松岡茉優さん、あるいは単一か複数かの問い ―― 大九明子『勝手にふるえてろ』
快哉を叫びたくなるほどの傑作だ。いったいどれだけ生気に満ち満ちているだろう。この映画に流れる時間は、松岡茉優という女優のもつはちきれんばかりのエネルギーによって満たされている。オカリナ(片桐はいり)が玄関先でヨシカをひと目見てつぶやいた言葉は正しい。彼女には「後光が差している」。然り、そうとしか言いようがない。わたしは120分ものあいだ、ひとときも彼女から目を離すことができなかった。神々しい、神々しいのである。
彼女は〈こじらせ女子〉という手垢のつきすぎた表象にあえて乗っかりながらも、つねにそこからはみ出し、逸脱していく。その逸脱こそが〈こじらせ〉の原初的な在りかたではなかったか。彼女の横溢していくエネルギーを目の前にして、わたしたちは畏怖の念のもと〈こじらせ女子〉と命名する。そのようなラベルを貼っておかなければ、彼女はあまりにも危険で、あまりに魅力的すぎるのだ。
〈イチ〉とのセカイ。それは中学時代に人知れずヨシカが描きつけていた『天然王子』の漫画のなかの閉じられた世界である。「猫じゃらし」みたいなイチは、クラスメイトから弄られつづけているが、わたしだけが彼を解放してあげることができる、とヨシカはひそかに思っている。生き物としての気配を消すことによって培われた、イチを見つめつづけた「視野見」の技術。
*1:オカリナのこの下りは最高。ヨシカの暮らす生活圏域において唯一、オカリナだけが名前を伴った存在である。この事実はこの物語のさらなる読解に役立つだろうという予感があるが、さておき
*2:映画を観てからすぐさま原作も読んだ。すでにモチーフは原作のうちにあったのだが、圧倒的に映画のほうがよかった、と思う。その理由のひとつは松岡茉優の魅力ということが挙げられるが、それだけではなく、脚本と演出の大胆な翻案に依るところも非常に大きい、と思う。
*3:TIFFで上映後の劇場前をたまたま通りがかったら、『勝手にふるえてろ』を観たばかりの高校生や大学生の集団が、ヨシカのごとく早口でその昂奮を分かち合っているところに遭遇した。「わかる、わかるぞ、その気持ち」と内心呟いた。あれはエモだ。
奇矯な想像力に耽溺する悦び ―― エイモス・チェツオーラ『やし酒飲み』
"灰が盛り上ってその中から半体の赤ん坊が生れるとたちまち、その赤ん坊は低い声で話しはじめたのだが、わたしたちは素知らぬ顔をして、出発した。すると赤ん坊は妻に、「待ってくれろ。わしもいっしょに連れていってくれろ」と、話しかけてきたが、それには構わず、わたしたちはドンドン歩いていった。それを見て彼が、あいつら、めくらにしてやれ、と命じると、わたしたちは、たちまちめくらになってしまった。が、それでも彼を連れに戻らずドンドン歩きつづけた。それを見た彼は、またもや今度は、あいつらの息の根をとめてやれと命じると、全くのところわたしたちは、息ができなくなってしまったのだった。呼吸ができなくてはどうしようもないし、わたしたちは引き返して、彼を連れていくことにした"(p.42-43)
妻の左手の小指がふくれあがって産まれてきた赤んぼうは、ありとあらゆるものを食い尽くす、さながら怪物のような赤んぼうであった。主人公と妻は赤んぼうごと家を燃やし、その場を去ろうとするのだが、積み重なった灰のなかからふたたび赤んぼうが産まれてきた。わたしたちは素知らぬ顔をして出発しようとしたが、赤んぼうが息の根を止めてしまったので、息ができなくてはどうしようもないと、わたしたちは引き返して赤んぼうを連れていく。
どこから突っ込めばいいのかわからない。あまりにもずれが多発しているので、じつはそれはずれとは呼ばないのかもしれない、と自分の確信すらも怪しくなってくる。そのみずからの支えが崩されてしまうという感覚が、チェツオーラの小説の読書体験の妙味であろう。
どこかのタイミングで突然明かされるのだが、主人公は八百万の神々の父であるそうだ(ドッ)。さらにバツが悪いことには、かれは自分が神であることを頻繁に忘れてしまう。
