『猿の惑星: 聖戦記』―― 猿という種による人間的想像力の拡張について

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 「猿の惑星」新三部作の最終章にあたるマット・リーヴス監督『猿の惑星: 聖戦記』を観た。ひさびさにスクリーンでシーザーに会えた歓びはひとしおだ。わたしは前二作を高く評価していて、とりわけ『新世紀』('14)についてはシリーズ最高傑作だと思っているのだけど、その二作と比すると、正直にいっていちばん微妙な出来だったのではないか*1

 

 わたしには、本作は二つの主題について語っていたように思える。個と種の倫理が対立するという主題(1)。言葉を失いつつある人間と、言葉を覚えはじめている猿という言語をめぐる主題(2)。この二つの主題は、それぞれシリーズにとって非常におもしろい設定ではあるが、どちらも十分に展開しきれていない印象だった。正直、もっとやれたのではないか?

 

 主題(1)。種を救うために個を犠牲にするという倫理を完徹しようとする人間側の大佐。その倫理を理解しつつも内面化することができない猿のリーダーたるシーザーは、まるでコバのように、個の私的な感情に囚われてしまっている。ここには一般的観念のある種の倒錯がある。猿が個の倫理に従い、人間が種の倫理に従う。ここで主題となるのは、その二つの倫理の相克である。

 なるほど、人間と猿という二つの種が登場する本作にとって、このような主題は取り扱うに値するだろう。しかし、このような主題は、本作では十分に掘り下げられなかったように思う。というより、ストーリーにおいてあまり効果を発揮しているとは思えなかった。

 この主題が物語におけるカタルシスとして結実しうるシーンがひとつあった。家族を殺されたという私的な怨恨を捨てきれないシーザーは、大佐に復讐を果たすべく、脱走を試みた猿の大群を尻目に、ひとりで大佐のいる場所へと向かう。シーザーは、大佐*2が、みずからも言葉を失う疫病を発症しているところに遭遇する。先陣を切って言葉を失った人間たちを排斥してきた大佐は、自身の倫理を貫徹せんとして、シーザーに銃弾を放つように差し向けるのだが、シーザーは躊躇いを見せ、拳銃を下ろしてその場を去る。

 大佐の最期は描かれることはなかったが、あの爆発と雪崩で命を落としたと考えるのが普通だろう(もっともハリウッドのシリーズ作では、ああいう場面で生き残るというのがひとつのセオリーでもあるのだが)。一方のシーザーは、家族を奪われた怨みを呑み込んで、最後まで猿たちのリーダーとして新たな地へと導き、結果として種を救うことになる。

 種の倫理を訴えた大佐は死に、この映画で描かれた人間の大半も死んだ。個の倫理から自由になれないシーザーは幕切れまで生き長らえ、猿という種は新たな地で光明を得た。はたしてこの映画は、個への執着――それは肯定的な形を取ると、交換不可能な存在にたいする愛となる――が、結果として種をも救う、というテーゼを唱えたいのだろうか? そうだったとするならば、その感度を十分に作品のうちに昇華しきれていなかったであろ。これが主題(1)をめぐって思うことである。

 

 主題(2)。人間のあいだに広がるウイルスにより、ことばを発することができない疫病を発症する者たちがあとを絶たない。大佐はいう。言語とは、人間文明を築くにあたって、必要不可欠なものである。ことばを失った人間たちは、その存在価値すらも失う、と。

 しかし、そのような大佐にたいして、何よりも美しい反証を突き付けているのは、ほかならぬ猿たちである。確かにシーザーは人間の言葉を操ることができる。しかし、言葉を発せなくとも、猿たちのように、あるいは、猿の手話を習得しはじめている少女のように、手話をもちいて意思疎通をすることができる。

 はたして言語(を発声すること)は、本当に文明にとっての必要条件なのだろうか? ここにはそのような興味深い問いが顔を覗かせている。本作の提示した答えは、さしあたって否、であろう。

 さらにいえば、シーザーは人間のことばを後天的に覚えた*3。Bad Ape君も、オランウータン君も同様である。そのことは、すべての人類にも例外なくあてはまる。言語とは、先天的に身についているものではなく、後天的に/不断に習得しつづけるものである。

 そのような猿たちの実証する事実が、大佐にたいして、人類にたいして突き付けられる契機があってもよかったのではないだろうか。むしろ、あれだけこの主題を展開させておいて、そのような対決が見られなかったということにわたしは不満たらたらである。

 

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 そもそも最たる問題は、人類側の描写があまりに浅薄であるということだ。わたしは大佐のキャラクターにまったく共感できなかったし、そんな彼がかつての家族の話を開陳しはじめたところで、毛ほどに興味が湧かなかった。大佐につく補佐のような男性は、どうやら猿を虐げるということについていくらかの葛藤を憶えていたようだが、それはその表情から読み取れるのみで、とくに広がりがない。

 いや、とあなたは異を唱えるであろう。新三部作の最終章にあたる本作は、あくまで猿の世界に焦点を当てたものであり、もともと人間を描くことは眼中になかったのだ、と。その意見にも理があることは認めよう。『創世記』は人間の視点から物語が描かれた。『新世紀』は人間と猿の境界があいまいになる瞬間が捉えられた。ならば、『聖戦記』は猿だけの世界であってもかまわない。事実、そのような話の運びで幕切れとなった。

 そうであるならば、なぜ中途半端に大佐という人物を登場させたのか。人類を描きたいのであれば、前作に登場していたジェイソン・クラークや、ゲイリー・オールドマンのような人物を起用していれば、とりたてて新たに人物設計をする必要がなく、過去のできごととの連関のうちに、するりと組み込むことができたであろう。今回の人間側の描きこみが甘いせいで、北の軍と大佐の軍の戦争が起こっているという事実にもわたしはいまいち乗れず、呆気にとられるしかなかった。

 

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 とはいえ、人間の描写が足りないと不満を垂らしたばかりであるが、このシーズンのいちばんの魅力は、何といってもシーザーの顔に集約される。シーザーの顔がとにかくいい。格好いい。アンディ・サーキスという役者が演じているという。わたしは彼の顔のすばらしさを語ることばを豊穣に持たないので非常に歯がゆい思いをしているのだが、とにかく彼の顔がスクリーンに広がると、わたしは途端に堪らない気持ちになってしまうのだ。

 たしか『新世紀』のオープニング・カットは、シーザーの顔のクロース・アップであった。『聖戦記』のエンディング・カットもまた、シーザーの顔のクロース・アップであった。この三部作をもってシーザーは最期を迎えたことになるのかは微妙なところであるが、少なくともメインキャラクターがシーザーとして据えられた『猿の惑星』は、本三部作をもって終わりだろう。そのことに淋しさを憶える。わたしはシーザーのご尊顔をひとめ拝むために映画館に駆けつけていたのだ、といまになって気づいた。われらがシーザー、永遠に。

 

 

