日誌 | 20221218 - 1220

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12 月 18 日 日曜日

 日曜日の晴天。わたしがパリに到着してからの二週間というもの、これだけ澄み渡った青空が広がっている日は数えるほどしかなかった。相変わらずの低温だが、晴れているだけで気分はいい。サン・ラザールの仮住まいから出かけて、しばし辺りを散歩する。8区のサン・オーギュスタン教会では、ちょうどミサが執り行われていた。昨日訪ねたサン・フィリップ・ドゥ・ルール教会に比べるとずいぶん立派なファサードで、教会の前には大きなクリスマス・ツリーが飾られていた。扉を開けると讃美歌の斉唱が聞こえてくる。ミサに集うのは高齢者ばかりかと思いきや、ちらほらと若い人たちの顔も見かける。二十代と思しき男女のカップルが目を閉じて跪き、二人とも結んだ両手を顔の前に掲げて祈っていた。

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 フュースリ展を目ざしてジャックマール=アンドレ美術館に足を運ぶ。この美術館は19世紀の銀行家がかつて妻と暮らしていた邸宅で、コレクション作品も二人が蒐集した作品群がもとになっているという。常設展示にはいかにも19世紀の貴族趣味という感じのオーソドックスな作品ばかりが並んでいたが、イタリアの中世絵画を集めた部屋には優品が揃っていたように思う。ロ・スケッジャという15世紀のフィレンツェの画家が描いた女性の横顔のポートレート(冒頭画像)にいたく感動を憶えた。中世とルネサンスのはざま。

 肝腎のフュースリ展のほうは「夢と空想のはざま」という副題がつけられている。象徴主義の雰囲気を感じ取って期待に胸を膨らませていたのだが、絵筆の粗雑さにいくばくか落胆してしまった。この展示については別にくわしく書いた。

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 バスティーユオペラ座に移動する。先日に職場のオペラ好きの同僚たちから薦めを受け、アンナ・ネトレプコというロシア出身のオペラ歌手が出演するヴェルディ原作のオペラ『運命の力』のチケットを入手していたのだった。ちょうどオペラの開演と同じ時間に、W杯のフランスとアルゼンチンの決勝戦が開催されていると知る。せっかくなのでリアルタイムでフランスの観客と試合を観たい気持ちもあったが、残念ながらオペラ座から外に出るころにはすでに試合も終わっている。

 わたしはオペラはまったくの門外漢で、数えるほどしか観たことがないのだが、同僚たちの熱心な薦めにたがわず、ネトレプコの歌唱は目を見張るものがあった。あの声量、あの表現力、あのきらめき。とくに第四幕の独唱は、思わず大勢の観客とともに精一杯の熱い拍手を送った。しかし『運命の力』のオペラそのものは、舞台設計や演出に見るべきところはあったが、かなりこってりした物語に退屈を隠せなかった。伯爵は箱入り娘の恋人との結婚を階級格差を理由に認めようとしない。恋人は直談判に赴くが、銃が暴発して伯爵を撃ち殺してしまう。復讐に燃えた伯爵の息子たちは、地の果てまで恋人を追いかけまわすという悲恋の筋書きである。オペラの愛好家は、当然ながらこうした展開もすべて頭に入っていて、その物語の土台の上に築かれる表現の差異を愉しんでいるのだろうと想像はつくのだが、わたしのような初心者は、物語にノれないとどうも入っていけない(物語至上主義に囚われすぎている自覚もあるのだが)。

 バスティーユ広場に出ると、W杯の決勝は劇的な展開をもって延長戦に突入していることを知った。日曜日にもかかわらず開いているバーやレストラン。試合中継を流しているスクリーンの前には、店に入りきらない人だかりでごった返し、あちこちで突発的に応援歌の斉唱がはじまる。わたしはこの地区を歩き回りながら、路面の観客たちに混ざって試合の模様を見届けた。PK戦に入って、フランスの選手がシュートを外したり、アルゼンチンの選手がゴールを決めるたび、その地区全体のボルテージが少しずつ下がっていく。かくしてフランスが敗北を喫した瞬間には、だれもが静まり返って、三々五々に帰路に就きはじめた。先ほどまでの熱気はあっという間に収束して、帰りの地下鉄も異様なまでに静けさが広がっていた。だれもが失意のうちにあるようだった。

