ジム・ジャームッシュ『リミッツ・オブ・コントロール』に登場する絵画群についての覚書き

 ジム・ジャームッシュの『リミッツ・オブ・コントロール』を観た。唐突に挟まれる、皿の上に載せられた洋梨のカットがやけに記憶に残っている。

 この映画で、わたしは二つのスペイン語のフレーズを憶えた。ひとつは仲間たちの合言葉になっている"Usted no habla español, ¿verdad?(あなたはスペイン語を話せないんでしたね?)"であり、もうひとつはギター(ジョン・ハート)が去りぎわに言い残し、ヒアム・アッバスの運転するトラックの荷台の背後に記された "LA VIDA NO VALE NADA(人生は何の意味もない)" である。つかう機会はあまり無さそうだ。

 

 イザク・ドゥ・バンコレ扮する「孤独な男」というコード・ネームを有した主人公は、劇中でマドリードのレイナ・ソフィアに赴くたび、しばし館内の地図を検分してから、ひとつの作品を選び、その絵画と対峙する。映画には、おもに四つの作品が登場する。それぞれの絵画は、作中で孤独な男に与えられるつぎのミッションと対応している。

 かつてマドリードに足を運んだとき、時間がなくレイナ・ソフィアにいくことは叶わなかったのだが(代わりにプラド美術館は堪能した)、『リミッツ・オブ・コントロール』の作中に登場した絵画たちはどれも素晴らしかった。やはりマドリードには、なるたけ早くにふたたび足を向けなければならない。さらにいえば、映画には、セビリア(セビージャ)の町も登場するのだが、その町並みがまた美しい。オーソン・ウェルズジム・ジャームッシュが、世界でいちばん好きな町だと語っていた。

 

 劇中では作品の名前が明かされることはなかったが、気になったのでレイナ・ソフィアの作品を調べてみた。以下にメモ書き程度に残しておく。映画には、ほんとうは以下の4枚だけでなく、イザクが美術館を去る際に、主題となっている1枚と呼応するような作品群が登場している。それらはイザクの去り姿とともに確信犯的に捉えられているのだが、それらの作品については調べても出てくることはなかった。*1

 

f:id:immoue:20170911180104p:plainフアン・グリス《ヴァイオリン》(1916)

 

f:id:immoue:20170911180057p:plainロベルト・フェルナンデス・バルブエナ《ヌード》(1922)

  ロベルト・フェルナンデス・バルブエナという画家のことは、この映画ではじめて知った。インターネットで検索しても、スペイン語カタルーニャ語Wikipediaしか出てこなかったから、世界的にはさほど有名な画家ではないのだろう。しかし、この構図はヴァロットンやバルトゥス的な二十世紀性を感じさせるし、筋肉質な女の裸体にはロマン主義への目配せがあり、また奥に置かれているサボテンやシーツの描きかたには、同郷のダリといったシュールレアリスム的なタッチがある。その混淆は非常におもしろい。

 

f:id:immoue:20170911180053p:plainアントニオ・ロペストーレスブランカスからのマドリード》(1987-1994) 

  アントニオ・ロペスは、名前に聞き覚えがある。たしか近年日本で展示が組まれていたな、と思って調べてみると、2013年にBunkamuraで日本初の企画展が組まれていた。この作品も来日していたらしい。さしてアートに関心がなかった当時のわたしを積極的に責めたい。写真ではなく、あえて油彩で精緻に風景を描きあげるということ――このことのもつ意味はなんだろうか。映画内では、イザクが屋上で眺めるマドリードの風景とオーバーラップする形でこの絵画が登場した。わたしはまたの機会にこのことについてゆっくりと考えてみたい。

 

f:id:immoue:20170911180049p:plainアントニ・タピエス《大きなシーツ(Gran sábana)》(1968)

 

 

*1:不鮮明なキャプチャ画像しかないが、バルブエナの《ヌード》の向かいに飾られている以下の作品については、とくに興味がある。どなたか心当たりのあるかたはいるだろうか。

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