 さて、本作で登場する標語は、両手の握り拳を合わせるジェスチャー――すなわち、"Apes Together, Stronger" であった。『新世紀』では、「猿は猿を殺さない」という標語が大きく説話に奉仕していたので、『聖戦記』の標語も見逃せない。わたしははじめから注視しながら物語を追っていた。

 標語をめぐるひとつのハイライトは、囚われの身になったシーザーと猿たちのもとへと、ことばを発せない少女が駆け寄ってくるシーンであろう。彼女があのジェスチャーを披露することによって、猿に限定されたいたはずの標語の主語が、一気に拡張されてしまう爽快さがあった。

 猿たちの種に限定されていたはずの手話を、人間の少女が会得することによって広がる言語世界。たとえば、人間の言語を、この作品のように、ほかの種が会得してしまったらどうなるだろう。わたしたちの身体性や欲望性によって規定されている言語は、新たな世界を得て、一気に拡張していくだろう。想像力の琴線に触れる夢想である。

 

 そのことにかんしてひとこといえば、わたしはこの映画を観るたびに、現実世界では言葉を操る高度な知的生命体が人間しかいない(らしい)という神さまの悪戯に失望を憶えてしまう。中学生のころに第一作を地上波で観たときも思っていた。わたしは知的な猿と仲良く暮らす世界線で生きたかった。

 ぜひ現代の科学者たちには、『創世記』のように、猿に遺伝子操作を加えて、高度な知能をもつ猿を誕生させてもらおう。そして、猿と武器を捨て、共生し、ゆくゆくは猿に新たな『猿の惑星』シリーズをぜひつくってもらおうではないか。

*1:と、わたしは思っているのだが、IMDbを観ていると、新三部作のすべてのユーザーレビュー平均点が7.6を記録している。これはすごい数字だ。『猿の惑星』という世界的なシリーズのリブートで、三作すべてがこれだけ高評価というのはなかなかないだろう。2作目、3作目を担ったマット・リーヴスは今後も引く手数多だろうな。

*2:ところで、大佐のもとに集う兵隊たちの描写は、ヒトラーに忠誠を誓うナチス軍に笑ってしまうぐらいなぞらえていた

*3:ニャースだ!

ジム・ジャームッシュの後ろ姿を見つめるわたし

 わたしは、偶然にもジム・ジャームッシュと直接ことばを交わす機会を得た。初期の作品たちはもちろんのことながら、『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』も傑作だし、なによりも『パターソン』は、とにもかくにも素晴らしかった。わたしは、そうした彼の愛すべき作品にいかに感動したかということを本人に伝えるべく、『パターソン』の劇中で引用されていた、ウィリアム・カルロス・ウィリアムズのスモモの詩("This is Just to Say")をつたない英語の発音で諳んじてみせた。

I have eaten
the plums
that were in
the icebox

 

and which
you were probably
saving
for breakfast

 

Forgive me
they were delicious
so sweet
and so cold

  あなたの映画は、まさしくこの詩のもつ豊かさそのものである、などとそのままわたしは熱っぽく語る。ジャームッシュは、わたしの目をしかと覗きこんで、表情をつくらずに聞いている。わたしは敬愛する作家を前にして、だんだんと呂律が回らなくなってくる。わたしがことばに詰まった、その絶妙なタイミングで、ジャームッシュは不敵な笑みを浮かべ、 "Thank you"とひとことだけ言って、わたしのもとからゆっくりと立ち去っていった。わたしのもとから離れていくかれの後ろ姿は、有無をいわせぬ格好よさがあって、かれは彼の映画そのものではないか、とわたしは完全に打ちのめされてしまったのである。

 

 

 『パターソン』を観た夜、わたしはそんな夢を観た。『パターソン』は傑作でした。

 

 

ジム・ジャームッシュ『リミッツ・オブ・コントロール』に登場する絵画群についての覚書き

 ジム・ジャームッシュの『リミッツ・オブ・コントロール』を観た。唐突に挟まれる、皿の上に載せられた洋梨のカットがやけに記憶に残っている。

 この映画で、わたしは二つのスペイン語のフレーズを憶えた。ひとつは仲間たちの合言葉になっている"Usted no habla español, ¿verdad?(あなたはスペイン語を話せないんでしたね?)"であり、もうひとつはギター(ジョン・ハート)が去りぎわに言い残し、ヒアム・アッバスの運転するトラックの荷台の背後に記された "LA VIDA NO VALE NADA(人生は何の意味もない)" である。つかう機会はあまり無さそうだ。

 

 イザク・ドゥ・バンコレ扮する「孤独な男」というコード・ネームを有した主人公は、劇中でマドリードのレイナ・ソフィアに赴くたび、しばし館内の地図を検分してから、ひとつの作品を選び、その絵画と対峙する。映画には、おもに四つの作品が登場する。それぞれの絵画は、作中で孤独な男に与えられるつぎのミッションと対応している。

 かつてマドリードに足を運んだとき、時間がなくレイナ・ソフィアにいくことは叶わなかったのだが(代わりにプラド美術館は堪能した)、『リミッツ・オブ・コントロール』の作中に登場した絵画たちはどれも素晴らしかった。やはりマドリードには、なるたけ早くにふたたび足を向けなければならない。さらにいえば、映画には、セビリア(セビージャ)の町も登場するのだが、その町並みがまた美しい。オーソン・ウェルズジム・ジャームッシュが、世界でいちばん好きな町だと語っていた。

 

 劇中では作品の名前が明かされることはなかったが、気になったのでレイナ・ソフィアの作品を調べてみた。以下にメモ書き程度に残しておく。映画には、ほんとうは以下の4枚だけでなく、イザクが美術館を去る際に、主題となっている1枚と呼応するような作品群が登場している。それらはイザクの去り姿とともに確信犯的に捉えられているのだが、それらの作品については調べても出てくることはなかった。*1

 

f:id:immoue:20170911180104p:plainフアン・グリス《ヴァイオリン》(1916)

 

f:id:immoue:20170911180057p:plainロベルト・フェルナンデス・バルブエナ《ヌード》(1922)

  ロベルト・フェルナンデス・バルブエナという画家のことは、この映画ではじめて知った。インターネットで検索しても、スペイン語カタルーニャ語Wikipediaしか出てこなかったから、世界的にはさほど有名な画家ではないのだろう。しかし、この構図はヴァロットンやバルトゥス的な二十世紀性を感じさせるし、筋肉質な女の裸体にはロマン主義への目配せがあり、また奥に置かれているサボテンやシーツの描きかたには、同郷のダリといったシュールレアリスム的なタッチがある。その混淆は非常におもしろい。

 

f:id:immoue:20170911180053p:plainアントニオ・ロペストーレスブランカスからのマドリード》(1987-1994) 

