日誌 | 20231004 - 1009

4日 水曜日

 長袖のシャツの上にジャケットを重ねて出勤する。寒い。つい昨日までバスクの晩夏を謳歌していたというのに、パリに帰った途端に冬のとば口に立たされてしまった。喫煙所にいると akakilike を主宰する倉田翠さんがやってきて、あのちゃきちゃきとした人柄にただちに魅了される。そのまま夜に『家族写真』観劇。おもしろい。同時多発的な舞台はまるで昂奮物質を分泌するドラッグのようで、ほとんど息をつく暇もないまま、あっという間に終演を迎えた。チャプリンのいうところの「クロースアップの悲劇」と「ロングショットの喜劇」が同居している。そのコミカルとシリアスの重なりは、まさに家族という不可思議な共同体に不可分な性質ではないかと思う。ただ公演中、わたしの目の前に座っていた客がたびたび席を立っては甲高い音の放屁を繰り返していたせいでかなり集中力を乱されてしまった。あまりにもリズミカルに放屁が繰り出されるのではじめは出演者のひとりだと思ってしまったほどだ。『家族写真』ならあり得ない話でもない。

 演劇終わりで、日本で新作の撮影を終えたばかりの太田信吾さんと竹中香子さんと合流。彼らはわたしが幼少期に通っていた沼影市民プールをめぐるドキュメンタリーをつくっていて、これから二か月間はパリにこもって編集をつづけるという。作品づくりの方法論や現場での立ち回りについて根ほり葉ほり聞いていく。わたしたちのいたテラスの周りではずっと高齢の黒人男性がうろうろしていた。ほかの客から浮浪者として煙たがられていた彼は、ずっとポータブルのラジカセを大事そうに握りしめている。彼はあのラジカセで普段何を聞いているのだろう。当然そんな疑問を口に出したりはしない。

 

5日 木曜日

 今宵の宴に備えてユーゴ・デノワイエという肉屋に買い出しに行く。300グラムの Bavette というハラミ肉をお願いすると、はいよとざっくり包丁を入れて、秤に肉塊を乗せると297グラム。その手際の良さに惚れ惚れとする。どのバターで焼くべきかと問えば、おれはブルトン人だから、そりゃ決まって塩入りのバターだよと朗らかに答えた。

 一か月ばかりに及んだわこちゃんと綾介さんとの共同生活も今宵が最後となる。分厚い肉を平らげて、満腹のあまり動けなくなったわたしたちだったが、それでも二人はベッドを抜け出し荷づくりをはじめた。その姿を前にわたしは急にさみしさを感じて、もう何か月も聴けずにいた rei harakami の「終わりの季節」を再生した。朝焼けが燃えているので/窓から招き入れると/笑いながら入り込んできて/暗い顔を紅く染める/それで救われる気持――五十年以上も前に細野晴臣が書いた詞を、夜遅くに三人で一緒に歌う。この曲にこびり付いていた痛苦な記憶が、サーッと憑き物が落ちるように浄化されていった。代わりに二人にとっていちばん大切な曲は何かと聞いたら、少し照れくさそうに、ジョン・バティスタが歌った「What a wonderful world」だと教えてくれた。

 

6日 金曜日

 いつもと同じように昼休みに家に帰ると、すでに部屋はがらんどうになっていた。この一か月は職場から昼休みに自転車を漕いで家に戻るたびに、二人がいつも昼食をつくって家で待ってくれていたのだった。わたしはさみしさを堪えながらひとり分のパスタを茹で静かに食べる。あの輝かしきバスク旅行からの反動もあって、そのさみしさは一入だった。同じようにマドリッドでの生活を再開した R と電話。作品づくりに協力したイタリア人アーティストの展覧会初日に参加してきた帰り、ふらっと入った教会から電話をかけてきたのだった。ねえ、ここはほんとに綺麗なんだよ。

 わたしは電話を切って、パリ郊外での友だちの DJ イベントへ向かった。アフリカ系の男の子がお前さんやるじゃねえか、こんなに踊るアジア人ははじめて見たぞと声を掛けてくる。ひと通り踊ってからの帰りのメトロでは、立派なあご髭を蓄えた友だちのパートナーが弱冠22歳だとわかって笑い転げていた。いやあ、どう見ても30代だよね。年上かと思ってたよ。人は見かけによらない。

 

