日誌 | 20230901 - 0908

9/1 金

 今日でちょうど関東大震災から百年。数日前から百年前新聞というアカウントが投稿するツイートを熱心に追いかけていたが、これはツイッター(意地でも「X」と呼びたくない)というメディアにぴったりの試みだと思う。朝鮮人たちをめぐる流言が出回りはじめ、相次いで生じる殺戮や傷害事件がリアルタイムで報じられていく様子に戦慄を憶える。その百年後、厚顔無恥官房長官朝鮮人虐殺の事実関係を裏付けるような政府の公式記録がないと記者会見で言ってのけたという報道を読んで、日本の政治家は果たしてどこまで落ちぶれることができるのかと昏い気持になった。もはや底なしだ。

 

9/2 土

 暑い。8月中続いた冷気にこのまま秋を迎えてしまうのではと淋しさを感じていたので、こうして遅れてやってきた夏が喜ばしい。しかしせっかくの晴れた夏の日でも、わたしは結局一日中映画館の暗闇に引き籠っているのだった。映画好きは不幸な人種だ。

 この日最後に辿り着いたのはシネマテーク・フランセーズビクトル・エリセ特集。はじめは監督本人の登壇も告知されていたので、これは大変だと予約サイトに張り付いてチケットを入手していたが、エリセの登壇は直前で取りやめになった上、短編集のプログラムや初監督作品のオムニバスの上映までもがキャンセルとなって、正直特集としての面白みは半減。だが代打で登板したスペインの批評家の話はおもしろかった。『ミツバチのささやき』のオーディションの折に、エリセが当時5歳のアナ・トーレンに向かってきみはフランケンシュタインは知っているかと訊ねると「知ってるけど、まだ誰もわたしに会わせてくれたことがないの」と答えた。それでエリセは彼女の起用を決めたのだという。まさに映画そのものというエピソード。

 10 年振りの『ミツバチのささやき』。映画のロケ地となったアナたちが暮らす街は、マドリッドの郊外にあるのだという。あの草原の真ん中にぽつりと立つ小屋もまだ残っていたりするのかなあ。

 

9/3 日

 快晴。昨日に続いてシネマテークに一日籠って、今日も今日とてビクトル・エリセ特集。2007年に発表されたキアロスタミとの映像往復書簡、『エル・スール』に『マルメロの陽光』と三本つづけて観る贅沢。

 家に帰ってからアントニオ・ロペス・ガルシアの作品をインターネットで見る。そういえばこの画家をはじめて知ったのは、ジム・ジャームッシュ『リミッツ・オブ・コントロール』だった。そうなのだ、あのマドリッドの夕暮れを描いた傑作は、ソフィア美術館に所蔵されているのだ。

Antonio López, Madrid desde Torres Blancas, 1982.

9/4 月

 職場から外に出た途端にむわっとした生ぬるい風に当てられて、思わず東南アジアの夜ですねえと呟いた。せっかくなのでフォーでも食べに行きましょうと言って、M さんと近所のベトナム料理屋へ向かう。彼女からは夏休みのサハラ砂漠旅行のエピソードを聞く。ラクダの背中に跨って、そのままスッと体を起こしたときの、一挙に視界が上昇してひらける感じ。砂漠には道がない。ラクダが刻む一定のリズムの歩行に任せて、延々と続く砂の上を最短距離で進んでゆく快楽。Mさんがそうした砂漠のあれこれを語るのを聞きながら、頭のなかでその光景を思い浮かべていた。わたしは砂漠に行ったことがない。けれどもこれまでに触れてきたさまざまな表象のおかげで、鮮明な映像を脳裏でイメージすることができる。その映像は本物のサハラ砂漠の風景と合致するのか確かめてみたい気がした。

 

9/5 火

 綾さんから護衛隊の詰所で開かれる盆踊りがあるよと誘われたので、よくわからずホイホイと着いていく。地下鉄の駅を出たところで綾さんが「いまジャック・ラングがいたね、あの爺さんもまだまだ元気だなあ」と平然と言い放ったので、わたしは慌てて振り返った。よれたスーツに身を包んで、ゆっくりとした足取りで歩いていたが、いかにも一角の人物という雰囲気。

 ギリシャアメリカ、イタリアと、それぞれのポップソングにあわせた振付けを講師とともに踊る。大方のパリジャンはスノッブなので周囲でワイン片手に談笑しているが、わたしたちは精一杯踊るのに努めた。爽快な気持になって、数週間前のマルセイユからの列車で、きみはダンスをするべきだと思うとジェシカから強く薦められたことを思い出した。確かに自分はいまダンスを必要としているみたいだ。