  アントニオ・ロペスは、名前に聞き覚えがある。たしか近年日本で展示が組まれていたな、と思って調べてみると、2013年にBunkamuraで日本初の企画展が組まれていた。この作品も来日していたらしい。さしてアートに関心がなかった当時のわたしを積極的に責めたい。写真ではなく、あえて油彩で精緻に風景を描きあげるということ――このことのもつ意味はなんだろうか。映画内では、イザクが屋上で眺めるマドリードの風景とオーバーラップする形でこの絵画が登場した。わたしはまたの機会にこのことについてゆっくりと考えてみたい。

 

f:id:immoue:20170911180049p:plainアントニ・タピエス《大きなシーツ(Gran sábana)》(1968)

 

 

*1:不鮮明なキャプチャ画像しかないが、バルブエナの《ヌード》の向かいに飾られている以下の作品については、とくに興味がある。どなたか心当たりのあるかたはいるだろうか。

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雑記 1( August, 2017 )

 八月最後の日、わたしは大阪のちいさな公園のベンチに腰かけ、にわかに快がハウリングしていく歓びに浸っていた。その瞬間、わたしは幸福だった――この八月ならば、九月が来なくたっていい、永劫回帰したっていい、と純粋に信じることができたのである。

 こういう気障なことがぽろぽろとこぼれ出てしまうくらい、いい一か月だったと思う。七月の暮れ、フジロックから東京へと戻ってきたころ、「夏休みが終わったみたいな/顔をしてた僕を/ただただ君は見てた」とカーステレオが告げたころ、わたしはたしかに夏休みの終わりを嗅ぎ取った。しかしそれは幸運にも、思い違いだったのである。


 いまだに学生の身分に甘んじているわたしにとって、八月は夏休みにほかならないわけだが、「齢二十四の夏休み」と書くと、そこにはいくらか切迫した響きがある。齢二十四の夏休み。まったく歳を取るというのは不可思議なことだ。

 さて、この夏休みがはじまって、わたしはなにをしていただろうか。いまもっとも鮮烈に思いだすのは、サバの骨が喉に刺さったまま抜けなかった数日間である。顔なじみの居酒屋で友人とビールを飲みながら、すこぶる美味しい焼き魚定食を食べていたとき、その不運は降りかかった。――喉に骨が刺さったのである。わたしはその骨を取り除くべく、すかさず白米をかきこみ、ビールをがぶ飲み、水でうがいをし、つよく咳き込み、とあらゆる手段を尽くす。だが一向に骨は抜けてくれない。

 きっと眠れば抜けているだろう、と家に帰って眠りにつくも、翌朝起きると依然として喉に痛みがある。それが数日間つづいた。「魚の骨 喉 抜けない」と検索窓に打ちこむと、炎症を起こして大事に至るケースもある――というような脅し文句が並んでいる。もちろん病院にいって抜いてもらうことも考えたが、齢二十四にして「魚の骨が喉に刺さって…」と申し出るために病院へといくことにいくらかの気恥ずかしさを感じた。わたしは、この気の毒なサバの骨とは、あるいは永遠に付き合っていかなければならないのでは、と危惧まで覚えはじめていた ――― だが、いつの間にか骨はなくなっていた。あれだけ四六時中喉の骨に気を煩わされていたはずなのに、不思議なことに、いつ抜けたかはまったくわからない。あるとき、「ああそういえば無くなっているな」と思い当たったのである。人間、都合よくできているものですね。


 喉に刺さった魚の骨に煩わされていたころ、わたしは論文の執筆に追われていた。図書館からどっさりと本を借りてきて、机にうず高く積んでは、ひいこらとキーボードを叩きながら、自身の不出来に――喉の違和感とあいまって――苛立っていたものだ。

 論文を執筆するという作業は、いまだにどうにも好きになれない。文章を書くこと自体は好きなのだけれど、ひとつの系統立った学術的な文章のようなものを書くというのは、どうにも骨の折れる作業である。学術的な文章においてはいくつかの制約があり、決まった言い回しがあり、わたしたちの思考につきものな逸脱や寄り道は、なるべく封印されねばならない(とはいえ、その〈逸脱〉は、体裁を整えて、脚注に放りこめばいいということを最近学んだので、いくらか自由にはなったのであるが)。ひとによっては、このことは、快感を感じることのできる作業でありうるのだろうと思う。わたしに、そのような瞬間は訪れるのだろうか。いや、むしろ問うべきは、そのような瞬間に訪れてほしいと考えているか否か、ということである。ううん、ちょっとわかりません。

 論文の執筆の大ファンというわけにはいかずとも、それに付随するあれこれのうちには、いくらか愛着を感じていることもあった。たとえば、腰を据えて執筆するために、パソコンと文献をどっさり抱えて赴くような深夜のファミレスはそのひとつである。日づけが変わるか変わらないかという時刻に車を出して、しばらく音楽でも聴きながらあたりをドライブして、24時間営業のファミレスへと行き着く。それから日が昇りはじめるまで、ひとりで論文と格闘するという時間である。遅々として進まない原稿に苛立つことが大半とはいえ、時折、とても創造的な時間がやってくることがある。キーボードを叩く手はリズムに乗って、つぎからつぎへと言葉がつながっていき、いつのまにかほとんど原稿はできあがっている――そんな夜の深い時間にまれにやってくる、わたしにとっての青春の一頁。

 その夜、わたしは新たな青春を求めて、いつものファミレスへと向かっていた。だが、24時間営業であったはずのファミレスは、深夜2時までの営業に変わっていた。見覚えのある中年の店員が、わたしの注文を聞きにテーブルへと来る。わたしは大きな喪失感を感じていた。失意のままにドリンクバーだけ頼んで、ココアを注いだカップをぐるぐると手のなかで回していた。その日の執筆にほとんど進展が見られなかったということは、いうまでもないことである。

 


 無事に論文を仕上げてから、八月の後半、わたしはずっと東京を離れていた。京都、大阪、尾道、熊野の漁村、神戸、大阪と点々と動きまわっていた。

 

  もともと行き先のうちに勘定されていなかったのだが、ややあって急きょ京都に行くことになった。出発直前に特急券と乗車券の区間を変更する。さらに偶然がかさなって、旧知のフランスの友人と一緒に東京から京都へと赴き、二日のあいだのいくらかの時間、行動をともにすることになった。忘れられない瞬間がいくつかある。

 新幹線のなかで、彼女はわたしに iPhoneテザリングを求めた。わたしは快諾して、彼女はだれかと電話をしにデッキのほうへと向かった。やがて新幹線は京都駅へと到着する。彼女はいまだに電話をしている。わたしが声をかけようとすると、彼女は涙を流しているということに気がついた。涙声でぽつりぽつりことばを絞りだしている。わたしは何も言わずに彼女の荷物をまとめた。
 
 わたしたちは新幹線のホームから降りて、ひとごみを縫って京都駅を歩いていく。彼女はわたしのあとを追いながら、いまだに電話口に耳を当てて、なにか頷いたり、否定したりしている。かんかん照りの京都駅前で、わたしはひとりで煙草を吸った。わたしの手の中では、いまなおテザリングで電波を発している iPhone が熱を発しつづけていて、その充電はすごい速さで目減りしていく。喫煙所の外にいる彼女に視線を向ける。彼女はおもむろに通話をやめ、地面に座りこんで、遠くを見つめながら、嗚咽しはじめた。その姿は、ひどく美しかった。

