雑記( August, 2018 )

・ほとんど息をつく間も無いままに、颯爽と走り去っていった八月だった。もともと今年の夏はゆっくり夏目漱石でも読もうと文庫本を買い揃えていたのに、腰を据えて文庫本をひらくような時間はほとんどなかったような気がする。本棚に立ち並ぶ赤茶色の背表紙を眺めてにこにこするばかりだった。わたしが本が好きな理由の何割かは、鑑賞のためであるといっても過言ではないかもしれない。そこにあらゆる邂逅の、あらゆる情動の可能性の中心があるのだ。

・研究書をひらくなんて以ての外だった。夏休みに勉強できた試しがない。さしあたり学生最後の夏だったので、一度くらいは引きこもって勉強しかしない夏休みというのも送ってみたかったんだけれど、わたしの性格的に不向きなんだろう――研究者にはなれないと痛感した夏でもあった。脇目も振らずにただひとつの研究に邁進するという性格はなにに由来するのだろうか。そしてそれは果たして見かけほどに美徳なのだろうか、とも考える。

夏目漱石三四郎』の冒頭。上京する電車のなかでたまたま出会い、ひょんなことから一晩行動を共にすることとなる女が、別れ際に三四郎へと囁くように告げる科白。「あなたはよっぽど度胸がないかたですね」。あらゆる学問を、あらゆる論理を超越して、現実そのものが脳髄を殴打してくる。この科白が、上京して学問を究めようとする三四郎にまとわり続けていたわけだが、わたしまでもがだいぶ刺されてしまった。

 ・そもそも連日の猛暑からして、落ち着いて研究をしようなんて気持ちが起こるべくもない。という情けない理屈をつけてみる。

・とはいえ、本当に暑い夏だった。観測史上最高の暑さを記録した平成最後の夏。メディアは異例だと喧伝するけれど、ひょっとするとこれから訪れる夏はいずれもこれくらい暑いのかもしれない。そのことを考えるだけで、海外に移住するという選択肢がより説得力をもってくる。うだるような暑さにぜいぜいとする羽目になるくらいなら、多少不便な思いをしてでも、穏やかな気候の異国の地に住んでいたほうがよほどいいんじゃないだろうか、と。

・日本の猛暑についてのフランスメディアの報道に、中東やアフリカのひとびとから山のようにコメントがついていた。いわく、うちの国では日本とは違って40度程度じゃひとが死ぬことはない、と。挙句には #BLACKPOWER などといったハッシュタグをつけて自慢げに自国の気温自慢が飛び交っていた。あまりに腹が立ったので、きみたちは日本の湿気交じりの暑さの辛さがわからないだろうと怒りのコメントを投稿したら、どこの国籍かもわからないひとたちから数十のフェイスブックの友達申請が来た。もちろんすべて断った。

・玉田企画『バカンス』を観にいった。わたしは『少年期の脳みそ』よりも、『あの日々の話』よりも、ずっとこの作品が好きだ。関係性のベクトルの変容について。

・かつて住んでいた高田馬場のシェアハウスの退去にあたっての大掃除。長い時間をともに過ごしたひとたちのあいだには、端から見ると一見奇妙なコミュニケーションが成り立っている。近くのラーメン屋の店主が、われわれの会話を聞いて苦笑していたのがへんに記憶に残っている。

早稲田松竹でトラン・アン・ユン監督『青いパパイヤの香り』('93)を観たのは八月のことだったか。あまりに美しい。いくつかの息を呑むようなカット。じめじめとした亜熱帯の熱気がスクリーンから横溢していた。

・二年ぶりに岡山に帰省した。大きな仏壇のある部屋で死者たちに見守られながら畳の上で午睡をする。そのあいだテレビは高校球児たちの雄姿を讃えている。それはほとんどわたしにとって夏休みの原風景である。原風景を反復できる至福と同時に、二十五歳のわたしはここにいていいんだろうかという焦りのようなものもある。

・けっきょく高校野球はあまり観なかった。いや、ちょくちょく観てはいたけれど、もはやなんの試合に昂奮したのかもあまり思い出せない。決勝戦も観ていない。わたしは金足農の吉田輝星という投手にもさほど感銘を受けなかった。かのハンカチ王子と同じにおいがする。伸び代があまり感じられない。大阪桐蔭の藤原くんは素晴らしい野手なのでぜひ阪神タイガースに来てほしい。根尾くんの鋭い眼光も気に入った。やはり高卒野手のロマンというのはある。