"しかしそれまでに懐中には、一文もなくなっていた。そこでわたしは、どうしたら、食べものなどを買う金が手に入るか、思案をめぐらした。しばらくしてわたしは、自分が、 この世のことはなんでもできる神々の〈父〉であるということを、思い出した。"(p.48)
自分が神であるので、どんなに窮地に陥っても、難なく脱することができてしまう。このナラティヴを根底から崩壊させてしまうことのできる設定が、しれっと差し込まれている。 とはいえ、かれはそのことを忘れていることがままあるので、いろいろな困難に巻き込まれるのだ。奇妙な話だ。
たとえば、森林に潜む有害な白い生物を追い払うために、まじないをつかってみずからを火の姿に変えたのだが、すると続々と生物たちが火の回りに「さむい、さむい」といいながら集まってきて暖をとっている。わたしたちに対して、彼らは危害を与えることはないものの、まったく動こうとしないので、困り果ててしまう。いつまで火の姿に扮しているのか困り果てる主人公の珍道中。森には危険がいっぱいである*2。
"しかし、その「手が生え、口を利く木」の内部に入るさいに、戸口の男に「七十ポンド十八シリング六ペニーで、「わたしたちの死を売り」渡し、同様に、一ヶ月三ポンド十シリングの金利で「わたしたちの恐怖を貸与」してしまっていたので、わたしたちはもう、死について心を煩わすこともなく、恐怖心を抱くこともなかったのだった"(p.85)
主人公が神であるということに加えて、途中で「死」を売り払ってしまったので、どんなことがあっても死ぬことはなくなってしまった。さらにチェツオーラは設定を崩しにかかっている。もはやなんでもござれ。それでもひとつのまとまりとしてギリギリのところで物語が成立している、それこそが作者の力量であり、この小説が世界的に評価されているゆえんだろう。真似をしようとしても、これは容易にかけるものではないのだ。
その強度を担保するような小説世界における不可侵の設定として、森には他の縄張りを侵犯することはできないという絶対の掟が敷かれている。それゆえに、どんな怪物に追いかけられようとも――「死」は売り渡しているので死ぬことはないのだが、面倒には巻き込まれる――縄張りを抜けてしまえば、主人公たちは助かるのである。つまり、主人公とその妻は、この物語において唯一、縄張りの境界をつぎつぎと横断していくことが許されている存在である。それが〈神〉であることの証左であろう。
非制約的な〈神〉は、結局のところ、やし酒造りを死者の国から連れ戻すことはできなかった。 しかし、かれら自身は、生者と死者の境界を軽々とわたってしまっている。そのことには、わたしは大きな寓意が込められているという直感があるのだが、野暮なことを口走ってしまう前に、筆を措こう。この問題についてはもう少し考えてみようと思う。
ところで、わたしは原文にあたっていないからなんともいえないのだが、土屋訳は素晴らしかったと思う。解説で多和田葉子も言及していたが、ですます調とだである調が混淆している感覚には、わたしは新しい言語の可能性を感じとった。あの絶妙な文体こそが、この物語世界を根底にある支えとして機能していることは間違いない。
『猿の惑星: 聖戦記』―― 猿という種による人間的想像力の拡張について
「猿の惑星」新三部作の最終章にあたるマット・リーヴス監督『猿の惑星: 聖戦記』を観た。ひさびさにスクリーンでシーザーに会えた歓びはひとしおだ。わたしは前二作を高く評価していて、とりわけ『新世紀』('14)についてはシリーズ最高傑作だと思っているのだけど、その二作と比すると、正直にいっていちばん微妙な出来だったのではないか*1。
わたしには、本作は二つの主題について語っていたように思える。個と種の倫理が対立するという主題(1)。言葉を失いつつある人間と、言葉を覚えはじめている猿という言語をめぐる主題(2)。この二つの主題は、それぞれシリーズにとって非常におもしろい設定ではあるが、どちらも十分に展開しきれていない印象だった。正直、もっとやれたのではないか?