 ひとことでいって、彼女はひどいうつに悩まされていた。京都駅での通話もそのような要件であった。わたしたちは京都での数日間、彼女のうつについてずいぶんと話しこんだ。鴨川の川辺で、おでん屋で、バーのカウンターで。わたしが彼女にはじめて会ったのは、三年前のパリだったのだが(スタンリー・キューブリックの『ロリータ』の野外上映を一緒に観にいった)、それから間もなくしてうつになったのだという。この二、三年間は、まさに出口の見えない深い闇にいるようであって、なにについても楽しさを見いだせなくなってしまった。かつて思い描いていた将来への計画、夢のようなものにも、もうわくわくしない。映画を観ても、本を読んでも、音楽を聴いても、以前のように救われた気分にならない。ただ鬱々とした日々があって、それがずっと一生にわたってつづくのではないかという恐怖に怯えている。世界中の何人もの精神科医にもかかって、カウンセリングも受けて、抗うつ剤も欠かさず飲んでいる。それでも出口が見えず、医者も家族も、自分自身もお手上げ状態にある。ただ、自死するつもりはない。その勇気はないし、家族や友人にそんな迷惑は掛けられない。いまは、仕事を辞めて、無期限の旅に出ている。日本を再訪したのは、そのような理由である、と。

 わたしは、彼女にたいして有益なことはなにひとつとして言えなかったような気がする。彼女の話に耳を傾けながら、彼女が身を置いている闇の深さを想像してみることはできるけれど、わたしの想像上の闇の黒々しさは、彼女にとっての黒々しさとは、まるでちがうなにかであるような気がしていた。わたしの無責任な想像から、彼女にあれこれと指南をするというのはあまりに危険すぎると嗅ぎ取ったのかもしれない。それ以上に、彼女を救うことのできそうなことばなんて、ぜんぜん浮かんでこなかったのだった。わたしたちがことばを交わしている時間以上に、そこには沈黙があった。沈黙ばかりがあった。

 わたしはいくらか自分の無力さを呪った。だが、それも仕方ないことなのだろう。京都の二日めの夜、出町柳のあたりでわたしたちは抱擁を交わした。彼女はわたしに感謝を告げた。彼女は、翌朝早くに関空からホノルル行きの飛行機に乗るという。彼女の友人が招待してくれたらしい。ハワイの陽光が彼女のうつをいくらか軽減してくれればいい、とわたしは心から願った。

 

 そのような京都の数日間で、わたしは一本分のカラーフィルムを使い切った。後日、そのフィルムを現像に出して、受け取りに赴くと、「なにも撮れていない」ということが判明した。どうやら、フィルムがうまく巻き取れていなかったらしい。わたしの手落ちである。このような事態に遭遇したのははじめてのことだったのだが、あの京都の数日間でなくてもよかったのに、とわたしは思う。だがいっぽうで、あの京都の数日間であったからこそよかったのかもしれない、とも思える。シャッターが切られた瞬間たちの多くはとても美しかった、という確信はわたしの手もとに残っている。きっとそれだけで充分なのだろう。

 

 

布団のなかで思い出し笑いをしたいひとのために/「しもきたドリームライブ」

 幾月か前のこと、わたしは、ネットを介して、とある読書会に参加していた。課題本は、フリオ・リャマサーレス『黄色い雨』だった。その読書会の参加者のひとりと、帰りすがらに軽く話をする。かれは漫才が好きで、年間に100本を超える公演に足を運んでいるという。近ごろ気にいっている漫才師は誰かと訊けば、このところ「まんじゅう大帝国」という若いコンビを追いかけていると答えてくれた。

 

 そのときの話がどこかに頭に残っていて、それから暫く経って、眠れない夜に、布団のなかで突如としてまんじゅう大帝国の名をふと思い出した。YouTubeで検索する。YouTubeには3本、音声だけの漫才がアップロードされていた。

 

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 おもしろい。ひとつのボケを、さらなるボケで抱擁してゆくおかしさ。普通の会話に見えながらも、世界観は進行すれば進行するほどズレていく。その崩壊の美学がたまらない(「崩壊の美学」は、『黄色い雨』の帯に書かれていたコピーです)。わたしはさっそくライブに足を運んでみようと思って、すぐさまインターネットを走らせて、公演を見つけたので予約して、そのまま眠りに落ちた。

 

 というわけで、下北沢まで乗り継いで、「しもきたドリームライブ #1」というお笑いライブを観にいってきた。お笑いの公演を見たのは、おそらく人生で二度めである。一度めは、6年前の高校三年生の夏休み(もう6年前!)、友人たちとの大阪旅行に際して、吉本新喜劇を観たときだった。新進気鋭の若手を集めて次々と漫才を披露していくという形式のもので、とてもおもしろかったことだけは記憶に残っているのだが、残念ながら、どのようなグループが出演したということはまったく憶えていない。グループ名も、芸人たちの顔も、なに一つとして思い出すことができない。

 6年も経っているからには、なかにはあれから売れている芸人もいるだろうし、すでにお笑いの世界から足を洗っている芸人もいることだろう。あのころ観た芸人を、いまテレビで見かけたとしても、同定できる自信がない。それはきわめて哀しいことだ。というわけで、わたしのその記憶力に乏しさゆえに、今回の「しもきたドリームライブ #1」でも同様の事態が起こることを防ぐためにも、簡単に記録を残しておこうと思ったのである。永い言い訳(良作)

 

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【ゲスト枠】POISON GIRL BANDチーモンチョーチュウなすなかにしモグライダーヤーレンズ
【キテル枠】トンツカタン/ストレッチーズ/サツマカワRPG/さすらいラビー/ マカロンナイチンゲールダンス/ペコリーノ/ XXCLUB/まんじゅう大帝国
【クル枠☆今回は次世代期待の若手漫才師オーディション!】シマウマフック/スクランブルエッグ/ スイッチヒッター/カカロニ
【今回のドリーム企画】モグライダー芝のテレビ番組みたいな企画が見たい!(北海道・Jさんリクエスト)  

  このシリーズもの企画の第一弾は、K-PROというお笑いライブを月に何十本も企画しているグループが主催しているらしい。K-PROは、東京お笑いシーンでは知らぬものはいないらしい。しかし、知らないことばかりだ。それだけでたのしくなってしまう。

 いやはや、しかし、とてもおもしろかった。お笑いってこんなにおもしろいんだ、とあらためて思った。二時間にわたって、20組近くのグループが次々と登壇するような企画で、わたしは――お目当のまんじゅう大帝国を除くと――ひと組も知らないような状態で臨んだ。開演前は最後まで退屈しないかと恐々としていたのだが、まったくもって杞憂に過ぎなかった。むしろ、20組も新しいグループと一気に出合うことができたことに素直に喜ぶべきであろう。大きな充実感を抱いて劇場をあとにした。

