。美術館に限らずとも、パトヴァのスクロヴェーニ礼拝堂に足を運んで念願のジョットの青に涙したり、ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿でティントレットの《天国》にひれ伏したり、この一年でいろいろと凄まじいものを見たなと思いかえします。
展覧会|パリ
SHOCKING ! LES MONDES SURRÉALISTES D’ELSA SCHIAPARELLI スキャパレッリ展(パリ装飾美術館) Füssli, entre rêve et fantastique フュースリ展(ジャックマール=アンドレ美術館) Tsai Ming-Liang - Une quête蔡明亮展(ポンピドゥ・センター) Walter Sickert - Peindre et transgresser ウォルター・シッカート展(プチ・パレ) Un bestiaire japonais いきもの:江戸東京 動物たちとの暮らし(パリ日本文化会館) André Devambez - Vertiges de l’imaginationアンドレ・ドゥヴァンベ展(プチ・パレ) Oskar Kokoschka - Un fauve à Vienne ココシュカ展(パリ市立近代美術館) Thomas Demand - Le bégaiement de l'histoire トーマス・デマンド展(ジュ・ド・ポーム) Ossip Zadkin - Une vie d’ateliers オシップ・ザッキン展(ザッキン美術館) Salvador Dali, Alberto Giacometti - Jardins de rêvesジャコメッティ/ダリ展(アンスティチュ・ジャコメッティ) Hyperréalisme - Ceci n'est pas un corps ハイパーリアリズム展(マイヨール美術館) Julia Pirotte, photographe et résistante ジュリア・ピロット展(Mémorial de la Shoah) Ken Domon – Le maître du réalisme japonais土門拳展(パリ日本文化会館) FELA ANIKULAPO-KUTI - Rébellion afrobeatフェラ・クティ展 (Cité de la musique) Pastels - De Millet à Redon パステル展(オルセー美術館) Zanele Muholi ザネール・ムオーリ展 (Maison Européenne de la Photographie) Ouvrir l’album du monde. Photographies (1842-1911) 黎明期写真展 (ケ・ブランリ美術館) SONGLINES - Chant des pistes du désert australien ソングラインズ展(ケ・ブランリ美術館) Manet / Degas マネ / ドガ展(オルセー美術館) Rothko ロスコ展(フォンダシオン・ルイ・ヴィトン) Senghor et les arts サンゴールとアート展(ケ・ブランリ美術館) Fancy !(ケ・ブランリ美術館) L’art des charpentiers japonais 工匠たちの技と心 日本の伝統木造建築を探る(パリ日本文化会館) Alice Rohrwacher, Rêver entre les mondesアリーチェ・ロルヴァケル展(ポンピドゥ・センター) Ce que la Palestine apporte au mondeパレスチナ美術展(アラブ世界研究所) Issy Wood - Study For No イッシー・ウッド展(Lafayette Anticipations) Louis Janmot - Le Poème de l’âme ルイ・ジャンモ展 (オルセー美術館) Amedeo Modigliani. Un peintre et son marchand モジリアーニ展(オランジュリー美術館) Van Gogh à Auvers-sur-Oise - Les derniers moisゴッホ展(オルセー美術館)
Alex Katz: Gatheringアレックス・カッツ展(グッゲンハイム美術館/NY) Meret Oppenheim - My Exhibition メレット・オッペンハイム展(MoMA/NY) Il futuro del cinema, il cinema del futuro 映画の未来・未来の映画展(イタリア国立映画博物館/トリノ) Matisse années 1930. À travers Cahiers d’Art 1930年代のマティス展(マティス美術館/ニース) Jean Paul Riopelle - Parfums d'ateliers ジャン=ポール・リオペル展(マーグ財団美術館/Saint-Paul-de-Vence) Viajar para pintar. Sorolla en San Sebastián ソローリャ展(サン・テルモ美術館/San Sebastián) Periferia de la noche - Una exposición de Apichatpong Weerasethakul アピチャッポン・ウィーラセタクン展(Matadero Madrid)