主題(1)。種を救うために個を犠牲にするという倫理を完徹しようとする人間側の大佐。その倫理を理解しつつも内面化することができない猿のリーダーたるシーザーは、まるでコバのように、個の私的な感情に囚われてしまっている。ここには一般的観念のある種の倒錯がある。猿が個の倫理に従い、人間が種の倫理に従う。ここで主題となるのは、その二つの倫理の相克である。
なるほど、人間と猿という二つの種が登場する本作にとって、このような主題は取り扱うに値するだろう。しかし、このような主題は、本作では十分に掘り下げられなかったように思う。というより、ストーリーにおいてあまり効果を発揮しているとは思えなかった。
この主題が物語におけるカタルシスとして結実しうるシーンがひとつあった。家族を殺されたという私的な怨恨を捨てきれないシーザーは、大佐に復讐を果たすべく、脱走を試みた猿の大群を尻目に、ひとりで大佐のいる場所へと向かう。シーザーは、大佐*2が、みずからも言葉を失う疫病を発症しているところに遭遇する。先陣を切って言葉を失った人間たちを排斥してきた大佐は、自身の倫理を貫徹せんとして、シーザーに銃弾を放つように差し向けるのだが、シーザーは躊躇いを見せ、拳銃を下ろしてその場を去る。
大佐の最期は描かれることはなかったが、あの爆発と雪崩で命を落としたと考えるのが普通だろう(もっともハリウッドのシリーズ作では、ああいう場面で生き残るというのがひとつのセオリーでもあるのだが)。一方のシーザーは、家族を奪われた怨みを呑み込んで、最後まで猿たちのリーダーとして新たな地へと導き、結果として種を救うことになる。
種の倫理を訴えた大佐は死に、この映画で描かれた人間の大半も死んだ。個の倫理から自由になれないシーザーは幕切れまで生き長らえ、猿という種は新たな地で光明を得た。はたしてこの映画は、個への執着――それは肯定的な形を取ると、交換不可能な存在にたいする愛となる――が、結果として種をも救う、というテーゼを唱えたいのだろうか? そうだったとするならば、その感度を十分に作品のうちに昇華しきれていなかったであろ。これが主題(1)をめぐって思うことである。
主題(2)。人間のあいだに広がるウイルスにより、ことばを発することができない疫病を発症する者たちがあとを絶たない。大佐はいう。言語とは、人間文明を築くにあたって、必要不可欠なものである。ことばを失った人間たちは、その存在価値すらも失う、と。
しかし、そのような大佐にたいして、何よりも美しい反証を突き付けているのは、ほかならぬ猿たちである。確かにシーザーは人間の言葉を操ることができる。しかし、言葉を発せなくとも、猿たちのように、あるいは、猿の手話を習得しはじめている少女のように、手話をもちいて意思疎通をすることができる。
はたして言語(を発声すること)は、本当に文明にとっての必要条件なのだろうか? ここにはそのような興味深い問いが顔を覗かせている。本作の提示した答えは、さしあたって否、であろう。
さらにいえば、シーザーは人間のことばを後天的に覚えた*3。Bad Ape君も、オランウータン君も同様である。そのことは、すべての人類にも例外なくあてはまる。言語とは、先天的に身についているものではなく、後天的に/不断に習得しつづけるものである。
そのような猿たちの実証する事実が、大佐にたいして、人類にたいして突き付けられる契機があってもよかったのではないだろうか。むしろ、あれだけこの主題を展開させておいて、そのような対決が見られなかったということにわたしは不満たらたらである。
そもそも最たる問題は、人類側の描写があまりに浅薄であるということだ。わたしは大佐のキャラクターにまったく共感できなかったし、そんな彼がかつての家族の話を開陳しはじめたところで、毛ほどに興味が湧かなかった。大佐につく補佐のような男性は、どうやら猿を虐げるということについていくらかの葛藤を憶えていたようだが、それはその表情から読み取れるのみで、とくに広がりがない。
いや、とあなたは異を唱えるであろう。新三部作の最終章にあたる本作は、あくまで猿の世界に焦点を当てたものであり、もともと人間を描くことは眼中になかったのだ、と。その意見にも理があることは認めよう。『創世記』は人間の視点から物語が描かれた。『新世紀』は人間と猿の境界があいまいになる瞬間が捉えられた。ならば、『聖戦記』は猿だけの世界であってもかまわない。事実、そのような話の運びで幕切れとなった。