 

 

 いくつか気に入ったグループについて、軽くコメントを残しておく。

 

 軽妙な語りがたまらないヤーレンズ。ネタを披露する前の雑談をしている設定で、えんえんと雑談に花を咲かせたあと、最後に一本だけ短いネタを披露して終わるという形式である。このようにオチが定式化されているのが逆にいい。普通のおしゃべりをしているかのように見えて、いつのまにかそのおしゃべりに引きこまれ、中毒になっている。笑顔で楽しそうに喋っているのがとにかくいい。その空気感に惹かれて、自然に口角がゆるんでいる。

 「とんかつをつくる」というきわめてシンプルなネタを、差異と反復を交えながらドライブしてゆくモグライダー。リーゼントの芝さんのツッコミが冴えわたる。POISON GIRL BANDは、他の出演者たちとも比べてかなり芸歴が長いようだが、その確かなキャリアもあってか、見事にトリを大笑いで飾っていた。王貞治を「和製バレンティン」と呼んでしまうおかしさ。巨人軍ネタは、プロ野球ファンのわたしにとってはバシバシ来た。白雪姫のネタを披露していたチーモンチョーチュウも、はじめは首を傾げそうになったが、いつのまにか素直に笑えた。7人(8人)の小人の下りにいたっては、腹を抱えるのに忙しかった。

 ナイチンゲールダンス。選挙演説ふうの喋りをするキャッチというこの日のネタはそこまでハマらなかったが、そのあとの企画に登壇しているところでも、最後のあいさつの下りでも、あきらかに話がうまい。気になってYouTubeでいくつか動画を見てみたが、彼らは売れるんじゃないだろうか。ひそかに応援したい。

 トンツカタンアキバ系カフェのネタは、緻密につくられている感じがして、すごくよかった。東京03のきわめて正当な嫡子という気がする。さすらいラビー、MCの安定感はすごくよかったし、アメリカンな獣医というネタもおもしろくて、このアメリカンものをシリーズにして、いろいろなバリエーションで見てみたい(すでにヴァリアントはあるのだろうか)。

 

 しかし、なんといってもこの日のMVPは、サツマカワRPGさんに授けたい。

  暗転。照明が点くと、ベビーカーがひとつ、ぽつんとステージ中央に置かれている。舞台袖からおもむろに黄色いシャツに青いチェック柄のジャケットを着た男が入ってくる。ベビーカーに近づいて、「あ、赤ちゃん寝てるんだ。赤ちゃんだ。」といって客席に居直り、「シーッ、小声でできるネタをやりますから」と、ネタをひとつひとつ披露していく。もう既におもしろい。観客が声を出して笑うと、すかさず静かに! と注意を促してくる。小声で。この発想ですでに大きく勝利している。電車で妊婦に席をゆずるネタについては、一生忘れられないくらいにおかしかった。

 妊婦のネタもそうだったが、かれの転校生のネタを聞いたときに、ああ、このひとはおそらく凄惨な過去を背負っているのだな、と直感した。そして、それを笑いの形に昇華することで、過去にたいしてひとつひとつ復讐を仕掛けていっているのかもしれない、と。これはわたしの勝手な憶測に過ぎないのだが、わたしはそのような復讐を心の底から応援したい。バカみたいに売れて、過去バカにしてきた奴らを見返してやってほしいと思う。

 

 

 感想をここまで書いてきて、お笑いについて語ることのむずかしさを思い知った。「おもしろい」「笑った」というふうにしか描写することができず、おのれの語彙の貧困さにただただ嘆くばかりである。しかし同時に思ったのだが、お笑いというのは、あのようなライブでひたすら楽しみ倒し、ただ「楽しかった」という純然たる充実を携え劇場をあとにして、布団に入ってからクスッと思い出し笑いをする、というような付き合いかたがもっとも幸福であり、正しいのではなかろうか。わたしのこのエントリのように、くどくどと御託を並べる必要はまったくないのではなかろうか。

 

 なので、たいていの男は自分が一番おもしろいと思ってるからお笑いを好むのは女性のほうが多いのではないかという仮説についてや、たった1回のライブからですら垣間見えたきびしい実力ありきのお笑いの世界のことや、「視線のずれ」という笑いの根本要素についての現代的考察については深入りせず、最後にそれらをひっくるめしてひとことで要約しておきます。おもしろかったです。

アリス=紗良・オットさん/モーリス・ラヴェル作曲『ピアノ協奏曲』第2楽章

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 わたしは何年か前に、アリス=紗良・オットさんの弾く La Campanella に恋に落ちていたのだが、ふと久し振りに彼女のことを思い出し、YouTubeでいくつか演奏を聴きにまわった。ARTEで放送されていたらしい、ラヴェルの『ピアノ協奏曲ト長調』が、まったく非の打ち所のない演奏で、ディスプレイの前で感きわまってしまった。

 残念ながら未だドイツ語の聞き取りの能力はほぼゼロなので、どうやら動画内で言っているようなのだが、あらためて調べてみたところ、オーケストラはミュンヘンフィルハーモニーで、指揮者はロリン・マゼールというひとらしかった。2014年に亡くなっているが、2013年の来日公演が最期の公演とある。アリス=紗良・オットさんとのこの演奏は、おそらく2012年9月のものだろうか。

 

 ラヴェルの『ピアノ協奏曲ト長調』は、三つの楽章からなり、テンポの速いせわしない第一楽章と第三楽章に挟まれた形で、重厚な第二楽章がある。この第二楽章の演奏が、まったくもって素晴しい。映像だと12分あたりからはじまる。

 ピアノの美しい旋律の調べから入る。左手の奏でる重厚でゆったりとした6/8拍子の伴奏は、一〇分にも満たない楽章のあいだ、つねに全体を支配している。しばらくのピアノの独創を経て、フルートが大胆に入り、木管楽器が次々とアンサンブルに加わっていく。そのあとに控えめに入っていく弦楽器は、全体を牽引するというよりは、調和を完成するために置かれている。ひとつの盛り上がりを経て、オーボエが旋律を引き継ぎ、左手の伴奏はそのままで、そこから右手のトリルが浮き上がってクライマックスを迎える。

  長いピアノのモノローグのあとにオーケストラが入る瞬間は、まるでその居場所をようやく見つけたかのように感動的である。なかでもわたしが好きなのは、終盤のオーボエが旋律を担っているあいだの、ピアノの右手の自由さである。わたしはそこに、生の謳歌を感じ取ってしまわずにはいられない。しかし一方で、それはいつでも壊れてしまいそうな、儚さでもある。わたしは、稚拙かもしれないが、どうしても妖精がつかのまの木漏れ日を浴びながら、森のなかを飛び回っているような情景を想像してしまう。

 

