かといって、過去へのノスタルジーに耽溺するのではない。「世界各国の夜」というアルバムの表題曲のうちに、"I wonder if future generations will even hear about us... It's likely not." という科白が引用されているのだが、帰宅してからいったいなんの科白だろうかと検索エンジンを走らせると、ウディ・アレン『ラジオ・デイズ』('87)のものだということがわかった。この映画についてはわたしは未見なのだが、どうやら1943年のニューヨークを舞台にしている作品だという。あの科白が VIDEOTAPEMUSIC の音楽においてサンプリングされているということに、わたしは並々ならぬ感動を憶えてしまう。
1943年のニューヨーク、男は、彼らのことを未来の人間が聞きおよぶことはおそらくないだろう、と吐露する。その科白が、ウディ・アレンの手により映画のなかに再現されて、作品が収められたVHSは、ひとの手から手へと渡り歩いてゆき、偶然にも VIDEOTAPEMUSIC のもとへと届く。彼はその科白を抜き取り、音楽に仕立てあげて、2016年の東京に再び息を吹き込んだのだ。会場であの科白を聞いたとき、わたしはおもわず叫びたくなってしまった、"I am now hearing about you!"、と。こうして、1943年のニューヨークと2016年の東京が、まったく予想されえなかった形で交差してしまった。これを感動的と呼ばずになんと呼べるだろうか(一応附言しておくと、1943年に実際に何者かがあの科白を吐いたかどうかはさしあたって重要ではない)。
Un cinéma incroyablement daté, tout droit tiré de cet imaginaire d’Europe de l’Est des années 80 qui n’a cessé depuis lors d’empoisonner le petit monde du court-métrage fantastique français.
ふたつ目の "Oh smash! Can you believe that? What was he thinking!?" というのもよかった。いやはや、このタイブレークは忘れられない。これを見て思うのは、重要な局面であっけなく負けるということが本当に減ったような気がするということだ。去年はもっと簡単に敗けていた。確かにいい成績を収めた大会もあったことは間違いなかったが、上位選手にとってみれば、それほど厭な印象はなかったにちがいない。ただ、今年は簡単に屈することは減っていた。あのタイブレークも、よくもぎ取ったものだ。
この映像はいつ撮られたものなのだろうか。まだこのような風景は、このような音楽は、かの島に残っているのだろうか。4年おきに開催されている Festival of Pacific Arts ものがあるらしく、前回の2012年はソロモン諸島での開催であったようだ。もうすこし早く出会っていれば、その機会に是が非でも足を運んだのだが。とまれ、ソロモン諸島にはいつか足を運ばなければならない、もうすでにわたしは呼ばれてしまっているのだから。