そうであるならば、なぜ中途半端に大佐という人物を登場させたのか。人類を描きたいのであれば、前作に登場していたジェイソン・クラークや、ゲイリー・オールドマンのような人物を起用していれば、とりたてて新たに人物設計をする必要がなく、過去のできごととの連関のうちに、するりと組み込むことができたであろう。今回の人間側の描きこみが甘いせいで、北の軍と大佐の軍の戦争が起こっているという事実にもわたしはいまいち乗れず、呆気にとられるしかなかった。
とはいえ、人間の描写が足りないと不満を垂らしたばかりであるが、このシーズンのいちばんの魅力は、何といってもシーザーの顔に集約される。シーザーの顔がとにかくいい。格好いい。アンディ・サーキスという役者が演じているという。わたしは彼の顔のすばらしさを語ることばを豊穣に持たないので非常に歯がゆい思いをしているのだが、とにかく彼の顔がスクリーンに広がると、わたしは途端に堪らない気持ちになってしまうのだ。
たしか『新世紀』のオープニング・カットは、シーザーの顔のクロース・アップであった。『聖戦記』のエンディング・カットもまた、シーザーの顔のクロース・アップであった。この三部作をもってシーザーは最期を迎えたことになるのかは微妙なところであるが、少なくともメインキャラクターがシーザーとして据えられた『猿の惑星』は、本三部作をもって終わりだろう。そのことに淋しさを憶える。わたしはシーザーのご尊顔をひとめ拝むために映画館に駆けつけていたのだ、といまになって気づいた。われらがシーザー、永遠に。
さて、本作で登場する標語は、両手の握り拳を合わせるジェスチャー――すなわち、"Apes Together, Stronger" であった。『新世紀』では、「猿は猿を殺さない」という標語が大きく説話に奉仕していたので、『聖戦記』の標語も見逃せない。わたしははじめから注視しながら物語を追っていた。
標語をめぐるひとつのハイライトは、囚われの身になったシーザーと猿たちのもとへと、ことばを発せない少女が駆け寄ってくるシーンであろう。彼女があのジェスチャーを披露することによって、猿に限定されたいたはずの標語の主語が、一気に拡張されてしまう爽快さがあった。
猿たちの種に限定されていたはずの手話を、人間の少女が会得することによって広がる言語世界。たとえば、人間の言語を、この作品のように、ほかの種が会得してしまったらどうなるだろう。わたしたちの身体性や欲望性によって規定されている言語は、新たな世界を得て、一気に拡張していくだろう。想像力の琴線に触れる夢想である。
そのことにかんしてひとこといえば、わたしはこの映画を観るたびに、現実世界では言葉を操る高度な知的生命体が人間しかいない(らしい)という神さまの悪戯に失望を憶えてしまう。中学生のころに第一作を地上波で観たときも思っていた。わたしは知的な猿と仲良く暮らす世界線で生きたかった。
ぜひ現代の科学者たちには、『創世記』のように、猿に遺伝子操作を加えて、高度な知能をもつ猿を誕生させてもらおう。そして、猿と武器を捨て、共生し、ゆくゆくは猿に新たな『猿の惑星』シリーズをぜひつくってもらおうではないか。
ジム・ジャームッシュの後ろ姿を見つめるわたし
わたしは、偶然にもジム・ジャームッシュと直接ことばを交わす機会を得た。初期の作品たちはもちろんのことながら、『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』も傑作だし、なによりも『パターソン』は、とにもかくにも素晴らしかった。わたしは、そうした彼の愛すべき作品にいかに感動したかということを本人に伝えるべく、『パターソン』の劇中で引用されていた、ウィリアム・カルロス・ウィリアムズのスモモの詩("This is Just to Say")をつたない英語の発音で諳んじてみせた。
I have eaten
the plums
that were in
the icebox
and which
you were probably
saving
for breakfast
Forgive me
they were delicious
so sweet
and so cold