 友人から送ってもらったスクリーナーで、日本で公開中の黒川幸則『にわのすなば GARDEN SANDBOX』('22)を観る。ファースト・カットから車両の往来の音が心地よく鳴っていて、たちまちに魅了される。あの箱庭のような、取り立てた特色もないさびれた郊外の町で、何度も何度も同じ風景と出くわしてしまうとき、ひとは往々にして窮屈さを憶えるものだろう。けれどもそこに外部から到来した逗留者の視線が加わると、くたびれた町の景色に別の秩序が引き入れられ、別様の可能性を提示しはじめる。これは「遊び」のもつ可能性にほかならない。わたしは、町で遊ぶという忘れかけていた感覚が自分のうちで久々に立ち上がってくるのを感じた。きっとポレポレ東中野のスクリーンで観ていたら別の感慨を受けたにちがいないのだが、パリの小さなアパルトマンの一室で、夜半にひとりでこの作品を観たという経験が、なんともいいがたい確かなものとして手のうちに感じられるのであった。

 

12 月 19 日 月曜日

 通勤前にカフェ・バーに立ち寄って、パン・オ・ショコラを頬張りながらセリーヌの『夜の果てへの旅』を読み進める。このカフェ・バーは煙草屋も兼ねていて、中華系の顔つきの人たちが接客をしている。2013年の調査では、パリの3,000軒のタバコ屋のうち、45%はアジア系の出自をもつ店主によって経営されているらしい。この割合は2005年には25%だったというから、たった10年足らずのあいだに中華系の移民たちの領土が急速に拡大していったことになる(コロナ禍を経て、その割合はどうなったのだろう)。しかしどうして華僑とタバコ屋なのか。おそらく朝早くから夜遅くまで開いているタバコ屋では、従業員を雇って賃金を払うよりも家族経営のほうが向いていて、大家族の多い華僑の家族形態がフィットしたのではないかと思われた。あくまで推論の域を出ない。

 職場の同僚とアジアの惣菜屋に昼ごはんに出かける。お互いにポランスキーフィルモグラフィーでいちばん好きな作品が『フランティック』だと判明してかなり盛り上がった。ハリソン・フォードがすったもんだを繰り広げた屋上もパリのどこかにあるはずである。彼女はセーヌ川の対岸に見える建物を指さして、あれは『ラスト・タンゴ・イン・パリ』と舞台になった建物だと教えてもらった。彼女はこの地区だけでいっても、本当に数えきれないくらいの映画のロケーションになっていますよと言っていた。

 7区にある物件の内見。日本に帰国した同僚が6年にわたって住んでいた物件なのだが、到着してからの寒さも手伝って、ほかに物件にあたる元気がなかったので、もうここでいいかと決めてしまった。いくらか予算オーバーではあるが、物件の条件はけして悪くはない。家具付きの物件で、南部鉄器やクルーゼまで備え付けられているし、有名な商店街を見下ろすことのできる好立地のアパルトマンである。だが職場にほど近い7区という場所がどうにも好きになれない。本当はダンフェール・ロシュローのあたりに住みたいのだけれど、とにかく一度生活の拠点を定めるほうを優先した。

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 1番線に乗って地下鉄で移動していると、突然コンコルドで列車が止まって、警察官たちが走ってきて、地下鉄から降ろされた。何事かと思って身構えていたら、どうやらW杯準優勝の凱旋パレードのため、このコンコルドの駅が封鎖されるとのことだった。わたしは警備隊の隙間を縫って、ルーヴルの広場の横を足早に突っ切った。

 シャトレのUGCで、ジェームズ・キャメロンアバター:ウェイ・オブ・ウォーター』('22)を観る。3Dメガネを掛けると画面が暗くなってしまい、せめてIMAXで観るべきだったと後悔の波が押し寄せる。わたしは『アバター』('09)が大好きで、十三年越しの続編を心待ちにしていたのだが、前作よりもずっとゲームのような映像に近づいていて、いったい映画とはなんなのだろうかと考え込んでしまった。わたしは第一作の空の飛翔のシーンの美しさに何度も涙してきたのだが、今回の水中の映像は、確かに美しく撮られているのだが、あまり心が動かされることはなかった。