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  そのあと、ほかの演奏はどうなのだろう、といくつか聴いてみた。中でもウィーンフィルをバックにした、フランスのピアニストであるエレーネ・グリモーの解釈は、音に厚みがあってなかなか気に入ったが、しかし、やはりアリス=紗良・オットさんの演奏のほうが好み。ひとつひとつの音にあたたかさがあって、悲愴感はいくらか影を潜めているような印象。はあ、なんと美しい演奏。なんと美しい作品なんだろう。聴くばかりにため息ばかりが出る。

 

 アリス=紗良・オットさんの演奏を聴くために、今年の頭には台北に行こうとしていたのだが、残念ながらそれは叶わなかった。公演のスケジュールを見ていると、秋にもまた来日するらしい。東京はサントリー・ホール。チェコフィルハーモニー、指揮はイルジー・ビエロフラーヴェクで、ベートーヴェンの『ピアノ協奏曲第5番』。さほど好きな曲ではなかったが、あらためて録音を聞くと、アリス=紗良・オットさんの演奏であれば、という気もしてくる(どうやら惚れ込んでしまっているらしい)。しかし、東京の公演、チケットがやたらと高いということはどうにかならないものか……。クラシックについては、金銭的な理由でさまざまな機会を逸しつづけている。ついこのあいだ読んだ平野啓一郎の『マチネの終わりに』に感化されたからか、クラシックのコンサートに出会いにゆくということに、必要以上に意味を見出している(失笑)。

 

 ところで、映像の中で、アリス=紗良・オットさんがドイツ語で喋っているところがあるのだが、今回あらためてそのことに惚れ惚れとしてしまった。流暢なドイツ語で話し倒すアリス=紗良・オットさん。はあ。

雑記( June, 2017 )

 以前、ある時期に書いていた月記にあたるものをまた書きはじめようと思う。なるたけ続けることが肝要である。わたしの日常には、とりたてて読者の耳目を惹くような出来ごとはとくにないということをあらかじめお断りしたうえで、六月のこと。

 極度の寒がりのわたしでも、このところは日中は半袖で過ごすことが多くなった。いよいよ今年も夏がやってくる。六月のいつから梅雨がはじまったのか記憶が定かではないが、今年の続くはいつまで続くのだろうか。とはいえ、さほど雨が降っているという印象はない。じめじめとした曇天の日に、つめたい風が身体にあたるというような日々が多い。このような天候はそれなりに気にいっているのだが、いくらわたしが愛でようとしたところで、あっという間に辟易するような暑さに襲われることだろう。せめて藤の咲く様子をもういくらか楽しめたらいいですね。

 

 この春から、懲りずにわたしは学生の身分をつづけることになった。そろそろ新たな環境でも慣れてきたところだ、と言いたいところだが、いまだにうまく研究を進めていくためのルーティンを組めているわけではないのが実情である。

 このところは、ポール・リクールの『時間と物語』や『他のような自己自身』という著作を集中的に読んでいる。かれの精緻な議論に着いていくのはなかなか困難をきわめるが、この度の読解をつうじていくらか明白になったことがある。たとえば、『時間と物語』において、リクールは主観的・現象学的時間と客観的・宇宙論的時間の対決から生じるアポリアに対して、思弁的解決ではなく、物語的次元を導入することによってそこに詩的解決をもたらすと述べている。そもそもリクール自身は、〈時間〉にたいしてどのような立場を取っているのか、ということが非常に見えづらいテクストになっているのだが、ここで述べられていることはじつは簡明である。つまり、思弁的解決というのは、時間ということの認識論的考察ということであり、詩的解決とは、時間の意味論的考察を意味しているのだ。フッサール現象学では、超越論的主観にとって時間がどのように構成されるかということを明らかにしたが、その議論ではわたしたちにとって〈時間〉がどのような意味をもっているかということについて問うことができない。だからこそ、物語という次元を導入することによって、その意味や価値の分節ということを問おうとしているのである。

 ああ、このブログは――「雑記」だからこそ許されうるとはいえ――こんな哲学論議をする場所ではない。粛々と研究を進められるように努力します。そういえば、このところリクールの名をフランスのメディアで頻繁に目にするようになった。というのも、若くして大統領となったエマニュエル・マクロンが、青年時代にリクールから哲学の薫陶を受けていたというのである。まさかかれの名前がこんなにも主要紙のニュースが頻繁に取り上げられるなんて、と不思議な面持ちでリクールの名前を眺める日々が続いたのであった(それはもう五月の話か)。

 

 研究の都合上、これまでさんざん逃げ続けていたドイツ語の勉強を春からはじめている。その習得の正当性についてはさておき、研究のためということもあって、ドイツ語で会話したり、ドイツ語を書くためというより、ドイツ語のテクストを読めるようになるのがもっぱらの目標である。語学の学習は、ちまちまと毎日単語や文法を覚えていくのではなく、どっぷりとその言語の世界に浸かりこみ、一気に洗礼を浴びるほうがよいという持論があるのだが、そのわりにはドイツ語学習にさほど時間が割けないのが実情で、酸っぱい思いをしている。

 それでも、辞書の力を借りながらも、ようやくドイツ語がそれなりに読めるようになってきた(いままさに授業でベンヤミンの原語読解に取り組んでいるのだが、そちらのほうはあまりにもむつかしくて涙している)。ずっと暗号解読をしているような気分だったが、辞書の助けを借りずにいくつかのセンテンスの意味が取れたりすると、至上の喜びがある。しかし、それでもドイツ語はむずかしい。格変化であったり、分離動詞であったり、どうしても未だにその特徴的な文法につまづいている。所有の3格なんて、なぜそうなるのかさっぱり意味がわからない。"Ich wasche meinen Hände"はダメで、"Ich wasche mir die Hände"と言わなければならないのはなぜなのか。

 多和田葉子がドイツ語で書いた"Von der Muttersprache zur Sprachmutter(母語から語母へ)" というエッセイを読み、その短いエッセイが非常におもしろかったこともあって、数年前に読みかけになったまま放置されていた『エクソフォニー 母語の外へと出る旅へ』という本を読んだ。言語にかんする非常にゆたかな省察。わたしもかつてフランスに留学していたとき、母語と異国語ということについてよく考えていたこともあって、大いなる共感をもって読んだ本だった。このことについては、近いうちに改めて文章を書きたいと思っている(いつになるやら)。

 

 言語ということでいうと、じつはドイツ語と並行して、イタリア語もわずかに学びはじめている。こちらは研究にもほとんど無関係で、完全に趣味である。とはいっても、週に1度イタリア人と会って、いろいろと会話をしたり、テクストを読んだりということにすぎないので、まだその学習に本腰を入れてられていないのだが、いつぞやかイタリアには長期で滞在したいという欲求がめきめきと生長している。パレルモのマルトラーナ教会の黄金にかがやくモザイク壁画のことを知ったこともあって、キリスト教の痕跡を辿りながらシチリア島をゆっくりと巡る旅をいつか遂行するぞと心に決めた。