あなたの映画は、まさしくこの詩のもつ豊かさそのものである、などとそのままわたしは熱っぽく語る。ジャームッシュは、わたしの目をしかと覗きこんで、表情をつくらずに聞いている。わたしは敬愛する作家を前にして、だんだんと呂律が回らなくなってくる。わたしがことばに詰まった、その絶妙なタイミングで、ジャームッシュは不敵な笑みを浮かべ、 "Thank you"とひとことだけ言って、わたしのもとからゆっくりと立ち去っていった。わたしのもとから離れていくかれの後ろ姿は、有無をいわせぬ格好よさがあって、かれは彼の映画そのものではないか、とわたしは完全に打ちのめされてしまったのである。
『パターソン』を観た夜、わたしはそんな夢を観た。『パターソン』は傑作でした。
ジム・ジャームッシュ『リミッツ・オブ・コントロール』に登場する絵画群についての覚書き
ジム・ジャームッシュの『リミッツ・オブ・コントロール』を観た。唐突に挟まれる、皿の上に載せられた洋梨のカットがやけに記憶に残っている。
この映画で、わたしは二つのスペイン語のフレーズを憶えた。ひとつは仲間たちの合言葉になっている"Usted no habla español, ¿verdad?(あなたはスペイン語を話せないんでしたね?)"であり、もうひとつはギター(ジョン・ハート)が去りぎわに言い残し、ヒアム・アッバスの運転するトラックの荷台の背後に記された "LA VIDA NO VALE NADA(人生は何の意味もない)" である。つかう機会はあまり無さそうだ。
イザク・ドゥ・バンコレ扮する「孤独な男」というコード・ネームを有した主人公は、劇中でマドリードのレイナ・ソフィアに赴くたび、しばし館内の地図を検分してから、ひとつの作品を選び、その絵画と対峙する。映画には、おもに四つの作品が登場する。それぞれの絵画は、作中で孤独な男に与えられるつぎのミッションと対応している。
かつてマドリードに足を運んだとき、時間がなくレイナ・ソフィアにいくことは叶わなかったのだが(代わりにプラド美術館は堪能した)、『リミッツ・オブ・コントロール』の作中に登場した絵画たちはどれも素晴らしかった。やはりマドリードには、なるたけ早くにふたたび足を向けなければならない。さらにいえば、映画には、セビリア(セビージャ)の町も登場するのだが、その町並みがまた美しい。オーソン・ウェルズとジム・ジャームッシュが、世界でいちばん好きな町だと語っていた。
劇中では作品の名前が明かされることはなかったが、気になったのでレイナ・ソフィアの作品を調べてみた。以下にメモ書き程度に残しておく。映画には、ほんとうは以下の4枚だけでなく、イザクが美術館を去る際に、主題となっている1枚と呼応するような作品群が登場している。それらはイザクの去り姿とともに確信犯的に捉えられているのだが、それらの作品については調べても出てくることはなかった。*1
フアン・グリス《ヴァイオリン》(1916)
ロベルト・フェルナンデス・バルブエナ《ヌード》(1922)
ロベルト・フェルナンデス・バルブエナという画家のことは、この映画ではじめて知った。インターネットで検索しても、スペイン語とカタルーニャ語のWikipediaしか出てこなかったから、世界的にはさほど有名な画家ではないのだろう。しかし、この構図はヴァロットンやバルトゥス的な二十世紀性を感じさせるし、筋肉質な女の裸体にはロマン主義への目配せがあり、また奥に置かれているサボテンやシーツの描きかたには、同郷のダリといったシュールレアリスム的なタッチがある。その混淆は非常におもしろい。
アントニオ・ロペス 《トーレス・ブランカスからのマドリード》(1987-1994)
アントニオ・ロペスは、名前に聞き覚えがある。たしか近年日本で展示が組まれていたな、と思って調べてみると、2013年にBunkamuraで日本初の企画展が組まれていた。この作品も来日していたらしい。さしてアートに関心がなかった当時のわたしを積極的に責めたい。写真ではなく、あえて油彩で精緻に風景を描きあげるということ――このことのもつ意味はなんだろうか。映画内では、イザクが屋上で眺めるマドリードの風景とオーバーラップする形でこの絵画が登場した。わたしはまたの機会にこのことについてゆっくりと考えてみたい。
アントニ・タピエス《大きなシーツ(Gran sábana)》(1968)
雑記 1( August, 2017 )
八月最後の日、わたしは大阪のちいさな公園のベンチに腰かけ、にわかに快がハウリングしていく歓びに浸っていた。その瞬間、わたしは幸福だった――この八月ならば、九月が来なくたっていい、永劫回帰したっていい、と純粋に信じることができたのである。
