日誌 | 20230909 - 0914

9/9 土

 まだ日の上がらない時間にパリを出たトゥルーズ行きの列車で、昨日のル・モンド紙に掲載されたイランの獄中から届いた四人の女性たちの手記を読む。死刑廃絶を訴える政治活動に身を投じた女性は、懲役16年の判決を受けて2016年から獄中にいる。「この国では、どんな瞬間にも、生きたいという欲望が罪になる」という悲痛な訴えに心が揺さぶられる。新聞から目を上げて、ふと窓の外を見ると、みずみずしい緑の菩提樹の葉っぱが風に揺られてひらひらと落ちて、朝日できらめいている光景が目に飛びこんできた。その刹那、言いようのない感動を憶えて思わず泣いてしまった。獄中の彼女たちはこんな景色を見ることすら許されない。

 トゥルーズに降り立つのは五か月振り。パトリスと合流してぶらぶらと街を歩く。この街の基調となっている赤い煉瓦の色彩は目に快く、その景観は落ち着いていて、知的な印象さえ受ける。パトリスがあたらしいジーンズを買いたいというのでUNIQLOに行くと、店舗工事中に出土したとかで、紀元一世紀の石造りの機構がホワイトキューブの片隅に展示されていた。立派な古代遺跡のすぐ隣では10ユーロに値引きされたUNIQLOのTシャツが売られている。これが21世紀。わたしたちは一日街を散策していたが、あちこちでラグビーのために駆けつけたと思しき日本人を見かけた。近頃のパリではあまりないことだ。パトリスからどうして日本人のおばさんたちは揃いも揃ってあんなにダサい帽子を被っているのかと聞かれ、おかしくって笑い転げた。確かに。

 

9/10 日

 早起きして阪神対広島戦の中継を見る。この天王山となった週末の三戦はだいたい試合を観ていたが、これ以上ないという三連勝で〆た。監督采配も冴え渡っているし、プレッシャーのかかる場面で起用に応える選手たちも立派。本当に強いチームに育ってきたと感慨も一入である。村上、大竹、伊藤と続けて10勝を達成。何十年振りかのセ・リーグの全チームからの勝ち越しも確定させた。残りのマジックはたったの5。来週のどこかで優勝が決まるだろうか。ついに小学生以来の18年振りにリーグ優勝の胴上げが見れるのかと武者震いを覚える。寝ぼけた顔をしたパトリスにその凄さを説明するのだが、へえという感じで、あまり興味をもってもらえない。

 トゥルーズのスタジアムまで、日本対チリのラグビーW杯初戦を観にいく。まるでルールがわからないので、今度はパトリスからときどき解説してもらいながら試合を観た。日本はみごとに勝利を収めた。しかしスタジアムはなんて気持のいい空間なんだろう。三万人もの人々のあいだでウェーブが何度も何度も巻き起こった。明日はアジェンデの社会主義政権を転覆したクーデタから数えてちょうど50年だと気づいたのは帰り道のことだった。スタジアムに日本人以上に大挙して詰め掛けていたチリ人と喋る機会はなかったのだが、彼らに五十年前のことをどう考えているのか聞いてみたい気がした。つい最近1973年の国鉄ストライキのことを調べていたのだが、この年は日本の左翼が勢いを喪うような大きな転換点になったのだなと思う。

 夜はどこにも出かける気力がなくなって、テレビでラグビーW杯でウェールズとフィジーの試合を観た。これが本当に見応えのある白熱した試合で、はじめてラグビーというスポーツの真髄に触れた気がする。逆転の希望が残された最後のフィジー側の攻撃。ひとりでもミスをしたら試合終了という緊張感のなかでパスを回しながら攻め入っていく感じは、たとえば野球にはあまりないものだと思う。しかしほんの一歩のところで捕球ミスがあって敗北。まさかの幕切れに、わたしたちはしばし茫然としてしまった。

 

9/11 月

 トゥルーズ名物のカスレを供するレストランにいったり、ぶらぶらと本屋をめぐったり、古着屋を物色したり文房具を買ったりと、まったく無目的に見慣れない町を散策するのは愉しい。最後にたどり着いた改装中のオーギュスタン美術館。かつては修道院だった展示室の一角に展示されていた Carlos Pradal というマドリッド出身の画家の作品がすばらしく、エリセの映画といい、急にスペインに呼ばれているような気がしてきた。ついこのあいだまでイタリアのことばかり考えていたというのに。

Carlos Pradal, Nu de dos à sa toilette, 1977

 パリに向かう五時間近くの列車で、夏目漱石『行人』を読む。最後に H さんが二郎に宛てた長い手紙で描出された「兄さん」の苦悩に満ちた肖像。手紙の引用という体裁を取ったまま、次の一文で小説が終わっているのが本当に素晴らしい。

「(…)私がこの手紙を書き始めた時、兄さんはぐうぐう寝ていました。この手紙を書いている今も亦ぐうぐう寝ています。私は偶然兄さんの寝ている時に書き出して、偶然兄さんの寝ている時に書き終る私を妙に考えます。兄さんがこの眠から永久覚めなかったらさぞ幸福だろうという気が何処かでします。同時にもしこの眠りから永久覚めなかったらさぞ悲しいだろうという気も何処かでします」

 

9/12 火

 数か月振りにスーツを着る。ヨレヨレだからアイロンを掛けなさいと叱られて、へえへえと謝りながら二人に見送られて仕事に出かける。高松宮殿下記念世界文化賞の受賞者発表式典に出席すべく国立図書館リシュリュー館に向かう。去年長きに及んだ改修工事が終わったばかり。式典が終わったあと、出席者たちのためのガイド付き訪問。14世紀に王室文庫が設置されて以来、連綿と続く〈図書館〉という制度は、ともするとフランスの最良の文化といっていいのではないかという気持になった。収蔵品の幅広さだけではない。あの息を呑む美しさの閲覧室に入るために何の手続きもいらない。ただふらっと立ち寄って、ソファで休んだり、パソコンで勉強をしたってかまわない。開かれた公共空間を標榜する図書館の理念がここでは実現しているのだ――と感動を憶えつつ、手放しに賞賛してよいのだろうかという警鐘が頭の片隅にちらついた。帰りぎわに見慣れない取り合わせの植栽だなとリシュリュー館の庭園を眺めていると、ここに植わっている植物はすべて紙をつくる原料になるものだと教えられた。なんとすばらしいコンセプトの庭園だろう。

 

9/13 水

 5キロの日本米を抱えてえっちらおっちらと帰ると、二人が大喜びして出迎えてくれる。

 

9/14 木

 阪神タイガースが18年振りにリーグ優勝を果たした。18年前、わたしはまだ小学6年生で、いまよりもずっと日々阪神タイガースのことばかり考えて暮らしていた。まさかあれから再び胴上げを見るまでにこれだけの歳月を要するとは。そのあいだ何度も他チームの胴上げを見てきたから、縦縞のユニフォームが宙に舞っている様子を目にして、いろいろな思いが込み上げてきた。あの無口でクールな岩崎が、今年夭折した横田慎太郎のユニフォームを片手に胴上げしている姿にほろりと涙する。

 わたしが阪神タイガースのファンになったきっかけは、2003年に18年振りにリーグ優勝を果たして、熱狂的なファンが次々と道頓堀に飛び込むニュースを目にしたことだった。こんな人たちはわたしの住む町にはいないと、あのときに受けた衝撃はいまだに憶えている。わこちゃんはニヤニヤしながらわたしに向かって言う。ほら、セーヌ河に飛び込まなくていいの?