 しかし、ドイツ語学習と比べても、イタリア語を学ぶのはほんとうに楽しい。ありがたいことにすでにフランス語の知識があるから、文法や名詞の性を一から新たに学び直す必要がないし、語彙のほうもゼロからやる必要はないので、さくさくと成長が実感することができていい。いまは、イタリア人と一緒に、たまたま神保町で見つけたイタリア語書店に売っていた"Marcovaldo"という児童向けのイタリア語のテクストを読んでいる。結構シュールなテクストで、主人公のMarcovaldoおじさんがかわいい。

 新たな言語の学習を二つ同時に始めるにあたって、その二つが混同されてしまうのではないかと危惧していたのだけど(わたしの場合かつて英語とフランス語でそのきらいがあった)、今のところ思いのほか棲み分けができていて安心している。わたしにとってドイツ語とイタリア語のそれぞれが意味的に占めている箇所が違うからであろう。もう少しできるようになったら、そのことについてもゆっくり考えてみたい。

 

 音楽のはなし。Apple Music 無しには生きられない身体であると改めて認識した。わたしにはCDやレコードを買ったり借りたりする習慣がほとんどなく、これまでも一年に数枚のCDを買うということ以外は、もっぱら新譜はYouTubeで聞いたり、友人にCDを借りて聞くというのが普通だった。やはりApple Musicのおかげで、わたしの音楽生活にはそこそこの充足を得ているのである。MONDO GROSSO『何度でも新しく生まれる』やシャムキャッツ『Friends Again』といった日本の新譜もよかったが、たまたまめぐり合った Sports というグループが至高だ。六月は、去年リリースされたらしい『People Can't Stop』というアルバムをいちばん聴いた気がする。

 先日、NONAMEの来日公演が発表されて歓喜し、その勢いで『Telefone』もヘビーローテーション。10月だから、まだまだ先のことであるが、さっそくチケット予約開始初日に予約してしまった。無事に行けるといいけれど。このところ、あまりライブに行けていないので(そういえば京都でUFO!接近ズのライブを観たのも六月だったか)、そろそろ音楽を心ゆくまで浴びることを身体が欲している。フジロックに行こうか非常に迷っている。金曜日の同行者はおらぬか。

 

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 六月に足を運んだ美術展。東京ステーションギャラリーの「アドルフ・ヴェルフリ展」と、損保ジャパン日本興亜美術館の「ランス美術館展」、どちらも最終日に駆けこんだ。「ソール・ライター展」もそうだが、「大エルミタージュ美術館展」を逃してしまったことが何よりも悔やまれる。数年も経てば、また類似の展示は組まれるような気もするが、それよりもエルミタージュまで押しかけるほうが早いような気もする。はあ、とはいえ東京ですら出不精になっていることには反省しなければならない。研究を言い訳にするわけにはいかない。

 アドルフ・ヴェルフリという芸術家のことは、この展覧会ではじめて知ったのだが、キュレーター自身がどう説明したものかと困り果てているような感じがして、思わずニヤニヤしてしまった。画面を埋め尽くさなければならないという強迫観念。自身の世界征服を信じきっているかのような理想郷の世界観。「ランス美術館展」のほうは、さほど期待を寄せていたわけでもなく、ドニの《魅せられた人々》を観れればいいや、と軽い気持ちで駆けつけのだが、思いのほか出品作が粒ぞろいで、とりわけシスレーの《カーディフの停泊地》にはいたく感動してしまった。キャプションには、家族でのイギリス旅行の折、画家は三十年寄り添ってきた妻とはじめてこの地で式を挙げたとあった。泣ける。シスレーの作品にここまで感銘を受けたのははじめてだった。藤田嗣治の作品も、思ったより点数が多くて充実していた。

 

 それから、大阪へと遠征した折には、国立国際美術館にて「ライアン・ガンダー展」と、藤田美術館の「ザ・コレクション」に行った。そうそう、 休日に深夜バスに乗り込んで、大阪まで足を向けたのである。旅行の目的は、藤田美術館曜変天目。たった一椀のお茶碗を目にするために大阪まで行く日が来るとは思いもよらなんだ。 それくらいハマっていたのですが、それについては日を改めて。大阪に配属となったばかりの大学時代の友人と過ごしていたのですが、かれの提案で藤田美術館でやった〈ソーシャル・ビュー・ゲーム〉の愉しさがいまだに想い起こされる。

 「ライアン・ガンダー展」もよかったな。本展も心地の良い空間だったが、ライアン・ガンダーによる選定で同時期に行なわれていた国立国際美術館のコレクション展もとてもよかった。国立国際美術館に足を運んだのは二度目で、一度めは二年前のウォルフガング・ティルマンス展だったわけですが、あの美術館はかなり好きだ。このままだと東京都美術館の「バベルの塔展」は見逃してしまうわけですが、夏に国際美術館に巡回するというし、大阪で《バベルの塔》を観ようかと思案しているところです。会期終了前の土日にブリューゲルの展覧会なんて、絵を観るどころじゃないだろうからなあ。

 ところでどうでもいい話ですが、ブリューゲルの《バベルの塔》は二枚存在していて、片方が今回来日しているベルギーのボイスマンス美術館に所蔵されている作品で、他方がウィーンの美術史美術館にある。ウィーンのほうは3年ほど前にすでに観ていて(混雑もしていなかったし心ゆくまで眺めた)、てっきりその両者はほとんど同じものだと思っていたら、改めて二枚を並べてみると、絵から受ける印象がぜんぜん違うということに驚いた。今回のほうはまだ実物を観ていないのでわからないが、書き込みが細かいということはさておき、全体の印象としてもボイスマンス美術館のほうが好きかもしれない。日曜美術館大友克洋×バベルの塔の回はとてもおもしろかった。

 

 大阪への遠征だけでなく、六月には、家のことがあって福岡にも数日間滞在した。一日余裕があったので、はじめは美術展に行こうと思っていたのだが、アジ美の「タイ展」にもさほど惹かれず、代わりにKBCシネマで、これまで見逃していたエドワード・ヤンの『クーリンチェ殺人事件』を観た。残念ながら、それほど刺さらず。というか、エドワード・ヤンはなぜだかやたらと眠くなってしまう。『恐怖分子』は爆睡した記憶しかないし、『ヤンヤン 夏の想い出』は四回目のチャレンジでようやく寝落ちせずに見切った。『クーリンチェ』も、いくつか記憶が怪しいところがあって、うとうとしてしまった。万全のコンディションでまた臨みたいものだが、さて、ふたたび四時間半を捧げる覚悟はあるだろうか。

 

 今年に入って、あまり映画を観れていないのがくるしい。六月に映画館で観た作品はなんだっけかな。さきの『クーリンチェ』に加えて、吉田大八の『美しい星』、『LOGAN ローガン』、山下敦弘松江哲明『映画 山田孝之 3D』、ファルハディの『セールスマン』。数えて見たらそれだけだった。ずっと観たかったはずのあれやこれやを観に行けていない。エリック・ロメールの特集上映にも1日にも行けなかったし、フランス映画祭には今年も行けなかった(イザベル・ユペールが二日連続でゴールデン街の呑み屋に出没していたらしい。会いたかった)。