7日 土曜日

 修士でお世話になった哲学科の先生がサバティカルで一年間パリに滞在することになり、物件探しの一環で、奥さんと一緒にわが家を訪れた。彼女はまっさきに机の上に置いてあったマリア像に反応を示し、これはルルドの聖水ではないかとわたしに尋ねた。キリスト教系の学校に通っていたとき、ルルドの聖女伝説のことはさんざん叩き込まれたのだという。兄弟や友だち同士でも、ドブ水を指さしては「ベルナデットの水だよ、飲んだら奇跡が起きるかも」とそそのかす遊びが流行っていたらしい。ベルナデット少女の伝説も、きっとそんなふうな悪戯心でもはじまったのかもしれないと思う。

 森田芳光監督特集の今年最後の上映を終え、ついにL'Entrepôt でビクトル・エリセ瞳をとじて』を観る。完璧な、あまりにも完璧な、フィルムで撮られた冒頭のシークエンスから、わたしはいま世紀の傑作を観ているのだという昂奮が抑えられなかった。『ミツバチのささやき』から五十年の時を超えて紡がれる、映画という記憶装置への愛の讃歌。エンドロールで、三時間に及んだ幸福な映画体験を終えたばかりのわたしもまた、セラール・オス・ロホスしていた。劇場から出ると、若い女の子の二人組が映画館の片隅のポスターの前で歌をうたっている。わたしはその歌声にあまりにも感動を憶えて、声をかけてビデオを撮らせてもらった。感謝を告げてその場を後にしたら、彼女たちが走って追いかけてきて、そのビデオのデータを送ってもらえないかと頼んでくる。わたしは自転車にまたがって、満たされた気持で帰路を急いだ。

 寝台でスマートフォンをスクロールしていると、タイムラインにハマスによるイスラエルへの急襲攻撃の映像が流れてくる。そのコメント欄にはアラブ人への憎悪に満ちた感情が並んでいた。これはまずいことになった、と思う。すぐさまイスラエルからの報復攻撃があるにちがいない。エリセの傑作を観たあとに一挙に現実に引き戻され、暗澹たる気分に陥っていたのだが、そうこうしているうちにいつの間にか眠りに落ちていた。

 

8日 日曜日

 プチ・パレの版画展。デューラーが二度目のイタリア滞在のあとにダ・ヴィンチに触発されて制作した曼荼羅の版画に釘づけになる。イスラムの果たした最大の功績は、こうした宇宙のように広がる幾何学模様の世界をつくりだしたことにあるのではないかとすら思う。

 フィルハーモニーに移動し、フィリップ・グラス・アンサンブルによる『Music in twelve parts』の四時間のコンサートへ。はじめはキーボードを弾くアンサンブルのリーダーがフィリップ・グラス本人なのかと勘違いしていたが、マイケル・リースマンという演奏家だった。三楽章ごとにインターミッションがあって、そのあいだに外に出てラ・ヴィレットの公園を散歩する。森の暗がりの奥から太鼓の音が聞こえてきて、そのほうに歩いていくと、大勢の黒人たちが太鼓を叩いて歌っていた。何語で歌っているのかと近くの男性に訊いてみると、彼は威勢のいい声で、グアダループのクレオール語さと応えた。フィリップ・グラスはうっちゃって、このグアダループの楽隊とともに夜を過ごすのもいいかもしれないという考えが過ぎったのだが、結局わたしはフィルハーモニーにもどった。終演後に再び森のなかに入ってみたが、彼らは跡形もなく消えていた。

 

9日 月曜日

 マクロン大統領がイスラエルへの連帯を発表した。わたしはトロカデロで親イスラエルのデモがあると聞きつけ、様子を覗きにいってみることにした。驚くべきことにエッフェル塔は青と白にライトアップされ、大きなダビデ六芒星が投影されている。その場に詰め掛けていた数千人もの人たちのほとんどが白人で、「ガザとはテロリストの別名である」などとといった看板を掲げて口々にアラブ人への差別感情をあらわにしていた。有色人種はわたしひとりだったのではないかとすら思う。正直にいって気味が悪かった。

 わたしは再び自転車に乗り込んで、待ち合わせをしていた友人と合流する。いましがた見てきたばかりのデモの話をしてみたのだが、彼はほとんど興味がなさそうに見えてすぐに別の話題に移った。へべれけになって帰宅してから、どこかで鞄を落としてしまったらしいと気づく。あの鞄には手帖が入っていたのに、とベッドで微睡みながら思う。