こういう気障なことがぽろぽろとこぼれ出てしまうくらい、いい一か月だったと思う。七月の暮れ、フジロックから東京へと戻ってきたころ、「夏休みが終わったみたいな/顔をしてた僕を/ただただ君は見てた」とカーステレオが告げたころ、わたしはたしかに夏休みの終わりを嗅ぎ取った。しかしそれは幸運にも、思い違いだったのである。
いまだに学生の身分に甘んじているわたしにとって、八月は夏休みにほかならないわけだが、「齢二十四の夏休み」と書くと、そこにはいくらか切迫した響きがある。齢二十四の夏休み。まったく歳を取るというのは不可思議なことだ。
さて、この夏休みがはじまって、わたしはなにをしていただろうか。いまもっとも鮮烈に思いだすのは、サバの骨が喉に刺さったまま抜けなかった数日間である。顔なじみの居酒屋で友人とビールを飲みながら、すこぶる美味しい焼き魚定食を食べていたとき、その不運は降りかかった。――喉に骨が刺さったのである。わたしはその骨を取り除くべく、すかさず白米をかきこみ、ビールをがぶ飲み、水でうがいをし、つよく咳き込み、とあらゆる手段を尽くす。だが一向に骨は抜けてくれない。
きっと眠れば抜けているだろう、と家に帰って眠りにつくも、翌朝起きると依然として喉に痛みがある。それが数日間つづいた。「魚の骨 喉 抜けない」と検索窓に打ちこむと、炎症を起こして大事に至るケースもある――というような脅し文句が並んでいる。もちろん病院にいって抜いてもらうことも考えたが、齢二十四にして「魚の骨が喉に刺さって…」と申し出るために病院へといくことにいくらかの気恥ずかしさを感じた。わたしは、この気の毒なサバの骨とは、あるいは永遠に付き合っていかなければならないのでは、と危惧まで覚えはじめていた ――― だが、いつの間にか骨はなくなっていた。あれだけ四六時中喉の骨に気を煩わされていたはずなのに、不思議なことに、いつ抜けたかはまったくわからない。あるとき、「ああそういえば無くなっているな」と思い当たったのである。人間、都合よくできているものですね。
喉に刺さった魚の骨に煩わされていたころ、わたしは論文の執筆に追われていた。図書館からどっさりと本を借りてきて、机にうず高く積んでは、ひいこらとキーボードを叩きながら、自身の不出来に――喉の違和感とあいまって――苛立っていたものだ。
論文を執筆するという作業は、いまだにどうにも好きになれない。文章を書くこと自体は好きなのだけれど、ひとつの系統立った学術的な文章のようなものを書くというのは、どうにも骨の折れる作業である。学術的な文章においてはいくつかの制約があり、決まった言い回しがあり、わたしたちの思考につきものな逸脱や寄り道は、なるべく封印されねばならない(とはいえ、その〈逸脱〉は、体裁を整えて、脚注に放りこめばいいということを最近学んだので、いくらか自由にはなったのであるが)。ひとによっては、このことは、快感を感じることのできる作業でありうるのだろうと思う。わたしに、そのような瞬間は訪れるのだろうか。いや、むしろ問うべきは、そのような瞬間に訪れてほしいと考えているか否か、ということである。ううん、ちょっとわかりません。
論文の執筆の大ファンというわけにはいかずとも、それに付随するあれこれのうちには、いくらか愛着を感じていることもあった。たとえば、腰を据えて執筆するために、パソコンと文献をどっさり抱えて赴くような深夜のファミレスはそのひとつである。日づけが変わるか変わらないかという時刻に車を出して、しばらく音楽でも聴きながらあたりをドライブして、24時間営業のファミレスへと行き着く。それから日が昇りはじめるまで、ひとりで論文と格闘するという時間である。遅々として進まない原稿に苛立つことが大半とはいえ、時折、とても創造的な時間がやってくることがある。キーボードを叩く手はリズムに乗って、つぎからつぎへと言葉がつながっていき、いつのまにかほとんど原稿はできあがっている――そんな夜の深い時間にまれにやってくる、わたしにとっての青春の一頁。
その夜、わたしは新たな青春を求めて、いつものファミレスへと向かっていた。だが、24時間営業であったはずのファミレスは、深夜2時までの営業に変わっていた。見覚えのある中年の店員が、わたしの注文を聞きにテーブルへと来る。わたしは大きな喪失感を感じていた。失意のままにドリンクバーだけ頼んで、ココアを注いだカップをぐるぐると手のなかで回していた。その日の執筆にほとんど進展が見られなかったということは、いうまでもないことである。