・叔父と、従姉妹の夫と、従姉妹の息子と男四人で海釣りにいった。鯵のサビキ釣りなので大したスリルはなかったけれど、次々と竿にかかるので愉しい。目標としていた100匹には届かなかったが、夜遅くまで粘って得た釣果は、翌日に三杯酢で揚げて美味しく頂いた。釣りはたのしい。

・大阪にも数日滞在した。大阪に住んでいる友人に通天閣の麓にある「イマジネーション ピカスペース」という呑み屋に連れていってもらう。深夜の屋上で訥々と語られる惑星の軌道の話。ナチスが発見した地底へとつながっている穴の話。

・通訳の仕事で静岡県に五日間ほど滞在した。南仏訛りのユーモアに富んだ気のいいおじさんにべったりとつくのでだいぶ気楽に過ごした。しかし通訳をやっていると、ただただ発せられたことばがわたしの身体を通過していくばかりで、わたしはほとんど無に等しくなってしまう(逆にわたしの存在が薄まれば薄まるほど通訳の仕事の質は高いということでもある)。かつてある人から「きみはことばだけのひとになってはいけない」と言われたことがある。たぶん彼女はこういうことが言いたかったのかもしれない。

・仕事で足を運んだ富士山世界遺産センターが思っていた以上に素晴らしかった。またプライヴェートでも再訪しなければいけない。それにしても、山脈が続くというわけでもないあれだけひらけた場所に、あの形姿の山が鎮座しているというのは奇跡としか言いようがない。

・静岡駅近辺の繁華街を夜にひとり彷徨う記憶。

・フランスの友人が監督をした自主制作映画の現場に入った。10日間の撮影のあいだ、フランス人に囲まれて、フランス語ばかり話していると、わたしの音の分節の仕方が変わってしまっていたのがおもしろかった。電車に乗っていると周囲から聞こえる音声がすべてフランス語かと誤認してしまうほどである。とりわけ中国語はフランス語にしか聞こえなかった。いまはまったくそうでもないので不思議なものだ。これまではずっと、母語として身に染み付いた音節からはけして自由になれないのだろうと考えていた。ひょっとしたらそんなことはないのかもしれない。

・異国のことばを話すのはいつだって愉しい。どこに着地するのかもわからないままにことばを紡いで、ふと口をついて出た表現に、ああこんなふうにも喋れるんだ、と自分で驚くことがままある。日本語を話すときにそういう新鮮な驚喜を憶えることはほとんどない。すでに母語の語りは凝り固まっていて、その語りを解きほぐすためには、確信犯的に自分自身から抜け出て語ろうとせねばならない――哀しいことだが、その試みには愉快さというよりどこか居心地の悪さがある。

・ひょっとすると、いまわたしが外国語を学んでいるのは、自分自身から自由になりたいというただそれだけの理由なのかもしれないね。異国のことばを話す恋人のため、「彼/彼女のことば」として言語を学ぼうとするひとたちの姿の美しさに打たれ、わたしもいつかはだれかへのあて書きのようにして外国語を学びたいとどこかでずっと思っている。

・映画を撮っているときの切なる問題は、あまりに現場が忙しいので、映画を観る時間がないということである。八月はほとんど映画を観なかったような気がする。

・撮影の大半は江ノ島だった。江ノ島の近くのドミトリーで役者たちとともに十数人で寝泊まりして、シャワーにはいつも大行列ができている。朝日に照らされ、浜風に吹かれながら、自転車で江ノ島の橋をわたっていくのはあまりに爽快だった。おかげさまでだいぶ日に焼けたけれど、あの日々は夏休みのイデアに限りなく近かったような気もしている。

・夜の海。わたしの髪の毛に砂を練りこんできた奴らへの恨みは持ちつづけよう。

・フランス人たちはドン・キホーテの歌とストロング・ゼロの歌ばかり歌っていた。耳にこびりつくという表現がぴったりだ。夜は発泡酒とストロング・ゼロばかりを呑んだくれていた。