 もう今年も折り返しだが、いまのところ、年間ベストとか考えても仕方なさそうなくらい鑑賞数が少ない。やらねばならない勉強は山積しているがゆえに、わざわざ外出して、映画館に行くということが億劫になりつつある。そういう意味においても、うまいルーティンを組めていないのである。夏休みに巻き返しを図りたい。

 そんなわけで、旧作もとくに観れていない。Netflixで何本か漁ったくらいだった。最近は、SFやサイコスリラーのようなものによく食指が伸びているような気がする。残念ながら、濃厚な人間ドラマを二時間半も黙って観るような気力があまり湧いてこないのである。とはいえ、『セールスマン』の後味のわるい重苦しさを憶えながら劇場を出て、ああこの感覚はまったく悪くないと思いながら、横一文字に口をきっと結んで新宿の街を歩いた六月のある日のことはよく記憶に残っている。映画館での幸福な邂逅。

 Netflixといえば、待望の『ハウス・オブ・カード』のシーズン5 を観了したのであった。はあ、終わってしまった。シーズン4の最後のエピソードで、このドラマのもつ底力を見せつけられ、戦慄のあまりに鳥肌をぶわっと逆立たせたまましばし放心した日から早数か月。シーズン5は、いくらかまどろっこしい展開や、あまりに強引な展開はあったものの、それでもわたしは評価したい。アメリカのレビューを読みあさっていたのだけど、軒並み低評価でおどろいた。その気持ちもわかる。この一年のあいだで、かの国では現実が虚構を上回ってしまったからね。トランプ大統領。

 

 さて、トランプ大統領といえば、わが国の首相はということだが、ニュースを追って、暗い気持ちになる毎日だった。国会閉会後の安倍の記者会見も、全くの茶番というほかない。いったい説明責任はいつ果たされたのでしょうか。ことばということがこれほど軽視されている現状に、怒りを通り越して哀しみの感情を感じます。

 共謀罪が採決されることはほぼ見越されていたものの、加計学園の問題がこうして紛糾した結果うやむやになったのもそうだし、稲田朋美には早く政界をたちさってほしい。なぜ自民党はかほどに稲田朋美を守ろうとするのかという議題になったときに、自民党稲田朋美を首相として迎えようと準備しているのではないかという指摘があって、はなはだおそろしかった。

 

 政治の話は暗くなるので辞めて、気分転換にスポーツの話でもどうか、と思ったけれども、こちらもわたしの贔屓のチームである阪神タイガースは、8連敗を喫しているところです。交流戦の終わりまでは希望を抱いていたけれども、交流戦直後のカープ3連戦で――1試合は雨で流れたものの――白星をひとつも上げることができなかったということが分かれ目であったと思う。あの直接対決で戦力の圧倒的な差を見て、今年のリーグ優勝という高邁な望みはほとんど失われてしまったのであった。福留と糸井は、いったい何をしているのか。金本チルドレンたちにももっと期待していたのだが、北條もどん底暮らしが長すぎる。そのカープへの完敗を機にずるずると8連敗。今年はそれまで3連敗が最長連敗だったこともあって、応援しているチームが大型連敗をするというのはこれほど悲しいことだったのか、というやさぐれた気持ちを久し振りに思い出した。みるみるうちに失われていく貯金。着実に縮まっていく3位とのゲーム差。七月には仕切り直して、惨めな試合を見せないでほしいものです。

 

 テニスの錦織圭さんもぱっとしない。昨年同様、QFまで勝ち上がることのできたローラン・ギャロスだったわけだが、けして調子がいいとはいえないアンディ・マレーに、自滅する形で逆転負け。1セット目の完璧な試合展開の時点で厭な予感がしていたのだが、その予感が見事に当たってしまった。長年にわたって課題とされているメンタルのコントロールについては、もう諦めるしかないのだろうか。精神的な弱さが克服されない限りは、グランドスラムはおろか、マスター1000での優勝もありえないだろう。

 気を取り直して、芝のゲリー・ウェバー・オープン。全仏同様、ベルダスコから勝ち上がっての三回戦だったわけだが、まさかの棄権。これでゲリー・ウェバーでの棄権は三年連続となってしまった。もうすぐ始まる全英でも期待できないのだが、去年のポイントもキープできないとなってしまうと、いよいよトップ10転落が現実のものとなってしまいそうである。ツアー・ファイナルに出場できることを心の底から望んでいる•••。

 

 先日、はじめての文楽体験記/国立劇場 五月公演「菅原伝授手習鑑」と題した文章を書いて、表題のとおり、はじめて文楽に足を運んだときの経験をつらつらと書いたのだが、文楽を観たのは五月のことであった。じつは六月にも、そのままの勢いで国立劇場で歌舞伎を鑑賞してきたのである。

 文楽同様、はじめての歌舞伎鑑賞。毎年六月と七月に開催されているらしい中高生向けの「歌舞伎教室」に行った。初心者向けに歌舞伎のいろはをユーモアを交えつつ30分程語り、実際の歌舞伎の演目を披露するというものである。その日の演目は、「毛抜」と呼ばれる歌舞伎十八番のものだった。七月にもあるというので、そのままの勢いで、もう一度行こうかと迷っているところである。

 歌舞伎や文楽をさらに見たいというのと同時に、能や狂言という分野にも興味をもちはじめた。ことしは思いがけずお茶碗に心を奪われたり、日本的なものへの関心がずっと流れているような気がする。ただ、その関心は、そのつど対象とのあいだのみに取り持たれているような感覚があって、まだそれぞれの領域同士がつながって、大きな意味を訴えはじめるという段階には至っていない。このままの調子でもいいのだが、せっかくなので、その土台となるようなことをお勉強をしながら体系的に積み立てていったら、最終的にはもっと愉しくなるような気もしている。これまで断片的にしか読んでこなかった散らかっているばかりの日本文学も、もう少し時代性ということを意識しながら読み直したいかぎりである。ああ、時間が欲しいのです。

 

 気づけば、8,000字に達してしまった。研究とは別に読んだ本のあれこれについてであったり、友人たちと話したあれこれのことを書こうと思っていたが、さすがに打鍵する指が疲れたのでここいらでお開きにします。つねに時間の足りなさについて苦々しく思っているわけだが、普段考えているよりも、人間の一ヶ月にはさまざまなことが起こるものだ。わたしの普段の暮らしには、プロ野球の観戦とプロ野球ニュースならびになんJまとめを読むということしか含まれていないような気もしていたのであるが、そうでもないのかもしれない。いや、現実を隠蔽するのはよくないだろう。事実、そうなのである。不毛とはわかりつつも、「もう応援しない」と不貞腐れようとも、贔屓のチームはいつまでも追いかけてしまう。それが愛でしょう?

 

 

 六月の記事

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