Dia Beacon, New York, USA メトロポリタン美術館, New York, USA MoMA, New York, USA ナント美術館, Nantes, France ウンターリンデン美術館, Colmar, France ソローリャ美術館, Madrid, Spain カーサ・フェルナンド・ペソア, Lisboa, Portugal
昨夜の Nyege Nyege 主催のパーティは、朝方になればなるほど盛りあがっていったようだ。ウガンダのエレクトロを束ねているコレクティヴ。もう少し残ればよかったと、布団にくるまってインスタグラムを眺めながら思う。わたしはもそもそと布団を脱け出して、列車に乗って Seine Musicale のチャプリンの子ども向けシネ・コンサートへ。『チャップリンの悔悟』と『チャップリンの寄席見物』の二本立て。親に付き添われた年少の子どもたちがごった返すなか、ひとりで観に来ていたのはわたしひとりだけだったのではないかと思う。『寄席見物』での劇中のチャプリンをはじめとする登場人物たちが劇場で繰り広げるすったもんだ。数百人の子どもたちの笑い声がげらげらと響きわたる様子を聴くうちに、胸中に幸福感が迫り上がってきて、ひとり悟られないように声を殺して泣いた。まるで発作を起こしたかのように泣きながら、ときどき笑って、ああなんかこのまま死んでもいいなあと、なんともベタなことを思ったのだった。
一か月ばかりに及んだわこちゃんと綾介さんとの共同生活も今宵が最後となる。分厚い肉を平らげて、満腹のあまり動けなくなったわたしたちだったが、それでも二人はベッドを抜け出し荷づくりをはじめた。その姿を前にわたしは急にさみしさを感じて、もう何か月も聴けずにいた rei harakami の「終わりの季節」を再生した。朝焼けが燃えているので/窓から招き入れると/笑いながら入り込んできて/暗い顔を紅く染める/それで救われる気持――五十年以上も前に細野晴臣が書いた詞を、夜遅くに三人で一緒に歌う。この曲にこびり付いていた痛苦な記憶が、サーッと憑き物が落ちるように浄化されていった。代わりに二人にとっていちばん大切な曲は何かと聞いたら、少し照れくさそうに、ジョン・バティスタが歌った「What a wonderful world」だと教えてくれた。
6日 金曜日
いつもと同じように昼休みに家に帰ると、すでに部屋はがらんどうになっていた。この一か月は職場から昼休みに自転車を漕いで家に戻るたびに、二人がいつも昼食をつくって家で待ってくれていたのだった。わたしはさみしさを堪えながらひとり分のパスタを茹で静かに食べる。あの輝かしきバスク旅行からの反動もあって、そのさみしさは一入だった。同じようにマドリッドでの生活を再開した R と電話。作品づくりに協力したイタリア人アーティストの展覧会初日に参加してきた帰り、ふらっと入った教会から電話をかけてきたのだった。ねえ、ここはほんとに綺麗なんだよ。
わたしは電話を切って、パリ郊外での友だちの DJ イベントへ向かった。アフリカ系の男の子がお前さんやるじゃねえか、こんなに踊るアジア人ははじめて見たぞと声を掛けてくる。ひと通り踊ってからの帰りのメトロでは、立派なあご髭を蓄えた友だちのパートナーが弱冠22歳だとわかって笑い転げていた。いやあ、どう見ても30代だよね。年上かと思ってたよ。人は見かけによらない。
フィルハーモニーに移動し、フィリップ・グラス・アンサンブルによる『Music in twelve parts』の四時間のコンサートへ。はじめはキーボードを弾くアンサンブルのリーダーがフィリップ・グラス本人なのかと勘違いしていたが、マイケル・リースマンという演奏家だった。三楽章ごとにインターミッションがあって、そのあいだに外に出てラ・ヴィレットの公園を散歩する。森の暗がりの奥から太鼓の音が聞こえてきて、そのほうに歩いていくと、大勢の黒人たちが太鼓を叩いて歌っていた。何語で歌っているのかと近くの男性に訊いてみると、彼は威勢のいい声で、グアダループのクレオール語さと応えた。フィリップ・グラスはうっちゃって、このグアダループの楽隊とともに夜を過ごすのもいいかもしれないという考えが過ぎったのだが、結局わたしはフィルハーモニーにもどった。終演後に再び森のなかに入ってみたが、彼らは跡形もなく消えていた。
ミラマール宮殿の芝生に寝っ転がってひと休みしたあと、中心街を行進する同一賃金同一労働のデモの隊列を横目に、村瀬大智監督『霧の淵』の上映へ向かう。わたしには教科書どおりの「なら映画祭」案件というか、いかにも外国人が喜ぶくらいに適度にエキゾチックで美化された観光映画のように見えた。再び自転車を借りて、Antiguo と呼ばれる街の西側にある地区の映画館に流れついた。イスラエル、ジョージア、フランスの三本の短中編から構成されるプログラム。なかでもわたしはジョージアの Rati Oneli という監督の手による 『We are the Hollow Men』という短い作品の筆致に強く惹かれた。『陽のあたる町』という長編ドキュは日本でも紹介されたようだが、これから撮るかもしれない初長編のフィクションには大いに期待がかかる。
映画を観終わってレンタル自転車を捜し求める。静まり返った深夜の道ばたに打ち捨てられたトイレの白い便器に立て続けに遭遇して、わたしたちのバスク旅行の主題は〈泉〉だねと誰かが言った。確かにいましがた観終わったばかりの『Camping du lac』も『悪は存在しない』も『霧の淵』も、水源への遡行というモチーフが重要な鍵を握る作品だった。