 

9/6 水

 ラグビー代表チームの元主将たちがどうしてラグビーというスポーツを愛するかと壇上で理由を語るのを舞台袖で聞きながら、それはラグビーでなくとも、どんなチームスポーツにでも当てはまる物言いじゃないかと意地悪な感想を抱いて、ばかみたいに頷く観客たちに軽く苛立ちを憶えた。長い一日を終えてへろへろにくたびれた帰り道で、わたしは何ごとにおいても任意に代入可能な物ごとがイヤなのだと思いあたった。それはいわゆる「普遍性」と似ているようで異なる。ラグビーの魅力を語るなら、集団のスポーツが云々とかいうピントの甘い御託を並べるのでなく、サッカーやアメフトや野球とちがって、ラグビーにしか備わっていない特殊性に迫らなければいけない。と同時に、あの壇上にいたラガーマンたちはきっとラグビーでなくても良かったのだろうとも思う。ともするとダンサーや水泳選手としても大成していたかもしれない。そうした選択はあくまで偶然の導きに過ぎない。けれども事後的にそうした選択の特殊性、その固有性を見い出していくことは、少なくともわたしにとっては非常に大事なことだ。そういう表現にしか心を動かされない。

 

9/7 木

 後輪がパンクしたので近所の小さな自転車屋に駆け込む。ひとりで店を切り盛りするおじさんはいたって無愛想だったが、少しずつ言葉を交わすうちにその職人然とした人柄に惹かれるようになった。この自転車は中古で買ったものかね。このマラトン・プラスというタイヤは、本当にいいタイヤだよ。きみは韓国人かね、それとも日本人か。シマノという日本のメーカーのつくるものの品質はどれも間違いない。

 しかし自転車屋はおもしろい。次から次へといろいろな人たちが店内に入ってくる。若い女の子が近くの住所を尋ねに来たり、アジア人のおばさんがタイヤがパンクしたから買物できなくって困るとたらたらと一方的に不満を垂れながら自転車を預けに来たり。あるいはもう何十年も自転車は乗っていませんという感じの高級なスーツに身を包んだ男性が箒を借りにきて、地面に這いつくばって店の前に停めた車の下に落ちてしまった鍵を取っていったと思えば、入れ替わりでやってきた少年は「これから親友とサッカーで遊ぶんですが、ボールの空気が抜けてしまっているので助けてくれないでしょうか」と礼儀正しく頼みごとをしていた。わたしの自転車の後輪は韓国製のものに換わった。乗り心地はばっちり。

 

9/8 金

 この一週間ほどかかずらっていた原稿を仕あげて地下鉄に乗る。林其蔚のギャラリーに着いた頃には、すでに彼のパフォーマンスは終わってしまっていた。今日がオープン初日だという。林くんの計らいで、展示を見に来ていたワン・ビンに挨拶。パリに来てから少なくとも四度くらいはワン・ビンと同じ場所に居合わせているが、言葉を交わしたのはこれがはじめてだ。とはいえ彼はまったく英語もフランス語も喋れない。わたしが『Youth』は素晴しかったというと、ニコリともせずに、まだあの作品には続きがあるんだと言った。

 一緒に展示を見にきたカミーユと隣の店に流れこんで、互いの夏を報告しあう。ちょうどいまトーキョーのギャラリーでわたしの肖像画が展示されてるらしいんだよねと、カミーユから展示風景の写真を見せてもらう。いいじゃない、似てるじゃないと褒めてみるのだが、画家本人は相当気に入ってるらしいんだけど、わたしは正直あんまりなんだよねと微妙な顔をしていた。しかし肖像画というものは、いったいどれぐらいの割合でモデルの満足のいく出来になるのだろう。思ったより少ないんじゃなかろうか。カミーユはついに来年の春、何年も前から温めていた安部公房原作の短編作品を撮ることに決めたという。2024年3月はちょうど安部公房の生誕100年に当たるはずだと伝えると、彼女は大袈裟に驚いて、これは何かの思し召しだと嬉しそうにしていた。

 わこちゃんたちが南仏の旅行からパリに戻ってきた。仕事があるから早めに寝ると伝えたのだが、初日から愉しくなって深夜まで三人で話しこんでしまう。これからひと月ばかりの共同生活がはじまる。