無事に論文を仕上げてから、八月の後半、わたしはずっと東京を離れていた。京都、大阪、尾道、熊野の漁村、神戸、大阪と点々と動きまわっていた。
もともと行き先のうちに勘定されていなかったのだが、ややあって急きょ京都に行くことになった。出発直前に特急券と乗車券の区間を変更する。さらに偶然がかさなって、旧知のフランスの友人と一緒に東京から京都へと赴き、二日のあいだのいくらかの時間、行動をともにすることになった。忘れられない瞬間がいくつかある。
新幹線のなかで、彼女はわたしに iPhone のテザリングを求めた。わたしは快諾して、彼女はだれかと電話をしにデッキのほうへと向かった。やがて新幹線は京都駅へと到着する。彼女はいまだに電話をしている。わたしが声をかけようとすると、彼女は涙を流しているということに気がついた。涙声でぽつりぽつりことばを絞りだしている。わたしは何も言わずに彼女の荷物をまとめた。
わたしたちは新幹線のホームから降りて、ひとごみを縫って京都駅を歩いていく。彼女はわたしのあとを追いながら、いまだに電話口に耳を当てて、なにか頷いたり、否定したりしている。かんかん照りの京都駅前で、わたしはひとりで煙草を吸った。わたしの手の中では、いまなおテザリングで電波を発している iPhone が熱を発しつづけていて、その充電はすごい速さで目減りしていく。喫煙所の外にいる彼女に視線を向ける。彼女はおもむろに通話をやめ、地面に座りこんで、遠くを見つめながら、嗚咽しはじめた。その姿は、ひどく美しかった。
ひとことでいって、彼女はひどいうつに悩まされていた。京都駅での通話もそのような要件であった。わたしたちは京都での数日間、彼女のうつについてずいぶんと話しこんだ。鴨川の川辺で、おでん屋で、バーのカウンターで。わたしが彼女にはじめて会ったのは、三年前のパリだったのだが(スタンリー・キューブリックの『ロリータ』の野外上映を一緒に観にいった)、それから間もなくしてうつになったのだという。この二、三年間は、まさに出口の見えない深い闇にいるようであって、なにについても楽しさを見いだせなくなってしまった。かつて思い描いていた将来への計画、夢のようなものにも、もうわくわくしない。映画を観ても、本を読んでも、音楽を聴いても、以前のように救われた気分にならない。ただ鬱々とした日々があって、それがずっと一生にわたってつづくのではないかという恐怖に怯えている。世界中の何人もの精神科医にもかかって、カウンセリングも受けて、抗うつ剤も欠かさず飲んでいる。それでも出口が見えず、医者も家族も、自分自身もお手上げ状態にある。ただ、自死するつもりはない。その勇気はないし、家族や友人にそんな迷惑は掛けられない。いまは、仕事を辞めて、無期限の旅に出ている。日本を再訪したのは、そのような理由である、と。
わたしは、彼女にたいして有益なことはなにひとつとして言えなかったような気がする。彼女の話に耳を傾けながら、彼女が身を置いている闇の深さを想像してみることはできるけれど、わたしの想像上の闇の黒々しさは、彼女にとっての黒々しさとは、まるでちがうなにかであるような気がしていた。わたしの無責任な想像から、彼女にあれこれと指南をするというのはあまりに危険すぎると嗅ぎ取ったのかもしれない。それ以上に、彼女を救うことのできそうなことばなんて、ぜんぜん浮かんでこなかったのだった。わたしたちがことばを交わしている時間以上に、そこには沈黙があった。沈黙ばかりがあった。
わたしはいくらか自分の無力さを呪った。だが、それも仕方ないことなのだろう。京都の二日めの夜、出町柳のあたりでわたしたちは抱擁を交わした。彼女はわたしに感謝を告げた。彼女は、翌朝早くに関空からホノルル行きの飛行機に乗るという。彼女の友人が招待してくれたらしい。ハワイの陽光が彼女のうつをいくらか軽減してくれればいい、とわたしは心から願った。
そのような京都の数日間で、わたしは一本分のカラーフィルムを使い切った。後日、そのフィルムを現像に出して、受け取りに赴くと、「なにも撮れていない」ということが判明した。どうやら、フィルムがうまく巻き取れていなかったらしい。わたしの手落ちである。このような事態に遭遇したのははじめてのことだったのだが、あの京都の数日間でなくてもよかったのに、とわたしは思う。だがいっぽうで、あの京都の数日間であったからこそよかったのかもしれない、とも思える。シャッターが切られた瞬間たちの多くはとても美しかった、という確信はわたしの手もとに残っている。きっとそれだけで充分なのだろう。