 映画の筋書きがより右傾化していたことにも強い不満を憶えた。人類によるナビ族の侵略が、植民主義に重ねられていることはいうまでもない。それでも第一作はひと握りの人類が「アバター」となってナビ族へと転向していく、つまりは異人種の境界をわたっていく物語だったにもかかわらず、第二作はその境界がほとんど融解しないまま、主人公一家の絆の物語に矮小化されていたように見えた(サリー家の子どもたちと一緒に育ったスパイダーという人類を配していたにもかかわらず、ほとんどスパイダーのことは放っておかれたままだった)。「スター・ウォーズ」シリーズの二作目や五作目のように、次作以降に大団円を迎えるための伏線であることはわかるのだが、2022年最大の注目作のひとつが、ああいう古きよき家族像を呈示するにとどまっていたことに、すっかり失望を憶えてしまった。しかしあのスティーヴン・ラングが演ずる大佐は、次作以降もずっと最強の敵として立ちはだかるんだなあ。もはや伝統芸と化しつつあって笑ってしまう。

 映画館から出てあたりを散策していると、目を見張る美しさのショーウィンドウがあっておもわず立ち止まる。イランの現代美術を扱うギャラリーのようだ。このところ至るところからイランに呼ばれている気がしてならない。

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12 月 20 日 火曜日

 またも地下鉄が止まってしまった。二日連続の途中下車。小一時間ほど歩いて MK2 Beauvois に到着。上映前に小腹が空いたので、なにか頬張れるものはないかと探すためにしばらく辺りをうろついた。すでにパン屋も閉まっていた。こういうときにコンビニがないのは至極不便で、コンビニが全国至るところに点在している日本のインフラがいかに偉大かを思い知った。レバノン料理の小店で「バクラヴァ」というクルミやピスタチオをパイ生地で挟んだスイーツを買って食べる。甘い。ふんだんに掛けられたシロップが手についてべとべとになってしまった。

 ジャンフランコ・ロージ『In Viaggio』(’22)を観る。『In Viaggio』はイタリア語で、英語では「Traveling」。2013年にフランチェスコ教皇が就任してから現在に至るまでの教皇自身の海外出張の映像アーカイブから構成されたドキュメンタリーである。教皇は足掛け10年の在任期間中に、じつに53か国を訪問し、講演や会合で世界平和を説いて回る。

 イタリアのランペドゥーザ島で催された地中海を小舟でわたろうとして命を落とした移民たちの追悼集会では、「無関心のグローバリゼーションは、人びとから涙する機会を奪っている。わたしたちは喪に服すために積極的に泣いてよいのだ」と訴える。彼が足を運ぶのはカトリックの信仰が根付いている地域だけではなく、たとえばアラブ首長国連邦などのイスラム圏も含まれていて、イラクではシーア派の最高聖職者と面会している。2022年のカナダの先住民族たちの集会の折には、キリスト教の宣教師たちが布教にあたって現地の文化を破壊したことを深くお詫びを申し上げると、ひじょうに丁重な言葉で語っていた。

 フランチェスコ教皇は、聖書の引用をするでなく、イエス・キリストの教えを説くでもなく、ときにはガンディーすら引き合いに出して、多種多様な宗教文化的背景をもつ民衆に向けて、可能なかぎり平易な言葉で平和の重要性を語ろうとしていた。ウクライナの戦争が激化したのち、記者からプーチンのことをどう思うかと尋ねられた教皇は、慎重に言葉を選びながら、わたしはあらゆる戦争に反対しますと答えた。日本人のわたしとしては、必然的にフランチェスコ教皇天皇の姿を重ね合わせながら見ていたが、わが国の天皇よりもはるかに国際平和のための責務を感じ、それを全うしようとしているようにも思われた。当然、公式の発言しか取り上げられていないし、ジャンフランコ・ロージによる恣意的な編集も入っているので、実際のところはよくわからない。まるでほとんど人格が備わっていない存在であるかのようにも思えた。わたしはちょうど『夜の果てへの旅』を読んでいたこともあって、あの教皇ははたしてセリーヌを読んだことがあるのだろうか、読んでいたとしたら何を思ったのだろうかと、帰りの地下鉄で考えた。

 帰宅してから、友人の撮った短編映画を二本観た。感想を書いて送ろうと思ったが、その前に力尽きてしまった。